第13話 湧き出た真実
緋姉のいなくなった日常は味気無かった。
遅かれ早かれこうなることは分かっていた。けど、こんなに早いとは思ってなかった。
あれからまったくと言っていい程やる気が起きない。
授業も、クラスメイトとの会話も上の空。
緋姉といると満ちあふれていたやる気も、今では完全になりを潜めている。
今も、授業を聞くこと無く外を眺めている。
眠たくなるような国語教師の音読を聞き流し、外を眺めながら考える。
最初は、橘にうまく使われているのが嫌で事件について調べようとした。けれど、それも最早どうでも良い。確かに、うまく使われていた事については腹が立つが、もう終局は見えはじめている。
警察が先か、犯人が最後の犯行を終えるか。
どちらにせよ、もう俺には関係の無いことだ。
そう、もう関係無い。怒りを原動力にしていたが、その原動力が緋姉にすり変わっていた俺には、もう事件に対する執着も原動力も無い。
俺は、久しぶりに会った緋姉と何かをするのが楽しかったのだ。これが事件でなくても、他のことでもきっと楽しかった。たまたまこの事件が俺達を繋ぐものだっただけだ。
しかし、俺達を繋ぐものはあっても、繋がっていた相手がいなくなってしまった。なら、俺達を繋いでいたこれは、もうなんの意味も無い。
橘が俺を利用する理由も分かった。結果は伴わなかったわけだし、橘は骨折り損だったというわけだ。そう思えば、少しは溜飲も下がるというものだ。
「それじゃあ次のページを開いて」
国語教師の声の後に、ページがめくれる音が聞こえて来る。
俺も、皆に倣ってページをめくる。
一応、授業を受けてますよという姿は装っておかないといけないから。
ページをめくってから気付く。
国語の教科書にルーズリーフが挟まっていた。そのルーズリーフは俺と緋姉が事件のことをまとめたものだった。適当にかばんにしまったから挟まっていたのだろう。
俺はルーズリーフをかばんの中にしまう。こんなもの見られでもしたら騒がれるに決まってる。煩わしいのはごめんだ。
ルーズリーフをかばんにしまうと、終業のチャイムが鳴る。
本日最後の授業が終わり、皆が疲れたと吐息をもらす。
最後の授業が終われば、担任が来てホームルームをして、掃除をして終わりになる。
いつも通りのルーティンを坦々とこなし、俺は帰路についた。
黒奈にはしばらく用事があって一緒に帰れないと言っていたので、黒奈が俺を誘うことはなかった。
もうその用事も無くなったのだが、一人になりたかった俺はそのままにした。
家に帰ると、部屋着に着替えることもせずにベッドに寝転がる。
寝っ転がってしばらくすると、携帯が震える。
ディスプレイを見れば、そこには橘葉一と出ていた。
俺は一瞬出るかどうか迷った挙げ句、応答を押した。
「もしもし」
『ああ、もしもし? 僕だけど』
「なにか用ですか?」
『用と言うか、一応報告を聞こうと思ってね。しばらく、連絡とってなかったからさ。それで、調子はどうかな?』
「……申し訳ありませんが、橘さんの思惑通りに事は運んでませんよ。いたって平和です」
俺がそう言えば、橘は一瞬黙る。そして、悪びれることなく言った。
『なるほど。どこまで感づいてくれたのかな?』
「俺を囮にしてることには」
『ははっ、ばれちゃったか』
「少しは悪びれたらどうです?」
『いやあ、君は強いからさ。大丈夫かなぁと思ったんだけどね』
「仮にも一般市民なんですが?」
『ヒーローは一般市民とは言わないと思うんだけどねぇ』
「俺、未成年なんですが? それとも、分かりやすいように中学生なんですがって言った方がいいですか?」
『ははっ、痛いところを突いて来るねぇ』
その割には堪えた様子の無い橘。
常の調子の橘に俺は苛立ちを覚える。
「それだけなら、もう切りますよ?」
『ああ、待った待った』
「まだなにか……?」
『ああ。もう、捜査協力はしなくても大丈夫だよってことを伝えたくてね』
「犯人が捕まったんですか?」
『いいや、まだだよ』
「じゃあ、なんで?」
