第11話 悪魔

前回までのあらすじ

 雪奈を暴走させている原因と、防衛長官を殺した犯人は同じで、悪魔軍の将軍の1人、ラダーだった。日菜子たちはラダーを追い、街を守るために戦おうとする。

 一方その頃、霊橋区を狙うノルズの元に増援がやってくる。ノルズはそれを使って、美雲たちが守る霊橋区へと侵攻を開始した。



白鷺町

 人がほとんど出歩いていない夜の街で、ラダーは人間の形を保ったままビルの壁を走って逃走していた。そんなラダーを追って、日菜子たちも全力で街を疾走していた。

「なんて逃げ足の速い…!」

 先頭を走る日菜子から少し離れたところで、輝夜が呟く。輝夜の隣を走る紅葉も、同じように鋭い表情をしながら辺りを見回すと、ラダーが今走っているビルから飛び降りようとしており、その下に1人、一般人がいるのに気がついた。

「日菜子さん!」

 紅葉が叫ぶと、日菜子もそれに気づく。

「殺してやる!!」

「危ない!!」

 ラダーは一般人に目掛けて飛びかかる。一般人が恐怖で動けないでいると、日菜子は咄嗟にその一般人を庇って飛びつく。

 ラダーが伸ばした髪の毛により、一般人のいた場所のコンクリートが砕け散る。日菜子が庇っていなければ、一般人も一瞬で殺されていただろう。

「大丈夫ですか!?」

「は、はいっ!」

 日菜子が庇ったのは、塾帰りの女子高生のようだった。日菜子は彼女の無事を確認した。

「よし、じゃあ逃げてください!」

 日菜子はそう言って彼女を逃がす。

 その間に、輝夜がラダーに斬りかかる。ラダーは髪の毛を操り、それで刀を受け止めていた。

「紅葉!」

 輝夜が叫ぶと、紅葉が輝夜の肩を踏んでジャンプし、ラダーの上に跳躍する。

「もらったぁっ!」

 紅葉はヌンチャクをラダーの脳天に向けて振り下ろす。

 しかし、ラダーは髪の毛の束で紅葉を吹き飛ばし、輝夜のことも弾き飛ばした。

「2人とも!」

 日菜子は絶叫するが、輝夜と紅葉はすぐに立ち上がった。

「大丈夫だよ、日菜子さん!」

「無事です!」

 輝夜と紅葉が返事をする間に、ラダーはその場を立ち去ろうと走り出す。だが、ものの数メートル走っただけで、透明な壁にぶつかった。

「何ぃっ!?」

 ラダーが振り向くと、明宵が手に持っていた本を開きながら歩き寄ってきた。

「…私の霊力で結界を作らせていただきました…あなたをここからは逃がしません…」

 明宵は冷たくラダーに言う。ラダーは怒りで震え出すと、近くにあったビルの壁を垂直に走って登り始めた。

「…計画通り…このビルの屋上で倒せれば、被害は抑えられます」

「このビルに住んでる人間から恨みは買わないの?」

 明宵の計画に対し、水咲が尋ねる。明宵は本を閉じてそのビルの入り口へ歩き始めた。

「えぇ…ここは私の親戚のビルなので…」

「へぇ、金持ちね」

 明宵と水咲が会話をしているうちに、日菜子は輝夜と紅葉を助け、焔と幸紀は少し遅れて彼女たちと合流した。

「状況は?」

「…私が結界を作りました。敵はこのビルの屋上…ここからは逃げられません…」

