第30話 事故

 ギンジが布を広げその上に持ってきた昼食を並べる。

 素焼きの壺に入った葡萄酒まで用意をしていた。

 少し離れた岩の上に焼き菓子と小さな木の実を乗せた木皿を置いて戻ってくる。

「セラムに聞いたんだ。こうやってお供えをしておくとあの光っている妖精が悪戯をしないらしい」

「なるほど。折角の葡萄酒を酢に変えられてはたまらないからな」


 薄い木製の杯で乾杯をした。

 芳醇な香りが口の中に満ちる。

 色々とドキドキすることがあったので喉が渇いていた。

 ベルベットのような喉ごしの液体が滑り落ちていき胸郭を熱で満たす。

 ほう。

 酒精を含んだ吐息を吐き出した。


 私の杯にお替りを注ごうとしていたギンジが壺を落としそうになって慌てる。

「おおっと」

 その後、口の中で何かむにゃむにゃ言いながらお替りを注いでくれた。

 昼食自体は簡便なものだった。

 薄く切ったパンの中に様々な具材を挟んだものが並んでいる。

 ただ、見た目や色合いに工夫が凝らしてあって見ていても美しい。


「これ、サンドイッチってもんなんですよ。見よう見まねで作ったものなので口にあうかどうか」

 ギンジは私に勧めながら言った。

 片手に酒杯を持ったままでも、反対の手でつまめるしなかなか便利である。

 食べてみると複数の食材が混然一体となった味がした。

 これは鳥の胸肉と玉ねぎ、ラズベリージャムかな。

 別のこれは茹でた卵をとろりとしたソースに絡めたものか。

 えーと、この緑のものがはみ出したのは……。


 そこでギンジが私のことを観察していることに気が付いた。

 餌を出してもらうのを忘れられた飼い犬のような表情をしている。

 そして、ギンジはまだ一切サンドイッチに手を伸ばしていなかった。

 うわああ。

 ついつい夢中で食べてしまった。

 そういえばラーメンを食べるときの私の姿も決して品が良いとはいえないだろう。

 たちまちのうちに顔に血流が集まってくるのを感じる。


「だ、大丈夫ですか? 何か喉に詰まらせましたか?」

 ギンジが大慌てで身体を寄せてきた。

「いや、大丈夫だ。なんでもない」

「それならいいのですが、本当に大丈夫ですか?」

「ああ。美味しさに夢中になっていただけだ。本当になんでもない。いや、ギンジはラーメン以外も料理が得意なんだな。たいしたものだ」

 

 ギンジは頬を紅潮させながらもニコリと笑う。

「いや、そんな褒められると照れますね。いやあ、でも、そう言ってもらえると作った甲斐があるというもんだ。さあ、どんどん食べてください」

「もちろん頂く。ただ、こう品の無い姿ばかりで、実は呆れているんじゃないだろうか?」

 恐る恐る聞いてみると、ギンジは笑みを大きくした。


「そんなことはないですよ。俺はこうやって美味そうに食べてくれる姿がこう、なんというか、素敵だなって思います」

「え?」

「コンスタンスさんはいつもキリっとしてますよね。それが俺の料理を食べている時だけちょっとだけ綻ぶんですよ。いや、キリっとした姿が良くてそこに惚れたんですけど、それはそれ、こうちょっと笑みを浮かべた姿も可愛いなというか。あ、いえ、ちょっと怒った姿もドキドキしますし、俺がやらかしたときの冷ややかな表情もゾクゾクしてたまんないんですけど。あれ、何を言ってるんだか分からなくなってきた。つまりですね、えーと、つまり、どんな時でもコンスタンスさんは最高ってことです」


 しゃべり終えたギンジはみるみるうちに顔を紅潮させる。

 葡萄酒をぐいとあおると帽子を引き下げて真っ赤な顔を隠した。

 私はポカンとするし、ギンジは黙るしで周囲は鳥の鳴き声と水のせせらぎの音だけになる。

 そろーっと顔をあげようとして私が見たままなのに気が付くとギンジはまた顔を隠した。


 時に冷酷な目を見せることもある陽気でおちゃらけた男がこういう表情を晒すのは私だけなのだろうか?

 私だけに見せるものだと心の底から願う。

 これが手練手管なら私には対抗しようがない。

 まったく異世界のこの男は私を驚かせてばかりだった。

 私は杯を置こうとしてまだ中身が入っていることに気がつく。

 くいと飲み干して杯を置いた。


「ギンジ」

 声をかけると顔をあげる。

 目元はつばの陰になっているが口元は良く見えた。

 キスがしたい。

 敷物の上で腰を浮かしてにじりより、上半身を傾けてギンジに顔を寄せる。

 そうだ。こんな気分になったのは全部酒のせいだ。


 ギンジの顔との距離が拳2つ分になったところで、リンリンリンと小さな鈴を震わせるような音が響く。

 そちらを見ると赤い木の実を取り合って3体のフェアリーが喧嘩をしていた。

「これはまずい」

 ギンジはバスケットから残りの木の実を取り出すと木皿の方へと駆け寄る。


 すべては一瞬だった。

 木の実から振り飛ばされた1体のフェアリーが怒ったように羽を激しく羽ばたかせる。

 何か甲高い声でさえずると木の実に取りついている2体に向かって魔法を放った。

 ちょうど木皿に木の実を置こうとしていたギンジがその射線上に体を差し込む。

 魔法を浴びたギンジはそのまま朽ち木倒しのように地面に倒れてしまった。


 慌てて駆け寄り助け起こしたギンジの体はぞっとするほど冷たい。

 くそ。フェアリーは何の魔法をかけたんだ?

 異常に魔法抵抗力の高いフェアリー同士ならばちょっとしたおふざけということで済んだのだろう。

 しかし、ギンジはそういう面ではただの人だ。

 完全に魔法の影響を受けてしまっている。


 突然のことに驚いたのかフェアリーは飛び去ってしまっていた。

 彼らならギンジを元に戻せたかもしれないがその望みは無くなる。

 私は魔法を使えない。

 こうなれば望みは1つだった。

 ギンジを治せる者のところに連れていくしかない。

 私はぐったりとしたギンジの膝を曲げ、片足で伸びないように押さえると腕をつかんでギンジの上半身を起こす。

 脇の間に頭を突っ込むと脚に力を入れながら伸びあがり肩に担ぎ上げた。

 

 ギンジの脚を抱えるようにしてだらんと垂れ下がった手首をつかむ。

 教練通りにやったが私が華奢な一般的な女性の体型だったらこんなにスムーズに担ぎ上げられなかっただろう。

 ましてや走ることなんて難しい。

 今まで呪うことしかなかった自分の体に感謝をする。

 元来た道を走り始めた。

 

 いくら走っても間に合うはずがない。

 頭の片隅で理性が語りかけてくる。

 ゆっくり散策していたとはいえ、エルフの集落からフェアリーの池まではかなりの時間がかかっていた。

 深刻な状態異常に陥った人間は早々に手当てをしなければ死ぬし、いくら走っても間に合うはずがない。

 その声に耳を塞ぎながら私は歯を食いしばって走り始めた。

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