果てしなき戦い

三鹿ショート

果てしなき戦い

 この世界において、安全な場所など存在していない。

 皆無に近い可能性だが、外を歩いている中で通り魔に襲われてしまうことや、自宅に隕石が落ちてくることも考えられるのだ。

 それでも、多くの人々は、そのような可能性の低い出来事など起こるわけがないと考えているのか、怯えることなく、日々を過ごしている。

 あらゆる可能性を考え、それら全てに備えながら生きることは、難しいからなのだろう。

 だが、彼女が思考を停止させることはなかった。

 彼女は、愛する人間に危害を加える恐れがある人間を、次々と始末していたのである。

 被害者は、いずれも性質の悪い人間ばかりであるために、正直に言えば、彼らが消えて喜ぶ人間の方が多い。

 しかし、彼らが彼女の愛する人間に対して必ず危害を加えるのかと問われれば、即座に首肯を返すことはできなかった。

 もしかすると、心を入れ替えて、善行を重ねる未来も存在していたのではないか。

 私の疑問に対して、彼女は表情を変えることなく、

「そのような仮定の話をするのならば、私の愛する人間を傷つける未来もまた、存在するかもしれないでしょう。それならば、私はその危険を排除するために行動するだけなのです」

 彼女は、地面に倒れていた男性の頭部に刺さっていた鉈を引き抜くと、今度はそれを腹部に何度も叩きつけていく。

 男性が反応を示していないことから、どうやら既にこの世を去っているのだろう。

 吐き気を催しながらも、その場から去ることができないのは、私が逃げてしまった場合、私の恋人の生命を彼女に奪われてしまうからだった。

 彼女の犯罪行為を目撃したときから、私の人生は、彼女に支配されてしまったようなものだったのである。

 彼女は男性の体内から臓物を取り出すと、それらを地面に置き、次々と踏み潰していった。

 しばらくそのような行為を繰り返した後、彼女は息を吐くと、

「今日のところは、これで終わりにしましょうか」

 顔面に付着した血液を拭いながら、彼女はそう告げた。


***


 彼女が愛しているという人間を、一度だけ見たことがある。

 多くの異性の目を引くような佳人ではなく、同時に、その人間には家族が存在していたことから、私は首を傾げた。

 自分のものではないにも関わらず、何故その手を赤く染めることができるのだろうか。

「たとえ、愛している人間が自分の恋人や結婚相手ではなく、その笑顔が自分に向けられることがなかったとしても、人生に絶望してしまうかのような出来事に遭遇したことで不幸と化してしまうことは、避けたいのです。あの人が愛する人間と共に幸福そうな表情を浮かべているところを見るだけで、私もまた、同じような気持ちと化すのです」

 自動車の外を流れていく景色を眺めながら、彼女はそのような言葉を吐いた。

 直接的な見返りが無いにも関わらず、ここまでの犯罪行為に及ぶことができることを思えば、彼女の愛情というものは、海よりも深いものなのだろう。

 では、私が自分の恋人のために彼女のような行為に及ぶことができるのかと問われれば、首肯を返すことは不可能だった。

 何故なら、愛する人間に対して危害を加える可能性がある人間たちを排除し続けるという行為には、明確な終わりが存在していないからだ。

 それほどまでに心配ならば、愛する人間を何処かに閉じ込めておけば良いのではないかとも思ったが、彼女いわく、それでは愛する人間が息苦しさを覚えてしまうために、そのような行為に及ぶことは避けたいということだった。

 確かに、相手が傷つくことを避けるためとはいえ自由を奪ってしまえば、それは幸福を感ずるような状況ではないだろう。

 ゆえに、彼女は、終わりの無い戦いに身を投じているというわけなのだ。

 彼女の愛情の深さには感心するが、その行為については、賛同することはできなかった。

「私は、他者の賛同を求めているわけではありません。自分が納得することができるかどうかが問題なのです」

 迷いの無い瞳で、彼女はそのような言葉を発した。

 何にせよ、自分の恋人のためには、彼女を止めることはできないのである。

 それから私は、無言で自動車の運転を続けた。


***


 彼女が愛していた人間がこの世を去ったという報道を目にしたとき、彼女はどのような選択をするのだろうかと気になった。

 彼女の自宅へと向かうと、其処には、首を吊っている彼女の姿が存在していた。

 手遅れであることは、知識の無い私でも分かる。

 彼女がこの世を去ったのは、愛する人間が存在していない世界など無意味だと考えたためだろう。

 彼女が愛していた人間がこの世を去ることになった理由は、結婚相手の裏切り行為に衝撃を受けたことによる自殺だということだった。

 つまり、これまでの彼女の行為は、無駄だったということになるのである。

 何とも哀れな話だったが、彼女がこの世を去ったことで私の懸念が消えたために、それを喜んでいる自分が存在していた。

 だが、結局、彼女は何のために生きていたのだろうか。

 笑顔で食事を進める恋人を眺めながら、私はそのようなことを思った。

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果てしなき戦い 三鹿ショート @mijikashort

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