 幸紀の質問に、明宵が答える。明宵の答えを聞いた日菜子は、6人の前に立った。

「それじゃあこのビルの階段を登って行こう!」

「待って!」

 日菜子が指示を出すと、焔が声を張る。日菜子が振り向くと、ビルの中から、入り口を破るようにして悪魔が数体現れた。

「これを片付けないと先に進めないようね」

 焔はそう呟くと、手に炎を纏わせて構える。日菜子も籠手で守られた拳を握りしめた。



同じ頃 霊橋区

 美雲は珠緒、六華、稲香、風花を集め、作戦会議を始めていた。

「もう一度状況を整理する?」

 美雲が空気を軽くするために尋ねると、風花が不安になりながら答えた。

「状況はわかってます…敵が1000体も攻めてきてる…もう終わりです…!!」

「風花ちゃん、そんなことないってー」

 六華が風花をなだめるが、風花は頭を抱えてしゃがみ込む。珠緒も風花と同様に悲観的な考えを述べ始めた。

「でも…リーダーも雪奈さんも、メイド長もいないんですよ…!?あれだけの数をたった5人じゃ…!」

 珠緒に対し、六華が声を大きくしてネガティブな空気を断ち切った。

「やるしかないよー!なんとかして敵を追い払わないと!」

 六華の言葉に対し、稲香も乗った。

「あぁ、六華の言うとおりだ!さっきみたいに細い道まで出れば、敵の大軍も凌げる!美雲、今すぐ出撃しよう!」

 稲香は美雲に言う。美雲が何も言わないでいると、風花が声を上げた。

「無理です!日菜子さんたちがいないんじゃ勝てないです!ここから逃げましょうよ!」

「ダメだよ!日菜子さんたちに任された場所なんだから!」

「でもどうやって戦うんです…?このままじゃ勝てませんよ…!」

 珠緒と風花は悲観的になり、六華と稲香は戦いを主張する。議論が白熱していると、美雲が手を叩いて高い音を鳴らした。

「聞いて!みんな!作戦がある!」

 美雲が言うと、全員顔を上げて美雲の方を見る。美雲は全員から注目されたことに気づくと、話し始めた。

「まず!ここを放棄することは絶対にしない!わかる!?絶対にだよ!」

 美雲は珠緒と風花を見て言う。美雲はそのまま続けた。

「だけど、この人数じゃまともに防衛なんてできない!だから、戦うのもナシ!」

「なんだって!?」

 美雲の発言に、稲香は思わず聞き直す。六華も美雲の発言の真意がわからず、美雲に尋ねた。

「美雲ちゃん、どういうこと?戦わなきゃ勝てないよ!」

「勝つ必要なんてない、負けなきゃいいんだよ」

 美雲がそう言って得意げな表情をすると、珠緒が尋ねた。

「それで…美雲さんの作戦は…?」


「『何もしない』」


 美雲の言葉に、周囲の4人は驚きを隠せなかった。

「どういうことですか!?」

「言葉のままだよ。ゲートは開けっぱなし、避難もしない」

「でもそれじゃ敵に入られてめちゃくちゃにされちまうよ!」

 美雲の言葉に、珠緒も稲香も反発する。しかし美雲は怯まず、冷静に話し始めた。

「珠緒と六華はわかると思うんだけど、敵の行動パターンが前と変わってるんだ。感覚的な話になるけど、ここを取った時は悪魔たちが好きに戦っている感じだった。でも、今はすごく組織的に動いてる」

