第15話 この物語に必要なのは、主人公である
家に帰り、自室のベッドに腰掛ける。
いつもは家に帰ってくれば落ち着くのに、今は落ち着かない。
一人でいると考え事ばかりが頭を
どうするかと悩んでいると、扉がこんこんとノックされる。
「深紅、帰ってる?」
扉越しに聞こえてきたのは姉さんの声。
「ああ」
「じゃあ、入るね」
俺が短く返せば、入って良いかも聞かずに扉を開ける。
なんの躊躇もなく部屋に入ってくる姉さんに俺は湿った目を向ける。
「俺が着替えてたらどうするんだ?」
「今更裸の一つや二つ見たってなにも思わないわよ」
「いや、俺が嫌なんだが?」
「わたしだって見られるのは嫌よ」
「じゃあ俺の気持ちを汲んでくれても良くない?」
「それはそれ、これはこれよ」
「どれがそれでどれがこれなんですかねぇ……」
横暴な姉さん理論に思わず溜め息が出る。
「で、なにか用事?」
俺がこれ以上の問答は無駄だと諦めて聞けば、姉さんは俺の顔を見てふっと鼻で笑ってから言った。
「男前になってるじゃん」
ちょんちょんと碧に殴られた方の頬を指で示しながら言う姉さん。
俺はバツが悪くてそっぽを向く。
「碧に殴られたんだって?」
「……誰から?」
「碧から」
「あいつ……」
人が聞かれたくないことをあっさり話しやがって……。
「碧、相当怒ってたね。あんたが帰ってくるまで電話の相手大変だった」
まあ、ほんの数十分だったけどと、それでも疲れたように息を吐きながら言う姉さん。
「悪いな、迷惑かけたみたいで」
「今更でしょ、そんなの。昔っからあんた達二人はよく喧嘩したじゃない」
喧嘩。喧嘩ねぇ。
その表現はしっくり来ない。なにせ、今回ばかりは完全に俺が悪いのだから。
「喧嘩じゃねぇよ。今回は俺が馬鹿やったって話しだ」
「だろうね。碧が手を出すなんてよっぽどだ。黒奈を突き飛ばしたんだって? それも派手に」
「あいつ、そんなことまで……」
この分だと恐らくいきさつの全てを話しているに違いない。元々全てに正直に答える気でいたが、俺は改めて観念した。
「ああ、そうだよ。突き飛ばした」
俺の言葉を聞いて、姉さんの目がすっと細められる。
「なにがあった……なんて聞かないけどね。あんた、自分がなにしたか分かってる?」
「ああ、分かってるよ」
そこら辺は散々碧に言われたし、黒奈にも言われた。
冷静になれば、俺に非があったことを認められた。
「どうあれ、心配かけた俺が悪かった。突き飛ばしたのは……完全に八つ当たりだった」
「そう。あんたが分かってるなら良いわ。わたしから言うことは特に無し」
言いながら細めた目を戻す姉さん。
「けど、母さんがすっごく怒ってる」
「母さんに話したのか!?」
「違う。碧の電話を受けたのがリビングだったの。碧の声が大きいものだから、隣にいた母さんに丸聞こえだったわけ」
段々無表情になってく母さん怖かったわぁと人事のように言う姉さん。いや、実際に人事か。怒られるのは俺だし。
普段は温厚な母さんだが、怒るとめっぽう怖い。特に、母さんは幼馴染みの中でも、黒奈をいたく気に入っており、遊びに来るとよく可愛がっていた。
贔屓をするとは違うけれど、黒奈をよく膝の上に乗せていたのは憶えている。
今でも黒奈が来ると喜ぶほどに、母さんは黒奈を気に入っている。自分のお気に入りである黒奈が馬鹿息子によって傷つけられたのだ。そりゃあ温厚な母さんも怒るというものだ。
「後でリビングに来いってさ。父さんもちょっと怒ってた」
「まじか……」
「まあ、諦めなさい。あんたが蒔いた種なんだから」
「ああ……」
どう足掻いても俺は怒られる運命にある。なら、逃げるのではなくもう覚悟を決めたほうが良さそうだ。
「はぁ……気が重い……」
「自業自得。……それで? あんたなにを悩んでたの?」
「ああ……ちょっとな」
「ちょっとじゃわからないでしょうが。母さんに怒られる前に、話しちゃいなさいよ」
