第12話 月影の巫女

前回までのあらすじ

 輝夜、紅葉、明宵、水咲の4人の協力により、悪魔軍の将軍の1人、ラダーは倒れ、それによって雪奈も暴走状態から解放された。

 同じ頃、ノルズが霊橋区へ侵攻するが、美雲の奇策により撃退に成功。ノルズ率いる悪魔軍はさらに後退することを決定した。



翌朝

 昨晩の夕食会の後、輝夜は市庁舎の仮設宿舎で眠りにつき、そして今目を覚ましていた。

(…この景色…初めて…)

 輝夜はベッドの近くの窓から霊橋区を見渡す。普段の輝夜の生活では、決して目にすることのない朝の景色だった。



数時間後

 星霊隊のメンバーたちとの朝食を済ませ、輝夜、紅葉、明宵の3人は自分の家を目指して歩いていた。

「いやぁ、全部丸く収まってよかったよなぁ。美雲の敢えて守りを捨てる作戦なんて、度肝抜かれたなぁ」

「…えぇ…他にも興味をひくものも多く…特に悪魔とのハーフという風花さん…とても面白い方でした…」

 紅葉と明宵が楽しそうに雑談を交わすその少し後ろを、輝夜は下を向いて歩いていた。

「ところであの水咲って人、どうなったと思う?」

「…取引がどうとか言っていましたね…きっと、星霊隊に加入するのでしょう…」

「あー。そういえばさ、明宵も星霊隊に誘われてたね。入る?」

「…その予定です…私の研究所がああなってしまいましたし、それに、あの部隊は興味をそそるものが多いので…紅葉さんは?」

「アタシも入ろうと思ってるよ。これまでの経験が生きて、役に立てるだろうしね」

 紅葉はそう言うと、振り向いて輝夜にも尋ねた。

「おーい、輝夜、あんたは?」

「…え?ごめんなさい、聞いてなかったわ…」

「星霊隊、入るの?」

 紅葉は改めて輝夜に尋ねる。輝夜はそれで改めて状況を把握し、紅葉の質問に答え始めた。

「そうね…私には…巫女の仕事があるから…」

 輝夜の返答は、歯切れが悪かった。紅葉は、どことなく輝夜らしくない態度に何かを言いそうになったが、それをグッと堪えた。

「そっか」

「そう」

 輝夜と紅葉は微妙な空気感で会話を終える。それを気にせず、明宵が足を止めた。

「…それではお二方、私はこちらなので…」

「お、じゃあ」

「気をつけて」

 明宵は頭を下げて、輝夜、紅葉の2人と別れる。輝夜と紅葉は明宵と別れた後、2人で一緒に帰り道を歩いていた。

「今回さ、いつもの事件よりも危ない状況になったけど、楽しかったと思わない?」

 紅葉が不意に話を切り出す。輝夜はやはりどこか上の空だったので、反応が遅れた。

「え…あぁ…そうね」

「ああいうふうに、事件を解決した暁にみんなでご飯を食べるなんてこと、なかったもんな」

 紅葉に言われて輝夜は昨晩の夕食会を思い出す。大勢の仲間が、楽しそうに言葉を交わし、自分にも笑顔を向けてくれた情景が、すぐに浮かんできた。

「そうね…」

「きっと、毎回ああやって命懸けで戦ってるから、仲間同士の絆もすごい強いんだろうな」

「仲間…」

 輝夜はふと紅葉の言葉を自分でも口にする。同時に、輝夜は歩きながら物思いに耽っていた。

(…私は…常に母上と共に戦ってきた…同年代の仲間や、友人と言えるのは紅葉と明宵だけ…それもこれも、月影の巫女としてその使命を果たすため…)

 輝夜は緩い坂道をゆっくりと歩いて登っていく。輝夜の目の前の道は舗装されていない土だったが、視界の端には、近代的なビルの数々が並んで立っていた。

(月影の巫女は、生まれながらにして高い霊力を持ち、人々のために悪魔と戦う使命を持つ…そのことに疑問を抱いたことは一度もない…けれど…巫女としての役目を果たすあまりに友達がいないのは…あまりにも寂しすぎる…)

