第20話 しとしとじめじめランランラン♪

「....はぁ、はぁ....!」


 


 ゼクセンベルゲンへの襲撃を終え、転移を終えたレミディアスは――身体の奥から沸騰するような感覚を味わっていた。


 虐殺地への魂の蒐集をした上で。魂の解放による災害の誘起に、アルデバランの禁忌砦の召喚と立て続けに魔法を行使し続けたレミディアスの魔力は、限界を迎えようとしていた。


 


 召喚の維持に魔力が取られ。レミディアスには――他の術式に魔力を回せるだけの余裕はなかった。


 


 転移によって逃げる寸前。ほんの一瞬であったが――レミディアスはなんら防御術式もなしに、ゼクセンベルゲンの術式を浴びていた。


 


「――レミディアス!大丈夫か!」


 


 転移の術式の先。血相を変えて駆け寄ってくる誰かの姿を見た。


 全身を血が滲む包帯を巻き、その傷痕を開きながらも全力で走って来る、馬鹿の姿があった。


 緊張の糸が切れたように、その身体にもたれかかり、意識を閉ざしていた――。


 


 


 


 


▼▼▼


 


 


 


「しかし――まあ魔王を討伐したメンバーだから、肝の据わりがいいのは理解していたが」


 


 


 二手に分かれていたメンバーがユーランの別邸に再度集結した後。レミディアスは即座に屋敷の客間へと運ばれ、安静にしている。


 魔力も精根も尽き、意識を失ったレミディアスの姿を一瞥した後――屋敷の主たるユーラン・アレクシャスは呟く。


 現在。包帯塗れのレロロが甲斐甲斐しく世話をしている中、ユーランがその様子を見に来ていた。


 


「己の防御術式をかなぐり捨ててまで――ゼクセンベルゲンの術式を解明する事を優先したのか....。私じゃあ考えられない事だね」


 


 レミディアスは、ゼクセンベルゲンが日の出と共に放った魔法の解析を行うべく。


 防御術式を形成する魔力すらも費やし――空を飛ぶ怪鳥の視界を共有し、それをレロロとカスティリオの両者の意識に”召喚させた”。


 実際に決闘を行うカスティリオと、術式の解析を専門とするレロロへ、情報を伝達する為に。


 自分への防護よりも。彼女は――”ゼクセンベルゲンの情報を持ち帰る”という、己に与えられた役割を果たす事を優先させたのだ。


 


「....レミディアスは、そういう奴ですから」


 


 レミディアスの中にあるプライドは空より高く海より深い。


 彼女にとって己の尊厳と命。どちらかを選ばざるを得ない状況に置かれたら、迷うことなく尊厳を取る。


 


 彼女にとって――自身が請け負った役割を果たせない事は、死よりも許されざる事象なのだ。


 


 仮にレロロやアーレン、そしてカスティリオならば命を取るだろう。プライドなどあってないようなものであるレロロならば如何様にもかなぐり捨てられる。アーレンはまず命を拾って尊厳を取り返す事に全力を注ぐだろう。カスティリオならば命を取った後、全力で己が尊厳を踏みにじった者への復讐へ動く。


 


 レミディアスは、そういう事が出来ない。


 プライドをかなぐり捨てて何としても生き残り、その後に取り返しに行くという生き方が出来ない。


 死んででも、己がプライドを守る。良く言えば頑強で、悪く言えばどうしようもない程に不器用なのだ。


 


「まあそれはそれとして。君も休みたまえレロロ殿。君だって傷病人だ」


「俺はいいんすよ。どうせもうこの後やらなきゃならんのはゼクセンベルゲンの術式の解析で、もう前線には立つ事はないでしょうし。後はあの化物共に任せますから」


「....術式の映像が送られてきた瞬間に、その化物の為に血相変えて出て行ったのは何処の誰だったかなぁ?」


「....」


 


 その指摘に苦虫を喉奥にまで敷き詰められたかの如くとてつもなく嫌そうな表情をしたレロロに、ユーランは愉快そうに笑っていた。


 


「あ....」


 


 すぅ、と。大きな呼吸音が聞こえた瞬間。


 レロロはユーランに頭を下げる。


 


「すみません。屋敷の主に言う事じゃあないんですが。少し外してくれませんか?」


「それはいいが。私がいたら不都合があるのかい?」


「....はい」


「うむ、了解した。では外そう」


 


