第10話 魔女

前回までのあらすじ

 悪魔軍の手によって暴走状態に陥った雪奈を連れて、日菜子は月影神社にやってきたが、そこの巫女には雪奈は治せなかった。月影神社の輝夜の案内で、日菜子は雪奈を治せるかもしれない女性、明宵あけよのもとに向かう。

 一方、幸紀たちは防衛長官殺害の容疑者である水咲みさきと協力し、真犯人を追う。水咲によればその真犯人とは、人に化ける悪魔ということだった。


それぞれのメンバーたちがいる場所

白鷺町:日菜子、雪奈、焔、輝夜、紅葉、明宵、水咲

霊橋区:美雲、珠緒、六華、風花、稲香



 雪奈を背負った日菜子は、輝夜と紅葉に連れられるまま、夜の街を走っていた。

「こちらです、あと少し!」

 輝夜が先頭を走って日菜子を案内する。紅葉も日菜子の隣を走り、苦しそうに喘ぐ雪奈の様子を見ていた。

「着きました!」

 輝夜はそう言うと、ガラス張りになった大きな建物の入り口に設けられているふたつのチャイムのうちのひとつを押す。

 日菜子は見覚えのない建物を前にして、紅葉に尋ねた。

「ここは何?」

白鷺しろさぎ図書館。半年前にできたばかりだよ」

「図書館で雪奈を助けられるの?」

「たぶんね。とにかく輝夜を信じてよ」

 日菜子と紅葉が言葉を交わしていると、2人の前の自動ドアが開く。同時に、輝夜が2人より先に図書館の中に入った。

「話は通りました。参りましょう」

 輝夜がそう言って中に入ると、日菜子と紅葉もその後を追うようにして図書館の中に駆け込む。

 輝夜は入って正面のエレベーターを開けると、日菜子と紅葉が来るのを待ってから扉を閉めた。

「もうすぐ明宵のもとに着きます。今しばらくご辛抱を」

 輝夜が言うと、日菜子は頷く。同時に、雪奈が苦しそうにうめき声をあげると、日菜子は雪奈を背負い直しながら声をかけた。

「大丈夫だよ雪奈、もうすぐ助かるからね」

 日菜子の声掛けに、雪奈はうめき声で答える。日菜子は固唾を飲んでその様子を見ていた。

 エレベーターが目的地である6階に到着する。本棚ばかり並ぶ暗い部屋の中で、部屋の奥にだけは小さく白い光が見えた。

「明宵!輝夜です!」

 輝夜はその光の方へと声を張り、走っていく。日菜子と紅葉もそれに合わせて走ると、光の正体がデスクスタンドの照明であることと、そこに誰かが座っているのがわかった。

 そこに座っていた誰かは、読んでいた本を机の上に置くと、椅子に座ったまま日菜子たちの方へと振り向いた。

「日菜子さん、ご紹介します。金刃かねは明宵あけよです」

 輝夜がそこに座っていた人間を紹介する。紹介された明宵はゆっくりと立ち上がった。

 全身を黒い服とズボンで包んでおり、手には黒い手袋をつけている。長く伸びた黒い前髪で目元を隠しており、日菜子は一見して性別がわからなくなりそうだったが、大きく膨らんだ胸で女性である事を理解した。