「それが一体…?」

「言い換えようか。多分敵のリーダーが代わってる。それも、頭がいいやつに。頭がいいやつだったら、ここまで手薄なところ、逆に罠を警戒して撤退すると思わない?」

 美雲が言うと、稲香と六華は納得したように唸る。しかし、風花は美雲に対して訴えた。

「そんなのギャンブルじゃないですか!?これでギャンブルに負けたら…!!」

「私もそう思うよ。でも、これ以外に方法がない」

 風花に対し、美雲は短く言い切る。美雲の態度に、風花も反論の言葉を失った。

「他にこれ以外でいいアイディアがある人」

 美雲は他のメンバーたちに尋ねる。しかし、誰も何も言おうとはしない。美雲はそれを見て頷いた。

「それじゃあ…この作戦で行こうか。ゲートを開けて、このあたりの電気はつけっぱなしで」

 美雲に言われると、他のメンバーたちも硬い表情で頷く。かくいう美雲も、険しい表情で窓の外を眺めていた。



白鷺町

 日菜子、焔、輝夜、紅葉、明宵、水咲、そして幸紀の7人は、ラダーが逃げたビルの屋上を目指してビルの中の悪魔を蹴散らし、上へと駆け上がっていた。

「明宵さん!雪奈はあとどれくらい持ちそう!?」

 日菜子は屋上への扉の前に陣取る悪魔を殴り倒すと、明宵に尋ねる。

 明宵は手に持っていた本から黒い獣を発現させ、その黒い獣に悪魔たちを倒させつつ、腕時計を見た。

「…あと10分です」

 明宵からの報告を聞くと、日菜子は表情を険しくする。同時に、メンバーたちの最後尾にいた幸紀の背後から、さらに悪魔たちが現れた。

「みんな行け。ここは俺が食い止める」

 幸紀がそう言って悪魔たちを斬っていく。それを聞いた日菜子は、振り向かずに屋上への扉を蹴り開けた。

「お願い幸紀さん!行くよ!みんな!」

 日菜子が言うのに従って女性陣は屋上に突入していく。最後に突入した焔が扉を閉めたのを確認すると、幸紀は扉の前に立ち、悪魔たちの姿を眺めた。

「やっちまえぇ!!」

 悪魔たちは幸紀に襲いかかる。しかし幸紀はあっさりとそれらを斬り伏せ、黒い煙に変えていた。

 幸紀は刀を振るい直し、悪魔たちの方へ再び向き直る。

「…悪魔と人間は共存できない、か…」

 幸紀はそう呟きながら襲いかかってくる悪魔を斬り捨てる。

「俺はそう結論を出してしまったが…本当にそうなのか…」

 幸紀は悪魔を斬り伏せ、ひと息つくと、刀の刃紋を眺めた。

「俺やラダー将軍の心は…悪魔よりも遥かに人間に近いのではないのか…」

 幸紀は刃紋に映り込む、背後から襲いかかってきた悪魔に刀を突き立てる。悪魔が黒い煙に変わると、幸紀は振り向く。

 無数の悪魔たちが地面から湧き出した。

「…いや、今は戦おう。人間として」

 幸紀はそう言うと、刀を握りしめ、悪魔たちへと向かっていった。



 その頃、日菜子たち6人は屋上に出ていた。彼女たちの目の前では、ラダーが声を上げて髪の毛を四方八方へと伸ばしていたが、全て明宵の作った結界によって弾き返されていた。

