第16話 犯人X、その名は――
暗い夜道を男はひた走る。
後ろから近付いて来る足音に怯えながら、震える足を叱咤させて走る。
怖い、怖い、怖い。
恐怖が全身を支配する。
思考と身体が恐怖に染まり、息が荒くなる。
身体は言うことを聞かずに何度も足をもつれさせる。
「はぁっ、はあっ……! なん、なんだよ……っ!! くそ……!!」
悪態を付きながら必死に手足を振る。
不格好な走り方では思うように速度も出ないけれど、男は冷静さを欠いているのでそれを修正しようとも考えない。
そうして、男が行き着いた先はとある廃工場。
使用用途不明のコンテナや、朽ち果てた重機がそこらに我が物顔で鎮座している。
人の気配の一切がしない廃工場は、人間達に忘れ去られた金属達の墓場でもあった。
肝試しにはうってつけである廃工場だが、好き好んで寄ろうとは思えない場所だ。それ程、廃工場は薄気味が悪かった。
しかし、今回ばかりは男にとってこの廃工場は都合が良い。なにせ、身を隠せる場所が多いのだ。ここで難を凌げば生き残れる。
そう思った男がコンテナの影に隠れようとしたその時、後ろから衝撃が男を襲う。
衝撃を自覚したときにはすでに遅く、男は追跡者に組み伏せられていた。
「ようやく捕まえた」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
低く冷たい声音に、男は情けなく引き攣った悲鳴をあげる。
逃げようともがくが、組み伏せる力が強く、男はその場から逃げられない。
「は、離せぇ!!」
「じっとしていろ。それとも、無理矢理動けないようにした方がいいか?」
冷たい追跡者の声に、男はもがきながらも自らの死を悟った。
自分はここで死ぬ。ここで、終わる。
しかし、諦観した理性とは真逆に、本能は生きようともがく。
そんな男を鬱陶しそうに眺める追跡者は、男を黙らせようと拳を振り上げる。
が、その拳は振り下ろされることは無かった。
「間に合ったようで良かった」
「――っ!」
追跡者と男しかいないはずの廃工場に、誰もが予想もしていなかった第三者の声が響く。
追跡者は声の方を見やる。
そこには、少しだけ大人びた、けれど、年相応に幼さの残る少年が立っていた。
少年は、笑顔でも、悲しそうな表情でもなく、ただ間に合ったことにほっとしたような顔をしていた。
そして、少年は真剣な表情になって言った。
「間に合って良かったよ、仁さん」
「……深紅くん」
互いが互いの名を呼び合う。
追跡者――花河仁は、心底驚いたような顔で深紅を見た。
仁の驚愕した顔を見た深紅は、ふっと柔らかい笑みを見せた。
間に合った。現場に到着した俺は、心底間に合ったことに安堵した。
橘に電話をしたときは、もうすでに動き始めていると聞いていたので、もしかしたらもう手遅れになっているかもしれないと焦ったけれど、どうにか間に合ったみたいだ。
完全に場違いな俺の存在に、仁さんも仁さんに組み伏せられている男も、驚いたように俺のことを見ていた。
「間に合って良かったよ、仁さん」
「……深紅くん」
仁さんが驚いたように俺の名を呼ぶ。
どうしてと仁さんの言外の問いを理解した俺は、安堵の笑みを浮かべながら言った。
「橘さんに聞いて来たんだ」
「……なるほど。そういうことだったのか」
俺の答えを聞くと仁さんは苦々しげに言葉を絞り出す。
が、すぐに真面目な表情になると、厳しい声音で言う。
「これは君みたいな子供が首を突っ込んで良いことじゃない。今からでも遅くない。家に帰るんだ」
「できない」
「子供の遊びじゃないんだぞ!!」
「俺だって、遊びでこんなことはしない」
「……なら、君は真剣に考えたうえでこの場にいる、と?」
「ああ。俺は、俺がしなくちゃいけないことをするためにここに来たんだ」
仁さんの表情が曇る。
悔しげに顔を歪め、歯を食いしばる。
「橘さんから全てを聞いたのだろう?」
「ああ」
「なら、なおのこと分からない。これは君が関わらなくていいことだ。わざわざ君が直視しなくてもいいことだ」
「そうもいかない。俺はもう関わった。直視した。なら、ここからもう逃げられないし、目をそらすこともできない」
「今から引き返すこともできる! 君みたいな子供が見るべきものじゃない!」
「違うよ、仁さん。俺が子供でも、大人でも、変わらなかった。俺が和泉深紅である以上、俺は目を逸らせないんだ」
