第9話 怒りの火を燃やせ!燃えカスに愛がある!

 愛というものは、言語化出来るものではないらしい。


 少なくとも。とある女にとっては、そうであった。


 呼吸の仕方や己が身体の動かし方を生まれながらに知らぬ者はいないし。そのやり方を言葉で表せと言われても言葉に窮するだろう。言語により表せられるものの範疇にはなく、それは言語の外側にある感覚により醸成されるもの。


 


 ただ――レミディアス・アルデバランには。愛を知り、実感する為の感覚が醸成されなかった。


 


 愛を与えられるはずであった親からは憎悪を向けられ。


 誰かに抱きしめられた事も無ければ、その存在を肯定された事も無い。ただ無条件に与えられる好意というものとは無縁の環境で育った。


 


 言葉に出来るものの全ては難なく理解できた。


 己が父がどれだけ努力しようと。長き年月を費やしても終ぞ理解できなかった魔法の秘奥も。彼女は幼子の時分には理解できた。


 それが、どうにも父には我慢ならない事であったらしい。父から。兄弟から。己に向けられる視線から与えられる感情の正体を――彼女は毎日の中で言語を介さずとも知る事が出来た。


 


 それは憎悪であった。


 彼女は――愛を知る前に、憎悪を知った。


 憎悪を知れば。憎悪は生まれる。愛を与えられれば愛を返せるようになるというが。彼女は憎悪を与えられたが故に憎悪を返せるようになれた。


 


 


 幾度も来訪してきた暗殺者への対応の為、結界術を学び、戦闘用の召喚魔法を覚え。


 幾度も食卓にて盛られた毒への対抗策に、毒の種別を学び。


 ――政治的な謀略により冤罪を着せられ嵌められかけた後には、権力層への根回しを行う必要性も痛い程学んだ。


 


 


 冤罪にて囚われた時。いよいよ己に死が迫る中――何故か己が冤罪は晴らされた。


 それは。元弱小貴族の男が必死に駆けずり回り冤罪である証拠を集め。アルデバランと相対する勢力に頭を下げ続け。勝ち取った代物であったという。


 対立する有力貴族の屋敷が襲撃され。使用人含め十数人が殺害された事件。男は冤罪の証拠を集めるだけではなく、レミディアスに罪を着せんとした他のアルデバランの者から妨害を受けぬよう他の派閥の貴族への根回しも根気強く行い。必死になって、レミディアスの冤罪を晴らそうとしていた。


 


 ――このわたくしが同情された?吹けば飛ぶような弱小貴族の、継承権すら存在しないただの無力な男に?


 


 その事実を前に。レミディアスは、男に感謝をするという感覚を持ち合わせていなかった。


 ただただ、不可解。


 彼女に理解が及ぶものは侮蔑や憎悪といったものでしかなく。己に向けられる同情は、それさえも侮蔑としか捉える事しか出来なかった。


 


 だから。冤罪が晴れ、牢から出てはじめて見た眼前にいるその男を見た瞬間、彼女は――憎悪の感情をぶつける以外の事が出来なかった。


 理解できないものを理解できないままに恐れ、憎む。そんな風にしか、在れなかったが故に。


 


 ――この下郎が。わたくしを救った理由を言ってみよ。見返りが欲しかったのだろう?


 


 せせら笑って。侮蔑の視線を籠めて、ただそう呟いた。


 そう。ここで下賤な欲望を吐き出せ。見返りを求めろ。そうでなければ――己の心は、どうにもならない、理解不可能な事象が残ったままになる。


 


 男はその言葉に。――乾いた感情と共に、冷たい言葉を返した。


 


 ――調子に乗んじゃねぇ、テメェみてぇなタンカス貴族如きに恵まれてやるほど俺は堕ちちゃいねぇんだよこの馬鹿が。俺がお前の冤罪を晴らしてやったのは、いっっっちミリだってテメェの為じゃねぇ。勘違いすんな。


 


 それは――今まで味わわされてきた、侮蔑や憎悪混じりの怒りではない。


 湿り切り、濁ったそれではなく。炎のように燃え滾った、ただ義憤を燃やした、灼熱の怒りであった。


 


 ――俺はなぁ。お前の一族のせいで死んだ友達の為にしか動いちゃいねぇんだよ。


 ――復讐か。ならなぜわたくしを助けた?


