ミヨ

大学を卒業し、社会人三年目の夏。

この頃になると会社の流れや自分の生活のリズムが定着し安定してくる。就職氷河期を何とか乗り越えた俺は大学を卒業と共に小さな出版社に入社。左程大きくない会社だったが、この不況時に大学卒業と同時に就職できたのはまだ運が良かった方だろう。配属されたのは営業部門。書店などに足を運び、自社の雑誌などを宣伝したりキャンペーンの販売企画など様々な仕事をする。

自ら営業部門に希望したわけじゃない俺は、働ければいいと思い、半ば流れに身を任せるように仕事をしていた。出世したいとも思わないし、飢え死にしない程度に食べて行ければそれでいいと思っている。

その営業部に同期で高野という男がいた。

金髪に鼻ピアス。何本かの指に星のタトゥーが入っている。

こんなチャラい男がよく入社できたものだと不思議だったが、風の噂で社長の息子だという事を聞き納得した。

派手な奴が苦手な俺はなるべく関わらないように仕事をしていたが、営業部門は人数が少ない。なので、少人数で切り盛りするには嫌な奴とも一緒に仕事をしなくてはいけない。

最悪だなと思いながら高野と共に営業周りを始めるが、意外にも高野は客の受けがすこぶる良かった。

書籍の売り込みなどの時も、気難しそうな店長が最後はにこやかに話している。相手の懐に入り込むのが上手いのだろう。キャンペーンなどの飾りつけや企画も、奇抜なものが多かったが大成功を納めている。

型にはまった考えしかしない俺には到底思いつかなく、驚きと新鮮さを感じた。

暫くすると、俺は高野に苦手意識はなく仕事のベストパートナーとなっていた。

仕事は勿論、プライベートでも飲みに行く事も多くなりさらに親密は増す。聞けば俺と同い年だという。無趣味の俺と違い、高野は多趣味だった。バイクに釣り、キャンプにスノーボードとアウトドア派らしい。逆に俺はインドア派。家の中でネットや読書をするのが主だった。

自分と真逆と言っていい高野との付き合いは、自分にとっていい意味で刺激でもあり悪い意味では少々嫉妬してしまう。

だが、意外にも相反する者同士上手くいく時もあるようで、俺と高野は仕事仲間以上の付き合いになるにそう時間はかからなかった。

ある日、高野がどうしても一緒にツーリングに行きたいと言うので、俺は生まれて初めてバイクを買った。勿論免許もとる。

インドア派の俺にとっては一世一代の決断だったが、そんな俺に高野は「そんなバイクぐらいで大袈裟な」と笑っていた。

陽気で好奇心旺盛な高野から言わせればそうかもしれないが、陰気で無気力、無感動、事なかれ主義の〜ちょっと言い過ぎか〜俺からすれば大事おおごとなのだ。

そんな俺でも小さなプライドはある。

初めてのバイクで高野とツーリングに行った時に、恥をかかないようこっそりと練習を始めたのだ。

夜に一人バイクに乗り出掛ける。ソロツーリングなんて言えば聞こえはいいが、ただ近所を一周してくるだけのもの。しかし、回数が増えるごとに最初ぎこちなかった右左折がスムーズにいくようになり、俺はそれなりに満足していた。


その日も仕事が終わりアパートに戻ると、準備をしてバイクにまたがった。

ヘルメットから見える狭い視界から夜空の星が辛うじて見える。

「今日はちょっと遠出してみるか」

明日が休みという事もあり、俺は前から行ってみようと思っていた峠に向かった。俺にとっては大冒険だ。

街の喧騒を抜け次第に建物や灯りが少なくなってくる。多かった信号も少なくなり車の往来もないに等しくなった頃、俺は峠の入口に着いた。

バイクを停め見上げると、夜の闇の中に立ち塞がるように立つ山のシルエット。夜空には街中では見えなかった星達が沢山瞬いている。

「よし」

俺は気合を入れアクセルを回し発進した。

低いうなり声をあげてバイクは走り出す。右へ左へと曲がる峠を自分のペースで登っていく。対向車などなく、まるで自分専用の道に思えて来る。

「いいぞ」

いつもより調子よく走り続ける。

20分程で山の頂上に着く。そこには比較的大きな神社があり、毎年秋になると収穫を願う祭りが行われる。大学時代、友人と何度か来た事がある。

駐車場にバイクを停め、木々の隙間から見える夜景を見下ろす。冬であれば、木々の葉が邪魔することなく綺麗に見えただろうなと思いながらも、俺はここまで来れた事に満足する。

完璧なインドア派な俺が、バイクの免許を取り走るなんて事は今まで考えた事なかった。これも高野のお陰かもしれない。この勢いで彼女まで出来れば申し分ないのだが、それは余り期待しないでおこう。

