第23話 クリエイティブな毒の吐き方
最近、ジェーン・スーさんの数年前のエッセイを拝読して、「すごいなー」と感嘆しておりました。
知性とユーモアのあふれる文章の中に、時々「イテテテ」と思うような毒(?)があって、でもそこが痛快です。
私は基本的に、エッセイではあまり毒を吐きません。私の場合、毒を吐くと、大抵の場合、うまく昇華できずにただの愚痴や悪口になってしまうからです。
だからといって、あんまりポジティブオンリーなのも、「私の人生って楽しいでしょ」自慢してる人みたいでやだなーと思います(←自意識過剰)。
生きていたら、うまくいかないこともあるし、弱音を吐きたいときもありますよね。今まで、エッセイの下書きでネガティブネタを書いた後、一番最初の読者として読んだ時に、「おもしろくないな」と思ってボツにしたことが何度かあります。
人のエッセイでネガティブなことが書いてあるのを読むのは好きなほうです。書き手の弱い部分を赤裸々に伝えてあるエッセイって、時として人を救う力があるなと思います。
例えば、肉親が好きじゃないとか、生きているのが辛いとか、一般的に「不適切」とされるような感情の吐露は、悩んでいる人に「私だけじゃないんだ」と安心させる効用があると思います。
かくいう私も、子育てがマックスで大変だったころ「我が子がかわいいことと、子育てが大変なことは別。子どもがどんなにかわいくても、子育ては辛い」的なことをどこかで読んで、「そうなんだよ!」と心底スカッとした経験があります。
私の場合ですが、ネガティブなことを読み物としておもしろく書こうと思ったら、ポジティブなことを書くよりもずっと時間がかかりますし、最終的にうまくいかないことも多いです。
風刺にしても、感情の吐露にしても、上質な毒というものは、確かに存在するなーと思います。
ジェーン・スーさんがすごいなと思うのは、痛快な毒の中に、愛や優しさを感じるんですよね。世間や他人に対して鋭いツッコミを入れつつ、自分のことを棚にあげないで、きちんと向き合っていらっしゃる感じがします。
気の利いた毒舌とただの愚痴の違いって、書き手の知性とユーモアに加えて、自分と向き合って、自分の恥をさらす勇気があるかどうか……かもしれないな、と思いました。
今日はちょっと真面目なこと書いてますけど、特に嫌なことがあったわけではありません(笑)。ジェーン・スーさんのエッセイを読んでいて、辛口のキレがすばらしいなと思い、考察(?)してみました。いやー、とても真似できませんっ。
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