第21話 酔っ払いの妄言なんぞ聞く価値もないわァァァァァァァァァァァァ‼
アーレン・ローレンは貞淑で優秀な神の僕であった。
神学の理解が早く、魔法の才があり、そして誰よりも慈愛の心があった。
彼女は優しかった。
誰に対しても優しかった。
老若男女。身分も出自も種族も。その全てに関わりなく、彼女はただ優しく正しかった。
正しきを褒め称え。誤りをやんわりと指し示す。罪を犯した者に対しても、根気強くその心を清く正しい道を説いた。
彼女は、罪に優しかった。
何故かと言えば。
「.....」
アーレンは墓前にいた。
神学校に入るよりも前からの知り合いで。そして神学校を退学した親友。
親友は。女なのに一人称はボクと言っていて。女なのに隠れて男の子の姿をしていて。賭け事もしていて。肉も平気で食べていて。そのくせ、そういう素振りも見せずに隠れ続けていた人で。
そして。
アーレン・ローレンにとって――初恋の人であった。
神は様々なものを許さない。
女が男に扮する事や、男が女に扮する事。男が男に恋する事も、女が女に恋する事も。
性別とは、その者の運命だと女神は言う。
男には男の運命があり、女にも女の運命がある。
その運命から目を背けることなかれ。
神は欺瞞を嫌う。
それらの事項も、神にとっては限りある嘘や欺瞞の一つなのだと。
でも。アーレンは、女の子に恋してしまった。
とびっきり男の子っぽいけど。確かに女の子なその人に、恋してしまった。
変わらない。
己も何も変わらない。
――罪を犯したのに、必死にその事実を隠している。
――だから人に優しくしている。
――優しくしていたら。まるで自分の罪が赦されているような気がしていたから。
――だから。己を構成する優しさというのは、神が嫌う欺瞞そのものでしかない。
「....なんで?」
その罪を告白したただ一人の人物も。今やこの墓の下だ。
城塞都市から離れた荒れた墓地に。投げ捨てるように作られたその場所に。祈る事すらなく、ただアーレンは立ち尽くしていた。
「なんで...こんな事をしちゃったの?」
とある貴族の邸宅が焼き討ちされた。
その貴族と懇ろな仲であったという親友は、屋敷に雇われていて。そして――共に死んでしまった。
女神教は己が管理する墓地に入れる事を許さず。こんな荒れ果てた土地の外れに棄てられるように埋められていた。
だから。女神に祈る事も許されない。
雨が降ってきた。
それでも――そこを動く気にはなれなかった。
そうしているうちに。
隣に、よれたローブ姿の男があった。
「.....」
男は、墓前に――酒瓶を置いていた。
「....なんでお酒を置くんですか?」
「こいつが生前、学生の分際で酒盛りする馬鹿だったからだよ」
ローブは所々斬り裂かれており、雨が男の足下に血だまりを作っている。
男の左手には、防水用の術式を宿した結界に囲まれた鞄がある。
「――大丈夫だ。命に別状はないし、別状があったとしてもアンタが気にするような事じゃないよ」
「....どうしてですか?」
「ただの死にぞこないだからだよ。本来、こいつと一緒に死ぬはずだったんだがな」
その言葉を聞いた瞬間、思い出した。
貴族の邸宅で雇われていた彼女は、同僚が出来て、同じ仕事をしているのだと。そんな事を――実に楽しそうに言っていたことを。
その様は。本当に楽しそうで。見た事も無い色を宿した笑顔で。
――己の中にある胸のもやりを自覚していた。
その名前を聞いていた。
クソみたいな名前だから、よく覚えていた。
「....レロロさんですか?」
「おう」
レロロもまた。祈る事も無く、ただそこにいた。
「そういうアンタは、――アーレン・ローレンか?」
「何で知っているんですか?」
「ただ一人の親友だと言っていたからな。アイツの墓に張ってりゃ、いつか来るんじゃないかと期待していた」
「....私に何か用ですか?」
「こいつをやる」
左手に持った鞄を、男はアーレンに突き出す。
「もし自分が死んで、俺が生き残るようなことがあったら。これはアンタにやるようにと言われていた」
「....何ですかこれは?」
「女神教の術式の分析と研究の成果だ」
――は?