 輝夜はそう思いながら紅葉の方を見る。紅葉もたまたま輝夜の方を見ており、2人の目が合うと、紅葉は話しかけた。

「輝夜、何悩んでるのか、アタシにはわかんないけどさ、アタシは正攻法しかないと思うよ」

「と言うと?」

「悩みのタネに正面からかかっていくんだよ。たとえば、アタシなんかだったら、悩みのタネは同じ学校の先輩とかになるけど、はっきり、こうしてください、って言うようにしてる。うまくいけば悩みなんか消えるよ?」

 明るく、はっきりとした態度の紅葉の姿に、輝夜は小さく微笑んだ。

「紅葉は爽やかね。羨ましい」

「難しいこと考えられないだけだよ」

 紅葉はそう言うと、輝夜の前に回り込んだ。

「とにかく、それ以上ウジウジ悩むのは禁止な。真っ直ぐぶつかって、ダメだったらその時は力になるよ」

 輝夜は紅葉の言葉を聞き、長い後ろ髪を軽く払ってから笑顔を作った。

「ありがとう、紅葉。私もそうしてみる」

「おう、その意気よ」

 紅葉はそう言って大口を開けて笑う。輝夜もそれにつられて、小さく笑っていた。


 やがて月影神社の鳥居の前まで来ると、2人は足を止めた。

「じゃあな、輝夜」

「それじゃ、紅葉」

 輝夜は紅葉の背中を見送り、鳥居を見上げる。輝夜は何も言わずに、鳥居をくぐり、神社の隣に建てられている自宅へと歩いた。

「ただいま戻りました」

 輝夜は家にいるであろう母に報告する。輝夜が草履を脱いでいると、輝夜の母が奥から現れた。

「おかえりなさい、輝夜。向こうにご迷惑はかけていないですね?」

「もちろんです」

「ならばよろしい。今日も務めを果たすのですよ」

 輝夜の母は短く輝夜に言うと、その場を去ろうとする。輝夜は顔を上げると、声をかけた。

「あの、母上」

 輝夜の母は珍しいことに驚いて振り向く。輝夜は意を決して話し始めた。

「昨晩、星霊隊のみなさんとお話し、その時、星霊隊に誘われました」

 輝夜が話すと、輝夜の母は怪訝そうな顔で輝夜の顔を見ていた。

「母上、私も、星霊隊に…」


「いいえ、あなたには月影の巫女としての役目がある」


 輝夜の言葉を遮るようにして、輝夜の母は冷たく言い切る。輝夜は言葉を失い、下を向いた。

「我ら月影の巫女は、徒党を組んで遊んでいる暇などない。輝夜、わかっているでしょう」

「…はい」

「なら、自分の役目を果たしなさい」

 輝夜の母はそう言うと、輝夜の前から去っていく。輝夜は自分の気持ちを押し殺すと、母についていき、巫女としての仕事を始めた。



同じ頃 霊橋区 市庁舎

 清峰、幸紀、日菜子、水咲の4人は、市庁舎の一室にある清峰の執務室にやってきていた。

「さて、星海水咲」

 清峰が執務室の椅子に座りながら書類を机の上に置き、話を切り出した。

「私の権力を行使し、お前の要望通り、無罪によって釈放、さらに前科の帳消しまで行った」

「あら、じゃあ私はもう用無しね」

 水咲はそう言ってその場を立ち去ろうとする。そんな水咲の前に、幸紀が立ち塞がった。

「?」

「だが、当然警察側もタダで釈放を許したわけじゃない。『監視』がつくという条件で、これを呑んだんだ」

 清峰が言うと、水咲は何かを察して清峰の方へ振り向いた。

「まさか、その『監視』っていうのは」

「そう。この星霊隊だ。今日からお前にも星霊隊として加入してもらう」

 清峰の言葉を聞くと、水咲は鼻で笑った。

