第34話 使者

 野戦で50倍もの敵を迎え撃つのは論外である。

 だから、とっさに籠城できる場所への移動を決断したのは間違いではなかった。

 しかし、相手がこちらを捕捉していなかったのであれば、ファラーラ様だけを連れて一目散に逃げるという手でも良かったかもしれない。

 セラムの教えてくれた古い砦はそれほどひどい状態ではなかったが、土地勘のある人間からすればここに逃げ込むというのは容易に予測できたのであろう。

 ほどなく砦から街道へと続く道は閉鎖されてしまった。


 古い砦は道のある方向以外の3方を切り立った絶壁と落ち込んだ崖に囲われており、守るべき方面は少なくて済むものの、逃げ道がなくなってしまう。

 崖を綱で降りることは不可能ではなさそうだが、馬もなくては結局追いつかれてしまうだろう。

 幸いなことに砦の井戸はまだ使えたし、食材もたっぷりあるので当面の飲食に困ることはない。


 エルフが城頭で歩哨に立つ間にドワーフが砦の門扉を改修し、その外側に逆茂木を置いた。

 夜を徹しての作業により一応の防御の準備が整う。

 夜明けと共にシトシトと雨が降り始めた。

 薄明かりのなかで目を凝らすと天幕の上には双頭の鷲が描かれた旗が翻っている。

 軍装その他の点からも聖アッサンデール王国の騎士団で間違いない。


 野盗の類と勘違いされたということはないだろうなあ。

 タイミングといい、先日助けた旅人が話を吹聴して、それを騎士団がキャッチしたというところだろう。

 考えてみれば、ゴンドーラ王国で最初に襲撃してきた連中の生き残りがいる。

 屋台やギンジの情報はミーナシアラ姫に伝わっているはずだった。

 あの場所から聖アッサンデール王国の版図に入らず移動するとなればイシュリ山のドワーフ族を頼ったということは容易に想像できる。

 ドワーフを連れたキャラバンを探せという指示に引っかかったということか。


 結局のところ、ギンジと一緒に行動するのであれば、聖アッサンデール王国には近づかないようにすべきだったということである。

 後悔先に立たず。

 済んだことを嘆いても益がない。

 今はこの危機をどうやって乗り切るかということを考えることにしよう。


「何の目的か分からんが使者が来たようだの」

 一緒に望楼に居たダールが呟いた。

 エルフほどではないがドワーフも夜目が利く。

 私も目を凝らすと白旗を掲げた騎馬が1騎砦の方に向かって進んでいるのが見えた。

「まあ、分断を図るというのが定石だろうな。王国もお前たちと事を構えたくはないだろう」

「来れば分かることだ」


 ダールは落ち着き払っている。

 使者がことさらにゆっくりと進んでいるのは敵意がないことを示すつもりなのかもしれない。

「ねえ、コンスタンスさん。ラーメン食べないの?」

 下からセラムが叫んだ。


 士気高揚のために朝からギンジはラーメンを作っている。

 ここにいる人間は皆ラーメンにがっちりハートをつかまれているのでさぞかし効果があるだろう。

「ダール。折角だから食べにいこう。腹が減っては戦ができぬと言うだろう?」

「先に食ってきてくれ。1人で何ができるとも思えぬが油断して不覚は取りたくない」

「分かった。それじゃすぐに戻る」


 新たに作った梯子を軋らせて下り、私はギンジの屋台へと向かった。

 屋台は砦の脇に取りつけた庇の下に設置してあるので雨はしのげるようになっている。

 砦の建物内に入れてもいいと思うのだが、ギンジは空気が汚れると言って屋内は避けていた。

 そのギンジは相変わらずの態度でラーメンを作っている。

 私の姿を見かけると笑顔を見せた。


「見張りお疲れさま。雨に濡れたでしょう。すぐ出来上がりますから」

 ギンジは以前と同じような流れるような手さばきで麺を茹で始める。

 ヒューイが気を利かせて器を持ったままカウンターから立ち上がった。

「姐さん。ここどうぞ。俺はあっちで食いますんで」

 仲間がいる古ぼけたテーブルの方へとヒューイは歩み去る。

 礼を言ってカウンターに座った。


「コンスタンスさん。昨夜はほとんど寝ていなんじゃ?」

「大丈夫だ。何かしていた方が落ち着く」

「そうですか。まあ、無理はしないでくださいよ。実質的な大将なんだから」

「ああ。気を付けるよ」

「それじゃ、こいつで元気を出してください」

 ギンジはラーメンをカウンターの上に置く。

 早速箸で食べ始めた。

 しみじみと美味い。


 つるつると食べられるので時間のないときでも腹に入れることができる。

 戦場の食事としてもラーメンというのはかなり優秀なのではないだろうか。

 スープまで飲み干し器をカウンターに置いた。

「ごちそうさま。またラーメンを食べるために頑張ろうという気になるな」

「そう言ってもらえると俺も作り甲斐があるってもんですよ。また最高の一杯を作りますんで」


 だから死なないでくださいよ。

 言葉に出さなかったが後半省略した思いが伝わってくる。

「それは楽しみだ。ダールと交代してくるよ」

 既に食べ終わった男が2人私についてきた。

 小走りに梯子のところに行き望楼へと戻る。


「ダール。待たせたな」

「いや、ほとんど時間が経っていないだろう。少しはゆっくりとギンジと話してくればいいだろうに」

「ダールの腹と背中がくっついては悪いと思ったんでな。急いで食べてきた」

「では、吾輩も頂いてくることにしようかの。例の使者はまだ道半ばだ」


 背後でドンという音がした。

 望楼の高さは大人の背丈の3倍ぐらいあるのに、どうやらダールが飛び降りたらしい。

 さすがは頑健なドワーフというべきか。

 それとも、やはりギンジのラーメンの魅力に抗えないというべきか。


「ダールさん。いきなり飛び降りるからびっくりしましたよ」

「お陰で足を踏み外すところでした」

 男2人がやってきてこちらに向かってくる使者に皮肉を言う。

「雨の中ご苦労さんなこった」

 一応古くなった望楼とはいえ、雨露はしのげた。

 

 それに引きかえ攻囲側は雨ざらしである。

 冬場なら雨に濡れて体力の消耗が期待できるが、晩夏のこの時期にはそれほどは気温が下がらないだろう。

 それでも微妙に士気の差が出ることを期待したい。


 使者がやってくるまでにどんどんとギャラリーが増える。

 ラーメンを作り終えたギンジ、ファラーラ様とリーシャもやってきて、それほど広くない望楼は一杯になった。

 待ち受けていると使者が逆茂木の向うで馬を止める。

 片手で面甲を上げ晒した使者の顔は私のよく知る者のものだった。

 


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