第38話 交渉

 破城槌が城門を叩く前に降伏すれば命だけは助けられる。

 それ以降は勝者のなすがまま。

 これが戦場における不文律だった。

 おそらく、この籠城戦においても同じルールが適用されただろう。

 しかし、結論から言えばこの古びた砦に破城槌が到達することはなく戦いは終わる。


 急な坂道を苦労しながら押してきた破城槌が城門まであと100歩ほどのところまで到達したときだった。

 騎士を5人ほど連れた豪華な衣装の男が馬に乗って駆け登ってくる。

「まて。それ以上は進むな。宰相の名において命ずる。止まれ」

 なんの茶番劇かと思ったが破城槌は進行を止めた。


 苦労して破城槌を避けて城門近くまでやってきた偉そうな男の顔を見て驚く。

 なんと宰相のサンドハスト公爵だった。

「ファラーラ姫殿下にお目通りを願いたい!」

 ダールが尋ねてくる。

「あれは誰だ?」

「宰相だよ」

「じゃあ、討ち取れば大手柄だな」

「少し待て。動くな」


 エルフの射手もいつでも射殺してみせると言わんばかりの様子で右手に矢を持っていた。

 セラムはセラムで短槍をこねくり回している。

「何かの罠な気がする。確かめるために槍を投げてみていい?」

「ダメだ。ステイ」

 明らかに交渉する気がない奴しかいないじゃないか。


 私はため息を一つこぼすと望楼の胸壁から身を乗り出す。

「ファラーラ様の何の用だ? そもそも、ここにいる姫様を認めていないんじゃなかったのか? 前に来た使者はそんな口ぶりだったぞ」

 皮肉っぽい言い方になったのは仕方ない。

「おお。ファラーラ様の護衛騎士のコンスタンスではないか。取次ぎを頼む」

「断る」


 にべもない返事にサンドハスト公爵は口ひげを捻った。

「私は宰相のサンドハストだ。それが分からぬわけではあるまい?」

「最近は貴人の名を騙る詐欺師が横行しているらしい。あなたが宰相という確証が取れない以上は取次なぞできぬな。仮にあなたが本物の公爵だったとして、そんな身分の高い方が騎士団の討伐を受ける犯罪者に用があろうとも思えない。速やかに去れ。これから破城槌を破壊し、寄せ手を撃破するのだから」


 公爵は後ろを振り返ると怒鳴る。

「いつまでそこに居るんだ。さっさと戻れ!」

「本当によろしいのですか、閣下?」

「何度も言わせるな。さっさとその破城槌をここから下げろ」

 破城槌を守っていた騎士たちは慌てて戻るように指示を出した。


 それを見届けると公爵は体を元に戻す。

「これで話し合いにきたことを信じてもらえるかな。私が騎士に命令できる立場というのも理解できただろう」

「そういう芝居の可能性だってある」

「ひょっとして埋伏させておいたのに姫様と一緒に襲われたことを恨んでいるのか? あれは私の命ではない。陛下が勝手にしたことなのだ」

「そうですか。まあ、過ぎたことですね。それはそれとして、誰にお会いになりたいんでしたっけ?」

「ファラーラ王女殿下だ。取次ぎを頼む」


「さあ? そんなやんごとない方が砦の中にいらっしゃるんですか? うーん。なんのことだろう? よく分からないですね」

 さすがに堪忍袋の緒が切れたのか公爵は怒鳴った。

「いい加減にしろ。私はファラーラ殿下にお会いしなければならん。邪魔をするな!」


「いや、だってねえ。正式な軍使が偽者だと面罵して言ったんですよ。こちらに本物の姫君がいるはずがないじゃありませんか」

「だから、それは手違いだったのだ。こちらにいらっしゃるのが本物の姫殿下だと認めている。だから取次ぎを」

 平静を装っているが公爵の声には僅かな焦りがみえる。


「いやあ、立派な貴族の方、確か伯爵だったかな。その方が詐欺師だと決めつけたからねえ。攻城兵器が迫るのを見て保身を図った一部のものがよくも騙しやがったなと激高して詐欺師を……」

「まさか、姫殿下をっ?」

 サンドハスト公爵が悲痛な声を上げた。

「もう、コンスタンス。さすがにやりすぎよ」

 後ろから笑いをこらえた声がする。

 ファラーラ様がひょいと身を乗り出した。


「公爵、お久しぶり。随分お会いしていなかった気がするわね。私の輿入れが決まったとき以来かしら?」

「で、殿下」

 公爵は落馬するように地面に降り立つと片膝をつく。

 護衛の者たちもそれに倣った。

「このような場所にて失礼します。ファラーラ姫殿下におかれましてはご健勝のご様子にてなによりです。折りいった話がございますので中に入れて頂けませんか?」


「そうですね。少々お待ちください」

 ファラーラ様は体を引くと私に尋ねてくる。

「コンスタンスどう思う?」

「罠かと疑って煽ってみましたが、判断が難しいですね。交渉に来たのが公爵というところにあざとさがありますが、本気の証とも思えますし。武装解除した騎士1名のみ随行を許すという条件で中に受け入れてはいかがでしょう」

 ファラーラ様は私の発言を吟味するように考えた。

 ニコリとすると私の案を了承する。

「いいわ。その条件で受けて」


 私は胸壁の隙間から顔を出した。

「公爵のみ中に入るということなら受け入れよう」

 サンドハスト公爵は当然難色を示す。

 数語の応酬ののち、私が指定する1名が剣を置いて同行するというところに落ち着いた。

 これならこちらによる人選なので、騎士の格好をした暗殺者が紛れ込む可能性を下げられるし、1人なら十分に対処できる。


 私とダールに左右を固めさせたファラーラ様はサンドハスト公爵を引見した。

 リーシャがお茶を運んでくる。

「お砂糖はおいくつ?」

 ファラーラ様が公爵に尋ね、リーシャがスプーン1杯分の砂糖を入れたものを公爵の近くに置いた。

 カップとソーサーは木製の粗末なものだったが、まるで高級品を扱うような丁寧な所作である。


 次いで、砂糖を3杯も入れたものをファラーラ様の前に置いた。

 これからの話し合いに気合いが入っているようである。

 頭を使う時に甘いものが必要ということらしかった。

「こうやって公爵とお茶をするのは初めてでしたわね」

「このような機会を与えて下さったこと大変光栄に存じます」

 ファラーラ様は優雅な手つきでカップを持ち上げる。

 それに合わせて公爵もお茶を一口飲んだ。

 その面上には現れていないがきっと味に驚いていることだろう。


「結構なお茶を頂戴いたしました。宮廷内のお茶会で出されるものと変わらぬかそれ以上でしょう」

「お気に召して頂けたようで何よりですわ。よろしければお菓子も召し上がって」

 アメジストベリーのジャムを乗せた焼き菓子を勧める。

 エルフ族から提供を受けた茶葉は最高品質のものだったし、ジャムや茶に入っている砂糖はドワーフ製だった。

 両種族とも懇意であるというデモンストレーションである。


 菓子にも1つ手を付けると公爵は咳払いをした。

 社交辞令はもう十分ということなのだろう。

 さて、どのような詐術が飛び出すか。

 公爵は老獪な政治家だ。

 ドワーフ族とエルフ族との関係から力押しは王国に損害が多すぎると説得したのだろう。

 問題はなんと言って女王を説得したかである。

「まず、私は常に王国のことを考えていたということを申し上げておきます」

 そんな前置きから始まった提案は驚くべきものだった。

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