第14話 三人の本音

 屋上に着いた俺は、落下防止用のフェンスに寄り掛かって座り込む。


 がしゃんとフェンスが音を立てて軋む。


「はぁ……」


 自分の情けなさを自覚して深い溜め息を吐く。


 気が立っていたとはいえ、黒奈を突き飛ばすのはやり過ぎた。軽くならまだよかっただろうが、机や椅子を薙ぎ倒す程の力で突き飛ばしてしまった。今回は言い訳のしようが無いくらい俺に非がある。


「なにやってんだ、俺は……」


 自己嫌悪に陥ってうなだれる。


 しばらくうなだれていると、ぎいと不快な音を立てて屋上の扉が開かれる。


 誰が来たのか気になりはしたが、頭を上げるほどの元気は無かった。


 屋上に上がってきた人物はこちらに近づいて来る。


 そして、俺の近くまで来たとき、俺の頭にごつんと何かがぶつかった。


「いてっ!」


 鈍い音を立てて屋上の床に、俺の頭に当たったモノが落ちる。


 頭を手で押さえながら見やれば、それは未開封のコーヒー缶だった。それを見て、俺はようやく、缶コーヒーを頭に投げられたのだと気付いた。


「あげる」


 聞き覚えのある声が、ぶっきらぼうに言った。


 聞き間違えるはずが無い。なにせ、こいつと俺は幼馴染みなのだから。


「なんの用だよ、碧」


「別に」


 言いながら、碧は俺から少し離れたところに座り、フェンスに背中を預ける。


 かしゃんと音を立ててフェンスが揺れる。


 自分の分も買ってあったのか、碧はココアのプルタブを開けて飲む。


 俺は地面に落ちた缶コーヒーを拾い上げ、碧に倣ってプルタブを開ける。そして、一口飲みこむ。


 途端に、口内にカフェインの苦みが広がる。


「にっが……」


 缶の表記を見てみれば、BLACKと書かれていた。


 俺は思わず碧に湿度の高い視線を向けてしまう。


 碧は俺がブラックコーヒーを飲めないことを知ってるはずだ。さっきの俺に対する仕打ちも、このブラックコーヒーも、俺に対する当て付けだろう。それだけ、黒奈を傷付けたことを根に持っているのだろう。


 ジト目を向けていると、碧は不機嫌そうにこちらをちらりと見る。


「なに?」


「俺、ブラック飲めないんだけど?」


「寝不足なんでしょ? なら文句言わずに飲みなよ」


「普通に微糖とかでも良かったんじゃないか?」


「なんであたしがこれ以上深紅に気を使わなくちゃいけないわけ? いくらくーちゃんの頼みだっていっても嫌よ」


「……黒奈に頼まれたのか?」


 俺が聞けば、碧は至極面白くなさそうに顔をしかめる。


「言わなくても分かれ」


「分かるかよ」


「分からなくても分かれ」


「んな無茶な……」


「無茶なもんか。本当、なんであんたがくーちゃんとずっと友達やってるのか、理解に苦しむわ」


 くーちゃんも物好きだよねと言いながら、ココアをすする。


 碧の言い分に、今度は俺が顔をしかめる。


「友達なもんか。黒奈とはただの腐れ縁だ。もちろん、お前とも」


「あっそ。まあ、どーでもいいよ。アタシもあんたには興味ないし」


 意趣返しのつもりで言えば、淡々と、本当にどうでもいいかのように碧は言う。


「あんたのことは、良くも悪くも思ってない。そういえば、幼馴染みだったなぁくらいにしか思ってない」


「ああそう……」


 本当に黒奈以外のことは基本的にどうでもいいと思っているようだ。まさか、俺まで興味の範囲外にいたとは思わなかったけど。


「でも、幼馴染みなんだなって思えるくらいには気にかけてたつもり。まぁ、あんたの様子にまったく気付かなかったから、本当につもりだったんだろうけど」


 このまま辛辣に文句だけを言われると思っていた俺は、文句とは正反対の、少し反省しているような言葉に思わず面食らってしまう。


「様子って、同じクラスならまだしも、クラスが違うなら気付かなくても当然だろ。俺だって、お前がどんな様子かなんて知らないし」


 むしろ、クラスが違うのに俺が寝不足だと気付いていたら凄い。凄いというか怖い。


 ついでに言えば、今碧がなにを考えてなにを思ってるのかもわからない。いつもの表情豊かな碧とは違い、今の碧は本当になにを考えているのかわからない。冷たく、辛辣な物言いながらも、その顔に覇気は無いのだ。その覇気の無さは、まるでもう俺と言い合うことは無いと言っているかのようだった。