そう。例え俺が一般人でも変わらない。俺はこの件から逃げられない。関わってしまった以上、俺が止めたいと思ってしまった以上、俺はこの件から逃げられない。
「だが――――っ!?」
仁さんが言葉を募ろうとした瞬間、仁さんは組み伏せていた男を無理矢理投げ飛ばした。
直後、仁さんに黒色の炎の玉が直撃した。
「仁さんッ!!」
爆発し、きりもみしながら吹き飛ぶ仁さんを、俺は慌てて回り込んで受け止める。
「ぐっ!」
人一人分の重さと爆発の威力に後押しされた威力に襲われる。
足が耐え切れず、俺は仁さんと一緒に吹き飛ぶ。
二回ほど地面に身体を打ち付けられ、数メートルほど無様に転がってようやく止まる。
「仁さん……大丈夫……?」
「あ、あぁ……」
咳込みながら仁さんの安否を確認すれば、仁さんから返事が返って来る。けれど、その声は弱々しく、意識を保つのが精一杯だということが伺えた。
俺は仁さんを優しくその場に寝かせると、目の前の存在と対峙する。
黒色の炎を纏うそれは、悠然と俺を見た。
分かっていた事だけれど、俺は胸が締め付けられる。
「……やっぱり、そうだったんだな」
俺が言えば、それはぱちぱちと拍手をした。
「さすがだね。凄く嬉しいよ」
本心からの言葉なのだろう。その言葉に偽りの色は見えない。
だからこそ、俺は悲しい。
「いや、全部教えてもらったことだよ。俺一人じゃあなにも分からなかった」
「じゃあ、知り合いの刑事さんに聞いて来たのかな?」
「ああ。俺にとって、この事件はミステリーじゃなくてサスペンスだからね」
「残念。
おどけたようにそれは言う。
いや、もう誤魔化す必要なんて無い。誤魔化しがきかないほど、目の前の存在の正体は明らかなのだから。
「俺も、残念だよ。連続殺人犯の正体が、
「うん、わたしも、残念だよ」
俺の言葉に、緋姉は心底残念そうに頷いた。
黒色の炎に包まれた緋姉の容貌は普段と違っていた。
赤黒い髪の毛をポニーテールに結び、ワンピースタイプの服に身を包み、所々に鎧を付けていた。全てが赤黒い色で形成され、鎧の各所に浮き出た血管のように真っ赤な筋が走っている。
スカートのスリットから覗く脚に露出は少なく、膝上までを完全に鎧で覆っており、それは両腕も同じだった。
それは、およそヒーローとも魔法少女とも呼べる容貌ではなかった。
人は彼女の姿を見たら、こう言うだろう。
「緋姉……」
緋姉には絶対に相応しくないその姿に、俺は思わず声を漏らす。
「ああ、この姿? ふふっ、これでもわたし、魔法少女なんだよ?」
言って、くるりとその場で回る緋姉。
ふわりと広がるスカートにも、尾を引くポニーテールにも俺の心は揺れない。ただただ、虚しかった。
魔法少女と緋姉は言うけれど、俺の知る魔法少女とは掛け離れすぎている。
およそ魔法少女らしくないブラックローズの綺麗な黒と比較しても、緋姉の黒は禍々し過ぎた。
「あー、信じてないなぁ? これでもちょっと前まではこんな色じゃ無かったんだよ? それはもうしんちゃんにも負けない程の綺麗な赤だったんだよ?」
いつも通りの明るい緋姉の仕種と表情を見る度に、胸が締め付けれらるほど痛む。
俺は間に合った。緋姉を止めるためにここまで来た。けれど、いざ緋姉と対峙すると、俺の決心は鈍ってしまう。
止めたい、けれど、戦わなくても良いのではないかと思ってしまう。
俺にそう思わせるほど、緋姉は常の通り明るいのだ。
「あ、そうだ。せっかくだから、しんちゃんの推理が聞きたいな! 教えてもらったって言っても、全部じゃないんでしょ? どこまで分かったのかな?」
いつも通りお喋りをするように言ってくる緋姉。
俺は、律儀に緋姉の質問に答える。
「俺が気付いたのは、被害者が前科持ちなのに全員裁判で無罪になっているっていうところだ。少なくとも、被害者は二度は何か罪を犯している。気付いたのはそこだけだ。後は突拍子も無い妄想だった。緋姉のお父さんが弁護士だったことを思い出したんだ。被害者が全員、緋姉のお父さんが無罪に持って行った人達で、その後に再び罪を重ねたんじゃないかって思った」
本当に突拍子も無い妄想だ。
小説の読みすぎだって言われても仕方がない程に。けれど、そう考えると、辻褄が合わなくも無いのだ。
