第9話 思い出はセピア色に
いつもより低い視点。
セピア色に写る世界。
そして、幼い顔の幼馴染み達。
懐かしい顔ぶれに、俺は心から懐かしさと温かさが込み上げて来るのがわかる。それと同時に、今見ている光景が夢であることを悟る。
夢の中で、俺は無邪気に公園を駆け回る。
黒奈も花蓮ちゃんも、碧も姉さんもいる。そして、当然緋姉も。
姉さんと緋姉は俺達の様子をブランコに座りながら眺めて、お喋りを楽しんでいる。
俺の視線に気付いた緋姉が、俺に微笑みかけて手を振る。
俺はそれが嬉しくて、満面の笑みを浮かべて手を振り返す。
ふふっと笑んでから、緋姉は姉さんとお喋りを再開する。
歳が三つも違うからか、それとも俺が二人を美化していたからか、この頃の俺の目には二人が大人っぽく見えた。
実際、二人は他の同学年よりも格段に大人だったと思う。
所作や言動もそうだが、なにより、雰囲気が大人びていた。姉さんの場合は、母親にその歳で老成してるわねと言われていたから。枯れていただけなのかもしれないけれど……。
緋姉は姉さんと違って、大人びていながらも年相応な子供っぽさも持ち合わせていた。
今にして思えば、立派な両親を真似して大人っぽく見せていて、ふとした瞬間に年相応の子供らしさが表に出ていたのだろうと思う。
けど、あの頃の俺には、緋姉は大人っぽく見えていた。時折見せる子供っぽさが普段見せる姿と違って、その表情にどきどきと胸を高鳴らせていたのを憶えている。
俺は、緋姉が好きだったのだ。
魅力的な女性として、緋姉を好いていたのだ。
けど、緋姉にとって俺は可愛い弟みたいなものだったのだろう。ちょっとでも大人っぽく見せたくて公園のベンチを譲ったり、家に来たときには飲み物を用意したりもしたけれど、優しい子というイメージを逸脱することはできなかったように思う。
あの頃は、緋姉の気を引きたくて、緋姉によくくっついて回っていた。
緋姉はそんな俺に嫌な顔一つせずに、にこにこと笑みを浮かべながら手を引いてくれた。
それが、とても嬉しかった。
目覚ましの煩わしい電子音が耳をつんざき、その不快感で目を覚ます。
少しだけ乱暴にアラームを切り、俺は息を一つ吐く。
「……懐かしい夢だ」
時間が許してくれるなら、もう少しだけ見ていたかった。
けど、そういうわけにもいかない。
今日も今日とて学校だ。
俺は諦めて起き上がると、部屋着を脱いで制服に着替える。
一階に降り、洗面所で顔を洗い寝癖を直し、身支度を整える。
身支度を整えたところでリビングに行けば、父さんは会社に行ったのかその姿は無く、母さんがキッチンでコーヒーを入れ、姉さんはソファの上で怠そうに寝転がってる。
姉さんは朝に弱い。だから、寝起きはいつもゆっくりしてる。
今日はトーストとオニオンスープ、サラダとハムエッグだ。
|家(うち)では、特に洋食だとか和食だとかにこだわりは無い。黒奈ん家みたいに、洋食でも味噌汁が出てきはしない。
リモコンを使ってテレビを点ける。
いつもはニュースをBGMがわりにしているけど、今日は違う。
緋姉と連続殺人犯を捕まえると約束してしまった以上、今までのような中途半端な調査じゃダメだ。こういうニュースもしっかり見ないと……。
『連続殺人犯は未だ捕まっておらず、警察は、懸命な捜査をーーーー』
やっぱり、連続殺人犯はまだ捕まってない。
捕まったら橘から連絡の一つもあるはずだから、携帯にメールが来ていない時点で分かっていたことだ。
俺はニュースの内容をしっかりと聞き、情報を精査し、手元にあるメモ帳に走り書きをする。
左手にトースト、右手にペンと行儀が悪いことこの上ないが、致し方ないと自分に言い訳をする。
そんなふうに、情報をまとめながら朝食を食べていると、ソファの方から視線を感じた。
ちらっと見やれば、
「なに?」
「いんや、別に……」
姉さんは気怠げに起き上がると、俺の隣の椅子に座って朝ご飯を食べはじめる。
……なんなんだ、いったい?
