第8話

 傷がある程度ふさがってからリハビリも当然行われていたのだが、驚くことに殆どベッドの上から動かなかったのにも関わらず以前と変わらず動くことが出来ていた。

 傷は痛くて突っ張るが、それ以外は寧ろ快調と言っても良いくらいだった。

 お陰で退院が早まったのはありがたかった。


 退院してその日、その足で向かうのはいつもの食堂。

 一仕事を終えた後の一杯をまだやってないからどうも心の据わりが悪いのだ。

 腹の皮はまだ突っ張る上に傷もふさがり切っていないし、医者からは酒は暫く控えるようにと言われているがそんなことは関係ないのだ。

 仕事が終わったという納得は何よりも優先するぜ。


 午前十時。

 開店と同時に暖簾をくぐる。

 店主の愛想のよい挨拶を聞きながらカウンター席へと腰を下ろす。

 何を置いてもまずは酒だ。


 一月ぶりのビールを一気に喉に流し込む。

 久々の喉越しと口の中を刺激する独特の苦みと旨味、鼻から抜けるフルーティーな香りに自然と笑みが浮かぶ。

 ゴースIPAは良いものだ。

 私が無理を言って置いてもらっているので飲まねば申し訳ないというもの。

 今日は病院食では味わえなかった味の濃い奴を中心に頼んでやろう。

 私は財布の中身を考えないことに決めた。


 店内のテレビを見上げながら飲みつつ、暇そうな店主相手に管を巻いているときだった。

「病院に行ったらもう退院したと聞きまして」

 佐々木さんが姿を現した。


 一足先に退院した彼はもう現場に復帰している。

 傷を隠すために革製の厳つい眼帯を身に着けるようにしたそうなのだが、市街のスーパーで買い物をする度に他のお客さんやレジのおばちゃんに怖がられてしまうのだと語っていた。