アーレン・ローレンの心中には、困惑の声が思わず発した。
「俺とアイツを雇った貴族様は、女神教の事が嫌いで嫌いで仕方がなくてなぁ」
「そして俺とアイツも嫌いだった」
「だから。アイツは神学校に行って。女神教の術式のサンプルを盗み出した後に退学したんだ」
「その後術式の解析を始めて。女神教の魔法の研究を始めたんだがな....あと一歩のところで、あんな事になっちまった。アルデバランの手勢に見事燃やされ。死にぞこないが一人ここにいるって訳」
あーあ、と男は言った。
その空虚な声が――己の中にある困惑が、怒りへと変わっていくのを感じた。
「なんで...!」
男の胸ぐらを掴み――アーレンは叫ぶ。
「そんな事の為に!――あの子は、死んだんですか!」
「そんな事か....」
男は――変わらぬ空虚な目のまま、言葉を紡ぐ。
「まあ、所詮はそんな事だろうな。雇い主の貴族は、代々引き継いできた鉱山の私有権を女神教のクソボケ裁決で奪われて領民の仕事が奪われたし。俺は弱味を握られた親父殿が女神教への布施の為に人身売買にまで手を出した様をまざまざと見せつけられて。そんな――所詮他人事のど~でもいい事にさ。悔しがってた馬鹿共の末路だよ。笑えよクソッタレ」
「....」
「国レベルどころか、この世界全体が蝕まれている寄生虫共を、こんなたかだか一貴族と一魔法使いが変えられると本気で錯覚しちまったんだよ。そんな器でもねぇし、そんな力もねぇのによ。馬鹿だよなぁ。愚かだよなぁ。俺もそう思うわ」
だが、と。
男は言う。
「――アイツの信念は、アンタにだけは”そんな事”とは言わせない。アイツの望みだ。俺はアンタにだけは、呪いを遺していくぞ」
「え....」
「アイツはなぁ、別に他人なんざど~でもよかったんだ。所詮他人事に必死になって世界を変えられると本気で信じてた酔っ払いの俺なんかとは違う。――アイツは他人じゃなくて。ただ一人の友達の為に、こうなったんだ」
いいか、と男は言う。
「アイツが女神教をぶっ潰すと決めた理由は、――アンタが自由に恋して生きていける世界を作りたかったからだと。そう言っていた」
「....え?」
「女が女に恋する事に罪悪感を持ってる親友がいるから。ただそれだけの理由の為に、こうなった」
風が吹き抜けるような感覚が、己の心中に吹いてゆく。
「自分は男が好きだから想いには応えられないが。それでも恋の甘味も失恋の苦味も、万人が味わえるべきだと」
「恋する事に罪の意識なんざいらない。その甘味や苦味が、異性を愛す者だけの特権であってはならない」
「女が女を恋する事を罪だと言う腐れアバズレが神だというなら、そいつをぶっ壊してやる」
「――という事だ」
男は、アーレンに鞄を渡す。
凄まじいまでの厚みのある紙の重みが、ずっしりと己の手に乗せられた。
「さあて。もう俺がやるべき事は終わった。せいせいしたわ~」
「....貴方はこれからどうするんですか?」
「どうするもこうするもないね。ただ粛々と死ぬまで待つだけさね」
「....死ぬ?」
そう聞くと、「おう」と男は答える。
「アルデバランの女魔法使いが罪を吹っ掛けられたからな。どうにか証拠を集めて別勢力の貴族や王宮の連中に掛け合って助けてもらった。――後はアルデバランの連中に報復で殺されるのを待つのみよ」
「なんで....なんで、アルデバランの家の人間なんて助けるんですか⁉」
「そりゃ助けられるなら助けるさ。実行犯じゃねーし。そもそもあの子だって紛れもない被害者だし。――もう疲れちまったよ」
ふらふらと男はアーレンに背を向ける。
「俺は転生者でさ。前の世界ではまあ完璧ではないにせよまあこの世界よりかはまともな世界ではあったんだよ」
「罪を犯した人間は罰を受ける。単純だけど、このサイクルを回してくれる複雑なシステムがあった」