「…日菜子さん…ですね…?」

 明宵は囁くような小さな声で尋ねる。日菜子は何度も力強く頷いた。

「そうです!それで、この子が雪奈!」

 日菜子はそう言うと、横を向いて雪奈の姿を見せる。明宵は、ゆっくりと歩いて雪奈に近寄ると、興味深そうに雪奈の様子を見た。

「へぇ…この子が…」

「どう、治せそう?」

 紅葉が明宵に尋ねる。明宵はその質問には答えなかった。

「日菜子さん…雪奈さんをそこのベッドへ…」

「え、はい!」

 日菜子は明宵の指示に従って、明宵のデスクの横にあるベッドに雪奈を寝かせる。

「離れててください…」

 明宵にそう言われると、日菜子はベッドから離れる。明宵はベッドに腰掛けると、雪奈の状態を調べ始めた。

 不安になってきた日菜子は思わず隣に立っていた輝夜に尋ねた。

「ねぇ、彼女、信じて大丈夫?」

「えぇ。彼女は霊力の専門家であり、第一人者です。この国で彼女の霊力に及ぶものはそうはいません」

 それでも不安がる日菜子に、紅葉が付け加えた。

「この図書館だって、実は明宵が寝泊まりして研究するために作られたんだ。明宵はそんだけの天才ってこと。不安なのはわかるけど、まぁ、とりあえず見てなよ」

 紅葉の言葉を聞き、日菜子は黙り込む。

 そうして待っていると、雪奈から離れた明宵が日菜子の方に歩いてきた。

「…日菜子さん…雪奈さんはこうなる前、何をしていましたか…?」

「悪魔軍と戦っていました。その途中で変な薬を飲まされたみたいです」

「…なるほど」

 日菜子には明宵の表情が見えなかった。より一層不安が募る中、輝夜が明宵に尋ねた。

「明宵、治りそうなのですか?」

 明宵は雪奈の様子をチラリと見てから、日菜子の方へと振り向いて答えた。

「…治すことはできます」

 明宵の答えに、日菜子は興奮気味に聞き直す。

「本当ですか!?」

「…理論上、ですが」

 明宵の答えを聞くと、日菜子はその明宵の声色が落ち込み気味であるのがわかった。

「何か問題があるんですか?」

「…雪奈さんの状況を説明しますね…」

 明宵はそう言って椅子に座ると、話し始めた。

「…まず、雪奈さんが飲まされたという薬。これは受信機のようなものだと思ってください…」

「受信機?」

「えぇ…外部から『魔力』を受け取り、それを雪奈さんの体内で増幅させる、そういうものです」

「『魔力』?『霊力』じゃなくて?」

「『魔力』です。おおよそ似たものではありますが、悪魔が使うもので、人間がまともに浴びようものなら、ものの数秒で発狂、数分で死に至ります」

 明宵が淡々と解説し、日菜子はそれに対して質問していく。輝夜もそこに疑問を投げかけた。

「しかし、雪奈さんは生きています。明宵の説明と矛盾しませんか?」

 輝夜の疑問に答えるように、明宵はヒントを出した。


「雪奈さんが『人間』なら」


 明宵の言葉に、日菜子は明宵の言いたいことを察し、言葉にしていた。


「雪奈は…悪魔?」


「正確に言えば…悪魔の血を濃く継いでいる人間、でしょうね…彼女の珍しい外見や、放っている霊力、いや魔力か…この力も含めて、それで間違いないと思います…」

 明宵は冷静に推論を語る。日菜子は驚きながら雪奈を見下ろした。

 様々な考えが日菜子の脳裏をよぎる。だが、日菜子はそれを振り払うように拳を握った。

「雪奈が人間だろうと悪魔だろうと関係ない…!だって、雪奈は大切な仲間だから…!」