 ユーランが客間より出て行き。部屋には、レロロとレミディアスのみが残される事となった。


 


 


「.....」


 


 呼吸音が次第にはっきりしたものとなり。


 静かに――レミディアスは目を開いた。


 


「.....目が覚めたか」


「.....」


 


 目を開け、上体を起こしたレミディアスは。


 己の両手を一瞥し――何かに耐えるように拳を握り込み。目をきつく閉じる。


 


 それでも――耐えきれずに全身を震わせてしまう。


 


 震えている理由を、レロロは理解していた。


 


 今、彼女の身に魔力がないから。


 


 


 幼いころから親兄弟と骨肉の争いを続け。その果てに自らの一族を滅ぼしたレミディアスは――自身の魔法に対して絶対の自信を持っている。


 魔法の才があったから生き残れた。卓越した魔法使いである事が自身の価値となった。


 それは逆に言えば――魔法に依存しているともいえる訳で。


 


 限界まで戦い続け魔力を失い、無防備となった彼女は。 


 仮にここに暗殺者が来ようとも撃退する手段がない。差し出された飲食物に毒がないかを検知する手段も無い。


 魔力がない状態、というのは。幼いころより育まれた彼女の強すぎる猜疑心に耐えうるものではない。


 そんな状態で意識を失ってしまった、という状況そのものも。彼女にとってはあまりにも計り知れない恐怖であっただろう。


 


「.....」


 


 ベッドのそばにいるレロロのローブの袖口を、レミディアスはきつく握りしめている。


 震えが伝わってくる。


 きつく閉ざされた目蓋から、涙が流れている。


 


「わ、わたくしは、いぜん、あなたの、かんびょうを、しました」


「うん。そうだな」


「わたくしは、みのまわりのせわを、まほうでさせています。だから....」


「解った。ちゃんと魔力が戻るまでお前の世話をするから。ゆっくりしてな、な?」


 


 もう意識が戻ってしまっては、魔力が回復するまで寝る事も出来ない。安心材料が無ければ何も口にする事が出来ない。


 レロロは傍らにあったティーポットから茶を注ぎ、一度口にして毒がない事を見せて、レミディアスに渡す。


 この手続きをもってして。はじめて彼女は何かを口にする事が出来る。


 


 幼子にするように、レロロはレミディアスの頭を撫でる。


 普段の彼女ならば間違いなく殺意と憐憫に満ちた目で睨みつけ罵倒の限りを尽くすのだろうが。何も言わずに受け入れる。


 効果があったのか。震えが止まる事はないが、少し落ち着いてきたように思える。


 


 


 ――以前に一回だけこの状態になった時があるが。その時はひどいものだった。


 周りを拒絶するかの如く喚き散らし。刃物を手に周囲に威嚇していた。


 


 


 魔力とは。彼女にとって至極大事なもので。それが無くなった時、彼女の有り余る程の自信は脆くも消え去ってしまう。


 


 特に、彼女が操る死霊術は。行使する際に心に動揺が走った瞬間に、術者の魂を壊しに行く。――魔力が消え去る寸前まで、彼女はこの恐怖を噛み殺しながら魔法を行使していたのだろう。


 そういった諸々の緊張もあり。魔力を失い戦いが終わったタイミングで――こうして恐怖に打ち震えてしまうのだろう。


 


 それでも。


 それでも彼女は、己が魔力を全て賭けてくれた。


 


 いま味わっている恐怖よりも。


 ――レロロが託した己の役割を果たせない事の方が、余程恐ろしいと感じているから。


 


 


▼▼▼


 


 


 ――自分を頼ってくれる事が嬉しい。


 ――それなのに。期待してくれた役割を果たせずに失望される事が恐ろしい。


 ――だから。だから、どれだけ恐ろしくとも、己が役割は果たす。


 


 


 アルデバランの封印を解き、あの悍ましい召喚術を覚えたのは。


 レロロが己を救った後に、アルデバランに捕らえられた時であった。


 怒りに打ち震え、己が一族を滅ぼすと決めたあの時。


 


 既にバルデッタの封印の存在を知っていたレミディアスはその封印を解き。術式の理解も十全でないままに、その魔法を扱ってしまった。


 