「さすが賢いわね。私を星霊隊に組み込めば、戦力にもなるし、監視の手間も省ける」

「そういうことだ。今後この部隊で問題を起こすようなことがあれば、私が容赦なく刑務所に叩き込んでやる」

 清峰が出かけるためにスーツを着こなしながら言うと、水咲は肩をすくめた。

「…そう。拒否権はないみたいね」

「今日からよろしくお願いします!水咲さん!」

 日菜子は明るく水咲に挨拶する。水咲は眉をしかめながら日菜子に頷いた。

「それで?侯爵様はどちらへ行くの?」

 水咲が清峰に尋ねる。清峰は服装を整えながら言葉を返した。

「金刃財閥と月影神社にお礼参りだ。幸紀、留守は任せたぞ」

「申し訳ありません侯爵、自分は昨日の反動であまり動けそうにありません。しばらく部屋で休ませていただけますでしょうか」

 幸紀が言うと、清峰も言われて初めて気づいた様子で頷いた。

「あぁ、そうだったのか。休んでよろしい。日菜子、代わって留守を頼む」

「ありがとうございます」

 幸紀が頭を下げ、清峰が部屋を出る。水咲は幸紀を見て笑いかけた。

「あなたも難儀な体ね?」

 水咲の言葉に、幸紀は一瞬目を鋭くしたが、すぐに日菜子が水咲を注意した。

「水咲さん!幸紀さんは私たちを守るために無理をしてくれたんです。それをそういうふうに言うのは、どうかと思います」

 日菜子の言葉に、水咲は黙り込むと、幸紀の方に向き直った。

「…そうね。悪かったわ、幸紀」

「気にするな。日菜子も、ありがとうな」

 幸紀は日菜子にも軽く頭を下げる。そのまま幸紀は部屋を出た。

「それじゃあ、日菜子、頼んだ」

「はい!幸紀さんも、ゆっくり休んで!」

 日菜子は幸紀を見送る。水咲も幸紀を見送ると、日菜子と共に部屋を出て訓練場へと歩き始めた。

「あの幸紀って男、いい男ね。私、好きよ、ああいう人」

「えぇっ!?」

 水咲が不意に話を振ると、日菜子は思わず動揺する。水咲はそんな日菜子をからかうようにして話を続けた。

「あら、あなたは嫌いなの?」

「いや、別に、そういうわけじゃ…!」

 このままでは話がこじれると悟った日菜子は、話を強引に終わらせる方向に持っていき始めた。

「と、とにかく水咲さん!今日から幸紀さんや侯爵も含めて、みんな仲間同士なんですから、みんなの和を乱すようなことはやめてくださいね!」

「ふ。いいわ。その代わり、あなたをからかうのはやめさせないでね」

 水咲は日菜子に対して笑顔で言う。日菜子は肩を落としながらつぶやいた。

「うう…申し訳ないけど…私…水咲さんのこと苦手かも…」

「ふふふ…ははは!!」

 日菜子の戸惑う表情を見ながら、水咲は満面の笑みで高笑いをあげていた。

 そんな水咲の高笑いを扉越しに聞きながら、幸紀は部屋で自分の意識を分身のコーキへと送った。



悪魔軍霊橋区攻撃部隊司令本部

 コーキは幸紀の意識によって上書きされると、上官であるノルズとジスタの元へと歩き始めた。

 数分、他の悪魔たちの様子を見ながら廊下を進み、コーキはノルズの自室にたどり着くと、扉を開けた。

「失礼します、コーキです。本体と意識を共有できました」

 コーキがそう言いながら部屋の中に入ると、ノルズとジスタはコーキの方へと振り向いた。

「おう、コーキか。待ってたぞ」

 ノルズがコーキに軽く挨拶する。ジスタも興味深そうにコーキの様子を見守っていた。

「昨日のことを報告してもらおう。ラダー将軍はどうなった」

