第7話 廿樂緋日

 暗い暗い、人の気配がまったくしない夜道。


 その夜道を、息を切らしながらがむしゃらに手足を振って、一人の男が走っている。


 その様は鬼気迫るようで、しきりに背後を気にしながら走っている。


 男を見れば、誰もが十中八九追われているのだろうと思うことだろう程、男の慌てようは真に迫っていた。


 実際、男は追われていた。


 正体は分からない。けれど、自分の命を脅かす存在だ。


 正体不明の何か。


 人ならざる速度で男を追い、時には回り込み、時には間近まで迫り、まるで、|牧羊犬(ぼくようけん)が羊を追い込むかのように男を追う。


 息も絶え絶えになりながら行き着いた先は、誰もいない廃工場。普段であれば、不良達がたむろしていたであろう廃工場ではあるけれど、今日に限ってその姿は無く、完全に無人。他人の目を気にしなくて良い、かっこうの場所となっていた。


 男は逃げることをあきらめ、その場に座り込む。


 もう限界だ。足も動かない。


 男が座り込むと、追跡者はゆっくりとした足取りで男に近づいた。


「な、なにが目的なんだよ! お、俺がお前に何かしたか!?」


 男がかすれ声で言う。


 その言葉に、追跡者はぴたりと足を止めて言う。


『いや、なにもされていない』


「な、ならなんで! あ、ああ……わかった! お前、俺が騙した連中に頼まれたのか?」


『違う』


「ならなんなんだよ!! なんで俺を狙うんだよ!!」


 男は、目の前の者が巷を騒がせている連続殺人犯であると直感で理解していた。


 だから、こそ、なぜ自分が狙われるのか分からなかった。


 いや、被害者の犯した罪の内容を理解すれば、自分も狙われる可能性があるとは思っていた。


 けれど、自分はまだ軽い方・・・だ。他の被害者に比べれば可愛いものなのだ。


「お、俺よりも死んだ方がいい人間なんてたくさんいるじゃねぇか!! なのに、なんで俺なんだよ!!」


 男の身勝手な叫び。


 男の叫びに、追跡者は静かな声で返す。


『そうだな。お前よりも死んだ方がいい人間はたくさんいる』


「そ、そうだろ!? 俺なんてまだ可愛いもんだ!! だから――がっ!?」


 男が追跡者の言葉に便乗して言葉を紡ごうとすれば、追跡者は男の首を掴んで持ち上げる。


「あっ、が…………!!」


 宙ぶらりんになり、足を必死にばたつかせ、手は自身の首を掴む手を引きはがそうと、追跡者の腕を強く掴む。


 しかし、追跡者の手の力はいっさい抜けることは無く、むしろ徐々に強まる一方だ。


 激しく暴れる男に、追跡者は先程と変わらない静かな声で言う。


『けど、それとこれとは話は別だ』


「がっ………………」


 ごきりっと鈍い音が鳴る。


 男の頭が傾き、じたばたと暴れていた手足はだらんと重力に従い垂れ下がる。


 追跡者は掴んでいた首をようやく離すと、どさりと鈍い音を立てて男だったものが落ちる。


 そして、ぼうっと男だったものに火がともる。


 徐々に燃えていく男だったものに背を向けて追跡者は廃工場を後にする。


『後、二人……』


 その呟きは誰にも聞かれることはなく廃工場の閑散とした空気に溶けて消えていった。



 〇 〇 〇



 仁さんとお茶をしてから一週間が経過した。


 あれから、仁さんとの接触は無く、橘とも定期連絡以外には連絡を取り合っていない。


 俺の方もなんの成果も無く、日々疲労感を募らせるだけの生活だ。


 まともな噂一つ集まりもしない状況に、焦りと苛立ちは募るばかり。次第に、授業にも身が入らなくなり、外を眺めるだけで授業が終わってしまう。体育でも、簡単なミスが増えてきた。


 毎日ちゃんと寝ているのに、身体が思うように動かない。思考も、うまくまとまらない。


 クラスメイトどころか、先生にも心配される始末。


 俺は、少しだけよそよそしく俺と接するクラスメイトに、居心地の悪さを感じていた。


 居心地の悪いまま授業が終わり、放課後になった。


 人通りの多いところにくり出てもダメ。ネットの書き込みもクラスメイトから聞いたものと同じ。


 そもそも、食えない相手である橘の目的が、本当に噂話の収集だけなのだろうか疑問に思う。このお願いごとには何か裏がある。最近、そう思いはじめてきた。


 けれど、橘に本当に噂話の収集だけでいいのかとたずねてみても、頷くのみだ。他のことを聞いてもはぐらかすばかり。おそらく、どんなにしつこく聞いても教えてはくれないだろう。


 しかし、おそらく橘のくわだてには俺の存在が必要なはずだ。


 そもそもが、前にも言った通り、噂話程度なら警察の方が収集するのは容易いはずだ。そして、警察はその程度の情報はもうすでに入手しているはずだ。だから、俺がやっていることは無駄な行動という事になるわけだ。