 大きめで厳ついデザインの眼帯、そこから大きくはみ出ている二筋の傷跡と二メートル近い上背。

 何も知らない人が見たらビビるのは間違いない。


 奥さんからは人相が悪いから止めろと言われているらしい。

「娘からのプレゼントなので絶対に外しませんよ」

 そこは譲れないのだとか。

 眼帯の下はまだ結構酷いが瞼の傷が完全に繋がったら義眼を入れるのだと言っていた。


 そういえば、と安部ちゃんの地図の話を振ってみる。

 佐々木さんも気になっていて、私が入院している間に色々と事情を調べていてくれたのだ。

 彼が調べたところによると少年が持っていた地図は、やはり安部ちゃんが作成した地図のコピーで間違いなかったそうだ。


 地図は安部ちゃんの妹が無断でコピーし、交際関係にあった探索者の男にプレゼントしたとかそんな経緯らしい。

 その男も今回の件で命を落としてしまっていて妹さんは随分と気落ちして部屋から出てこなくなっている。

 そのため男に唆されたのか、妹が彼氏に尽くそうとした故なのか動機は分からないままだ。


 その彼氏は手に入れた地図に森の中の構造物までのルートが記されていることに気が付いて成功するために利用しようと考えたのだろう。

 救助された少年から何とか話を聞きだしたところ最下層にある巨大構造物の動画を撮ってネットに上げる心算だったとのこと。


 ただ、回収されたスマホからは道中、中層辺りまでの動画しか録画できておらず、肝心の下層域のファイルは破損していたそうだ。


 中層までの映像がきちんと録画できていたこと自体が奇跡のようなものだが、この少年たちは研修で精密機器の動作不良について学んでいるはず。

 どうしてこの計画が上手く行くと思ったのか、謎だ。


 佐々木さんは退院して直ぐに安部ちゃんに連絡を入れて事情を説明して話を聞いてくれていた。

 安部ちゃんが下層辺りを調べた際には金になりそうなものが無かったのでハズレのルートとして記録していたそうだ。

 珍しくはあったけど、買い取り価格表になかったし面倒事の匂いがしたそうな。


 大学に入った後、バイトに時間を使うのが嫌だといって金になりそうなものを中心に採集していたからさもありなん。

 私たちがあの子にルートを教えてもらったとき、更に下層のエリアを私たちに教えなかったのはそういう理由からだろう。

 私たちも生活の為に潜っているのだし気を使ってくれたのだ。


 あと公表しなかったのはニュースになってインタビューを受けるのが嫌だったからだそうだ。

 田舎のローカル局と言うのはこういう話題には目が無い。

 タイミングを考えるに例の調査隊よりも発見が早かったわけで、そうなったら間違いなく全国ネットだ。

 そうなると絶対に人には話さないのが想像に難くない。


 今回の件では未踏査区域管理庁に呼び出されて聞き取りや地図の写しを提出させられたりとうんざりしていたらしい。

 電話越しに聞く声は随分と投げやりな感じだったと佐々木さんは笑っていた。


「妹の彼氏には悪いけど、人のモン勝手に見てくたばってんだからざまぁないね」

 辛らつな口調でそう言っていたとか。

 両親からも人が亡くなってるのに、アンタには人の心がないのかと詰められたらしいのだが、

「下層を安全だと勘違いしてノコノコ出かけて行くような馬鹿なんか知らん」

 こんな調子なので両親とも妹とも絶賛喧嘩中との話だ。


 私も佐々木さんからその話を聞いた時あんまりな物言いに苦笑を禁じえなかった。

 余りにもあの子らしかったからだ。

 そんな話を中心にのんびりと酒を楽しんで、昼が近づくにつれて見た顔がちらほら店に入って来る。

 気が付けば私の快気祝いだと飲み会が始まってしまった。


 どうも体のいいダシに使われてしまったようだ。

 私としては亡くなった方々にも思いを馳せながらしんみりとするつもりだったがそれはまた別の機会にしよう。


 気が付けば、店の窓から見える田園は茜色に染まっていた。




 さて今回の事件、色々と問題を残す結果となった。

 まず件の被害者高校生たちを発端とした制度上の問題。

 彼らの悲惨な運命に心ある人々が声を上げたのだ。


 未来ある十代の少年探索者から死者が出てしまったことに怒りを覚えた彼らは免許取得年齢の引き上げを『未踏査区域管理庁』や関連事務所に対して要求し始めた。


 元々、探索免許を取得した者のうち十八歳未満は仮免許扱いで『森』での活動には免許取得者の引率が必須である。

 免許取得者は一人につき仮免取得者を二人まで引率できる決まりだったのだ。

 今回の件に関して見てみると二十一歳の青年が一人、十八歳が二人、十七歳が一人、十六歳が三人で要件を満たしていた。

 そういう意味では彼らはルールを良く守っていた。


 彼らの落ち度としては『森』への入場の際に活動期間を事前に申告していなかった点だろう。

 ただ、彼らが泊りがけであると申告しなかったお陰で捜索願いが早く出されたという結果オーライの面もあったが……マナーの悪さといい何が良い結果につながるか判らないものだ。


 ともかくとして心ある市民団体の方々はそれでは温いということで仮免許であっても取得可能年齢を成人まで引き上げるように要求したのだ。(仮免許は16歳から)


 しかし国が行った改定は、免許取得者が引率できる人数を一人までとし、引率者側にも一年の活動実績が認められる者に限る、とした。

 これに対して市民団体は対応が不十分だとしてせっせとプラカードを作っては永田町まで出張しているらしい。

 熱心なことで頭が下がる思いだ。


 もう一つの問題は下層には武器を持った人間をものともしない化け物染みた生物がオーク以外にも存在したということだ。

 これまで人類が遭遇していなかったのは偶々運が良かっただけに過ぎなかったのだ。

 民間人が使用できる武器をもっと増やせ、ロケットランチャーや火炎放射器を、とかそんな声を上げる人も増えてきた。


 そもそも論として『森』自体が民間へ解放すべき場所ではないという意見も根強い。

 今回の事件を受けて今からでも遅くないので『森』を封鎖すべきだという活動が活発になったのは必然だっただろう。

 免許取得年齢に関する運動はこちらに吸収されそうな感じがするが、どうなることやら。


 規制に関しては与党も野党も政治家の動きは鈍く、のらりくらりと躱して規制に対する陳情を黙殺しているのが現状だ。

 世の中の陰謀論界隈では世間に隠された利益を生み出す何かがそこにはあるのではないか、まことしやかに囁かれているが推測の域を出ない。


 それに拍車をかけるのが、免許交付の半年前に新たに設立された『未踏査区域管理庁』という組織。

 急造の組織で未だに人事に関する情報が不透明。

 トップは総理大臣が兼任しているらしいが、それ以外の情報が中々出てこない。


 対応の案内に関してもホームページのトップにちょろっと記載して終わりなので仕事をしているのかと首を傾げる人は多い。


 それら含めてメディアは与党叩きの恰好の材料とみているのかワイドショーでは今回の事件やそれがらみの報道ばかりだ。


 元々テレビはあまり見なかったが更に見なくなってしまった。

 これも傷が完全に癒えるまでの辛抱である。

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