第3話 正義の執行人


「暇なんですか? それとも今日は非番なんですか? どちらにせよ、こんな時間にうろついてるなんて、刑事さん・・・・も随分余裕がある仕事みたいですね」


「ははっ、絶賛仕事中さ。これから署に向かうところだよ。重要な会議があってね」


 俺の厭味いやみを笑って流して言う彼は、警視庁特殊犯罪対策課の刑事、たちばな葉一よういちだ。


 よれよれのスーツをだらし無く着崩した橘は、ぱっと見では刑事には見えない。どちらかと言えばうだつの上がらないサラリーマンのようだ。


 俺と橘が知り合ったのは、とある事件で俺が橘達が追っていた殺人犯を捕まえた時だ。それも二ヶ月程前のことで、犯人を捕まえたのも、たまたま俺の目の前で犯人が転んで、たまたまファントムと戦った後で変身を解いていなかったのでそのまま取り押さえただけだ。


 ヒーローになった俺でも、さすがに、生身で凶器を持った殺人犯と対峙する度胸は無い。


 まあ、俺と橘が知り合ったきっかけなんてどうでもいい。要約すれば、たまに町ですれ違えば挨拶や会釈をする程度の仲だ。それ以上でもそれ以下でも無い。


 それにしても、重要な会議がある、ねぇ。急いでいる様子が無いと言うことは、時間はまだあるということだろう。まあ、だからといって俺が橘と話をする理由も無い。


 俺はこの橘という刑事がどうも苦手だ。いつも飄々ひょうひょうとしていて掴み所が無く、また、心の内を悟られないように常に真意の読めない笑みを顔に貼り付けているから。


 手の内の読めない相手はどうも苦手だ。まぁ、それは誰でも同じか。


「それじゃあ、失礼します。俺も今から帰るところだったんで」

 

「ああ、待った。少し話……というか、お願い事があるんだけど、聞いてくれるかな?」


 帰ろうとする俺に待ったをかけ、俺の反応も見ずに用件を言う橘。


「君、顔が広いだろ? とあることを君のお友達とかに聞いてほしいんだよ」


「それ、捜査協力ってことですか……?」


「いやいや、ただのお願いだよ」


「……」


 捜査と関係無い、とは言わないんだな……。いつも通りのへらへらした顔の下で、いったいどれほど思考を巡らせているのやら……。


 断っても良い、が……この人の場合、断る方に使う労力の方が大きい。


 まあ、ただ聞くだけだ。聞いて報告するだけ。それだけの簡単な仕事だ。誰かを捕まえろとか、そんな無茶振りじゃない。ただの情報収集のお手伝いだ。


 なのに、なんだ? なんか嫌な予感がする……。


「なあ、頼むよぉ。ちょっとお高いところでケーキでも奢るからさ」


 へらっと笑って言う橘。


「ほら、中学生って好きだろう? え、だっけ? なんか、ケータイで撮ったりさ」


「生憎ですけど、俺はそういうのいっさいやってないんで」


「そうなの? 君、有名人だから、ついやってるんだと思ってたよ」


「しませんよ」


 まあ、日記感覚で写真を載せたりはするけど、それを話す必要も無いだろう。


 とにかく、これ以上無駄な話をされるのも面倒だ。協力するのは情報収集だけ、そう決めて他のことには手を貸さなければ良い。


「はぁ……情報収集だけですからね」


「おっ、そうこなくっちゃ! じゃあ、詳細は後で話すから。これ、連絡先ね。じゃあ」


「あ、ちょっと!」


 俺に連絡先の書かれた紙を渡すと、橘はそそくさと歩いていく。


「ここで言わねぇのかよ……」


 他人には聞かれたくない話なのか、単に橘が言っていた通り時間が無いだけなのか……どちらにせよ、後日時間を作る必要がある時点で面倒だ。


「はぁ……やっかいな事に首突っ込んじゃったかな……」


 俺は橘の渡した紙を見やり、溜め息を吐く。


 一日に二回も連絡先をもらってしまった。しかも両方男だ。片方は青年だからまだ良いけど、片方はおっさんだ。まったくもって嬉しくない。どうせなら女の子から連絡先をもらいたい。まぁ、安易に受け取ってしまうと、他の子も渡してくるので受け取りはしないけど。