 日菜子はそう言うと、明宵の方へと向き直った。

「明宵さん!雪奈を救う方法を教えて!」

 日菜子が言うと、明宵は前髪に隠れた目で日菜子を見ながら答えた。

「…今の雪奈さんは魔力の過剰供給を受けています…満タンのグラスに更に水を注がれているようなものです…」

「つまり、その水を止めれば、魔力の供給源を止めればいいわけね!?」

「そういうことです…ですが、この魔力は強力…発信源は辿れますが、並の悪魔より遥かに手強いと思いますよ…」

 明宵は日菜子に忠告する。日菜子はそれを聞いてもなお怯まなかった。

「大丈夫、絶対に倒します!だから発信源を教えてください!」

「待ちなよ日菜子さん」

 1人で熱くなる日菜子に、紅葉が声をかけた。

「あんた1人で行く気かい?」

「それはもちろん。みんなには迷惑をかけた、これ以上は…」

「バカ言うんじゃないよ。ここまで来て見捨てられるわけないじゃん。アタシも手伝うよ」

 紅葉はそう言って日菜子の肩を叩き、微笑む。日菜子が戸惑っていると、輝夜も紅葉の隣で微笑んだ。

「紅葉の言う通りです。お仲間のために、共に戦いましょう」

「輝夜さん…紅葉さん…」

 日菜子が2人の思いに感激していると、明宵も紅葉の隣に立った。

「…ふふ…私もこの物語の結末が気になります…同行させてもらいますね…」

 明宵もそう言って日菜子に笑いかける。日菜子は3人の気持ちを感じると、嬉しさに拳を握りしめた。

「ありがとう、3人とも…!みんながいてくれたら心強いよ!一緒に雪奈を救おう!」

 日菜子が言うと、他の3人も、おう、と答える。日菜子はその様子を見て、ベッドで横になっている雪奈のもとに駆け寄った。

「雪奈、しばらくここにいてね。すぐに戻ってくるから」

 日菜子が言うと、雪奈の苦しそうな喘ぎ声が一度止まる。日菜子はそんな雪奈を見届けると、他の3人の方に向き直った。

「それじゃあ、行こう!明宵さん!敵の位置を教えて!」

「…わかりました」

 明宵はそう言うと、持っていた分厚い本を開く。本の上に、黒い煙の三角形が浮き上がった。

「こちらです、来てください」

 明宵が先頭を歩いて行く。日菜子、輝夜、紅葉の3人はその後ろをついて行った。



同じ頃

 幸紀と焔は、防衛長官を殺した容疑者である水咲に連れられて夜の街を歩いていた。水咲は霊力で作った鞭を垂らしており、その鞭の先端が「真犯人」の居場所を示していた。

「ひとつ聞きたいのだけど」

 歩いている途中、焔が水咲に尋ねる。水咲は気だるそうに応じた。

「なにかしら?」

「あなたと防衛長官はどういう関係だったの?」

 焔の質問に、水咲は大きくため息をついた。

「はぁ、無粋な女ね。モテないわよ?」

「それで?答えは?」

 淡々と答える焔に対して、水咲はわざとらしく答えた。

「愛しの愛しの旦那さま」

「嘘ね、長官は独身よ」

 水咲の言葉を、焔はあっさりと切り捨てる。水咲は諦めて答え始めた。

「その通り。あの男は何人も金で女を抱いていた。私も今日からそうなるはずだったけど、寝室に入った瞬間、違う女が出て来て長官をひと刺し」

「その女が悪魔だと?」

 水咲の証言に、幸紀が尋ねる。水咲は幸紀の方を向いて話を続けた。

「そう。髪の毛が針みたいになって、自由に動く。私とっても怖かったのよ?」

「その割には痛手を負わせたみたいだがな」