少しだけ寂しくなった俺は、バイクに戻り下山するためエンジンをかけ出発する。

下りは上りより少しだけ難しかったが、後半に来るとそれも慣れ快調に走って行く。

その時だ。

左の草むらから突然黒いものが飛び出してきた。

「うわっ!!!」

慌ててハンドルを右に切りブレーキをかけた。

転倒するかと思いきや、大きく右に逸れただけで止まる事が出来た。対向車が来なくて本当に良かった。

「あっぶねぇ~。何だよ今の」

心臓がドキドキと早鐘を打つ。俺は、黒いものが飛び出してきた方を見た。

小さくて丸い黒いモノが、道の真ん中でもそもそと動いている。

「何だ?」

俺はバイクを降り、その辺にある棒切れを掴むとその小さな黒いモノの方へ近づいて行った。

得体のしれないモノ。俺は、わざと棒切れを道にこすりつけてザリザリと音を出す。威嚇とまではいかないが、音でどんな反応を示すか見たかったのだ。

「にゃふ」

反応があった。丸い形が達磨のような形になり、達磨の頭の部分に光る二つの目。

「うっ」

一瞬たじろぎ、引け腰になったが相手は小さな生き物。恐る恐るまた棒切れを左右にゆっくりと道にこすりつける。ザラザラという不快な音が辺りに響いた。

その黒いモノは逃げる事もせず、棒切れを追うように達磨の頭を左右に動かす。

「にゃふ」

おかしな鳴き声を出す。にゃふなんて鳴く生き物がいただろうか。

その時、月を隠していた雲が動き俺とその生き物を潮が引くように照らし出した。

「は?・・猫ぉ?」

目の前にいる黒いモノは、小さな黒猫だった。

「何だ。猫だったのか」

未知の生物ぐらいに考えていた俺は拍子抜けしたような声を出し、棒切れを放り投げる。

「にゃふ」

猫で悪いかというような鳴く猫。

「お前何でこんな所にいるんだ?母ちゃんは何処だ?」

俺は、猫が転がり出てきた茂みの方を見るが茂みの奥は闇が広がるばかりで確認する事が出来ない。ガサガサという音も気配もないので、もしかしてこの猫だけなのだろうか。

俺は猫に近づきしゃがみ込んだ。

猫は逃げる事もせず、大きな光る目で俺を見上げている。

「もしかして怪我でもしてるのか?どれ・・・」

俺は猫を抱き上げ頭から体、四肢と怪我の有無を確認していく。

「にゃふにゃふ」

猫は、くすぐったいという事なのか、それとも怪我をして痛むのか分からないがしきりに鳴いている。俺は、なるべく優しくゆっくりと身体の至る所を触り確認した。

「ん~怪我はしてないようだな。多分」

腕に抱いた猫を見下ろす。

「にゃふふ」

当り前よと言うように、小さな鼻を膨らませる。

「さて、どうするんだお前。何処か寝床でもあるのか?」

俺は猫を地面に置きそう話しかけるが、猫は俺をジッと見上げているだけで逃げる事も動く事もしない。

「さ、早く寝床があるならお帰り。俺も帰るんだ」

しかし、猫は置物になったかのように俺を見上げたまま動かない。

「・・・俺は帰るぞ?いいな?」

別に猫に確認しなくてもさっさと帰っていいのだろうが、何となく言わなくちゃいけない気がする。妙な猫だと思いながら停めてあるバイクの方へ歩き出した。

「にゃ~ふ」

「ん?何だよ」

俺は振り向きまた猫の側へと近寄った。

「にゃふん」

甘えたような声を出した猫は、俺の足元に自分の頭をこすりつける。

「・・・参ったな・・・」



「しばらく我慢してろよ!」

俺は、背中に背負っているバックパックの中にいる猫に向かって声をかけた。

酸素不足にはならないだろうが、窮屈なのは可哀想だ。

俺はこれまでに出した事のないスピードでアパートを目指した。

これが、俺と猫~後にミヨと名付ける~との出会いだ。


仕事終わりに飲みに行ったりすることも少ないし、友人も上京してから独りもいない~一応高野も友人となるか~だから、俺にとってミヨは、上京して初めての友達みたいなものだ。ペット禁止のアパートだが、ミヨは必要以上に鳴いたりしないのでバレないだろう。バレたらバレたで、その時考えればいいと思った。

早速家に連れて帰り、綺麗に体を洗ってやると雌だという事が分かる。

「何だお前女の子だったのか。じゃあ俺の彼女だな」

身体をタオルで拭きながら、何だか俺は嬉しくなりそう言って笑いかけた。泥や草が沢山ついた体が綺麗になると、つやつやと黒光りする毛並みがとても上品だ。拾ったときは気が付かなかったが、顔半分を埋め尽くすような大きな眼は少し灰色がかっている。子猫だからなのか分からないが、両耳がぺたんと折れ曲がっているのも可愛らしい。