 ノルズがコーキに尋ねると、コーキは少し考えた後、報告を始めた。

「ラダー将軍は、昨晩、星霊隊によって殺害されました」

 コーキの報告を受けると、ノルズは黙り込み、ジスタはノルズの肩に手を置いた。

「…読みを外したな。星霊隊が出払っていたのなら、昨日のあの時点で攻めれば勝率は高かったな。ま、結果論だが」

「そうだとわかってるなら黙ってろ」

「仰せのままに?」

 ノルズが威圧すると、ジスタはニヤッと笑ってその場から下がる。コーキはタイミングを見つけてさらに報告を続けた。

「新しく星霊隊に加入したものも現時点で3人います。情報が入り次第、そいつらのことも改めて報告する予定です」

「了解した。では、ただ今をもって、中央方面軍は篤那川あつながわ拠点まで後退する」

 ノルズが言うと、コーキはわずかに驚いた様子だったが、すぐにノルズに従った。

「ジスタ、お前は撤退の指揮を執ってくれ。俺はコーキと話がしたい」

「いいぜ、ごゆっくり」

 ジスタは快くノルズの頼みを引き受けると、部屋を後にする。部屋で2人きりになったコーキとノルズは、声を低くして話し始めた。

「お前の目的はなんだ、コーキ」

「…はい?」

 ノルズの質問の意図がわからないコーキは思わず尋ね返す。ノルズは冷静に話を続けた。

「おそらくラダーは人間に情が移って暴走したのだろう。前々からその兆候はあった。昨晩お前はそんなラダーを始末するために音信不通の状態になっていたんだろう」

「その通りです。それとこの質問に何の関係が?」

「ラダーは我々悪魔軍のなかでも相当の腕利き。それを説得せずに殺した。これは我らにとって大きな損害だ」

 ノルズの言葉をコーキは反論せずに受け止める。

「それだけでない。お前がカザンの部下だった時から、我々に被害が出るように立ち回っていた」

「心外なお言葉ですな」

「俺はてっきり人間に情が移ったものだとばかり思っていた。だがそれならラダーと共に悪魔に反旗を翻しているはずだ。お前は何を考えているんだ?」

 ノルズの疑問に対し、コーキは跪いて答えた。

「私が考えるのは悪魔としての正義、『悪魔神王のもとで全てを支配すること』、それのみでございます」

 コーキの回答を聞き、ノルズは眉をひそめながらも頷いた。

「…そうか」

 ノルズはそのまま天を眺めた。

「俺ならば…俺に貴様のような力があれば、歯向かうものを全て斬り捨て、自分に都合の良いものだけを生かすがな」

「いえ、私にはそんな力はありません。だから皆と協力しているのです」

 コーキの言葉を聞くと、ノルズは鼻で笑った。

「…そうか、まぁいい。我らに益をもたらす限りは、今後も役に立ってもらおう」

「御意」

「下がってよし」

 ノルズにそう言われると、コーキは頭を下げてからその部屋を出ていく。ノルズはコーキの背中を何も言わずに見送っていた。



白鷺町

 清峰は明宵の父である男との対談を終え、席を立った。

「ご理解ありがとうございます、金刃さん」

「いいえ、こちらこそ。娘をよろしくお願いします、侯爵」

「弟さんにもよろしく言っておいてください」

「ええ、もちろん」

 清峰と明宵の父は握手を交わし、清峰は背中を向けて部屋を出た。

 清峰はビルの外に出ると、胸ポケットからスマホを取り出し、地図と時間と日程を確認した。

(この後は…月影神社か…気が重いな…)