 わざとらしく幸紀に媚びようとする水咲に対し、幸紀はあっさりと返す。水咲は鼻で笑った。

「ま、昔から霊力は強かったからね。それに、アイツもさっさと逃げていったし。おかげで金も入らず、ブタ箱にぶち込まれる始末。やってられないわね」

「災難だったな?」

「そうなのよ。慰めてくれない?」

 水咲は空いている左手で若干服をずらして肌を見せながら言う。幸紀は鼻で笑い、焔は水咲を冷たい目で見つめた。

「…はしたない女」

 焔はそう言って水咲の先に進もうとする。その瞬間、水咲は足を止め、鞭が指す方向へ振り向いた。

「ここみたいね」

 水咲の鞭がそう言って指したのはガラス張りになった大きな建物の入り口だった。

「白鷺図書館…今は閉まっているようだが」

「開ければいいのよ」

 幸紀が目の前の自動ドアを見て呟くと、水咲はあっさりと言い放ち、ズボンのポケットから鍵開け用の道具を取り出し、入り口に近づいて行く。そんな水咲を、焔が止めた。

「待ちなさい、不法侵入よ」

「今更前科が増えてもね。それに非常事態よ。細かいことはどうでもいいじゃない」

「それとこれとは話が別よ」

 焔と水咲がやり取りする間に、幸紀は図書館の中で人影が動いていることに気づいた。

「おい。開けてくれ」

 幸紀は入り口のガラスを叩く。中の人影は幸紀に気づくと、入り口の自動ドアへ駆け寄る。

 幸紀は、中の人影が日菜子であることに気づいた。

 幸紀が驚いていると、日菜子は図書館の入り口を開け、驚いた様子で幸紀に話しかけ始めた。

「幸紀さん!?ここで何してるんですか?」

「防衛長官殺害の真犯人を追って来た。日菜子の方こそ、ここで何をしている?」

「雪奈を治してもらうために来ました。悪魔が雪奈に魔力を流し込んでいるんですって。今その悪魔を、この子たちと倒しに行くところです」

 日菜子は幸紀に話す。日菜子の後ろに控えていた輝夜が、日菜子に尋ねた。

「日菜子さん、こちらの方々は?」

「幸紀さんと焔さん。私の仲間だよ。あの青い髪の人は知らないけど…」

 日菜子が輝夜に紹介する。水咲は日菜子や他の人間に対して話し始めた。

「別に私のことはどうでもいいわ。この建物の地下に、防衛長官を殺した悪魔がいる。早くしないと、奴は逃げるわ」


「…不思議ですね…私たちもこの建物の地下に向かおうとしていたんですよ」

 

 明宵が他のメンバーたちに言う。水咲と明宵の言葉に、紅葉が尋ねた。

「じゃあ、雪奈を苦しめているのも、防衛長官を殺したのも、同じ悪魔ってこと?」

「確定はしてないわ。けど、可能性は高そうね」

 紅葉の言葉に、焔が付け加える。幸紀はそんな状況を見て、全員をまとめ始めた。

「全員同じ方向なら、まとまって動こう」

「そうですね。おばさん、明宵さん、先頭で案内してください!」

 日菜子が指示を出す。明宵は素直にそれに従い、水咲も小さく舌打ちしてから集団の先頭に立つ。明宵の本の黒い煙と、水咲の鞭の先端は同じ方向を示していた。

「行こう」

 幸紀もその2人の隣に立つと、2人の能力が示した階段を下り始めた。


 階段を下りる間、他のメンバーたちが会話をしている中、幸紀は1人で今後の方針を練っていた。

(この先に…間違いなくあの将軍はいる…こちらにいるのは月影の巫女に、霊力の専門家の金刃明宵…俺もこうなっては手を抜く事はできん…どうにかして逃げてもらいたいが…)