 ――復讐は正しく行使されなきゃいけねぇ。どれだけお前がクソでも、お前が罪を被ったらそれで終わりだろが。お前に罪を着せた真のクソ野郎をとっ捕まえねぇと、死んだ奴が浮かばれねぇんだよ。じゃなきゃ同類のテメェなんざ誰が助けるかクソアマ。調子に乗んじゃねぇ。


 


 ....怒りとは。己が感じた侮蔑や憎悪によって発生するものではないのか?


 友と呼べる者もいないレミディアスには、理解できぬ代物であった。


 ただ不運に巻き込まれ死んだたかが他人の為に、何故怒りを燃やせるのか。


 


 理解できない。


 己の中にある如何なる言語をもってしても、その因果を説明する事が不可能であった。


 だが。――理解できぬと突き放すのではなく。ただ一芥、”理解してみたい”という感情が生まれた気がした。


 


 理解してみたいが故に、考えた。


 ――あんな憎まれ口を叩きながらも。実家に戻る事の出来ないレミディアスの為に別派閥の貴族から迎えまで寄越してくれたあの男が感じていたものは何なのか。


 言葉に出来るものは、なんでも理解できてきた。


 だが――言葉に出来ない代物を、それでもと考える事は。稀代の才女たるレミディアス・アルデバランにとって――存外に楽しいものであった。


 


 それを定義する事も出来ず。


 それを感じる事も出来やしなかったが。


 


 ただ一つ。


 もう一度――あの男と会ってみたい、と思ってしまった。


 会って話してみたい。


 ただ。それだけが。


 


 


 


 その後の事だ。


 ――己が冤罪を晴らしたあの男がアルデバランの手の者により報復で捕らえられた、という報を耳にしたのは。


 


 


 


 ああ、と理解できた。


 たかだか。死んだ友の為に愚かにも大貴族へ喧嘩を売った男。その愚かしさの代償を払う時が来たのだと。ただそれだけだ。それだけのはずであったのに。


 


 その報を耳にした瞬間。己が胸中を満たした何かが弾けた気がした。


 侮蔑を侮蔑で返す、冷たく無機質な怒りではなく。


 燃えるような。己が内側へざらついた鑢を擦りつけられるような。不愉快で、痛くて、血の滲むような感覚を伴う――怒りというものを。


 


 ――そうか。これが、あの男が感じた代物なのか。


 


 


 脳内が沸き上がり全身が震える。目がチカチカして眩い。己に冤罪が降りかかった時よりも、よりはっきりした怒りの色を自覚できた。


 感覚の発信源は解らないが、それでも大いなる変化を感じる。


 ないはずのものが。言葉に出来ぬものが。己の表情を大きく変えていくのを、その時レミディアス・アルデバランは感じていた。


 


 


「きひ....」


 


 はじめて。声を上げて笑った気がする。


 己の中の、言語化できない代物を理解した瞬間。空気が漏れるような笑みが零れた。


 ああ。これが――他者の為に怒りを覚える、という感覚なのだと。


 


「ああ....。いい。いいですわね、これ」


 


 そして。


 この怒りに身を任せ憎悪を籠めた殺意というものが――心地よい事を知った。


 


「よかった....。いずれ滅ぼすと決めてはいましたが。今で良かった....、今でなくば、絶対にこれを知る事は無かった....」


 


 この殺意はあまりにも、良い。


 自己への憎悪ではなく。他者を起源とする怒り。


 未知なるもの。言葉に出来ないもの。だが、意識上では理解できなくとも、無意識の内側にある――感覚の輪郭には触れている。


 


「殺して差し上げますわ。全員。一人残らず。――何故なら貴方方は、わたくしの愛を奪ったから」


 


 この怒りは、無償の愛である。


 憎悪と侮蔑に塗れ生き続けてきた女は――他者が他者を想う故の怒りを知り、愛を知った。


 


 


「愛故に、――殺し尽くして差し上げましょう」


 


 


 そうしてレミディアス・アルデバランは己が一族を滅ぼし。その一派すらも粛清した。


 鳴り響く怨嗟が。向けられる怒りが。何もかも心地よかった。


 何故なら。己は愛を知る事が出来たから。


 


