第6話

 私たちはあの化け物を人狼と呼ぶことにした。

 あの時、後ろ足で立ち上がった姿が正に狼男のように見えたからなのだが、奇しくも全員が同じような印象を受けていた。

「上への道を知られるわけにはいかない。この感じだと奴とはまだ十分な距離がある」

 下からの圧迫感は感じるが、指摘されたように遠くに感じる。


 歩きながら即席の作戦会議。

「どこか奴をおびき出して一気に叩ける場所は無いか」

 私たちは安部ちゃんの地図と既存の地図を突き合わせて話し合った結果、中層と下層の境にあるY字の枝が分かれている場所で迎え撃つことになった。

 できるだけ足場として最低限の太さがある場所でかつ、下層まで途中に引っかかる枝や蔦が無い場所。

 そして、真下には……強風が吹きつけて下層の霧が一瞬揺らぐと黒く尖った柱の先端が見える。

 下を見下ろして思わず喉が鳴る。

 あの上にヤツを落とす。

 成功すれば奴を殺せて地上に戻れる。

 失敗すれば私たちは全員地上に帰ることを諦めることになる。


 Y字の枝と言うよりも幹と言った方がしっくりくる太さ巨大さだが、それにタープを張って落とし穴の要領で仕掛けを作る。

 奴をこの上におびき寄せる。

 後は落下してアレに刺さってくれれば御の字。

 刺さらなくてもただでは済まない筈だ。

 何なら追撃に出てもいい。


「あの子はここで下を眺めながら休憩していたみたいですね」

 佐々木さんは地図のメモを見てそんなことを呟いた。

 多分、偶々あの黒い先端を目にして更に下へ降りるためのルートを探したのだろう。

 確かに景色は悪くない。

 高所恐怖症の人が見れば気が狂ってしまいそうではあるが。

 そんな景色も、タープで覆われてはじめ、隠されてゆく。

 タープはしっかりと張られ、隊員が全員乗っても撓みはするものの緩む気配はない。

 もうじき準備も終わって作戦が始まる。


「釣れると思いますか?」

 という佐々木さんの問いに私は分からない、としか答えられなかった。

 なぜなら、私たちが移動し、場所を選定する間も嫌な気配は常につき纏っていてその圧迫感は一定だった。

 つまりヤツは付かず離れず私たちの後を一定距離を保って付けてきたということ。


 知能の高さが伺える。

 そんな奴がすんなり罠にかかるだろうか。

 嫌な予感を覚えつつも状況は動き続けている。

 ただ、一つあるとすればヤツは私たちを完全に舐めてかかっているという点だ。

 自らの巨大すぎる気配を隠そうともしないのがその根拠だ。

 恐らく最初の接触で銃が効かないことも学習しているはず。


 私は身を隠すためにかき集めた枝葉で自身と救助者を覆う。

 正直効果があるかも分からないが、ないよりはましだろう。

 隊員たちは身を隠すために蔦を利用して即席のバリケードを作ったりしている。

 各々の準備が終わると張り詰めた空気に満たされる。


 Y字の枝の先を見れば、二人の隊員が身軽な格好で小銃だけを持って枝を駆け降り始めた。

「作戦が始まったみたいですね」

 六名の隊員が三名づつ各枝に分かれて銃をいつでも撃てるように待機している。

 その中には長田君やあの田川が居る。


 私たちはと言うと、待機している隊員達の少し後ろで救助対象者の護衛だ。

 離れすぎてしまうと此方が狙われる可能性があったので余り離れられないのだ。

「こんなことをお二人に頼むことは筋違いなのですが」

 班長は作戦の前に申し訳なさそうに告げた。

「何を仰いますか。私たちにできることなら幾らでも手を貸しますとも」

 佐々木さんは覚悟完了していた。

 班長はそんな私や佐々木さんにお礼を述べつつ、

「生きて帰れたら懲戒処分ですかねぇ。私一人の首で何とかなればいいんですが」

 冗談っぽく笑っていた。


 佐々木さんは静かに息を吐いてホルスターに収まったままのSAAの銃把を撫でる。

 探索者が『森』の中で携帯許可されているのは、ボルトアクションでかつ装弾数五発以下のライフルか、シングルアクションのリボルバーの二択となっている。

 当然、護身用なわけだから携帯性の高いリボルバーの方が人気ではある。

 ミネベアやミロクから探索者向けのリボルバーが販売されているが、SAAはミロクが製造しているライセンス生産品だ。

 しかし、こんな状況になってみると、ボルトアクションとはいえライフルも持ってきていればよかったと思わないでもない。

 とはいえ私は持っていない。高くて買えないんだよなぁ。