「ここです」

 幸紀が考えていると、明宵と水咲の足が止まる。常夜灯のオレンジの光に照らされた、分厚い金属の扉が、メンバーたちの前に立っていた。

「俺が行く」

 幸紀はそう言うと、杖を持っていない手を扉にかける。他のメンバーたちは固唾を呑んで幸紀の様子を見守った。


 幸紀は扉を押し開けて中に入る。

 瞬間、鋭い殺気と針の群れが幸紀のもとへ飛んできた。

「逃げろ!」

 幸紀はそう言って一緒に入ろうとした明宵を突き飛ばし、1人だけ部屋の中に入る。幸紀を襲った針の群れは、凄まじい衝撃で扉を歪め、幸紀を部屋の中に閉じ込めた。

「幸紀さん!」

 日菜子が歪んだ扉を叩いて叫ぶ。

「大丈夫だ。敵はいるが」

 幸紀は正面に立っている、地面にまで着くほど、長く青白い髪をした人型の生物を見ながら答える。

 そんな中、その生物が声を上げた。

「…コロシテヤル…!」

 幸紀の正面に立っていたその生物は、髪の毛を鋭い針のようにして幸紀を襲う。

 だが幸紀はそれを回避し、髪の毛はさらに扉を歪めるだけだった。

「幸紀さん!こっちにも敵が…!」

「わかった、持たせる」

 日菜子がそう言うと、幸紀の耳にも扉越しに日菜子たちが戦う音が聞こえてくる。

 幸紀は霊力で日本刀を発現させると、太い束となって自分を貫こうとする髪の毛をあっさりと斬り払い、その生物のそばまで駆け寄った。


「落ち着いてくださいラダー将軍。コーキです」


 幸紀は落ち着いた声で言う。その声を聞いたラダーは、動きを止め、正気を取り戻したような声で話し始めた。

「…コーキ君?」

「そうです」

 幸紀の声を聞き、ラダーはその場に腰を下ろし、伸ばしていた髪を徐々に短くし、人間の女性としても美女の部類に入る顔をさらけ出した。

 幸紀は握っていた日本刀を光の粒に変え、左手に持っていた杖も横に置き、ラダーの前にあぐらをかいて座った。

「久しぶりだね。ここへの侵攻を開始して以来か」

「えぇ。人間の中に潜入しているのは知っていましたが、こんな形でお会いするとは」

 扉の向こうから熾烈な戦闘の音が聞こえてくる中、幸紀とラダーは平和に会話を交わしていた。


「防衛長官を殺したのは、ラダー将軍ですか?」

 幸紀はアダーに尋ねる。ラダーは何かを諦めた様子で辺りを眺め、頷いた。

「らしくないですね、将軍。長官を殺せという指示は出ていないはずです。七将軍ともあろうあなたが、どうして」

 ラダーは幸紀の質問に、下を向く。そしてひとつため息を吐いた。

「『らしくない』。わかってる。でも…自分でもわからないの」

 ラダーはそう言いながら、自分の髪を1束摘み、撫でた。

「…なんでかしらね。許せなかった。なんで許せなかったのか、これがわからないの…」

「何があったんです」

 幸紀の質問に、ラダーは虚空を見つめていた。

「何もない。あの男が、私でない女と寝ていた。それだけ。ただそれだけなのに…」

 話しているうちに、徐々にラダーの髪が伸びていく。ラダーは小さく笑った。

「おかしいわよね。最初から私は、あの男が持つ情報が欲しかっただけ。隙があれば殺そうとすらしてた。なのに…どうしてなの…」

 ラダーの言葉に幸紀コーキはじっと目を瞑り、次の言葉を紡いだ。


「長官を愛してしまったのですね、ラダー将軍」


 幸紀の言葉を聞き、ラダーは自分自身の行動の意味と動機を初めて理解した。

「愛した…私は…あの男を愛してしまったの…?」

 ラダーは髪に隠れた顔を幸紀に向ける。幸紀はラダーに質問に答えられなかった。

「おかしいじゃない…私は悪魔…私が持つ感情は破壊と支配への欲望と、それを満たした時の喜びだけ…人間を愛するわけなんて…!」

 ラダーの感情が強くなるに連れて、彼女の髪も伸びていく。幸紀もラダーから溢れ出る魔力を感じ取っていると、扉の向こうから日菜子の声が聞こえてきた。

「幸紀さん!雪奈に供給されてる魔力が増えてるらしいです!この辺りの敵も強くなってて、このままじゃ…!」

「わかった!持たせてくれ!」

 幸紀は日菜子に緊迫した声を作って伝えると、適当に斬撃を放って物音を立てる。そうしてから幸紀はラダーへと歩み寄った。

「将軍。人間に触れ過ぎましたな。ですが、決しておかしなことではないと思います」

 幸紀が言うと、ラダーの髪の伸びが止まる。ラダーは前髪に隠れた目を見開いて幸紀を見た。

「…どういうこと…?」

「俺ですら外のあいつらには愛着が湧いています。たった数日、共にいただけですが、命懸けで誰かのために戦うあいつらの姿を見て、心が動かされなかったと言えば嘘になります。ラダー将軍はこの10年常に長官の隣におられた。情が湧くのも無理はないでしょう」