「あのおっさん……」


 俺はなんと無しに橘からもらった紙を裏返してみた。


 裏にはお店の店名と買った商品の品名と値段などが書いてあった。まあ、いわゆる領収書レシートだ。


「ちゃんとメモ用紙に書けよ……」


 俺は橘のいい加減さに、またも溜め息を吐いてしまった。





 帰路につき、その後は何事もなく無事に帰宅する事ができた。


 俺は制服も脱がずにベッドに寝転ぶ。


 いろんな事があった放課後だった。


 姉さんと会ったり、ヒーローと一緒にファントムと戦ったり、顔見知りの刑事に会ったり、男二人から連絡先を渡されたり。まったくもって嬉しくないエンカウントだ。


 それもこれも全部黒奈のせいだ。


 あの時黒奈が行ってれば、俺が変な連中に絡まれずに済んだのだ。


 本当に、調子が良い奴だ。黒奈が頼み込んで俺が苦労する裏で、あいつが脳天気に笑っていると思うと苛々いらいらする。


 どうせ、姉さんとアイスを食べながらへらへら笑って帰ったに違いない。脳天気で、なにも考えてない黒奈らしい。


「はぁ……」


 黒奈の事ばかり考えてると苛々してくる。


 そんな時、携帯がぴろんと軽快な電子音を奏でる。


 見やれば、黒奈からメッセージか届いていた。


『ごめんね、大丈夫だった?』


 一言、それだけがメッセージとして届いていた。


 調子の良い、取って付けたような言葉だ。


 俺は黒奈からのメッセージに『ああ』とだけ返し、制服から部屋着に着替えると、かばんから課題を取り出して机に向かう。


 イヤホンをつけてミュージックプレイヤーを起動させ、音楽を聞きながら課題に取り掛かる。


 聞いてるのは、カフェミュージック。別にカフェミュージックが好きとか、そういうわけではない。普通にバンドの曲やアイドルの曲も聞く。というか、良いなと思った曲はジャンル問わずに聞いている。が、勉強中のBGMにはカフェミュージックが最適だ。だから、勉強中はこれを聞くことにしている。