「おのれぇっ!!こんな忌々しいものに私を閉じ込めおって!!この小娘共が!!」

 ラダーは結界を破ろうとするのを止め、日菜子たちの方へと向き直る。髪の毛に隠れたラダーの目に、水咲の姿が映った。

「そこの貴様…!」

 ラダーが見ていたのは、水咲が右手につけていた指輪だった。

「何かしら?悪魔に知り合いなんていないわよ、私」

「貴様さえいなければ!!貴様さえ死ねば!!」

 ラダーがそう叫んでいると、青白かったラダーの髪の色が、徐々に黒ずんでいき、さらに赤くなっていく。同時に、輝夜と明宵が何かに気圧されるように怯み始めた。

「この魔力…!なんと凄まじい…!!」

「…ええ…ここまでのは初めて見ます…ですがこの魔力の強さ…このままでは雪奈さんは5分と持たない…!」

 明宵は日菜子の方を見て強く訴える。日菜子も明宵の言葉を聞き、鋭い表情でラダーを睨んだ。

「やるしかない…!どんな事情があろうと、雪奈を救うために、あなたを倒す!」

 日菜子はそう言うと、右の手の平をラダーに向ける。


「『桜花拳』!!」


 日菜子の右手から桃色の気弾が放たれる。その気弾は真っ直ぐラダーを目掛けて進んでいたが、ラダーは髪の毛であっさりとそれを打ち消した。

 そのままラダーは日菜子へと髪を伸ばしていく。技を放った反動で動けない日菜子だったが、咄嗟に焔が炎を纏った足でその髪を蹴り払い、日菜子を守った。

「ありがとうございます!」

「それより急がないと!」

 焔は日菜子に短く言う。その間にラダーの髪の毛は水咲へと伸びていた。

「!」

 水咲は鞭を振るって寄ってくる髪の毛を払いのけたはずだが、髪の毛は水咲の首に巻き付いた。

「んぐっ…!!離せっ…化け物…!!」

 水咲は悪態を吐きながら自分の首に巻き付いている髪の毛を振り解こうとしたが、同時に無数の鋭い髪の毛の束が水咲に向けられていることにも気がついた。

「死ねぇえっ!!」

 ラダーはそう叫んで水咲を髪の毛で貫こうとする。

 しかし、すぐさま輝夜が駆けつけると、水咲を捕まえている髪の毛を日本刀で両断し、さらに水咲に迫っている髪の毛も次々と日本刀で斬り捨てた。

「ご無事ですか?」

「ふん…借りができたわね」

 輝夜と水咲がやりとりしていると、明宵が姿勢を低くしながらラダーの本体へと近づいていた。

「明宵!危ない!」

「…いいえ、魔力をそちらに集中しているなら今がチャンス…さらにこのままでは髪の毛に攻撃を防がれてまともにダメージもない…ならこれが最適解ですよ…!」

 紅葉の警告に対し、明宵は早口かつ小声で答えると、手に持っていた本を開き、そこから黒い人型の獣を発現させ、ラダーまで一気に肉薄した。

「こいつ…!」

 ラダーは明宵に対して髪の毛の束を突き出す。しかし、明宵は黒い獣にそれを掴ませると、ラダーの髪を引っ張り始めた。

「くっ…!」

 しかしラダーも一歩も引かず、明宵と綱引きのように力を比べ合う。明宵の黒い獣は、ラダーの体を守っている他の髪の毛に手を伸ばし始めた。

「このまま…!!」

 明宵は他の髪の毛も引っ張ってラダーの守りを崩そうとする。

「小癪な!!」

 ラダーは一喝すると、一気に力を入れて髪の毛を引っ張る。明宵は黒い獣の手を離すのが遅れ、屋上の外へと投げ出された。

「!!」

「明宵!!」

 地上10メートルの屋上から落ちる寸前の明宵を、紅葉がなんとかしてキャッチする。明宵の足の下には、夜の街が広がっていた。

 ラダーは明宵を救うために身動きが取れなくなっている紅葉に対し、無数の髪の毛の束を差し向けた。

「紅葉!」

 輝夜は紅葉の窮地に気づくと、紅葉の方へ走っていく。しかし、別の髪の毛の束が輝夜の足を掴み、輝夜を逆さまにして宙吊りの形にした。

「しまった…!」

「輝夜!っ!」

 紅葉は輝夜の悲鳴で振り向く。同時に、紅葉自身の周りにも髪の毛が迫っていることに気がついた。

 紅葉が思わず目を閉じると、何かが燃えるような音が響く。

 紅葉が見ると、焔が炎を纏った手で紅葉に迫る髪の毛を焼き払っていた。

「助かったよ!」

「礼より先にその子を…」

 焔が言おうとすると、焔が焼き払い損ねた髪の毛のひと束が、焔の肩口を貫いた。

「ぁぐっ…!」

 焔が一瞬怯んだその隙に、無数の髪の毛の束が焔を捕らえ、焔を天高く掲げた。

「焔さん!」

 日菜子は輝夜と焔が空高く吊り上げられているのを見て思わず声を上げる。焔は身をよじりながら日菜子に指示を出した。

「…今よ!やつを…!」

「わかりました!お姉さん、紅葉を!」

 日菜子は水咲に紅葉の援護を指示すると、自分はラダーに向けて走り出した。

「無駄なことを…!!」

 ラダーはそう言い捨てると、紅葉の下に走ろうとする水咲の足の甲を髪の毛で貫いた。

「ああああっっ!!!」

 水咲は痛みで悲鳴を上げるが、気にせずラダーは水咲を宙吊りにする。

「貴様はじっくりなぶり殺してやる…!」

「そうはさせない!」

 日菜子はそう叫ぶと、霊力を纏わせた右の拳でラダーの顔面があるであろう位置を殴り抜ける。ラダーはよろめいたが、すぐに日菜子の方に向き直った。

「どけ!!その女さえ殺せれば用はない!」

「誰も死なせはしない!」

「黙れ!!私のことは殺す癖に!」

「あなたが私たちを殺そうとするからよ!それに、あなたを殺さなきゃ!雪奈を助けることができないからっ!!私は躊躇わない!!」

 ラダーと日菜子は言葉をぶつけあい、日菜子は渾身の力で右、左と拳を振るう。ラダーは日菜子に殴られて徐々に引き下がっていたが、ラダーは後ろ足を伸ばして踏ん張ると、髪の毛の束で日菜子の首を掴んだ。