 幸紀に言われると、ラダーはしばらく黙り込み、力が抜けたかのように腕を後ろに回してそちらに体重を預けた。

「コーキ…私たちは…どうやっても人間と生きることはできないのかしらね…」

 ラダーは髪を弄びながら幸紀に尋ねる。幸紀が何も言えないでいると、ラダーは髪を弄ぶのをやめて下を向き、息を吐いた。

「人間たちが抵抗を止めれば…別に殺しはしないのに…私たちが支配する中で生かしてあげるのに…私たちの言う通りにだけ生きていればそれだけで人間たちも幸せなのに…!」


「将軍、そう思うから俺たちは分かり合えないのです」


 幸紀に言われると、ラダーはハッとして顔を上げる。幸紀は複雑な表情のままラダーに持論を語った。

「我々悪魔にあるのは、『全てを支配する欲求』。だが、あいつらが望むのは『共存』、もしくは相手を支配すること。支配者は2人並び立てない」

 幸紀はそのまま目を逸らし、下を向くと、自分に言い聞かせるようにしてつぶやいた。

「だからこそ…俺たちは戦うしかないのです」

「コーキ君…」

 幸紀はラダーに呼びかけられると、首を横に振り、ラダーに尋ねた。

「失礼、話し過ぎました。ラダー将軍、このあとどうなさいますか」

 ラダーは俯いて考えた。

「…私は命令に反した。このまま悪魔軍に戻っても、処罰は免れない…だったら…私は最後くらい、悪魔として死にたい…!」

 ラダーの髪の毛が伸び、部屋全体に木の根のように広がっていく。同時に、部屋がミシミシと音を立て始めた。


「私の心を弄んだあの男!その同胞と故郷の全てを!この私の手で滅ぼしてやる!!」


 ラダーの叫び声と共に、髪の毛が天高く伸び、建物自体の天井すらも貫いた。

 上の階のベッドで横になっていた雪奈にもその様子は見えており、少し離れたところの床と天井が崩れた様を、朦朧とした意識で見つめていた。

 ラダーは髪の毛の先端を屋上に突き立てる。そうして若干宙に浮いた状態で、幸紀を見下ろした。

「コーキ!小娘共を連れて私を倒すがいい!」

「ラダー将軍!」

「私は悪魔、貴様が私を倒せば、貴様はさらなる信頼を勝ち得る!どうせ私は死ぬのだ!本気で暴れてやる!だからコーキ!お前も本気で私を止めに来い!」

 ラダーはそう言い放つと、髪の毛の力を利用して屋上まで飛び上がる。幸紀はラダーを見上げると、奥歯を噛み締めた。

(ラダー将軍…他人のために動くのは、人間のすること…やはりあなたの心は…限りなく人間に近い)