 俺はカフェミュージックをBGMに、課題に集中した。


 何かに集中していると他の事が頭から出て行くから良い。BGMも外の情報をシャットアウトして、自分の世界に篭れるから良い。


 今、俺が見て、考えているのは自分のことだけ。


 こうして、何かに集中していれば、わずらわしいなにもかもを考えなくて済む。


 勉強で頭を働かせ、ただひたすらにプリントやノートに文字や数式を書き込む。


 いつまでそうしていただろう。


 没頭しすぎて時間を忘れていた時、ぽんぽんと肩を叩かれた。


 俺は突然のことに少し驚きながら、イヤホンを外して振り返る。


 そこには、部屋着姿で気怠げな顔をした姉さんが立っていた。


「夕飯だよ」


「ああ」


 どうやら、夕飯ができたから呼びに来たらしい。


 俺は返事をしながら、椅子を立つ。


「集中してたね」


「勉強だからな」


「そうじゃなくてさ。なにかあった?」


 聞かれ、俺は意味も無くドキリと心臓が跳ねる。


 じっと瞳の中を覗かれ、そのまま俺の心の中まで見透かされそうな錯覚におちいる。


 俺は、その感覚が嫌で、姉さんから目を逸らす。


 姉さんは、時々鋭い。


 勘が良いというか、観察眼が鋭いというか。相手がいつもと違ったり、調子が悪かったりすると、すぐに見抜く。


 明確な根拠は無いのだろう。聞けば、ちょっと変だなって思った、とか、なんか違うなって思った、とか、そんな曖昧な答えしか返ってこない。


「なにも無いよ。それより夕飯だろ? 行こうぜ」


「うん」


 強引に話を終わらせ、部屋を出て行けば、姉さんも後からついて来た。


 一階に降り、両親も交えて夕飯を食べる。


 テレビのニュースをBGMに家族で談笑をする。といっても、俺は三人の会話に耳を傾けるだけだ。


 姉さんや両親はファントムやヒーローとは無縁の存在だ。


 母さんは普通の専業主婦。父さんは普通のサラリーマン。姉さんは普通の高校生。


 この家で、ヒーローという特殊な肩書きを持つのは俺だけだ。


 だから、俺は家ではファントムと戦ったとか、刑事にお願い事捜査協力を頼まれたとかは話さない。無駄に家族を不安にさせたくないし、なにより巻き込みたくないからだ。


 橘と出会った時の、殺人犯を取り押さえた話だってしてない。もちろん、橘には家にも連絡しないでくれと言っておいた。


 家族は平和に生きているのだ。物騒な話をして気を揉ませたくはない。


 話していてぽろっとそういう話題が出ることもある。だから、俺は極力話をしないで聞き役に徹する事にしている。


 もちろん相槌は打つし、何かを問われれば返事もする。


 俺は今日も家族の話を聞きながらご飯を食べる。


「そう言えば、この町でも連続殺人の被害が出たらしいぞ」


「え、本当なの?」


「ああ。俺達も気をつけなくちゃな」


「そうねぇ」


 不安そうに言う母さんに、姉さんが言う。


「あ、その話友達からも聞いたよ。なんか、被害者って悪い人だったみたいね」


「ええ。確か、詐欺師、だったかしら?」


「ていうか、被害者全員、何か悪いことした人っぽいよ」


「あら、そうなの?」


「うん。だから、お母さんが狙われることは無いんじゃないかな?」


「だが、無防備なのもいかんだろう。注意ぐらいしておかないと」


「そうね。お買い物はお父さんがいるときにしましょう」


「ああ、そうしなさい」


 母さんの言葉に、父さんが頷く。


 母さんに頼られて、父さんは少し嬉しそうににやけている。


 母さんも、父さんが即座に頷いたのを見て、嬉しそうに笑っている。


 いつまでもお熱い夫婦だことで……。


 そんな、いつもの光景を尻目に、姉さんが俺を見る。


「ねえ、深紅は聞いた?」


「なにが?」


「連続殺人犯が正義の執行人って呼ばれてること」


 正義の執行人、ねぇ……おおかた、悪人ばかりを成敗してるからか? 


「いや、初耳」


「そう」


 姉さんは頷くと、呆れたような目をする。


「おかしいわよね、正義の執行人だなんて。皮肉も良いところだわ」


「まあ、殺人を犯してるからな」


 どんなに相手が悪くても、自分が同じ場所に立って行われる行為は正義じゃない。悪人が悪人を殺しているだけだ。決して裁いている訳ではない。


 正しい行いで悪人に裁きを下すのが正義の執行だ。警察が違法行為をして捜査をしないのも、法を犯しているからだけではなく、悪人と同じ場所に立たないためだ。悪人が悪人を取り締まるだなんてことにならないように、法を遵守して捜査をしているのだ。


 そう考えれば、悪人が正義の執行人だなんて、確かに皮肉がきいている。


 俺が頷きながら言えば、姉さんは味噌汁を飲んだ後に言った。


「そうじゃないわよ」


「は? じゃあ、なにが皮肉なんだよ?」


 俺が当然の疑問を口にすれば、姉さんは俺をいつもより真剣な目で見る。


「この犯人が純粋に悪を許せない思いで行動をしているなら、まあ、やり方は間違えてるけど、正義の執行人と呼ばれても不思議は無いわ」


 呼ばれる資格があるかはともかく、ね。と言いながら味噌汁をすする。


「でも、この犯人がただの復讐心、または、悪意で動いてるとしたら? 犯人は純粋な悪で、それでも民衆は正義と言う。悪が民衆の願望だけで正義に成り代わるの」


 俺は姉さんが言いたいことをようやく理解し、ゾッとする。


「けれど、悪は悪として行動する。悪の理念を持って、次の殺人を行う。けど、ちまたじゃ正義の執行人。正義も悪も、民衆の信じたいものだけで決まる。犯人の正体と行動理念が分かれば、自分が思っていたのと違うと熱が覚める人もいるけど、逆に余計に入れ込む人もいる」


 そうなれば、悪が正義になるのではなく、悪が悪のカリスマになる。


「想像を壊された民衆は犯人をバッシングするでしょうね。あれだけ騒いでたのに。犯人も可哀相よね、勝手に正義の執行人にされたり、悪のカリスマにされたり。どちらかじゃなくて、どちらにもさせられる人って可哀相だわ」


 まあ、行動が行動だから、同情の余地は無いけどと言って、姉は味噌汁をすする。


 話は終わりなのか、姉はご飯を食べるのを再開した。


 しかし、俺は姉の言ったことを少しだけ考えていた。


 人の願望だけで、悪は正義にもなってしまう、か……。


 見方の問題なのか、思想の問題なのか。ともあれ、行いは自分がどう思ったかではなく、人の見方によって歪んで見えてしまう、と言うことだ。


 って、それだけじゃあなんで皮肉なのか分かってないじゃないか。


「姉さん、なんで皮肉なんだ?」


 俺が問えば、姉さんはちらっと俺を見て、つまらなそうに言った。


「見方によって正義が悪になるなら、誰の行動も悪にも正義にもなるでしょ? だったら、自分の行動の意味も理由も誰かに決められてるって事になるじゃない。正義を決めている人もまた正義か悪かを他人に定められている。これが皮肉と言わずになんて言うの?」


 姉さんはそれっきり、その話題を口にはしなかった。


 俺も、それ以上聞こうとは思わなかった。


 それ程までに、姉さんの話は俺を考えさせた。

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