「…ぁぁっ…!!」

「偉そうに…!貴様には誰も救えない!!私の薬を飲んだあの小娘も!もうすぐ死ぬ!!」

 ラダーはそう言うと、日菜子の首を髪の毛で絞めながら空中へ高く上げていく。日菜子は必死に髪の毛を解こうともがくが、結局何もできなかった。

「私の邪魔をしたことを悔いるがいい…!そして、貴様!!」

 ラダーは日菜子の首を絞めながら、横に移動させると、逆さ吊りになっている水咲を自分の正面に持ってきた。

「離せ!化け物!!」

 水咲はすぐさまラダーに言い放つ。その言葉に対し、ラダーは右のビンタで答えた。

「うるさい!!私よりも!貴様の方が何倍もケダモノだ!金で買われた薄汚いバカ女め!!」

 抵抗できない状態の水咲の顔面に、ラダーは次々と拳での攻撃を浴びせ始めた。

「貴様が!彼を奪った!!何年も一緒にいた私よりも!!たった一夜の貴様を選んだ!!その指輪と共に!!」

 ラダーは恨みつらみを述べながら、水咲を何度も地面に叩きつける。水咲の足を貫いていた髪の毛が外れると、水咲は涙を流しながら屋上の床の上に倒れた。

「もう許して…!私は悪くない…!だから殺さないで…!」

「黙れ!!黙って死ねぇ!!」

 水咲が恥も外聞も捨てて命乞いをする。それに対し、ラダーは特に太い髪の毛の束を作り出し、水咲を突き刺すために高く構えた。


「いやぁああっ!!」


 水咲はこれから来るであろう痛みに対して絶望し、目を閉じ、逸らした。


 水咲が貫かれるはずだったその瞬間、白刃が奔り、水咲を貫こうとしたその髪の毛の束を斬り裂いた。

 水咲や、紅葉に助けられた明宵が見たのは、右手に日本刀を握りしめた幸紀の後ろ姿だった。

「幸紀さん…!」

「幸紀…!」

 上空からその状況を見ている日菜子と焔は勝利を確信して幸紀の名を呼ぶ。しかし、幸紀はそれも気にせず、目の前に立つラダーの顔を見据えていた。

「…悪魔、か」

「人間…!」

 幸紀とラダーは短く言葉を交わす。同時に、幸紀は左手で握っていた杖を横に放り投げた。


「本気を出させてもらう」


 幸紀はそう言うと、右手一本で握っていた刀を両手で握りしめ、その切っ先をラダーに向ける。空気が一気に張り詰めたのが、その場にいる全員にわかった。

「…この霊力は…あの人の…?」

 明宵は幸紀から溢れる霊力を感じて驚くが、幸紀はそれも気にせず、目にも止まらぬ速さでラダーへと向かっていった。

(ラダー将軍、御命、頂戴します)

 幸紀は内心ラダーに詫びる。ラダーはそれを知っているかのように、無数の髪の毛の束を幸紀に向かわせ始めた。

「幸紀!危ない!」

 焔が幸紀に警告する。しかし幸紀は気にせずそのまま正面から迫ってくる髪の毛の束の中へと突っ込み始めた。

 幸紀を貫こうとする髪の毛の束を、幸紀は足を止めずに斬り捨て、ラダーへの歩みを進めていた。

「なんてスピード…!」

 幸紀の戦いを初めて見る紅葉は思わず呟く。その間にも、幸紀はラダーとの距離を大きく詰めており、あと少しで攻撃が届きそうだった。

(コーキ…さすがに強いな…)