 幸紀は霊力で作った日本刀の柄を握りしめる。

 同時に、幸紀のいる部屋の扉が強引に開かれる音がする。幸紀が振り向くと、日菜子たち6人が肩で息をしながら、転がり込むようにして部屋に入ってきた。

「はぁ…幸紀さん!無事ですか?」

 日菜子に尋ねられると、幸紀は短く、あぁとだけ答える。すぐさま焔が状況を報告し始めた。

「廊下にいた敵は一掃したわ。それで、この穴は?」

「敵が開けた。ここから逃げた」

 幸紀は手短に答える。水咲も自分の鞭が指す方向で確認した。

「本当みたいね」

「それよりも、雪奈は大丈夫なのかい?こんな状況じゃ、あの子がいた部屋も危ないんじゃ…」

 紅葉は周りのメンバーに尋ねる。すぐに明宵が答えた。

「…大丈夫です…雪奈さんの魔力は強いまま…生きている証拠です…しかし、これ以上敵を生かしておくのは危険かと…」

「雪奈さんの体が許容できる魔力を越えそう、ということね、明宵」

 明宵の言葉に、輝夜が噛み砕いて尋ねる。明宵がうなずくと、日菜子が明宵に尋ねた。

「雪奈は!あとどれくらい持ちそうなの!?」

「…希望的観測で、あと1時間。悲観的に見て…30分ですね…」

 明宵から言われると、日菜子は言葉を失い、俯く。だが、すぐに顔を上げた。

「だとしても、私は絶対に諦めない!あの悪魔を倒して、雪奈を助ける!みんな!ついてきて!」

 言うが早いか、日菜子は部屋を出て走り出す。輝夜、明宵、紅葉の3人は迷いなくその後を追って走り始めるが、水咲は焔と幸紀の顔を窺っていた。

「私も行かなきゃダメ?ああいう熱苦しいのは嫌いなのよ」

「留置所とどちらが嫌いかしら?」

 水咲が逃げようとするところを、焔がそう言って引き止める。水咲は大きくため息を吐くと、日菜子たちの後を追って走り始めた。

「幸紀、あなたもゆっくりでいいわ、ついてきて」

 焔が水咲の後ろを走りながら幸紀に言う。幸紀はそれを聞き、頷きながら杖をついて走り始めた。



同じ頃 悪魔軍霊橋区攻撃部隊司令本部

 ノルズは通信用の端末で幸紀へ連絡をしていたが、一向に連絡がつかないことに頭を抱えていた。

「妙だな…コーキと連絡が取れない。何かあったのか…」

 ノルズが様々なことを考えていると、彼のいる自室がノックされ、何者かが部屋の中に入ってきた。

「よー、ノルズ、勝手に入るぞー」

 ノルズはその声に振り向くと、入ってきた悪魔に驚き、立ち上がった。

「ジスタ!?貴様ここで何をしている!?」

 ジスタ、とノルズに呼ばれた悪魔は、身につけている作業着のポケットから端末を取り出し、それを操作しながら話し始めた。

「いやぁ、同じ七将軍かつ、の一族として、助けに来てやったんだよ。感謝しろ」

「誰が来いと言った、貴様の管轄は北部戦線だろう」

「セスナー殿に任せておけば安心安心。それよりも、これを見ろ」

 ジスタはそう言うと、手に持っていた端末をノルズに見せる。そこで繰り広げられている映像は、2人の同僚であるラダーが暴走している姿だった。

「ラダー将軍か?なぜこんなことに?」

 ノルズが尋ねると、ジスタは肩をすくめた。

「知らんがな。でも、お前なら何か思いつくと思って、手土産を持ってきた」

 ジスタはそう言うと、部屋の外へ腕を伸ばす。ノルズはそれに案内されるようにして外に出ると、悪魔軍の兵士たちがずらりと並んでいた。

「これは…」

「ラダー将軍が街で暴れているなら、今はまさにこちら側の好機。俺の部下、約1000を連れてきた。どうだ?」

 ジスタはそう言ってニヤリと笑う。そんな横顔を見ても、ノルズはまだ笑うことができなかった。



同じ頃 霊橋区市庁舎

 屋上で見張り役を担当していた珠緒は、双眼鏡で敵の様子を見ており、異常な数の敵の武器が動いているのを目の当たりにしていた。

「…すごい数…また攻めて来るんじゃ…!」

 珠緒が不安に思っていると、その敵が動き始める。三手に分かれ、ゆっくりではあるものの霊橋区に向かってきているのが見えた。

「来た…!」

 珠緒は恐怖に慄きながら通信機を取り、そこに向けて声を張った。

「美雲さん!珠緒です、また敵が迫ってきています!」

 部屋の中で仮眠をとっていた美雲は、通信機から聞こえてきた珠緒の言葉で目を覚ます。眠い頭を振って眠気を誤魔化し、美雲は珠緒に返事をした。

「数は?」

「1000は居そうです…!」

 珠緒からの報告を聞いていると、近くで仮眠をとっていた他のメンバーたちも目を覚ます。

「…OK、みんな、準備して!敵が来たよ!」

 美雲は他のメンバーたちが起きたことを確認し、声を張る。同時に、窓から敵が攻めてくる方向を見て、1人何も言わずに考え事をしていた。

(うちらは戦い続きで疲れてる…しかも今はお姉ちゃんたちも、幸紀くんもいない…最悪のタイミング…!凌ぎ切れるかな…)

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