 けど、それならなぜ橘は俺にこんな無意味な依頼をしてきた? 橘は頭の回る人間だ。そんな奴が無駄なことをするためにわざわざ俺に接触して来る意味が無い。なにか裏があるのは明白だ。


 最初の時点でこの事実に気付くべきだったのだが、俺は面倒なお願いごとを引き受けたくらいにしか思っていなかった。意識の違いが|仇(あだ)となったのだ。


 橘に聞いてもはぐらかされる。ならば、俺は自分で調べて見つけるしかないだろう。橘の真意を。


 仁さんには関わるなと言われた。


 けど、だからといって、諦めるわけにはいかない。俺ももう後には引けない。直感ではあるのだが、後に引いてはいけない気がするのだ。


 ともあれ、俺はこの件に本腰を入れて関わることを決めた。なら、噂程度ではなく、事件の全容を知る必要がある。


 そうと決まれば話は早い。


 俺は家に帰ってネットで記事などを漁るべく、さっさと帰りの支度を済ませた。


 帰ろうと席を立とうとしたとき、俺の前に黒奈が立つ。


「深紅、碧と一緒にケーキ屋さんに行こうって……」


「用事あるから無理」


 黒奈を押し退け、返事も聞かずに教室を後にする。今は一分一秒が惜しかった。


 学校を出て、帰路を早足で歩く。


 今日、クラスメイトから聞いた話では、被害者が更に一人増えたらしい。これ以上時間をかけていれば被害者が増えるだけだ。


 被害者の数は今日聞いた人を合わせて十一人。橘が俺に話をしてきた時点での被害者は十人。これ以上被害が増えるのは見過ごせない。


 状況と思考が俺に焦りを生む。


 焦っていた俺は注意力が散漫になっていた。だから、曲がり角から出てくる人にまったく注意を払うことなく歩いていた。


「きゃっ」


「わっ」


 結果、曲がり角から出てきた女性にぶつかってしまう。


 俺はなんとか耐えたものの、ぶつかってしまった女性はその場に尻餅をついてしまう。


「す、すみません! 大丈夫ですか?」


 俺は慌てて女性に手を指しのべる。


「え、ええ。大丈夫で……え?」


 言いながら、俺の手をとり、俺の顔を確認した女性は目を見開いて固まってしまう。


「えっと……どうし……」

 

 言いかけ、そこで俺も気付く。


 この人、どこかで会ったことあるような……。


 俺が記憶を掘り起こして思い出していると、女性は少し期待するような目で俺を見て言った。


「もしかして、しんちゃん・・・・・?」


 彼女にそう呼ばれ、俺は思い出す。


「その呼び方……もしかして、緋姉あけねえ?」


 俺が彼女をそう呼べば、彼女は嬉しそうに顔を|綻(ほころ)ばせる。


 彼女の名前は廿樂つづら緋日あけひ


 姉さんと同学年で、よく俺達幼馴染み連中と一緒に遊んでくれた人だ。


 俺達が小学生に上がってからしばらくして、親の事情で転校してしまってからはすっかり疎遠になってしまっていた。


「うそっ、やっぱりしんちゃん? 凄い、とっても偶然!」


 俺の手を取って嬉しそうに立ち上がった彼女は、ずずいっと俺に顔を近づけて来る。


「ちょっ、緋姉、近い!」


「へー! しんちゃん、おっきくなったねぇ!」


「話聞いてる!?」


「聞いてるよー。もう、せっかく再会なんだからいいじゃない」


「よくない!」


 ぷくうっと頬を膨らませて、文句を言いながらも緋姉は俺から離れてくれる。


 その事に、俺は心中でほっと息をつく。


 緋姉は知り合いという贔屓目を抜きにしてもとても美人だった。


 幼い頃から綺麗な人だなと思っていたけれど、この年になってさらに綺麗になっていた。


 大人びた顔立ちは同年代には無い魅力を持っており、ゆるくウェーブのかかった|艶(つや)やかな長い黒髪と合わさり、まるでどこか良いとこの御令嬢のようだ。実際、彼女の家は裕福で、父親は弁護士、母親は検事をしている。


 ともあれ、そんな美人な緋姉が近付いてくれば、男として照れてしまうのは必然である。


 俺は照れを隠しながら緋姉にたずねる。


「そ、それにしても、どうしてこの町に? また、引っ越してきたの?」


「ううん。わけ合って、ちょっとこっちに滞在することになったんだ」


「へぇ、そうなんだ」


 引っ越してきたわけではないと知り、思わず落胆してしまう。


 けど、引っ越してきたわけではないにせよ、しばらくはこっちにいるはずだ。また緋姉と会うことができると思うと、自然と笑みがこぼれる。


「でも、また緋姉と会えて嬉しいよ」


「わたしも。しんちゃんと会えて嬉しいな」


 そう言って、屈託無く笑う緋姉はとても眩しくて、年月としつきて、更に魅力的になったと実感する。


 思わず、頬が赤くなる。


 俺は、誤魔化すように頭を掻き、そっぽを向く。


「そういえば、緋姉は何しにこの町に?」


「んー? 内緒ー」


 にししっと楽しそうに笑う緋姉。


「しんちゃんこそ、急いでるみたいだけど、なにかあったの?」


 聞かれ、思い出す。


 そうだ! これから調査するんだった!