 ラダーは幸紀の剣さばきに感心しながら、徐々に迫ってきている幸紀に対して、容赦なく攻撃を浴びせていく。

 だが、幸紀は迫っていた全ての髪の毛を切り捨て、ラダーのもとまで肉薄した。


「おのれぇっ!」


 ラダーは痺れを切らし、残っていた髪の毛を一本の太い槍のようにして幸紀へと突き出す。


 だが、幸紀はそれをかわして両断すると、ついにラダーの胴体に刀を突き立てた。


「ぐっ…」


 幸紀とラダーは、互いの体が触れ合うところまで近づく。ラダーは幸紀に寄りかかり、幸紀の耳元で囁き始めた。

「…よくやった…コーキ…」

「ラダー将軍…」

「…これで悪魔として死ねる…あの人との思い出も忘れないまま…」

 ラダーの言葉を聞いているのは幸紀だけだった。幸紀はラダーの最期の言葉を注意深く聞いていた。

「コーキ…いつか…悪魔が堂々と人を愛せるようになったら…そんな日が来たら…私はその時代に生まれ変わりたい…」

「将軍…」

「人間たちとの日々を…大切にね…」

 日菜子たちを縛っていた髪の毛が黒い煙に変わり、日菜子たちが屋上に降りる。幸紀が支えていたラダーの死体も、黒い煙に変わった。


「幸紀さん!」

 日菜子が幸紀に近づいて明るく声をかける。他のメンバーたちも幸紀の方へと近づき、幸紀に礼を言い始めた。

「幸紀さま、ありがとうございました」

「本当に助かったよ。お兄さん強いんだね」

「…ええ、本当に、素晴らしい霊力と強さ…ありがとうございました」

 輝夜、紅葉、明宵がそれぞれ礼を言う。水咲も自分で刺された足を軽く手当てしながら幸紀に礼を言った。

「礼を言うわ。晴れて私も無罪放免」

「…雪奈さんに供給されていた魔力も無くなりました。グッドエンドですね」

 明宵も状況を報告する。それを聞いた幸紀は、首を横に振った。

「俺1人の力じゃない。全員の協力のおかげだ。俺からも礼を言う」

 幸紀はそう言って全員に頭を下げる。

 そうしていると、水咲は右手につけていた指輪を外した。

「水咲、あの悪魔はあなたに恨みがあるようだった。その指輪にも。何があったの?」

 焔が水咲に尋ねる。水咲は指輪を眺めると、目を伏せた。

「…あの男、本当はこの婚約指輪をあの女に渡すつもりだったらしいわ。それを私に見せびらかして…そこにあの女が来た」

「それじゃ…長官は誤解で殺された…?」

「そんなところかしらね。それで、この指輪は死人に必要ないものだから、勝手にもらってきた」

 水咲はそう言いながらラダーが立っていた場所をぼんやり眺める。そして眺めていた場所まで歩くと、水咲は指輪をそこに置いた。

「…でも、これが必要な死人もいたみたいね」

 水咲はそう呟くと、屋上から降りる階段へと歩き出そうとするが、焔がそれを引き留めた。

「まだ帰さないわ。ちゃんと侯爵が書類を通し、そして、ちゃんと傷を治すまでね」

 焔が言うと、日菜子がその場を仕切った。

「それじゃあ、みんな、治療のために私たちの拠点に行きましょう!幸紀さん、みんなを霊橋区の拠点に連れて行ってあげてください。私は雪奈のことを迎えに行ってきます」

「わかった」

 日菜子の言葉を聞き、幸紀は短く返事をする。日菜子の言葉に従い、幸紀は日菜子以外の女性陣を連れて歩き始めた。



霊橋区

 日菜子たちが戦闘を終え、拠点に戻ろうとしていた最中、その拠点では美雲が作戦室で緊張した様子で指示を出していた。

「みんな、準備はいい?」

 美雲は他のメンバーたちに確認をとる。他のメンバーたちも硬い表情で頷いていた。

「本当に偵察も出てなくて大丈夫ですか?」

 風花は改めて美雲に尋ねる。美雲は自信を持って頷いていた。

「『何もしない』をするって変な感じだねー」

「信じてますよ、美雲さん…!」

 六華と珠緒がそれぞれ言う。同時に窓際でしゃがんでいた稲香が声を張った。

「来たぞ!」

 稲香の言葉に、他のメンバー4人は全員窓際に行き、しゃがみこむ。

「さて…ギャンブルだよ…!」

 5人の女性は窓際から様子を見守り始めた。



同じ頃

 霊橋区への侵攻を指揮するノルズは、司令室で座りながら部下からの報告を聞いていた。

「繰り返せ、なんと言った?」