姉さんの不可解な行動に首を傾げるも、すぐにどうでもいいかと思い、ニュースに集中する。
「あんたさ」
「ん?」
「いいことでもあったの?」
「は? なに、いきなり」
唐突にそんなことを聞いてくる姉さん。
姉さんは、横目で俺を見ると、ご飯を食べながら言う。
「いふもほひ、ひへんーー」
「ごめん、食い終わってから言ってくれ」
姉さんの言葉を遮って言えば、姉さんは俺の言う通りにし、もぐもぐと食べることに集中する。
よく噛んでから飲み込むと、姉さんは再び口を開いた。
「いつもより、機嫌良さそうだったからさ。なにか良いことでもあったのかなって」
「……そうか?」
いたって、普通だと思うけど……。
しかし、いつも顔を合わせている姉さんがそう言うのなら、そうなのかもしれない。
それなら、考えられる理由は一つだ。
緋姉に会えた事だ。
答えは分かっている。けれど、緋姉に会えたことを姉さんに言うのは躊躇われた。
俺と緋姉は、曲がりなりにも危ないことに足を突っ込んでいる。もし、緋姉と俺が連続殺人犯のことを調べていると知れば、止めてくるに違いない。
俺としては、橘の鼻を明かすまでは調査をしたいので、姉さんにばれるわけにはいかない。
……まぁ、それは建前だ。
本当は、少しでも長く緋姉と二人でいたいのだ。
だから、俺は誤魔化すことにした。
「あー、昔の夢を見たからかも」
「昔の夢?」
「そう。小さい頃の夢」
「ふーん……」
俺の言葉に納得していないのか、疑わしげな視線を向けてくるものの、それ以上何かを言ってくることは無く、食事に戻っていった。
俺も、残りを全部食べる。そろそろ登校しないと遅刻する。
朝食を食べ終わると、かばんを持って立ち上がる。
「ごちそうさま。じゃあ、行ってきます」
「いてらー」
「行ってらっしゃい」
二人の言葉を背に受けながら、俺は家を出た。
玄関を出てすぐ、黒奈が門柱に背を預けていることに気付く。
俺が出てきたことに気付いた黒奈は、にこっと俺に笑顔を向ける。
「おはよう、深紅」
「ああ、おはよ」
黒奈の挨拶に言葉を返せば、黒奈は目を見張って驚いたような顔をする。
「? なんだよ」
「あ、ううん! なんでもないよ!」
なんでもないと言いながら、嬉しそうに首を振る黒奈。
なんなんだ、いったい……?
黒奈のよくわからない行動に、俺は首を傾げる。
……まあ、いいか。黒奈がよくわからないのは今に始まった事じゃないし。
「行こうぜ」
「うん!」
二人並んで歩き、学校に向かう。
にこにこと嬉しそうに微笑みながら歩く黒奈。
本当になんなんだ?
「なにかいいことでもあったのか?」
「え? ううん。特に無いよ?」
「じゃあなんでそんな笑顔なんだよ」
「ふふっ、なんでだろうね」
「はぁ?」
ふふふっと嬉しそうに笑う黒奈。
本当になんなんだ……?
その後も、黒奈はとてつもなく上機嫌に笑顔を振り撒いていた。
上機嫌な理由がわからない俺としては、少しだけ気味が悪かった。
学校に着けば、いつもどおり授業が始まる。
俺は授業中、板書をしているふうを装って今朝のニュースの情報を、昨日情報を書いたルーズリーフにまとめた。
時系列順にまとめる予定なので、いくらか空白を開けて書き込む。
といっても、昨日書き込んだ被害者の情報と同程度の情報しか書き込む事ができない。
新聞ならもっと事細かに書かれているのだろうが、ニュースでは重要な情報しか流れない。
これ以上書き込む事もなくなったので、俺は俺なりの憶測を別のルーズリーフに書き込む。
怨恨、正義感、ゲーム感覚……書けるだけ書くけれど、どれもしっくり来ない。情報が少な過ぎるからか、それとも根本的に違うと俺自身が思っているからか。それとも、姉さんの話を聞いたから、難しく考えすぎているだけなのか……。
他人が正義かどうか決める、か……。
ふと、姉さんの言ったことを思い出す。
赤の他人が己の行動の正悪を決める。その赤の他人の行動も、また別の誰かが正悪を決める。正悪は、他人の価値観でしか無い。
指でとんとんと机を鳴らす。
例えば、己がよかれと思ってやったことが、他人にとっては煩わしかったら、それはその他人にとって悪になる。善意が悪になるなんて、皮肉な話だ。
けれど、俺はこの話を完全に否定できない。
そんなことは無い。善意は善意だと声高らかに言うことができない。
だってそうだろう? 人の意思を統一できないように、感性も統一はできない。人の感情の受け取り方は千差万別だ。
正しい答えが無いのが人間だ。人によって正しさが違えば、他人の正しさが間違って見える。
誰も彼もが善意を善意と受け取ってくれるわけではないのだ。
今回の犯人を正義の執行人と持て囃す者もいれば、狂気の連続殺人犯とこき下ろす者もいる。
俺には連続殺人犯がなにを考えて殺人を犯しているのかは分からないけれど、もしも一連の行動が正義のつもりなら、手段を間違えたと言わざるをえない。
思想の違いも、受け取り方の違いも人それぞれ。それは結構。けど、人を殺すことはどうあっても正当化出来ることじゃない。相手がどんなに悪党でも、自分が同じ場所に立ってしまえば悪党と悪党だ。そこに正義の介在する余地はない。
ともあれ、犯人が早く捕まるに限るという話だ。
それに、思想云々は俺には関係無いな。犯人と直接対峙するわけでもないし。
思考が逸れたが、今はとりあえず、犯人につながる情報を見つけなくては……。
「おーい、和泉。指とんとん鳴らしてどうしたー? トイレでも我慢してるのか?」
「あ、す、すみません」
集中しすぎててずっと指で音を鳴らしたままだった。
教師に注意され、俺は慌てて指を止める。
クラスメイトが呆れたように笑う。
黒奈も口に手を当てて笑っていた。
脳天気に笑う黒奈を見て、ちょっとだけ、イラッとした。
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