 清峰はそう思いながら月影神社へと足を向け、歩き始めていた。そんな清峰の耳には、近くにあった高校の校庭から、高校生の声が聞こえてきていた。

「平和だな…いいことだ」

 清峰は1人つぶやくと、そのまま足を進めた。


 少し歩いているうちに、清峰は月影神社に辿り着いていた。

 清峰は鳥居をくぐると、賽銭箱の前で輝夜がどこか上の空で掃除をしているのを見かけた。

「輝夜」

 清峰が声をかけると、輝夜は我に帰った様子で清峰に挨拶した。

「あぁ…侯爵。失礼しました」

「昨日話したことは、検討してもらえたか?」

 清峰が輝夜に尋ねると、輝夜は言葉に詰まった様子だった。

「それは…」

「侯爵」

 清峰と輝夜が話していると、奥から輝夜の母が現れる。清峰は向き直り、輝夜の母に頭を下げる。輝夜の母も同じように丁寧に頭を下げた。

「輝夜、侯爵は私に会いに来たのです。私が案内するから、あなたは掃除を続けなさい」

「はい、母上」

 輝夜の母はそう言って輝夜を立ち去らせる。輝夜の母は清峰を真っ直ぐ見据えていた。

「中へどうぞ、侯爵」

 輝夜の母はそう言って家の中に清峰を招く。清峰はそれに従って歩き始めた。


 家の中に招かれた清峰は、客間の畳の上に正座していた。そんな清峰の前に、輝夜の母は緑茶を持って現れると、清峰の前にそれを置き、同じように正座をした。

「どうぞ」

「いただきます」

 輝夜の母に差し出された緑茶に、清峰は口を付ける。ひと口飲み終えた清峰が湯呑みを置くと、輝夜の母が話を切り出した。

「ご用件はなんでしょうか」

 輝夜の母は清峰を強く警戒した様子で尋ねる。清峰は気にせず話し始めた。

「大したことではありません。ただ昨日の事件においては、娘さんやあなたに多大なご協力をいただいたので、そのお礼に参りました」

「そう…」

「えぇ」

 2人の間に沈黙が流れる。輝夜の母は緑茶をひと口飲むと、本題を尋ね始めた。

「私の娘に何を吹き込んだの」

 輝夜の母に鋭い表情で尋ねられると、清峰は用意していた言葉を話し始めた。

「輝夜さんの霊力や戦闘能力は素晴らしい。なので星霊隊へ勧誘しました」

「そう…また私から家族を奪おうとしたのね…」

 輝夜の母はそう言って清峰を睨む。清峰が何も言えないでいると、輝夜の母は話を続けた。

「私の夫は、あなたのお父さんに同じようなことを言われた。そして信じて戦場に行き、悪魔に切り裂かれた…!首だけになった夫の姿が今でも夢に出てくる…!!この苦しみを、もう一度味わえと言うの!?」

 輝夜の母の言葉に、清峰は何も言えないでいた。輝夜の母は、そんな清峰の表情を見てさらに話し続けた。

「その顔…あなたのお父さんそっくりね…他人のことなど気にせず、この国の安全しか考えていない顔…!」

「お言葉ですが」

 清峰は輝夜の母に対して毅然として正面から向き合い、声を張った。

「私の父も、あの後戦死しました。最期まで、あなたの旦那様の死を悔いながら…」

 清峰の言葉に、輝夜の母は黙り込む。清峰はそのまま続けた。

「あなたの苦しみはわかります。ですが苦しいのはあなただけではありません。多くの親が、子が、自分の家族を戦地へと送り、二度と会えない苦しみを背負っているのです。それでも、戦う力のあるものは、皆のために戦わなければならないのです」