「ふふっ、やっぱりそうだったんだ。ちょこっとヒントを残したかいがあったよ」
緋姉は嬉しそうに笑う。
「後は、橘さんに聞いた。後、姉さんに教えてもらった。姉さんは、俺の話を聞いただけで、緋姉が犯人って分かってたみたいだけど」
「さすがは真由里だね。真由里は昔から頭の回転が早かったからねぇ。その分だと、その刑事さんの思惑にも気付いてた?」
「ああ。全部察してたと思う。ただ、緋姉が犯行を重ねる理由は知らないと思う」
「まあ、さすがにそこまでは分からないよね」
俺達は緋姉の背景を知らない。だから、緋姉の動機は分からない。
「緋姉、なんでこんなことを……」
「う~ん、話すと長いんだよねぇ」
とぼけるように言う緋姉に、俺は黙って視線を向ける。
俺の視線を受け、緋姉は困ったように笑うと、観念したように口を開いた。
「さっきしんちゃんが言ったことは本当だよ。無罪と有罪には前後があるけど、父さんはこいつらの裁判で無罪を勝ち取ったよ」
前科を持っている人を無罪にしたのと、無罪にしてから再犯をして有罪判決を受けた人と、差はあるけれど、俺の妄想も大方間違えてはいなかったようだ。
緋姉の独白は続く。
「父さんは立派な人だった。無実かもしれない人を全力で守る。そんな崇高な意思を持って父さんは弁護士として戦った。わたしにとって、父さんは憧れだった」
緋姉の瞳が悲しく揺れる。
俺にとって父さんは父さんだ。尊敬はするけれど、憧れるというまでにはいかない。けれど、家族として父さんが好きだ。他の俺くらいの歳の子も、大体が俺と同じことを思うだろう。
しかし、緋姉にとって父親は憧れの対象であったようだ。
弁護士であり、弱い人のために戦う父親は、彼女にとってヒーローのように写っただろう。
「でも、そんな父さんを、世間やこいつらの被害者や被害者遺族達は、金と名声欲しさに弁護をする偽善者だと罵った」
緋姉の瞳に怒りの炎が燈る。
眉根を寄せ、厳しい目つきで仁さんに吹き飛ばされた男を睨む。
「けど、それは仕方の無いこと。被害者や被害者遺族にとっては、相手側に着く人は誰であれ憎く見えるに違いないから。父さんもわたしも、それは覚悟してた。けど、世間はそうじゃなかった。正当な怒りなら、わたし達もまだ耐えられたんだ……」
その瞳が睨むのは男だけではない。ここにはいない、誰かにも向けられていた。
「メディアは面白おかしく父さんを叩いて、否定した。まるで、父さんが悪いみたいに、父さんの善行を否定した」
怒りの炎はやがて憎しみの炎になり、その色を黒く変色させていく。
「それも、父さんは仕方ないと笑った。父さんがなにも言わないのなら、わたしが何かを言うのは筋違い。そう思って黙ってた。けど、それが間違いだった」
憎しみの炎が激しく燃え上がり、それは身体を蝕んでいく。
「ある日家に帰ると、父さんが首を吊ってた。わたしは、ああ、耐えられなくなっちゃったんだって悟った。それが分かっても、もう遅いっていうのに……」
身体は黒い炎で満たされる。しかし、黒い炎は身体を燃やすだけで留めてくれない。
「母さんが病気で死んじゃって、父さんの心の支えはわたしだけだった。だから、本当はわたしが父さんを支えてあげるべきだった。けど、わたしは支えきれなかった。唯一人の家族なのに……」
黒い炎が身体から溢れ出し、炎は敵意となって襲いかかる。
「わたしはわたしが許せない。父さんを支えられなかったわたしを……でも一番許せないのは……!!」
言いながら、緋姉が手を振る。
黒色の炎が飛び出し、みっともなく地面を這ってこの場から離れようとしていた男の目前に着弾する。
男が、情けない悲鳴を上げる。
「守られるべき弱者を装ってのうのうと守られてたこいつらよ!! 父さんが耐えなければいけなかった痛みをずっと与え続けたこいつらよ!!」
緋姉は炎を飛ばす。
男には当たることは無く、ただ近くの地面をえぐり、コンテナに穴を開ける。
「のうのうと生きるこいつらが憎くて、殺して回ったの。父さんを傷つける棘を、一本ずつ燃やしていったの」
緋姉は俺の方を向く。
その目はこの間までのような優しさは無く、ただ目的を達成するのに邪魔な相手を見るような目だった。
「ねえしんちゃん。しんちゃんは、わたしの邪魔をするの?」
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