 覇気の無い瞳が、俺の目を捕らえる。


「じゃあ、あんたはクラスが同じくーちゃんの様子に気付けた?」


「は? 様子もなにも、いつも通りだっただろ?」


「本当に馬鹿……」


 心底呆れたと言わんばかりに吐き捨てる。


「ありえない。本当にくーちゃんがかわいそう。あんた、本当にくーちゃんのこと見てなかったんだね。呆れた」


 はぁと盛大に溜め息を吐く碧。


 散々な碧の物言いに俺は苛立つ。


「……さっきから聞いてれば好き勝手言いやがって」


「全部本当のことでしょ? あんたがくーちゃんのことをなんも理解しようとしないことは」


「じゃあ聞くが、黒奈は俺のことを理解してるのか?」


「そんなこと知らないわよ。聞いたわけじゃないし」


「なら、俺だけ責めるのは筋違――」


「でも、くーちゃんはあんたのことを知ろうとしてた。あんたが不機嫌なことも、あんたが上機嫌なことも分かってた。くーちゃんがいつも通り? あんた今までくーちゃんのなにを見てたわけ?」


 不機嫌な碧の声が俺の言葉を遮る。


 その声は今まで聞いたことの無いほど怒りに満ちていた。先程の覇気の無い顔はなりを潜め、今はただその顔に怒りを浮かべている。


「くーちゃんはあんたに何かあったんじゃないかってずっと心配してた。でも、あんたがずっと不機嫌だから刺激しないように聞けずにいたの。自分がなにか悪いことをしたのかなって考えてる時もあった。他になにかあったんじゃないかって考えてる時もあった。くーちゃんはね、ずっとあんたを助けることばかり考えてた」


 まぁ、そんなことをする価値が無いってこと、今日のことでわかったと思うけど。


 そう冷たく言い放ち、残りのココアを一気に飲み干す碧。


 立ち上がると、扉の方に歩いていく。


「くーちゃんが待ってるからもう行くね。色んなこと、精々頑張ってよ。まぁ、幼馴染みくーちゃんよりも大切な事かどうかは知らないけど」


 黒奈より大事なことかって? そんなの決まってる。


「黒奈よりも大事なことだよ。少なくとも、あいつなんかよりずっと俺がどうにかしなくちゃいけないことだ」


 碧の背中に向かって吐き捨てるように言えば、彼女は歩を止めて振り返った。


 その顔は表情が抜け落ちたように無表情で、まるでもう俺には興味が無いようだった。


「あっそ。好きにすれば。ただ、これ以上くーちゃんを悲しませたら、あたしは本当に許さないから」


 そう言って俺に背を向ける碧。


 扉を開け、扉を潜る直前、俺に聞こえるか聞こえないかの声量で言った。


「ちゃんと誰かにも目を向けなよ。自分のことだけじゃなくてさ」


 言って、今度こそ屋上を去った。


 碧が去って、静かだった屋上が一層静かになった。


「くそっ!!」


 苛立ち、屋上のフェンスに手を打ち付ける。


 一際大きな音を立ててフェンスがたわむ。


 俺が自分のことしか見てない? ふざけんな! そんなのお前達だって一緒だろうが! 黒奈は魔法少女になりたくないから俺に頼る。碧も黒奈のことしか見てない。俺のことなんて、まったく考えて無いじゃないか!!


 俺が悩んでることも知らないで、俺が苦しんでることも知らないで……!


 皆勝手だ。俺を囮にしたり、俺が決めたことなのに関わるなと言ったり、俺を頼ったり……俺の事情なんてなにも知らないで……俺のことなんて、なにも考えないで、突然、俺の前から消えたり。


