『Siuil a Ruin』

 1963年 5月


 ある日、シャーロットは音楽室で言った。


「あなたの故郷の曲を聴いてみたいわ、ジェラルド」


「でも、バグパイプや太鼓がないと……」


 アイルランドにいたのは小さい時だけだったから、ピアノで弾けそうな曲がなかなか思いつかない。


「本当はこれ、女の人が歌う曲だから、1オクターブ低く歌うよ」


 ジェラルドがピアノで伴奏を弾きながら歌ったのは、『Siuil A Ruin』という作者不明の曲だった。

 3番辺りから歌詞が曖昧だったが、サビのゲール語の歌詞は毎回同じだったので、何とか最後まで歌うことができた。


「……速めのリズムを刻んではいるけれど、何だか、悲しいメロディーね。別れの曲のような感じだわ」


 シャーロットは言った。


「そう、これはフランス軍と戦うためにイギリス軍に徴兵された恋人への悲しみを歌った曲なんだ」


 戦争の際、イギリスは本国だけでなく、植民地からも出兵させた。

 戻って来られる保証もなく、祖国を支配する国のために命を懸ける恋人を送り出す少女の心情を思うといたたまれない。


「ゲール語の歌詞は、『行って、行って、愛しい人よ。静かに出て行って、ドアまで来たら私を連れて逃げて。愛しいあなたのご無事をお祈りします』という意味なんだ」


「私を連れて逃げて、ということは駆け落ちを望んでいるのかしら」


 シャーロットは言った。


「きっとそうだね」


 ジェラルドの頭の中で、「駆け落ち」という言葉が引っかかった。

 それは案外、自分にとって身近なことなのかもしれなかった。

 シャーロットと結ばれるには、駆け落ちしか方法がない。

 今まで具体的に考えたことはなかったが、2人の仲が深まった今、それをためらう理由はないように思えた。


 そして、ついにジェラルドは、その話を持ち出すきっかけを掴んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る