「敵の拠点付近にいますが、敵に一切の動きがありません」

「それはどういうことだ?」

「ゲートも開いたまま、拠点の電気も着いたまま、しかし敵が外に出ている様子もないのです」

 ノルズは部下の言葉を聞くと、とても信じられずに双眼鏡を持って外に出る。

 ノルズは自分自身の目で状況を確認する。報告通り、灯りのついた市庁舎と、開放されたゲート、そして誰もいない霊橋区の街が広がっていた。

「ノルズ、どうだ?」

 増援を連れてきた張本人である、ジスタがノルズの隣に立って尋ねる。ノルズはジスタに双眼鏡を手渡すと、ぶつくさと考えを話し始めた。

「妙だ…こちらが動いているのはわかっているはず、しかも大軍であることも…だとしたらなぜあの狭い通路で迎え撃たないんだ?」

「勝ち目がないと思ったんじゃないのか?」

 ノルズが真剣に悩むのに対し、ジスタは双眼鏡で様子を見ながら軽く言う。ノルズは首を横に振った。

「いいや、ありえない。ついさっきはその戦法で我らを撃退した相手だ。数で劣る向こうが勝つには、狭いところで戦う他ない。なのにどうしてそれをしないんだ?」

「向こうも疲弊し切っているのだろうよ。それでまともに出撃もできない。だったら攻め込めば勝ちだ」

 ジスタはそう言うと、部下との連絡用の端末に手を伸ばし、声を張った。


「おい!攻撃命令!」



「待て!!」


 ジスタが軽く部下に命令しようとした瞬間、ノルズはそれを大声で止めた。

「おいノルズ、なぜ止める?」

「慎重になれ、これは敵の罠である可能性が高い!」

 ジスタの質問に対し、ノルズは険しい表情で答える。同時に、ジスタの持っている端末から部下の声が聞こえてきた。

「ノルズ将軍、敵の拠点は目と鼻の先です、攻撃しますか?」

「攻撃はするな!指示があるまでゲートも超えず、待機を続けろ!繰り返す!指示があるまで待機だ!」

 ノルズは部下に鋭く指示を出す。部下も、ノルズに従い、了解とだけ答えた。

「ノルズ、今は千載一遇のチャンスだぞ?ラダー将軍が人間の街で暴れていて、その隙を突ける絶好の機会だ、これを逃すのか?」

 ジスタはノルズに攻撃を主張する。しかしノルズはそれに簡単には賛同しなかった。

「そもそもこれは本当にチャンスなのか?俺たちは誘われているんじゃないのか?」

「考えすぎじゃないのか?」

「いいや、そんなことはない!あいつら人間は想像以上に手強い!仮に罠だったら、多くの同胞を失うことになる…!そうしてまであそこを奪う価値があるかと言われれば難しいところなんだよ、わかるか?」

 ノルズはジスタに尋ねる。ジスタはまだどこか納得し切れていない様子で言葉を返した。

「ならお前のお抱えのスパイに様子を探らせればいいだろう。奴なら罠かどうかがわかる」

「今はなぜか連絡がつかない。そのせいもあって俺は慎重になってるんだ」

「そこのそいつは使えないのか?」

 ジスタはそう言ってノルズの近くに立っていたコーキの前まで歩いて行き、コーキに尋ねた。

「おい、お前だろ?人間に潜り込んでいるスパイの分身は。本体と連絡取れないのか」

 ジスタに言われると、コーキは申し訳なさそうに答えた。

「残念ながら記憶と意識の共有ができていないため、なんとも言えません」

「…フゥン、分身の術も不便なものだな」

 コーキの返答を聞き、ジスタは不満そうに感想を漏らす。想像通りの返答が聞こえたノルズは構わず霊橋区の方を見て考えを巡らせていた。

「ノルズ将軍、ご指示はまだでしょうか?」


 ノルズの耳に、部下からの指示の催促が来る。さらに、ジスタもノルズの肩に手を置いた。

「俺はやはり攻めるべきだと思う…だが、全体の指揮官はお前だ。お前が決めてくれ」


 ジスタの言葉を聞き、ノルズは自分の決意を固め、端末に指示を出した。


「全軍に命令する」




 美雲たちは窓際に張り付いて外の様子を見ていた。

 ゲートを開いたままの3つの通路の奥に、武器を持った無数の悪魔たちの姿が見える。

 美雲たちは固唾を飲んで悪魔たちの動向を見守っていた。

(お願い…マジで帰って…!)

 美雲は思わず手に力を込めながら祈る。

 そんな美雲の目に、悪魔たちが動き始めたのが見えた。


(…来る…!?)