『ここからは内緒だ。捜査情報は外には漏らせないからね』
「散々利用しておいてなにを……」
『それとこれとはまったく別の話さ。それじゃあね。こんどお礼にちょっとお高いケーキ屋に連れていってあげるよ』
「ケーキバイキングは御免ですよ」
『今度はちゃんとしたところだよ。それじゃ』
言って、橘は電話を切った。
まったく。利用するだけ利用して、なんにも理由を話さずにお役御免だなんて……勝手な人だ。
まぁ、これでもう役目も無くなったわけだし、いつも通りの日常を送れそうだ。
携帯を机に置き、再びベッドに寝転ぶ。
しかし、ゆっくりしていても気分は晴れない。なんだか、よくわからない違和感だけが頭に重くのしかかる。
「はぁ……ダメだな。課題やろう……」
こういうときは無心になって何かに打ち込むに限る。
俺は起き上がると、かばんの中から今日の課題を取り出す。
課題を取り出すと、それと一緒にルーズリーフがかばんから出てくる。
どこかに引っ掛かっていたのか、それとも静電気でくっついていたのか。どちらにせよ、課題と一緒になって出てきたルーズリーフは、自重に負けて落ちていく。
床に落ちたルーズリーフを見れば、それは俺と緋姉が一緒にまとめた例のルーズリーフだ。
緋姉がいるときに見れば色んな思考が生まれたルーズリーフも今ではただただ虚しさだけが胸の内を占拠する。
これももう必要無いな。
拾い上げ捨てようとしたその時、俺はまた違和感に襲われる。
この紙をまとめているときに感じた違和感と同じだ。なんだ? いったい何に引っ掛かってるんだ?
引っ掛かりが気持ち悪くて、俺は必死に思考を巡らせる。
終わった事だ、もう考える必要は無い。なのに、俺は必死に考える。
この違和感だけは見逃しちゃいけない気がする。これを見逃せば、俺は多分一生後悔する事になる。
俺は必死に考える。
「まさか……」
そして、突拍子も無い一つの可能性に思い至る。
可能性といっても、妄想や空想に近いものだ。推理だなんて綺麗なものじゃない。勘と当てずっぽうな、もしかしたらの話だ。
けれど、俺はこの妄想が外れていないように思える。確実に的を射ているわけではないにしても、的をかすめてはいるはずだ。
だけど、本当にそうなのか? そうだとしたら、いったいなにを考えて……。
わけがわからない。動機も理由も知らない。だから、俺は必死に頭を働かせた。
考えて考えて考えて考えた。
夕飯もとらず、風呂に入ることもなく、ずっと思考に没頭した。
けれど、俺の頑張りも虚しく、結局なにも分からずに夜が明けた。
窓から差し込む朝日が目に痛い。
俺は一階に降りてシャワーを浴び、着替えをしてから家を出た。後ろから母さんの声が聞こえてきたが、それを無視して玄関を開けた。
「深紅、おはよう」
「……」
玄関を出れば、いつも通り黒奈がいる。
俺は黒奈に挨拶を返さずに歩き、考え事を続ける。
そんな俺の顔を、隣を歩く黒奈が心配そうに覗き込んで来る。
「深紅、大丈夫? 体調悪そうだけど?」
「……」
「目の下も隈が凄いよ? 寝てないの?」
「……」
「深紅……?」
「ちょっと黙ってろ」
しつこく聞いてくる黒奈が鬱陶しくて、強めに言う。
「あ、うん。ごめん……」
しょぼんと落ち込み、顔を少し俯かせる黒奈。
落ち込んだ黒奈を放っておいて俺は考え込む。
しかし、いくら考えてもなにも分からない。憶測の域を出ない以上、行動には移せない。
考え込んでいる内に学校に着く。
教室に着くまで、そして、着いてからもクラスメイトから声をかけられたが、それを無視して考え込む。今の俺に他のことにかかずらってる余裕は無い。
席に着き、ホームルームが始まるまで考え込む。
クラスの喧騒は耳を通り抜けていく。
やがて担任が来てホームルームが始まる。
いつも通りの代わり映えのしないホームルームが終わり、授業が始まっても俺は考え続けた。
けれど、考えれば考えるほど分からなくなっていく。
動機も分からない。居場所も分からない。次の被害者が誰なのかも分からない。これでは動きようが無い。
