居酒屋
年の瀬。世の中はやれクリスマスだ、やれ年末だと人々が浮かれ忙しくなっている頃、そんな事とは全く関係ない俺は、飲み屋街の路地裏の更に奥まった所にある小さな居酒屋で隠れる様に酒をちびりちびりと飲んでいた。
ガタガタと建付けの悪いガラスがはまった引き戸の向こうは、昨日とは形を変えた牡丹雪が優しく降っている。
時折、ほろ酔いのサラリーマンの陽気な声や、それを取り巻くように楽しそうに笑う女の声が聞こえてくる。
カウンター席だけというこじんまりとした店。店に入った時は職人らしい男二人が飲んでいたが、その二人が出て行くとがらんと誰もいなくなった。
今では珍しい達磨ストーブの上のやかんがカンカンと怒るように蒸気を吹き出し、カウンターから見える厨房では、60代位の店の大将が渋い顔をしながらゆっくりとお玉で大鍋をかき回していた。
カシュカシュという掻き回す音を聞きながら飲む酒は、平成生まれの俺でも昭和にタイムスリップ出来たような錯覚を起こさせる。
そんな心地の良い雰囲気にのまれて、沈み荒んだ俺の気持ちも少しほぐれていくような感覚になっていたそんな時、ガタガタと引き戸を開けて一人の男が入って来た。
茶色いロングコートにハンチング帽をかぶり、夜なのに大きめのサングラスを掛けている。極めて妖しい風貌だ。
チラリとその男を見た俺は、関わりたくないとばかりにそっと目をそらし酒を飲み続ける。
雪が付いたままのコートを、壁に取り付けられたフックに掛けた男は、俺の方へ歩み寄り
「ここいいかな」
と言った。
「え?」
ハンチング帽の男が、外したサングラスを手に俺の隣の席を指さしている。
「え?は・・はい」
他の席が空いているのに、何故俺の隣なのか。俺の知り合いか?
訝しがりながら男を横目に手酌で酒を注ぐ。
「大変でしたね」
椅子に座りながら、男は突然俺に向かってそう言った。
「え?」
目尻に深く皺をよせ細く笑ったその顔は、人が良さそうな顔をしている。
「あまり気を落とさない方がいい」
男はそう言いメニュー表を見る事なく「親父さん、酒ともつ煮ね」と厨房にいる大将に声を掛ける。常連なのだろうか。
「あの・・・」
「ああ。突然申し訳ない。ダメだと思っても、貴方みたいな顔をしてる人を見ると、ついよんでしまう」
男ははにかむように笑いそう言った。
「よむ・・・・」
俺は、男が何を言ってるのかさっぱり分からなかった。
「良かったら話聞きますよ」
気軽にそう言った男はハンチング帽をテーブルに置いた。てっぺんがかなり薄くなった頭は、雪が降るこの季節寒そうだ。
「話を聞くって・・・」
俺は震える指で、ザラリと顎を撫でる。
「言葉通りですよ。袖すり合うも他生の縁って言いますしね。こうやって、同じ飲み屋に入り隣で酒を飲む。それも縁。どんな話でも酒の肴になります」
言っている事がよく分からない。それに、袖すり合うもって・・勝手に隣に座って人の不幸話を肴に飲もうって言うのか?悪趣味な。
俺は、この不躾で意味の分からない話をする男にイラついたが・・・
「そうですか。じゃあ、聞いてもらおうかな」
何故か俺は、男にこれまであった不可思議で恐ろしい話をし始めた。
誰にも語らず、自分の中にだけ仕舞い込んでいたあの出来事。そんな俺が初対面の男に口を開くなんて・・本当は、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
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