 忘れていたことを思い出して慌てる俺に、緋姉は上目遣いでにっとからかうような笑みを浮かべる。


「もしかして、連続殺人犯について調べようとしてた、とか?」


「――っ! ど、どうしてそれを?」


 いきなり核心をつく発言をした緋姉に驚く。


 緋姉は俺が驚いている様を見ると、にししっと嬉しそうに笑う。


「いや、ね? 町で女の子達が噂してたのよ。クリムゾンフレアが連続殺人犯について調べてるって。しんちゃん、有名人でしょ? わたしも何回かしんちゃんのことテレビで見たことあったから、すぐにしんちゃんのことを言ってるんだってわかったよ」


 有名人だねーと話が事のように嬉しそうに言う緋姉に、俺は嬉しいやら恥ずかしいやらで顔が赤くなる。


 って言うか、俺の事噂になってたのか……噂を調べてるのに噂になっちゃうなんて……。


「それで? しんちゃん、危ないことに首突っ込んでるのかなー?」


「突っ込んでると言うか、突っ込まざるを得なくなったと言うか……」


「誰かにお願いされたの?」


「ああ。知り合いの刑事さんにね」


「へー。しんちゃん、頼られてるねー」


「そんなんじゃ無いよ。良いように使われてるだけさ」


「ふーん。それは、面白くないねぇ」


「ああ、本当に」


 協力するのはやぶさかではないけれど、利用されるだけなのは面白くない。


 だからこそ、自分で事の真相……とまではいかなくても、橘の真意を確かめようとしているのだ。


「あ、だから急いでたの? 調べ物するために」


「まぁ、そんなとこ。俺を利用する刑事の鼻を明かそうと思ってね」


「ふふっ、勝ち気だなぁしんちゃん。よしっ! なら、このわたしも協力してあげよう!」


「え、緋姉が?」


「うん! しんちゃんが利用されるだけなのも面白くないしね! 昔のよしみで、わたしが手伝ってあげる!」


「でも、用事があるって……」


「良いの良いの! 別に大した事じゃないしさ!」


「でも……」


「遠慮しないの! お姉ちゃんに任せなさい!」


 そう言って、自信満々に胸を張る緋姉。


 一瞬、緋姉の胸に視線をやってしまうが、すぐに緋姉の自信満々な顔に視線を戻す。


 正直、緋姉と一緒にいられるのは嬉しい。また昔みたいに一緒にいられるのは、昔に戻ったみたいで懐かしいし、なにより、やっぱり嬉しい。


 けど、俺は遊びでやるわけじゃない。下手をすれば危険が伴う場合もある。緋姉と一緒にいたいけど、緋姉を危険な目に合わせるわけにはいかない。


「緋姉、その申し出は嬉しいけど、俺のやろうとしてることは危険が伴うかもしれないんだ」


「大丈夫! わたし、空手習ってたから! 結構強いよー!」


 言いながら、空手の構えをとる緋姉。


 キリッと凛々しい顔をして拳を前に突き出す。


 確かに、言うだけあって、拳の繰り出す速度は速く、身体のぶれも全くない。


 緋姉の動きに感嘆の声をもらしていると、緋姉は俺ににこりと優しく微笑みかける。


「それに、一人よりも二人だよ。一人じゃ気付け無くても、二人なら気付けることもあるでしょ?」


 ……確かに。俺が橘に利用されていると気付いたのは一週間以上経ってからだ。俺一人じゃ気付けなかったことも、二人なら気付けるかもしれない。


 それに、緋姉と一緒にいたい。またどこかへと行ってしまうのなら、この町にいる間だけでも一緒にいたい。


「分かった。でも、危ないことは無しだ。あくまで、刑事の鼻を明かすだけ。深入りはしない」


「了解! じゃあ、今日からわたし達、相棒バディだね!」


 嬉しそうに言い、ぐっと親指を立てる緋姉に、俺は自然と笑みがこぼれる。


「さあ! それじゃあ今から行ってみよう!」


「え、行くってどこに――って、ちょっと!?」


 言うが早いか、緋姉は俺の手を引いて走り出す。


「まずは図書館! あそこならパソコンも事件の新聞記事もあるでしょ!」


「なるほど……って、今から!?」


「今から! 事件は待ってくれないよ!」


「緋姉はちょっと待ってくれないかな!?」


 騒がしくしながら、俺達は図書館へと向かった。


 慌ただしく、騒がしい道中は、まるで昔に戻ったかのようで、俺はちょっぴり嬉しかった。

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