第9話 交渉

「売り上げの3分の1も払ったら飲食店は成り立たねえ。親分さんもそれくらいは分かってらっしゃるでしょ? そんなに払ったら仕入れもままならない」

 ボスは椅子の背もたれに体を預けるとせせら笑う。

「ほう、俺に商売の仕方を講釈しようってのか。それを何とかするのが腕の見せ所だろ。それをしないで文句を言うってのは工夫が足りねえんだ。頭を使え、汗をかけ。それが商売ってもんだろう」


「やば。発想が完全にブラック企業だわ」

 すぐ横でリーシャが小さく呟いた。

 声に滲む嫌悪感からするとブラック企業というは相当な悪の組織らしい。

 ギンジが穏やかな笑みを浮かべたまま頭を掻いた。

「そうは言ってもねえ。さすがにその条件ではちょっと無理だ。で、俺も事を荒立てたくはないからさ。その条件の代わりに10パーセントってとこでどう? 粗利で」

 タンシルの町を仕切るボスは紳士の仮面をかなぐり捨てる。


「ふざけるんじゃねえや。テメエにできるのは金で払うか、他のもので払うかを選ぶことだけだよ。さっさと決めやがれ」

 ギンジは諦め顔で私を振り返った。

「常識的な条件を出したつもりだったんだがなあ。これ、俺悪くないよね。コンスタンスさん。誤解があったらいけないから念のために聞くけど、これって交渉決裂ってことだよね?」

「そうなるな。誤解の余地なく決裂だよ。非常に残念なことながら」

 ボスはヒューイにがなる。

「こいつら自分の置かれている立場が分かってないみたいだ。少し教えてやれ。顔は傷つけるなよ」

「了解です」

 ヒューイは顎をしゃくった。

 それを合図に下っ端と共に三方から襲いかかってくる。


 ぶべら。

 変な声を発して壁と熱い抱擁を交わす男は捨ておき、もう1人を蹴りとばす。

 後はギンジに任せてファラーラ様とリーシャを部屋の隅に避難させた。

 2人を背に向き直ると、ヒューイがギンジを無視して私に向かってくる。

 手には長いナイフを握っていた。

 すかさず前に出て、ヒューイがナイフを振りかざした隙に顔をぶん殴る。

 ヒューイは目を回して伸びた。

 ふう。スッキリ。


 ボスの方を見るとまっ青な顔をして両手を上げている。

 その首筋には馬鹿でかい針としか言いようのない刃物が突きつけられていた。

「こんなことをしてただで済むと思ってるのか?」

 ボスが食いしばった歯の間から言葉を絞り出す。

 ギンジの目には危険な光が宿っていた。

「どこの世界もこういう輩は言うことが一緒だね。ここは降参して助命を願う一択でしょ。ラストチャンスを無駄にしたので仕方ない」

 細い刃は首から下顎を避けるようにして突き上げられた。


 ボスの頭がガクリと垂れる。

 ギンジは襟で刃を拭いながら大針を引き抜いた。

 うわあ、えげつな。

 どうも端々から感じる雰囲気に堅気の人間じゃないと思っていたけど、やはり裏社会に片足を突っ込んでいるらしい。

 それにしては表情に陰がないんだけどな。


 ギンジは片手の指を揃えて垂直に立てると頭を垂れる。

 よく分からないが死者を悼む仕草のようだ。

 3つ数えるほどその姿勢でいた後、ギンジはすぐに体を起こすと床に伸びているヒューイに近付き上半身を持ち上げる。

 膝を肩甲骨の間に入れぐいと両肩を引いた。

「う……」

 ヒューイが意識を取り戻す。

 前に回るとギンジは頬をピシャピシャと叩いた。


「やあ、ヒューイ。お前のボスは死んだ。ヘマをしたお前さんは良くて降格、悪くすれば見せしめに吊される。こういう組織じゃそういうもんだろ?」

 ギンジはヒューイの頭に言葉が浸透するのを待つ。

「そんなお前さんを俺の配下にしてやろう。嫌ならそれでもいい。5数える間待ってやる。5、4、3、2、さて、答えは?」

「分かった。あんたの配下になる」

 ギンジはいい笑みを見せた。


「能書き垂れていたお前さんの元ボスより状況判断ができるようだ。気に入ったよ。それじゃ、初仕事だ。下にいる連中に同じ選択をさせてこい。服従か死か、だ」

「俺の部下を連れていってもいいよな?」

「ああ。もちろん」

 ギンジはヒューイと同様にして2人の意識を取り戻させる。

 下っ端2人は首を振りながら立ち上がると、名前も聞かないままお亡くなりになった元ボスの死体を見て震えあがった。


 ヒューイは2人に命令する。

「おい。覚悟決めろ。他の奴らをこちらの親分さんの部下になるように説得する。話を聞かねえようなら、構わねえ、ぶちのめすんだ。俺たちが生き延びるにはそれしかねえんだよ」

「あ、兄貴」

「本気ですか?」


「お前らだってステイブル一家のやり方は知ってるだろうが。ボスを殺された間抜けな俺たちは殺される。やるしかねえんだよ」

 ヒューイが手下を連れてドタドタと部屋を出て行く。

 その後ろをなにくわぬ顔でついていくギンジに声をかけた。

「1人で大丈夫か?」

「ああ、たぶんな。巴御前に出張ってもらうほどじゃない」


 ギンジは手を振るとトモエゴゼンとは何か聞き返す前に部屋から出ていく。

 外からは調子外れの口笛が聞こえてきた。

 まったくイカれてやがる。

 まあ、そんな男でもなければ、ファラーラ様が窮状を脱出するのにはダンゴムシほども役に立たない。

 敵にも温情を、などということをほざけるのは自分が有利なときだけである。

 この状況に必要なのは狂気にも似た覚悟が決まった男だった。

 つまり、ギンジのようなやつである。


 戸口の方を見ていると横合いから声がかかった。

「ギンジさんはコンスタンスさんを巴御前になぞらえているんですね。言われてみればその通りかも」

 なんとなくリーシャに聞くのが嫌で黙っていると代わりにファラーラ様が質問する。

「そのトモエゴゼンというのはどんな方なの?」

「えーとですね。凄く強かった女性なんです。木曽義仲っていう武将の部下で、義仲を助けて大活躍するんですよ」


 なんだ、そういう枠か。

 はい、はい。どうせ私は汗くさいマッチョな大女ですよ。

 途端に話に興味を失った。ギンジが討ち漏らしたのが中に入ってくると面倒なので戸口を固めようとする。

「しかも、すっごい美人なんですよ。義仲ともラブラブで……」

 早口でリーシャがトモエゴゼンの話を始めた。

 ちょっと興味があるがそれどころではないな。

 ギンジは手助けは不要と言っていたが、階上から威圧ぐらいはしてやるかと私は足早に部屋を出ていった。

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