「いいよ。これは俺の問題だし」
「そう言って溜め込んだ結果、黒奈に八つ当たりしたわけでしょう?」
「ぐっ……」
確かに。自分で解決しようと躍起になっていたのは事実だ。そして、出られない袋小路に迷い込んでしまったのもまた事実。
一度、誰かに話してしまった方が楽なのかもしれない。
そう考えてしまえば、俺の口はあっさりと開いた。
「わかったよ。実は……」
その先は、すらすらと口にすることができた。俺が思っている以上に、俺は一人で抱え込むことに疲れていたらしい。なんの滞りもなく出てくる言葉に、俺の方がびっくりした。
そして、簡潔に全てを言い終えると、俺は一つ息を吐いた。
「これが、俺が抱えてたことの全部だ」
「はぁ……あんたねぇ……」
俺の話しが終われば、姉さんは盛大に溜め息を吐いた。
頭に手を当てて、呆れたように首を振る。
「あんた、中学生……というか、子供の領分を超えていろいろしてた自覚ある?」
「ある……と言えば嘘になる。正直、色んな事に苛立ってて考えてなかった」
「だと思った。あんた溜め込むタイプだからね。それに、色々な要因が重なって躍起になった感じ?」
「ああ」
「本当に……お馬鹿……」
二度目の溜め息を吐く姉さん。
俺は言い分けのしようも無いので黙ってその言葉を受け止める。
「まあ、今更そんなこと言っても仕方ないわね。もう関わっちゃったわけだし。それで? あんたはどうしたいわけ?」
「どうって?」
「これからのことよ。全部諦めて、全部終わるまで泣き寝入りするの? それとも、最後まで諦めないでやるだけやってみるの?」
姉さんの言葉に俺は少なからず驚く。
姉さんの言いぶりなら、俺がこれ以上この事件に関わるのは止めるかと思ったからだ。
「いいのか? 俺がこれ以上この件に関わって?」
「全部中途半端に終わって、結局自分はなにもできなかったって腐られるよりはマシよ。腐り物と一緒にいなくちゃいけないなんて嫌よ」
「腐り物て……」
「で? どうするの?」
姉さんが答えを促して来る。
俺は、考える。
が、考えようとしたところで、顔をがっと思い切り掴まれた。
「なっ、なに!?」
「わたしはあんたの理性の話をしてるんじゃないの。あんたの本音の話をしてるの。この話、考えなきゃいけない程こと?」
嘘偽りの無い姉さんの真剣な言葉。
その目は格好つけた色も、無理をしている色も無い。純粋に、この事件にけりを付けるのかどうかをたずねて来る。
俺は考えることなく言った。
「俺は、このままでなんて終われない。終わりたく無い」
そうだ。このままじゃ終われない。だから俺はどうにかできないか考えてたんだ。どうにかしたいと苦悩してたんだ。無理を押し通してたんだ。
俺の嘘偽りの無い答えを聞いた姉さんは、ふっと笑む。
「なら、なにをするのかなんて簡単なことでしょ?」
「簡単だけど、確証が……」
「あら、確証が無いなら得れば良いのよ。丁度良い情報源がいるじゃない」
「え、誰?」
「刑事の知り合いよ。橘……だっけ? そいつから全部聞き出しなさい」
「いや、でも、相手は刑事だぞ? 情報流してくれるか?」
「あっちが利用したんだからこっちだって利用してあげれば良いのよ。それに、あんたの話を聞く限り、その橘って刑事はあんたに協力的なはずよ」
「え、どこが?」
俺を利用して囮にしようとした人だぞ? 全体的に苦手な人だが、頭はよく切れる人だ。
俺の疑問が顔に出ていたのか、姉さんは説明をしてくれた。
「その橘って刑事は、なんであんたに協力を求めたと思う? 未成年であるあんたに」
「それは、俺がそこらのヒーローよりも有名だからだろ? 俺が噂を集めてると知れば、噂になる。噂になった俺を、犯人が襲いに来るのを狙うって流れで――」
「ハズレ。及第点もあげられないわね」
俺の言葉を遮り、姉さんが辛口評価を告げる。
「じゃあどういう意図があって?」
「まず、その話には二つ欠点があるわ」
「欠点……?」