 アルデバランの屋敷が悪霊に飲み込まれ。 


 そして――己自身も、バルデッタに魂を乗っ取られかけた。


 


 


 


 愚かで傲慢な魔法使いの末路。


 術式の理解も及ばぬまま。感情に流されるまま。ただ怒りに任せ魔法を扱った代償は――バルデッタの復活と未曽有の大災害という形で支払われるはずであった。


 


 だが。


 己がまだ十全に理解できていなかった術式を一目で看破し。悪霊に殺されかけながらも――レミディアスを乗っ取ろうとしたバルデッタの術式を書き換え、正常な代物に拵えた。


 


 


 殺された親友の為、という名目で己は冤罪から助けられ。


 その名目すらも無く。愚かな魔法使いの暴走に巻き込まれた挙句殺されかけて尚。彼の言うところのタンカス貴族の一人である、レミディアス・アルデバランを救ったのだ。


 


 


 その後――彼が書き換えた術式を用いる事で、レミディアスは正常にバルデッタの召喚を行えるようになり。


 それを用いて――アルデバランの不正を暴き。一族の粛清を果たした。


 


 


 怒りによって愛を知ったレミディアスは。


 己が失敗によって――レロロ・レレレレーロという男の内実を知った。


 


 最初。何故己を助けたのかを問うと。


 真の犯人へ報いを与えるためだと彼は言っていた。


 


 だが――理解できた。


 たとえ己を助ける事がそう言った目的と繋がってなくとも、きっと彼は同じように自分を助けたのだろう。


 なぜなら。まさにその時、何の理由がなくとも、命を懸けてまでバルデッタから己を救ったのだから。


 


 


 あの時。愛が欠落していた自分にその姿が、ピタリと嵌り込んだ。


 


 何か目的があっても彼は懸命に動くが。


 ――目的がなくとも。誰かの為にただ動くことができるのだと。


 


 この性質は、きっと自分は生涯持つ事はないのだろう。


 その性質がきっと、レロロを魔王討伐などという無謀な挑戦に突き動かした。


 


 


 だから。


 だから自分も、ついてきた。


 魔王の討伐なぞ無謀だと思っても。


 


 他の有象無象の為に己が動くなどあり得ない。


 関わりのない他者の死など、毛ほども興味がない。勝手に苦しんでくれればいい。勝手に野垂れ死にしてればいい。だって、どれだけ苦しくとも他人なんて自分に何も差し出してはくれなかったのだから。ならば他も苦しめばいい。苦しみから逃れたいなら自分で勝手にしろ。心の底からそう思えるほどに、己の本質は冷淡で残酷だ。


 


 それでも。


 それでも――あの人はそんな風に思えない人だから。苦しんでいる人がいたら勝手に苦しんでしまうような弱くて強い人だから。自分の親友を奪った貴族の一味ですらも、助けざるを得ない人だから。


 


 


 あの時教えてくれたものを、もっと知りたい。


 あの人にとって自分が、あの人が救った人々のうちの一人として背景になる事が耐えられない。


 頼ってほしい。役割が欲しい。価値が、欲しい。


 


 それだけだ。ただそれだけの為に自分は生きている。


 他の事はどうでもいい。心底どうでもいい。でも、あの人が望んでいる事だから。


 


 きっと。貴方の為だとあの人に言ったら、そんな事はしなくていいと言うだろう。自分の為に命を賭けたなんて、あの人が知ったら自己嫌悪できっと死にたくなるほど思い悩んでしまう。


 だから。自分の為だと言い張る。


 自分の為に。かつての自分の一族への憎しみが消えないから、政争を繰り返してでも権力を手中に入れようとしているのだときっとあの人は思ってくれている。


 


 ――彼は期待している。レミディアス・アルデバランという傑物が、今の貴族体制を破壊し尽くしてくれることを。


 アーレンもカスティリオも、自分の信念に基づいて、偽る事も無く行動しているのだろう。


 自分も信念はある。


 


 だけど――その信念を偽っている。


 


 自分は、ただあの人の為にだけ生きている。


 ただ、それだけなのだ。


 


 


 だから。


 せめて、離れないで下さい。


 


 


 ――離れがたく思えてしまう程に貴方という楔が、己の欠落に巻き付いてしまったのだから。

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