 そのうち下の方で発砲音が聞こえ始める。

 それからしばらくすると銃声が少なく散発的になり、それが徐々に近づいて来る。

「総員構え!」

 緊張が走る。

 両サイドの隊員二人はしゃがんで結わえてあるロープに手を掛ける。


 駆け上がってきたのは一人だけ。

 銃声で分かっていたことだが、奥歯をかみしめる。

 感傷を感じるのは後回しだ。


 その後ろからは巨大な狼頭の化け物が見える。

 わざと追いつかないようなペースで走り、囮となった隊員を嬲るかのようだ。

 枝の間に張られたタープの上を走り、ヘッドスライディング。

 予め用意しておいたスリングをハーネスに引っかけるのと同時、追いかける人狼が囮の隊員に躍りかかる。


「今!」

 ロープに手を掛けた隊員はナイフで切り落とす。

 支えを失ったタープの表面は波打って人狼の重量に従って形を変えてゆく。

 不意に不安定さを増した足場に人狼はバランスを崩し、隊員たちはダメ押しとばかりにもがく人狼へと引き金を引く。


 数秒間の激しい銃声と共にタープに包まれるようにして人狼は下へと落ちてゆく。

 私は何時の間にか腰の銃に伸びていた手を放し、これもいつの間にか強張っていた肩の力を抜いて息を大きく吐いた。

 隊員たちも極度の緊張から抜け出したからか、完成を上げて仲間たちと喜びを分かち合っている。

 上に戻ったら定食屋で打ち上げでもしましょう、佐々木さんに声を掛ける。

 そうですね、安堵の籠った笑顔で応えた佐々木さんの表情が見る見るうちに蒼白となり

「まだです! 皆さん銃を!」

 叫んでいた。

 瞬間、下方から延びた鉤爪の生えた腕が前方、笑顔を浮かべていた隊員の肉体を容易く切り裂いた。

 真二つに断ち割られ下層へ落ちていく隊員と入れ替わるようにして人狼は枝の上に立ち、憤怒の籠った方向と同時に銃を構え引き金を構えようとした隊員を切り払う。


 血しぶきは無く、バラバラと崩れるようにして転がる肉塊。

 声を上げる暇もない。

 人狼の足が撓んだように見えた瞬間、目の前に影が差す。

 大きく振りかぶった人狼の腕がスローモーションで降りてくるのが見える。

 だが狙いは私ではない。

 その時の私の思考はいまいち判然としない。

 無意識だった。


 肩から、佐々木さんを跳ね飛ばそうとタックルをかましていた。

 見上げるようにしてみれば、爪は届いていなかったが、佐々木さんの顔が切り裂かれ二筋の赤い線が走るのが見えた。

 その振り下ろされる爪の先、どうしてこうなったのか、私の体があった。

 死ぬのか、とかそんな意識もない。

 ただ、自然と撃とうという意識があって、銃を引き抜いて狙いを付けていた。

 スポットバーストショット。

 腹部に熱が走るのと人狼の瞳が破裂するのは同時だった。

 怯んだ人狼がバランスを崩して枝から脚を滑らせる。


 不思議と痛みは無かった。

 ただ、音が遠くなり脚に力が入らなくなって、それで、傍に立った佐々木さんの血まみれの顔が視界に入り、銃を撃ちおろすのが見えた。

 私は何となくこのままじゃいけない、そう思いつつ腕の力で体を支えて佐々木さんの狙いの先を見れば、枝の表面に爪を立てて片腕で張り付いている人狼の姿が見えた。

 そんな視界の端で向かいの枝から助走をつけて飛び込む人影。

 田川だ。

 何かを叫びつつ人狼の毛皮を掴み大振りのナイフで首を突き刺した。

 鮮血が舞い、暴れる人狼が咆哮を上げるように口を大きく開けて悶えている。

 私は残りの弾を全て人狼の爪、枝の表面に引っかけているソコに向けて三度引き金を引いた。


 どういう理屈なのかは分からない。

 眼なら弱点になりうるから銃弾が効いたというのは何となくわかる。

 爪を狙ったのは怯んで爪が外れてくれればいいくらいの気持ちだった。

 ただ、その時は何故か銃弾で爪の根元を打ち砕くことが出来たのだ。

 私は這うようにして枝の淵まで行き、もがくようにして下層へと落ちてゆく人狼を見守った。

 と、同時に枝の表面に引っかかって残っていた人狼の爪をこっそり回収してバッグの中に入れておく。

 タダ働きは嫌なのでせめてこれくらいは許してほしい。


 爪を回収している間に人狼は下に見えた黒の尖塔に突き刺さって息絶えたらしい。

 せっかくのシーンを見逃したことを悔しがる前に私は意識を手放した。


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