それに、俺はいったいどうしたいんだ? 説得したいのか、ただ単に止められれば良いのか。それすらも、分からない。
分からないから考えているのに、考えても分からない。
無限に続く回廊を歩かされている気分だ。
一か八か橘に電話してみるか? でも、未成年で一般市民な俺に教えてくれるわけが無い。それは昨日俺が言ってしまったことだ。
くそっ、昨日の迂闊な自分に腹が立つ。それ以上に、これまでまともに考えてこなかった自分に腹が立つ。
猶予はちゃんとあったのだ。それを俺はただ無駄に消費していたのだ。
苛立ちが思考に雑念を混ぜる。
ダメだ。今は余計なことを考えるな。今は、事件の事だけを考えろ。
午前の授業を全て聞き流し、お昼の時間もなにも食べずに椅子に座り込み、午後の授業も全部聞き流した。
考え込んでいる間に学校が終わり、俺は帰ろうと立ち上がった。が、一睡もしていない上になにも食べてない身体は言うことを聞かず、立ち上がった瞬間に立ちくらみをおこしてしまう。
「危ない!」
倒れる。そう思ったとき、誰かが俺の身体を支えた。
「大丈夫、深紅!?」
見やれば、黒奈が俺に抱き着く形で俺の身体を支えていた。身長と体重に差があるから、全身で支えないと支えきれないのだろうと、どうでもいいことを考えた。
心配そうに俺を見上げる黒奈と視線がぶつかる。
「深紅、やっぱり体調悪いんじゃないの? 伯母さんに言って迎えに来てもらおう?」
煩い。俺は平気だ。余計なことをするな。
「平気だ。それより離れろ。一人で帰れる」
「でも、さっき立ちくらみしてたじゃないか。一人じゃ危ないよ」
平気だって言ってるだろ。とにかく離れろ。
「いいから、離れろって」
「ダメ。深紅にもしもの事があったら――」
不安げな、俺を心配する瞳が俺を射抜く。
お前が俺を心配するのか? 俺に頼ってばっかのお前が、一丁前に俺の心配を?
そう考えた瞬間、俺は一瞬で頭に血が上った。
「いいから、離れろって言ってんだろ!!」
気付けば黒奈を突き飛ばしていた。
黒奈はクラスメイトの机と椅子を巻き込んで倒れ込む。
一瞬なにが起こったのか分からないというように呆然とした黒奈は、数瞬の後、自分になにがあったのかを悟って俺の方を見る。
俺に突き飛ばされるとは思ってなかったのか、黒奈は驚いたような顔をしていた。
そんな黒奈に言葉を放とうとした直前、俺の頬に衝撃が走った。
かなり強めの衝撃に、俺は体勢を崩して倒れ込む。
倒れた後に気付いた。俺は殴られたのだと。
いったい誰が俺を殴ったのか。それを確認するために顔をあげる。
そこには、今までに見たこと無いほど怒りの表情を浮かべている碧が立っていた。
碧は俺に歩み寄ると俺の胸倉を掴み、もう一発殴ろうとする。
「やめて!」
が、それを黒奈が止める。
「俺が悪いんだ。俺がしつこくしたから、だから、深紅は悪くなくて」
焦っているのかたどたどしく俺は悪くない、悪いのは自分だと口にする黒奈。
碧は黒奈の方をちらりと見た後、俺の胸倉を乱暴に離した。
「頭を冷やせ馬鹿が」
碧は静かにそれだけ言うと、黒奈を優しく起こす。
「くーちゃん、一応保健室に行こう」
「で、でも、深紅が……」
「馬鹿は放っておいて大丈夫だよ。ほら、行こう?」
言いながら、碧は強引に黒奈を連れていく。
終業したばかりなので、教室には人が大勢いた。それどころか、廊下から教室の中を覗き込む輩もいた。
皆の視線から黒奈を守るために早々に場所を移動しようとしているのだろう。
碧に背中を押されている黒奈は、心配そうに俺の方を振り返る。
……なんだよ。そんなに俺が心配かよ。お前に心配されるほど、今の俺は落ちぶれて見えるのかよ……。
二人が教室を出ていくも、教室内は気まずい沈黙が降りていた。
碧に殴られた俺は少しだけ冷静になり、かばんを持って教室を出た。
今帰路に着いても針のむしろになりそうだと考えた俺は、屋上に足を向けた。
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