第29話 森の中の散策
「あいつ、なんだったんだ?」
「さあな。とりあえず出かけようか」
ギンジに促されて歩き出す。
前を歩くギンジに声をかけた。
「その、今日のためにわざわざ着飾ってくれたんだな。衣装の良し悪しは正直よく分からないのだが、私のために手間をかけてくれたことは嬉しい。逆に私はいつも通りで申し訳ない。いや、決してこれはギンジさんと出かけるのを軽視したというわけではないからな」
「あ、俺もセラムにしつこく言われて変えただけだから、コンスタンスさんは気にしないでほしい。うわべだけでも取り繕えば少しは気後れしないかと思ったけど、コンスタンスさんはいつもの格好でも十分に魅力的なので全然釣り合いが取れないな」
そんなことを言いながら襟と帽子の間に見える首筋を赤くしている。
いい大人の男が見せる姿としては相応しくないのかもしれないが、誰かに強要されてとか、からかい目的ではないことがひしひしと伝わってきた。
私が魅力的なんてありえない。
そんなセリフが口をついて出そうになるのをぐっとこらえる。
「いいですか。コンスタンスさん。せっかく他人が褒めてくれるんですよ。慣れてない人間が誉め言葉を口にするのはすっごく大変なんですからね。それを否定するということは相手の心遣いも否定することになります。にっこり笑ってありがとうと言えばいいんです。分かりました?」
先日、大真面目な顔でリーシャに言われたことを思い出した。
「真に受けて馬鹿にされるのが嫌? そういう下らないことをする人間と、本当にコンスタンスさんを大切に思っている人間、どっちが大切です? ええ、コンスタンスさんは私の恋敵です。でも、私はコンスタンスさんは魅力的だと思いますよ。はい、笑ってありがとう。ほら、やってみてください」
まったく、自分は外見を貶されたことがない女が勝手なことを言ってくれる。
私はむりやり言葉を口から押し出した。
「ありがとう。嬉しいよ」
普段使うことのない顔の筋肉を総動員して口角をあげる。
チラリと振り返ったギンジがすぐに顔を正面に戻した。
「あー。木陰だけど暑いな」
ギンジは帽子を脱いで顔を仰ぐ。
私も顔が熱くて仕方なかった。
しばらく2人とも無言で歩く。
そうこうするうちにギンジの肌の赤みも引き、私もほてりを感じなくなった。
まったく、10代半ばの少年少女じゃあるまいし、どこまで恋愛に不器用なんだと可笑しくなる。
傍目にはみっともないのかもしれない。
私に今まで心無い言葉を浴びせてきた連中はこれを見たら、また悪意に満ちたセリフを投げつけてくるだろう。
でも、今度からはそういうことがあったらぶん殴ることにする。
自分の容姿や魅力について、一朝一夕には自信なんて芽生えない。
けれど、私に好意を向けてくれるギンジの気持ちを揶揄するのであれば、その罪を思い知らせてやる。
私を馬鹿にするということは即ちギンジも馬鹿にするということだ。
絶対に許さん。
ギンジと特に会話をするわけではないが、気まずい思いはない。
しばらくするとさらさらと流れが緩やかな小川が流れている場所に着く。
川幅もそれほどあるわけではないが、一跨ぎできるほどではなかった。
点々と川の中にある石を伝っていけば良さそうだが、苔むして良く滑りそうである。
ギンジは器用に足を踏み出し、川の上の石にバランスよく足を乗せた。
上半身を捻って振り返ると私の方に右手を差し出してくる。
「こんな小川、コンスタンスさんには何でもないでしょうが」
たったこれだけのことだが私にとってはとても新鮮なことだった。
ファラーラ様相手にエスコートすることはあっても、エスコートされることなんて生まれてこの方経験したことがない。
え? ギンジの手を取るの?
手汗がヤバいんだが。
ああ。良かった。いつも通り手袋をしている。
あまり待たせてもとギンジの手を取った。
私が石の上に足を踏み出すと上手く重心移動をサポートしてくれる。
無事に向こう側に渡り終え手を離すが、ギンジは素早く体と捻るとバスケットを持ち替え、私の手を逃がすまいというように左手でつかんでぎゅっと指に力をこめた。
手つなぎで歩くだと?
王都で見かけたカップルの姿が思い出される。
幸せそうにそぞろ歩く2人の後ろに密かに羨望の眼差しを向けていたなあ。
この場のギャラリーは、時おりスイーと飛んでいるフェアリーぐらいで、人間もエルフも居ないはずだが凄く恥ずかしい。
手袋の中の手は水の中に突っ込んだような感じがしているし、コカトリスと戦った時以上に心臓は激しく脈打っている。
純朴そうに見えて意外と女性慣れしてやがるとギンジの方を見たら、やっぱり帽子の縁から見える首筋が赤かった。
勇敢だ、恐れを知らないと褒めそやされてきたけれど、本当の私は自分から手をつなぐことすらできない臆病者だ。
ギンジとて精一杯努力して私の手を取っているのだろう。
そういえばリーシャがギンジはショーワの男だから洗練された愛の言葉は期待できないとかなんとか言っていた。
でも、このふるまいだけで十分だ。
愛の詩なんてささやかれても、どうせ私は気の利いた返事なんてできやしないのだし。
ギンジのこの気持ちにどう応えればいいんだ?
情けないことに何も思いつかない。
気がつけばギンジが気まずそうに私の顔を覗き込むように見ている。
「ちょっと性急だっただろうか?」
「あ、いや、違う。嫌ではないんだ。こういうときにどんな反応をしたらいいか分からない自分が恨めしい」
そろっと引き抜こうとするギンジの手をギュッとにぎった。
ギンジがくっと声を漏らす。
あああ。力比べではないんだから、こんなに強くする必要はない。
エルフ族の手が入った美しい森の中を進んでいく。
鬱蒼と木々が生い茂り薄暗い一角に木漏れ日が光のカーテンを形作る場所や、色とりどりの花が咲き誇る箱庭、蔓が巻き付いた古木のトンネル。
変化に富んだ景色はそぞろ歩く私を飽きさせない。
いや、私にそんな豊かな感受性があるとは思えなかった。
結局のところ、何をするかでは無くて、誰とするかというところが意識に与えるところは大きいのだろう。
大木を回り込むとひっそりと佇む泉が見える。
豊かに湧き出る泉の表面を透き通った羽のフェアリーが舞うように飛んでいた。
淡く発光するその姿が乱舞する姿に息を飲む。
取り囲む木々から響く鳥の鳴き声をバックミュージックに繰り広げられる幻想的な景色に私とギンジはしばし見とれるのだった。
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