「だとしても、私はすでに夫を差し出しました。巫女としての務めも果たしています。娘まで差し出すつもりはありません」

 輝夜の母は清峰に対して冷たく言う。清峰はそれを聞くと、口を閉じ、じっと何かを考えてから言葉を発した。

「あなたのご意志はわかりました。私から無理強いすることはありません」

 清峰はそう言って立ち上がった。

「緑茶、ごちそうさまでした。昨晩のご協力も、改めてお礼を申し上げます。それでは」

 清峰はそう言うと、輝夜の母に背を向けて去っていく。輝夜の母は小さく頭を下げ、清峰の背中を見送った。

 清峰と入れ替わるように、輝夜が家の中に入ってくる。輝夜は正座しつくしている自分の母に尋ねた。

「侯爵のご用件は?」

「昨日のお礼を言いに来て下さったわ」

 輝夜の母はそれだけを伝える。輝夜は大事な部分をぼやかされたことに気づいたが、何も言わずにその言葉を信じることにした。

「…そうですか」



翌朝

 紅葉と明宵は雑談を交わしながら月影神社への坂道を上っていた。紅葉の片手には、輝夜への手土産の紙袋が握られていた。

 鳥居までたどりついた紅葉と明宵は、今日も境内の掃除をしている輝夜の姿を見つけた。

「輝夜ー!」

 紅葉が明るく輝夜に挨拶する。輝夜は紅葉の声に気づくと、顔を上げた。

「おはようございます、紅葉、明宵」

「おはようございます…この時間は明るすぎますね…」

 輝夜に挨拶された明宵はあくびをしながら愚痴をこぼす。輝夜と紅葉はそれに苦笑していた。

「ところで、ご用件は?」

 輝夜が至って普段通り尋ねると、紅葉は持っていた紙袋を輝夜にも見えるように掲げた。

「侯爵から頼まれておみやげ持ってきたよ。夢津ゆめづのお茶菓子。お母さんと一緒に食べてな」

「ありがとう、紅葉」

 輝夜は紅葉から紙袋を受け取り、礼を言う。同時に、輝夜は目の前の2人がこれだけのために来たわけではないことを察していた。

「星霊隊は、どう?」

 輝夜は紅葉と明宵に尋ねる。早速紅葉が明るく話し始めた。

「楽しいところだよ。訓練はまぁ楽じゃないけど、仲間がいるし、みんなのために戦えるのがいいね。まぁ明宵は疲れ果ててたみたいだけど」

「私は研究のために加入したのに…あんな運動は想定外ですよ…」

 紅葉の言葉に合わせて、明宵も愚痴をこぼす。しかし、明宵の表情は言葉に反して僅かに笑顔だった。

 紅葉は小さく返事をしただけの輝夜に、あえて核心に迫る質問をした。


「輝夜は星霊隊に入らないの?」


 紅葉の質問に、輝夜は目を伏せた。

「…私には月影の巫女としての使命があるから」

 輝夜がそう言うと、明宵が不思議そうに尋ねた。

「変ですね…輝夜さんは誘われたとき、満更でもないような表情でした。むしろ星霊隊への加入は乗り気だったかと…」

「そうだよ、あんなに楽しそうにみんなと話してたじゃん。なんだって急に」

 明宵の言葉に、紅葉も付け加えるように言う。輝夜はやはり悩ましそうに下を向きながら答えた。

「…私の気持ちは関係ない。月影の巫女は、自分のことよりも、他の大勢の平和のために働く…だから…」

「星霊隊の任務だっておんなじだよ。みんなの平和のために、仲間で力を合わせて命懸けで戦ってる、だから輝夜だって加入したいって思ったんだろ?」

「紅葉…!」

 輝夜は叫ぼうとするのを噛み殺しながら紅葉の名前を呼ぶ。その瞬間、紅葉と明宵は輝夜の本音に気がついた。

 明宵は紅葉の腕をつかむと、小さく紅葉の耳に囁いた。

「…輝夜さんにも事情があるみたいです。これ以上の無理強いはやめましょう」

 紅葉は明宵に冷静に言われると、無言で頷き、輝夜の方に向き直った。

「輝夜、嫌なこと聞いてごめん」

「いいえ、気にしなくていいの。紅葉の疑問はもっともだから」

 輝夜は紅葉に対して言う。紅葉はそれを聞き、改めて自分の意見をはっきりと言った。

「なぁ輝夜。そっちにも事情があるのはわかってるけど、アタシも、星霊隊のみんなも、輝夜が仲間になってくれたらすごく嬉しいと思ってるよ。だから、気が変わったら、来てね」

 紅葉に言われると、輝夜は心のどこかで悩みながらも頷いた。

「えぇ…」

「…それでは、私たちも訓練がありますので、失礼しますね」

 明宵は不穏な空気を察して話を打ち切り、紅葉を連れて去っていく。輝夜は、2人の背中を見送って手を振った。

(私だって、星霊隊に入りたい…!信頼する人たちと共に戦いたい…!)