「それを知っているから。女神教ってシステムそのものがこのサイクルを阻害しているのが我慢ならなかったんだよ」
「でも、俺に必要だったのは....自分の器の広さと、我慢を知る事だった」
「酔っ払ってたんだよ。自分が世界を変えられるってな。この世界に生まれてきて、”魔王を倒す為”なんてありえねぇ天啓まで貰ったのもあってさ。本気で出来ると思っていた。本気で、苦しんでいる連中を助けてやれると思っていた。そのせいでこうなったんだ」
「――酔っ払った失態を取り戻す為にさァ。自己満足の為にせめて、この事件に巻き込まれた可哀想な奴一人くらいは、自分が出来ること全部やって助けてやりたかったんだ。ここであの子を助けられたら。アルデバランのクソ共から逃れられるだろうし」
「後は酔っ払った報いを受けるのを待つだけ。気楽だよ。もう本当に解放された気分だ。そいつをアンタに託したから、もう本当に終わり。人生閉廷!」
「そいつは自由に使ってくれ。使うもよし。焼くもよし。女神教に密告するもよし。もう俺には必要ねェものだ」
「じゃあね~」
背を向けた男が、手を振って雨の中歩いていく。
重荷を取っ払い。己に託した。それ故に軽くなった足取りで、雨道を歩いていった。
己に待ち受ける破滅への道を。まるで散歩にでも向かうかの如き軽々とした足取りで。
――呪いか。
確かにそうかもしれない。
でもそれはそれでよい。
――死という絶対的な終わりの後に残り続けるもの。それを魔法使いは呪いという。
――今確かに。己が生きているうちに決して消えないものが楔となった。
「――解ったよ」
「キミが望むのなら。キミという存在を絶対に忘れてやらない」
雨の中、誓った事。
決して己は己に嘘はつかない。
――この瞬間に芽生えた。キミを奪った全てへ怒り、憎むこのココロ本音に嘘をつかないと。
――キミを殺した貴族も。女神教も。他人事のように何も手を差し伸べなかった他人も。そして、今の今まで何もしてやれなかった自分自身も。
「証を刻み付けよう。キミのようなボクになって。キミが成したい事を成し遂げて。キミが望む、自由なボクになって」
鮮明に突き付けられた己の親友の姿へ、変わっていく。
もうただ空虚なだけの優しさの影で意味のない罪悪に怯える、あんなものはもうおさらばして。
「――今日からボクは反徒アーレン・ローレンだ。ボクを縛り付けるアバズレ女神の残骸を殺し尽くす、キミのようなボクだ」
▼▼▼
「.....」
自身も軽くはない怪我を負っているにも関わらず、レミディアスを介抱し続けるレロロの背中をアーレンは見送っていた。
多分――今も、あの時と同じ心境なのだろう。
レロロは、自分の無力さというものを痛感していた。
無力な癖に何かを変えようとする事の報いを受けてしまったが故に。
だから。世界を変えてくれる人間が、世界を変えてくれる意思を持ったのなら。後は自分は不要だと――そう心から思っている人間なのだと思う。
辺境に引っ込んで田舎で暮らした後の己が末路など彼自身がよく解っているだろう。
解った上で。もう後は誰にも知られず、誰にも悲しまれる事無くひっそりとこの世から消えてもいいと。そんな事を考えている。あの雨の日に、軽い足取りで死にに向かっていたあの時のように。
ようやく、報いが来てくれるのだと。
あの時。レミディアスがアルデバランを粛正した事により延ばされた己の死が、ようやく来てくれると。
「――悪いけど。もうここまで来たなら、死ぬ以外の責任の取り方を選んでもらうよレロ君」
ゼクセンベルゲンを倒し、褒章を手に入れた後も。絶対に逃げる事は許さない。
「ま、その為にも――まずはあの厄介な戦争狂をこの世から消し去ってやらないとね」
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