 


 


 彼女は、愛を知る機能が欠落している。愛を与えられる事なく生きてきてしまったが故に。


 その穴を埋める方法もまた、知っている。


 故に。彼女はただ一つだけ知るその愛を、逃すつもりはない。


 


 ――この先。わたくしから逃れる事叶うと思わば大間違いよ、レロ。


 


 


▼▼▼


 


 


「.....」


「あら、レロ。随分と不満げな顔ね。――自ずから指を潰すなんて道化もびっくりの喜劇を演じた身の上でわたくしからのありがたい奉仕を受けておいて。その顔は何かしら?」


 


 ジャカルタ南部にある、とある屋敷の客室。


 窓辺から柔らかな日差しと穏やかな風が吹き抜け。その向こう側には花壇が見える。


 日差しと風と花の景色と。五感に柔らかで暖かな刺激が与えられる中。――レロロ・レレレレーロの左手中指から激痛を伴った感覚が走っていく。


 


 その痛みが、それ以外の感覚から運び込まれるであろう多幸感を軒並み奪って、「お前は不幸なんだから不幸の刺激を受けてろバーカ」と言わんばかりに存在を主張する。主張するな馬鹿引っ込んでろ。


 


 という訳で。ずきずき痛む中指君がファッキンおったてた状態で包帯でぐるぐる巻きされている訳で。食事だって食いにくかろう、と。――レミディアスがレロロの食事の世話をする事となったのだが。


 


 


「sぢおⅭんⅮ塩;阿fjf度;fjf;尾f;絵をfj;★おえうぃdfj;エをdj;おえうぃfjd;終えwfjうぇ~おjdフォエw;fj;wjフォエw;fj;~」


 


 


「おいレミディアス。こいつなんて言ってんの?」


「バケモノの言葉を解する為にわたくしの貴重なメモリを割くとでも?つまらない冗談もほどほどにしなさい、レロ」


「だったらバケモノわざわざ召喚して世話させてんじゃねーよ!これ以上食事をマズくすんじゃね~!」


 


 レロロ・レレレレーロの眼前。そこには、――がちゃがちゃと蠢く人骨があった。


 多分頭部に衝撃を受けて死んだのだろうか。頭蓋骨のあちこちが欠けている人骨君か人骨ちゃん。彼か彼女はガタガタブルブル震える肉の無い手足で必死にスプーンを動かし、声帯のない喉からバケモノの言葉を紡ぎ、レロロの前にいた――。


 


 バケモノが手に持った皿の上。砕けた頭蓋骨からパラパラと骨粉が入っていってるのが見える。舐めてんのか?これが食事の光景か?家畜の餌やりでももうちょっと温かみを感じないか?これ見た目的にはフケが混入しているようにしか見えないんだが?馬鹿なのか?


 


「我慢なさい。召喚術の訓練も併せているのよ。こういう不安定な召喚体じゃないと、わたくしレベルだと訓練にもならないもの」


「なあおい。お前にはバケモノ同様人の心がないようだから教えてやるよバカタレ。人の看護に必要なのは優しさとか気遣いとかであって、召喚魔法の技術向上じゃねーの。オーケー?」


「オーケー。――あ」


 


 バキ、と音がして。


 


 頭蓋の外殻に大きなヒビが入り。大きな骨がポロリ。


 


 バケモノの脆弱で不安定な手に持った皿の突起部に見事ポロッた骨がぶつかり。くるくると皿は宙を舞う。


 


 べちゃ。


 


 温野菜のミルクシチューはぐるぐると回る皿からその姿が離れ。とろみのついたスープがレロロの両目に叩きつけられ、後に放たれる緑系の野菜が人中にぶち当たると共に。とどめに舞った皿がレロロの頭上に落ちた。


 


 


「.....」


「.....」


「帰れ....」


「了解....」


 


 さすがにちょっと悪びれて、レミディアスは落ち着き払ってレロの客室から出て行くのであった――。


 


 


 


 


 ここは、ジャカルタ評議会のユーラン・アレクシャスの屋敷である。


 無事一行は、ジャカルタの”協力者”の屋敷へとたどり着けたのでした。まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る