 ほうきを握る輝夜の手の力が強くなる。輝夜は同時に、奥歯を噛み締めていた。

(『正面から行く』…か)

 ほうきを握っていないもうひとつの手に握られた紙袋を見ていると、輝夜は紅葉から言われた言葉を思い返していた。

 輝夜はほうきを鳥居に立てかけると、紙袋を握り締め、自宅へと歩き出す。輝夜の表情には、ひとつの決意が宿っていた。


「ただいま戻りました」

 家の引き戸を開けた輝夜は、いつも通り挨拶する。家の居間から輝夜の母が頭を出すと、輝夜はそちらへと歩いていった。

「輝夜?早くない?」

「先ほどお客様がいらして、これをいただきました」

 輝夜はそう言って母に紙袋を手渡す。母はそれを受け取ると、怪訝そうな顔で輝夜を見た。

「これは?誰から受け取ったの?」

「清峰侯爵のお使いで、紅葉と明宵が持ってきてくれました。先日のお礼の品だそうです」

 輝夜は事実を伝える。輝夜の母は変わらず不服そうな顔のままだった。

「そう…では務めに戻りなさい」

 輝夜の母は静かに言って輝夜に背中を向ける。

 輝夜は、そんな母の背中に声をかけた。


「母上、その前にお話があります」


 輝夜の母が振り向く。輝夜はその場で正座をすると、その状態で頭を下げた。


「星霊隊に加わることをお許しください」


 輝夜の言葉を聞き、輝夜の母は輝夜を見下ろした。

「輝夜、この話はもう終えたはずです。あなたには月影の巫女としての役目があるから、星霊隊になど入っている暇はない」

「いいえ、母上」

 輝夜は顔を上げて、反論を始めた。

「月影の巫女の役目は、人々を守ること。星霊隊も同じです。戦場に立ち、悪魔を倒す。そうして人々を守るのが星霊隊です。私たちと違いはありません」

「ここで巫女としての務めを果たせばいい。星霊隊にわざわざ入る理由はない!」

「ここには仲間はおりません!」

 輝夜は母親に対して初めて大きな声を出した。母は驚いたが、怯まずに輝夜のことを見ていた。

「私はずっと月影の巫女の務めを果たしてきました。しかし、いつも私と同じ境遇の仲間はいなかった…!紅葉や明宵は友人でしたが、彼女たちとは立場が違う…!星霊隊に入れれば、私はやっと、本当の意味での仲間ができるんです!」