 美雲が覚悟を決めた瞬間だった。



 悪魔たちの武器が上下し、遠ざかっていく。


「やった…!帰っていく…!!」


 美雲は自分の作戦が成功したのを見て、思わず声を上げる。他のメンバーたちも、美雲の言葉で状況を理解し、喜びのあまりに美雲に抱きついた。

「美雲さん…!!」

「やったね!!本当に、美雲ちゃんの作戦のおかげだね!!」

 珠緒と六華が感極まって美雲を抱きしめる。美雲もまんざらでなさそうな表情で2人を抱きしめ返した。

「やったよぉ!あ、でも、まだ警戒を続けて!お姉ちゃんたちが帰ってくるまで、絶対にあいつらに攻め込まれちゃダメだよ!」

 美雲が言うと、彼女の横に控えていたメンバーは返事をして、再び窓に張り付き、様子を見守り続けた。



 一方のノルズとジスタは、自軍の陣地に戻ってくる部下たちの姿を眺めていた。

「出した指示は、撤退、か」

 ジスタは隣に立つノルズに言う。ノルズは何も言わずに部下たちの姿を見つめていた。

「ラダー将軍の奮闘も、これで無駄になったな」

「仕方ないことだ。そもそもラダー将軍の行動は計画にはなかった。リスクとリターンを考えれば、俺の行動は最善だ」

 ジスタの言葉に対し、ノルズははっきりと言い切る。ノルズは自室へ歩き始めると同時に、ジスタに指示を出し始めた。

「来てもらったところ悪いが、うちのコーキが情報を共有したあと、篤那川あつながわまで下がる。お前の元々いたところにな」

「おぉ?なんでそこまで?」

 ジスタに尋ねられると、ノルズはさまざまな思惑を話しそうになるのを堪え、ニヤッと笑った。

「色々あるだろうからな」



30分後

 ノルズの派遣した悪魔たちが完全に見えなくなると、美雲たち5人は疲弊し切った様子で床に腰を下ろした。

「はぁ…マジで心臓に悪かったぜ…」

「本当ですよ…こんなギャンブル2度とごめんです…」

 稲香と風花が口々に言う。美雲も疲れから床に横たわって答えた。

「はは…ごめん。ま、次はこういうことのないように祈ろう」

 美雲がそう言っている途中、突然部屋の扉が開く。

 部屋の中にいた5人は一斉に戦闘態勢を取り、扉の方を見る。

「待て、俺だ」

 扉には両手をあげて壁に寄りかかる幸紀と、その隣に立つ焔、そしてその背後には美雲たちは知らない女性が4人立っていた。

「幸紀くんかぁ、脅かさないでよ」

「色々あったみたいだな」

「あの、そちらのお客様たちは?」

 珠緒が幸紀たちに尋ねる。同時に、六華も雪奈と日菜子がいないことに気づいて声を上げた。

「そうだよ、雪奈ちゃんと日菜子さんは!?」

「ここにいるよ!」

 六華の疑問に答えるように、日菜子の声がする。輝夜と紅葉が道を開けると、日菜子と、そして満面の笑みで歩いてくる雪奈が、部屋の中に入ってきた。

「雪奈ちゃん!!」

 六華は雪奈に駆け寄り、肩を持つ。雪奈も嬉しそうに六華の手に両手を置いた。

「はい!雪奈です!」

「元気になったんだね!」

「はい!日菜子さんや幸紀さん、星霊隊の皆さんに、そちらの4人の皆さんのおかげで、私、元通りになりました!!」

 雪奈はそう言うと、輝夜たち4人の方に向き直り、姿勢を正した。

「皆さん!本当にありがとうございました!!」

 雪奈は深々と頭を下げる。輝夜たち星霊隊でない4人は、そんな雪奈の姿に、それぞれ照れくさそうにしていた。

「巫女として当然のことをしたまでですよ」

「気にしなくていいよ。無事でよかった」

「…興味深い体験をさせていただきました…」

「成り行きよ、成り行き」

 雪奈と4人が会話をしている間、日菜子は美雲に話しかけていた。

「美雲、留守番お疲れ」

「ホントだよー。お姉ちゃんがいない間大変だったんだから。のんびり夕飯でも食べたいわ」

 美雲に言われると、日菜子は何かを思いついて声を張った。

「そうだ、遅いけどみんなで夕飯を食べませんか!あと、泊まれる部屋もあるんで、よかったら一緒に!」

「お、いいねぇ。アタシ、料理手伝うよ」

 日菜子の提案に、早速紅葉が賛同する。輝夜と明宵もお互いに顔を見合わせてから頷いていた。

「私たちもご一緒させていただきます」

「私は失礼するわ。仲良しごっこは性に合わないの」

 1人だけ水咲がその場を去ろうとするが、すぐに焔は水咲を捕まえると、水咲の耳元に囁き始めた。

「ここで消えたら、取引は無しになるわよ?」

 水咲は焔を睨み、焔は眉を上げる。水咲は諦めると、空気を読んだ。

「やっぱり付き合ってあげるわ。断るのも野暮でしょうし」

「決まりね。珠緒、テーブルの用意をなさい。私は厨房の指示を出すわ」

 焔がそう言ってテキパキ動き始める。珠緒も、焔の指示にしたがって動き始めた。

「それじゃ、みんな、お料理が来るまでおしゃべりしよ!」

 日菜子がそう言うと、その場にいた全員で長机を並べ、各自の椅子を取りながら、明るく歓談を始めるのだった。

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