「そう、欠点。まず一つは、犯人が絶対にあなたを襲わないこと。徹底的に証拠を隠している犯人が、なんでわざわざ身バレの危険を犯してまであんたを襲うの? 意味ないでしょう? 痛くない腹を探られたって、犯人は無視を決め込めばいいだけの話なんだから」
「確かに……」
そうだ。確かにその通りだ。俺を襲ったところで犯人にはリスクしかない。徹底的に証拠を隠してきた犯人がそんな無意味なことをするはずが無い。
「次に、囮のあんたに誰一人監視がいないこと」
「いや、それは俺が気付いてないだけってことも……」
こう言っちゃ情けないが、俺は事件に巻き込まれてから注意力が散漫になっている。尾行や監視に気付かなくても不思議じゃない。
「馬鹿ね。殺人事件にヒーローとは言え未成年に協力を仰ぐわけないでしょう。恐らく、あんたに協力を仰いだのは橘って刑事の独断よ。橘って刑事も言ってたでしょう? お願い事だって」
「言われてみれば……」
記憶を辿ってみれば、確かにあの時橘は依頼とは言っていなかった。
「それに、あんたに見せてもらった連絡先のメモ。これ、レシートの裏の走り書きでしょう? 正式な物なら、もっとちゃんとしたものに書くわよ。恐らく、たまたまあんたを見て閃いたんでしょうね」
確かに、ちゃんとしたものに書けとは思ったけれど、そんなふうには考えたことも無かった。
「だから、あんたは囮になんてならなかった。まあ、餌って言う点では、あんたは重要な囮だったんでしょうけどね」
「餌? ちょっと待ってくれ。さっきから姉さん、やけに物知り顔だけど、もしかしてこの事件の真相に気付いてるんじゃないか?」
「真相かどうかは知らないけど、大方の流れは理解してるつもり」
「本当か?!」
姉さんの言葉に、俺は過剰に反応してしまう。
俺があれこれ考えてもわからなかったことを、姉さんは俺の話を聞くだけで理解してしまったのだ。反応をするなという方が無理だ。
「教えてくれ! この事件の真相を!」
食い気味に姉さんに聞けば、姉さんは鬱陶しそうに俺の頭を叩いた。
「馬鹿ね。それをするのはわたしの仕事じゃないわよ。それに、あんたの仕事でもない。真相究明なんて警察に任せればいいのよ」
「じゃあ、俺はどうすればいいんだよ?」
姉さんが俺を焚きつけたと言うのに、真相究明は俺の仕事ではないという。
じゃあ、俺はなにをすべきなんだと当然の疑問が沸き上がる。
「緋日が言ったんでしょう? 物語を終わらせるのが主人公の仕事だって」
「あ、ああ。言ったけど……それがなんなんだ?」
俺はその話にいまいちピンと来ていない。
「姉さん、教えてくれ。いったい、どういう意味なんだ?」
心底情けないと思う。こうして教えを乞うことしかできないのだから。けれど、今は自分の情けなさはどうでもいい。姉さんがここで緋姉の言葉を引き合いに出すと言うことは、少なくとも緋姉はこの事件の真相に気付いていたということだ。けれど、緋姉はそれを話してくれなかった。なら、俺が気づけていない事があるということだ。
俺の言葉を受け、姉さんは神妙な顔もちで言った。
「いい、深紅。あんたが読んでるのは
「は? それって同じ意味じゃ……」
「厳密には違うわ。説明は省くけど、サスペンスは必ずしも推理が入るわけじゃないの。事件を解明できれば、サスペンスはそれで成立するの」
「そうなんだ……」
「ともかく、あんたは勝手に推理小説を読んでる気になってるだけ。話しはもっと単純よ。推理する必要も無いくらい、証拠はすでに提示されてるの」
「それを今から考えろって?」
「いいえ。言ったじゃない、サスペンスだって。それも、二流三流の脚本家が書いた、ね」
「姉さん、遠回しに言うのを止めてくれ」
「要するに、全部の事情を知っているあなたの協力者に聞けばいいのよ」
「……それが、橘さん?」
「ええ。電話すれば、すぐに全部話してくれるはずよ」
橘が全部知ってる? それに、全部話してくれる?