「だからと言ってあの清峰のところに行くことはないでしょう!!」

 輝夜の言葉に対し、輝夜の母は絶叫する。輝夜の見たことがない、母の感情がむき出しになっていた瞬間だった。

「母上…」

「どうして?どうしてあなたもあの人も清峰に奪われるの…?あいつらはいつもそう…!私の大切な人を地獄に送るくせに、自分は安全なところでのうのうと…!」

 輝夜の母は涙ぐみながら大声で言う。輝夜は立ち上がると、声をあげて泣いている自分の母をまっすぐ見つめた。

「嫌よ…輝夜…あなたまで死んでほしくない…!あなたまで失ったら…私は…私はどうしたらいいの…!」

 輝夜の母は涙を流しながら輝夜に寄りかかる。輝夜は母の思いを受け止めるようにして、母を抱きしめた。

「母上…私は、必ず生き延びます」

 輝夜は母の耳元に、静かに言う。輝夜はそのまま続けた。

「ひとりなら、確かにすぐに死んでしまうでしょう。ですが、星霊隊には仲間がいます。みんなと力を合わせれば、必ず生きて帰れます」

「輝夜…」

 輝夜は母を一度離す。そして、真っ直ぐ母の目を見て頼み始めた。


「お願いします。必ず生きて戻るとお約束します。なので、私のわがままを、聞いていただけませんか」


 輝夜は落ち着いた声で母に言う。

 輝夜の母は、涙を拭き、真っ直ぐ娘と向き合った。


「…必ず、約束を守るのですよ…!」


「…はい!母上…!」



同日 昼 霊橋区市庁舎

 日菜子たち星霊隊のメンバーは、訓練を終えて食堂で食事をしていた。

「ここのお料理美味しいな。水咲さんもそう思うでしょ?」

 紅葉が隣の席に座る水咲に気さくに話しかける。しかし、水咲は紅葉の方すら見ずに答えた。

「えぇ美味しいわ。余計なおしゃべりがなければもっと美味しいでしょうね」

 水咲の皮肉に、紅葉は嫌そうな顔をするが、水咲は変わらず涼しい顔をしていた。

「…しかし…食事中に会話をして交流を深めるのは侯爵の方針の様子…それに逆らうのですか?」

「私は好みの話をしてるだけよ。あなたみたいに小声でものを言っても普通は聞いてもらえないから」

 明宵の言葉に対しても、水咲は嫌味を浴びせる。明宵は前髪で隠した目で不服そうな表情をしていた。

「なぁ明宵、ホントにこの人味方?」

「…さぁ」

 紅葉と明宵は声をひそめながら話す。水咲はそれが聞こえていたが、やはり涼しい顔をして食事を続けていた。

「はぁ、これからこの人と一緒に戦っていくのか…やっぱ輝夜がいてくれればな…」

 紅葉は1人で小さく愚痴をこぼす。明宵も無言でそれに頷いていた。

 

 そんな中、突如として食堂の扉が開く。黙々と食事をしていた紅葉と明宵が顔をあげると、見知った姿の人間が、食堂に入ってきていた。


「お食事中申し訳ありません、清峰侯爵」


 凛としてはっきりした声。清峰は正面に現れたその女性の顔を見て、満足そうに微笑んだ。


「月影輝夜、星霊隊に加わるために参りました。許可をいただけますでしょうか」


 清峰の前に現れた彼女、輝夜は、荷物を一度下ろし頭を下げる。清峰は近くに座る日菜子と目を合わせて意見を一致させると、輝夜に対して声を張った。

「輝夜、君の星霊隊への加入を心から歓迎する」

 清峰の言葉を聞き、輝夜は顔を上げる。そして、明るい表情で自分自身の決意を語った。

「ありがたき幸せです。この輝夜、月影の巫女として、微力ながら全力を尽くす所存です。今日よりよろしくお願いいたします、みなさま」

 輝夜はそう言って改めて頭を下げる。そんな輝夜を歓迎するようにメンバーたちは口々にいろいろな声をかけた。

 その中でも、紅葉と明宵は立ち上がり、輝夜のもとへ歩み寄った。

「輝夜…!」

「…来てもらえると思っていましたよ」

 紅葉と明宵はそれぞれ言うと、輝夜の肩を叩く。輝夜も笑顔を浮かべながら2人に笑いかけた。

「えぇ…!今まで通り2人にはお世話になります!」

 輝夜が2人に笑いかけていると、日菜子も輝夜のもとに歩み寄ってきた。

「輝夜」

 日菜子に声をかけられると、輝夜はそちらに向き直り、礼儀正しく頭を下げて挨拶した。

「日菜子さん、今日からお世話になります。不束者ではありますが、よろしくお願いいたします」

 輝夜の挨拶を聞き、日菜子は笑顔になって右手を差し出した。

「そんなに堅苦しくしなくていいんだよ。だって私たち、もう『仲間』なんだから」

「『仲間』…!」

 日菜子が何気なく発したその言葉に、輝夜は深く心を動かされながら、日菜子の右手を強く握りしめた。

「はい!今日から、よろしくお願いいたします!」

 星霊隊のメンバーたちは拍手を送る。

 そんな中で、幸紀だけはひとり芳しくない表情をしていた。

(月影の巫女がこの部隊に入ったか…面倒なことになるな…)

 幸紀の考えなど誰も知らず、清峰が話を切り出した。

「では輝夜、さっそくで申し訳ないが、昼食を済ませてくれ。食事が済み次第、他の仲間たちと共に調査に向かってもらう」

「調査?」

 輝夜は清峰に尋ねる。清峰は話を続けた。

「悪魔軍が前線基地にしていた場所だ。ここからそう遠くない。敵は撤退した様子だが、罠の可能性もある」

 清峰の説明に、日菜子が補足のように輝夜に伝えた。

「いきなり危険な状況になるかも。大丈夫?」

 日菜子の心配に対し、輝夜は堂々と胸を張って答えた。


「えぇ。私には皆様がいますし、生きて帰ると母に約束したので」

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