「もう、わかんねぇよ……」


 どうすればいいのかも、どうしたいのかも分からない。このままじゃ良い結果にならないことはわかっているのに、どうすることもできない。


 憶測は憶測のままだから、行動に踏み出すこともできない。


 まるで、袋小路に迷い込んだみたいだ。


 色々と考えすぎてもう全てが面倒臭い。


 立ち上がって帰る気力すら湧かない。このままここにいれば屋上に鍵をかけられそうなものだが、変身すればこのくらいの高さであれば余裕で降りられる。


 立ち上がる気力が湧くまでここにいよう。


 そう考え、俺は残っているコーヒーを飲む。


 教室に居るときと同じで、俺は町の景色を眺める。教室の時とは違いフェンスの網目が邪魔だが、教室で見る景色とはまた違って落ち着く。


 そうやって現実逃避気味にしばし景色を眺めていれば、屋上の扉が重い音を立てて開いた。


 今日は人がよく来るな。


 そんな感想を抱きながら、俺はちらりと扉の方を見る。


 そこには、今一番俺が会いたくない人物が立っていた。


「深紅、大丈夫?」


 扉の前で黒奈が心配そうな顔を俺に向けていた。


 俺は内心で舌打ちをすると、黒奈から視線を外して景色に目を戻す。


「ああ……悪かったな、突き飛ばして」


 我ながら、形ばかりの謝罪だと思う。


 けれど、今は取り繕うほどの元気も気力も無い。ましてや俺の苦悩の原因である黒奈の前とあっては取り繕う気にもならなかった。


「あ、うん。ちょっとびっくりしたけど、平気だよ」


「そっか……」


 会話が途切れる。


 黒奈は何かを言おうとしているようだが、なにも言えずに身体を揺らすばかり。


 視界の端でそんな姿がちらつくから気が散ってならない。


 俺は溜め息を吐きながら黒奈を見た。


「お前、もう帰れ。もう暗くなるぞ?」


「なら、一緒に帰ろうよ」


「俺はもう少しここにいる」


「なら、俺もここにいる」


 そう言って黒奈は俺の隣まで歩いて来る。


 そして、なにも言わずに、まるで当たり前のことのように俺の隣に座る。

 

 それが、どうしても腹立たしかった。


「なあ、一人になりたいって意味で言ったんだが?」


「うん、知ってる」


 苛立ちが募る。


「なら帰れよ」


「ううん、帰らないよ」


 苛立ちが募る。


「いや、帰れよ」


「ダメだよ」


「帰れって」


「嫌だ」


 きっぱりとしたそのもの言いに、俺の我慢の限界が来た。


「いい加減にしろよ!! 帰れって言ってんだろうが!!」


「そっちこそいい加減にしてよ!!」


 黒奈が声を張り上げる。


 めったに見ることの無い黒奈の怒った顔を見て、俺は思わず口をつぐむ。


 そんな俺に構わず黒奈は怒った顔のまま言う。


「なにを悩んでるのか迷ってるのか知らないけど、心配かけさせないでよ!! 周りが見えなくなるくらい考え込んでて、立ちくらみを起こすほど無理して、連続殺人犯のことも聞いて回って!! それで俺が心配しないとでも思ってるの!? なにをするのも深紅の自由だけど、俺達が心配するようなことしないでよ!!」


 黒奈の言葉を聞き、俺は我に返る。と同時に、募りに募った苛立ちに火が付く。


 気付いたときには、俺は黒奈の胸倉を掴みあげていた。


「心配? 俺に頼ってばっかのお前が、一丁前に俺の心配だって? さっきからいったい何様のつもりだ!! 俺はお前に心配されるほどやわじゃない!! 戦いもしないで俺に頼ってばっかの分際で、俺に説教してんじゃねぇよ!!」


 声を荒げる俺に、しかし黒奈は怯むことなく、俺の胸倉を掴みあげた。


「だから心配してるんじゃないか!! 俺が頼ってばっかりで深紅に無理させたんじゃないかって心配だった!! 深紅は頼まれたら断れない性格だから、何か危ないことに巻き込まれたんじゃないかって心配だった!! 俺は、深紅に頼ってばっかりだから……!! 心配くらい、させてよ……」


 言いながら、涙を流す黒奈。


「ごめん……俺が頼ってばっかりだっていうのは、分かってるんだ。深紅に迷惑かけてるのも分かってるんだ。俺は頼りないから、俺を頼ってなんて言えない。言っても、深紅は俺を頼らないことは分かってる。だから、せめて、心配だけはさせてよ……」


 泣いてごめんと謝る黒奈に俺は完全に毒気を抜かれた。


 言いたいことがあったはずなのに、それらはすでに頭の中から無くなっていた。


 黒奈を責めたってなにも解決はしない。結局、こんなに煩わされても今の俺の苦悩の何一つ解決はしていないのだ。


 今ここで俺が声を荒げ、言葉の限り黒奈を罵倒したところで現状が変わるわけではない。


 なら、俺が言うことはもう何もない。


 なにも言えない。


 黒奈は泣きながら、俺の胸元に顔を押し付ける。


 俺は黒奈の胸倉をそっと離し、黒奈の好きにさせる。


 俺は黒奈が泣き止むまでそのままでいた。


 黒奈が泣き止んでから一緒に帰り、黒奈を家に送ってから俺も帰路に着いた。


 その間、俺達は一言も言葉を発することは無かった。なにを言っていいのか、お互いに分からなかったからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る