「にゃふ」

ミヨは不満そうに一声鳴く。

それからの俺の生活はたった一匹の猫のお陰で、ガラリと変わった。餌やトイレの用意。玩具に寝る場所。今まで縁のなかった動物病院にも行く。

慣れない事だらけだが、とても楽しく充実した毎日だ。

会社でも高野に

「なんかいい事でもあったのか?」

と言われた。

どうやら顔に出ているらしい。


そんな楽しい毎日を送り、季節はうだるような暑さの真夏に入った。

一人で留守番をするミヨの為に、エアコンをつけっぱなしにするので電気代がかさむ。自分の欲しい物を我慢し何とかやりくりをする毎日。

そのお陰か、ミヨは病気一つせず毎日元気に俺を出迎えてくれる。


日々は過ぎ、会社はお盆休みは入ろうとしていた。

関西出身の俺は毎年実家に帰省し、墓参りをしながら家族に近況報告と共にゆっくり過ごすのが恒例だった。

しかし、今回のお盆は違う。

仕事で、東北へ高野と共に出張するのだ。顧客対象の書店が年中無休の店が多いため、それに合わせて順番に盆休み返上で仕事に出る。それが今回、俺と高野に回って来たという訳だ。

からくも、ミヨと共に実家へ行きゆっくり過ごすという俺の計画は崩れてしまった。

仕事だから仕方ないが、問題は出張の間ミヨをどうするかだ。

ペットホテルに泊まらせるかと調べるも、結構な値段である。かと言って、頼める友人もおらず・・・

困り果てていた時、妹から電話があった。

今年も実家に帰って来るなら、東京にある○○の店(名前を忘れた)で買ってきて欲しいものがあるという催促の電話だ。

妹は今年大学に入ったばかり。地元の大学に通っているので、独り暮らしはせず実家暮らしである。

俺はこれ幸いと、事情を説明し妹に頼んでみた。

妹は二つ返事で引き受けてくれた。一度東京に住みたいと思っていたという。

ミヨの世話の為に来るという事を本当に理解しているのか疑問だが、一応これで問題は解決だ。


そして出発の朝。

いつもと違う雰囲気を感じたのか、ミヨは俺の側から離れない。小さな爪をたてがっしりと俺の胸元に抱きつく。

会社に行く時などは玄関まで来て、機嫌よく見送ってくれるはずなのに・・・

動物の勘なのか。それとも、見慣れない大きな鞄があるせいなのか。いや、多分妹(由紀)が家にいるからだろう。アパートに連れて来てからミヨは動物病院以外外に出ない。他の人間に慣れさせていないのだ。動物病院では、諦めているのか特に暴れる事はなかった。

ミヨは、人見知りが始まった子供の様に俺の腕の中からジッと由紀を見ている。どんな時も顔をクルクルと回し、動く由紀を目で追いかける。

何度、由紀の方へミヨを渡そうとしても「ふにゃ~~あ!!」と、酷い鳴き声を上げるのだ。

さてどうしたものか・・・これでは、由紀もミヨの面倒をみるどころではない。

刻々と出かける時間が迫って来た。

相変わらずミヨは、がっちりと爪を服に食い込ませ俺から離れない。

小さくため息を吐いた俺は、ミヨを説得し始めた。猫に説得というのもおかしなものだが、他に妙案が浮かばなく時間も迫る中焦っていた俺は、ミヨの顔を間近に見ながら話す。

「ミヨ。俺は仕事だからどうしても行かなきゃいけないんだよ。一週間たったら必ず帰って来るから待っててくれるか?由紀はとても優しいから大丈夫(多分)分かるか?必ず帰って来る」

俺が話している間、ミヨは灰色の大きな瞳で俺をジッと見ている。

「分かったかな?」

「にゃふ」

ミヨはそう一声鳴くと、俺の腕から床に飛び降りた。

分かってくれたのだろうか。猫に人間の言葉が分かるのか知らないが、もしかしたら雰囲気を感じてとっているのかもしれない。

一先ずホッとした俺は、由紀にミヨの世話をするのに必要な物や注意事項をしつこいぐらいに話すと、後ろ髪を引っ張られるようにしてアパートを出た。

俺の住んでる部屋は、二階建てアパートの二階の角部屋。

鉄製の階段を降り、表通りまで行く途中視線を感じて振り返った。

道路に面している小窓の所にミヨがいた。狭い窓の枠の所に少しだけ大きくなった身体を乗せ、顔をこちらに向けている。俺は大きく手を振り歩き出した。

気のせいか後ろから「行くな」と聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだろう。

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