全く話しが繋がらない。いったいどういう意味なんだ?
俺が困惑していると、姉さんが言う。
「わたしが言えるヒントは、後三つ。警察は犯人の全部を知っている。でも犯人の情報は流れない。そして、話の主人公はあなた。以上よ。後、あえて付け加えるなら、この話に探偵は必要ない。必要なのは、物語を終わらせる主人公だけ」
それだけ言うと、姉さんは部屋から出て行こうとする。
出て行く寸前、姉さんは振り返って言った。
「まあ、推理する必要なんてもう無いでしょ? あなたの答えが出てるなら、ね」
それだけ言うと、姉さんは部屋から出て行った。
姉さんがいなくなって、部屋に静寂が訪れる。
……姉さんの言う通りだ。事件の答えは出ていなくても、俺の答えなら出てる。
俺が引っ掛かりを覚えた荒唐無稽な妄想も、姉さんの話を聞いて憶測までにはなった。
憶測になったのなら、もう迷う必要ない。それに、俺はどうやら探偵ではないらしい。なら、裏技でもなんでも使ってやる。
俺は携帯を取り出すと、橘に電話をかける。
電話をかけてワンコールで橘が出る。
『和泉くんかい? どうしたの?』
「橘さん。話しがある。事件のこと、全部話してくれ」
俺が言うと、電話越しに息をのむ音が聞こえてきて、その後、すぐにふっと笑みのこぼれる息遣いが聞こえて来る。
『ずっと待ってたよ、君からそう言ってもらえるのを』
橘との通話を終えると、俺は携帯をポケットにしまう。
そして、必要最低限の物を持つと、部屋を出る。
階段をなるべく音を立てないように降り、玄関に向かおうとする――――が、リビングの前を通ったところで声をかけられた。
「深紅」
「――っ」
びくりと肩が跳ねる。
俺は諦めて振り返れば、リビングに続く扉から母さんがこちらを覗いていた。
母さんは俺を見ると、真剣な口調で言った。
「夕ご飯、ちゃんと食べて行きなさい。じゃないと、許しません」
黒奈を突き飛ばしたことを言及されると思っていた俺は、予想外の言葉に拍子抜けする。けれど、俺がなにをしようとしているのかを母さんが理解しているとわかると、すぐにリビングに行く。
前までの俺だったらご飯を食べてる暇も無いと飛び出しただろう。けど、それだけは今してはいけないと思った。
リビングに入れば、父さんがお酒を飲みながらテレビを見て、その隣で姉さんがケーキを食べていた。
「来るのが遅いからご飯冷めちゃったわよ。レンジでチンする?」
「いや、いい。いただきます」
俺は椅子に座ってご飯をかきこむ。思えば、今日初めてまもとにご飯を食べた。
自覚していないだけで余程お腹が空いていたのか、ものの数分でご飯を食べ終わる。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
母さんの言葉を聞き、俺は席を立つ。
「じゃあ、行って来る」
「深紅」
俺が立ち上がれば、父さんが俺を呼ぶ。
返事をせずに父さんの方を見れば、父さんはテレビを見ながら言った。
「帰ってきたら話しがある」
それだけ言うと、もう言うことは無いというように父さんはお酒を飲み始める。
次いで、姉さんがこちらをちらっと見ながら言う。
「よろしく言っといて」
誰に、とは聞かない。聞かなくとも、俺はもう知っている。
「気をつけてね」
母さんが、俺の制服のシワを直しながら言う。
言葉少ないながらの激励に、俺の涙腺が緩んだが、ここで泣くわけにはいかないと、我慢をする。
「行って来る」
それだけ言うと、俺はそのまま家を出た。
俺の背中に行ってらっしゃいと、声がかけられた。
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