第4話 教徒VS背信者、ファイ‼‼‼‼
「ああ....また始まった」
空を裂くような神弓の光を目にした瞬間。誰かがそう呟いた。
城塞都市ジャカルタは、女神教の街である。
王や貴族と共に。彼等にとって女神教はひたすらに恐怖の対象であった。
一たび異教徒と認定されれば。誰かに罪を密告されれば。その頭上には、拷問と粛清の槌が振り下ろされる。
彼等の魔法は虚偽を封じる。何か一つでも罪を犯し、それが密告されようものなら。僧兵に捕らえられ、身の毛もよだつ程の拷問が待ち受けている。
女神教は、城塞都市における『司法』の権力に入り込んでいる。
彼等が扱う魔法の中には”虚偽を否定する”効果を持つものがある。
要は魔法により嘘をつけなくする、という。司法を執り行うにあたり最も効果的な行為を行う事が可能で。それを行使できる集団としての側面が女神教にはある。
女神教は宗教団体であると同時に、司法集団でもある。
故に――罪を犯した者を捕らえ、裁き、時に粛清する。
そして。天を飛び交ったその光は、――彼等が最も恐れてやまない女神の尖兵の象徴であった。
女神教が保有する三つの神器のうち一つ。
神弓イムリスを保有せし、司祭騎士・ファウム。
ジャカルタの僧兵部隊の長で弓術の達人。そしてイカれた拷問魔。
市民の中では、名前を呼ぶ事すら憚られるほどの恐怖の対象である。
彼女の拷問により廃人と化した市民は数知れず。彼女により壊滅した犯罪組織は両手の数では足りぬ。
あの光が灯りし時。それはこの街に、ファウムが降り立つ日である。
「せっかく魔王が滅びたってのに....なんでまたあの疫病神が現れるんだよ....」
市民は、理解していた。
あの光が見えたという事は――また今日もこの街に、けたたましい悲鳴が響き渡るのだと。
▼▼▼
「は...は....!」
さて。
勇者一行の暗殺を命ぜられ失敗し、王宮より逃げ出したアルスであったが。
当然逃走中の彼女には追手が差し向けられていたが。――不思議な程に全てが上手くいき、彼女の逃走劇は続いていた。
多くの追手が彼女の逃走ルートを見過ごし、あらぬ場所を探し回っている。
よしんば見つけ彼女を見つけ出す事に成功すれども。多くの追手が彼女に近付こうとした瞬間、何らかの事象が起こり確保に失敗する。
ある者は足を躓かせ転び。ある者は馬車に轢かれ。ある者は偶然落ちてきた屋根の瓦礫に頭を打った。
彼女にとって都合のいい事象が不思議な程に重なり、逃げる事が出来ていた。
「こんな所で死んでたまるかァ!」
ジャカルタの街を、アルスは走る。走り続ける。アテもなく。ただ生き残る為に。
住宅地を抜け、露店街の裏手を通り。何とか夜まで潜伏できそうな場所へと――。
瞬間。
眼前の地面へ――光が灯った矢が突き刺さる。
「――そうそう。お前はこんな所では死なないよ」
矢に灯った光は蛍火の如く、アルスの眼前へ浮かび上がる。
光は――次第に人の輪郭を形成していく。
「お前にはまだ役割があるのだからな。神の為に奉仕する私へ、ささやかな悦楽の贄となるという役割が」
血濡れの僧服を着込んだ女が、光と共に現れる。
嗜虐心が漏れ出た笑みのまま、周囲に遮音・認識錯誤の効果を持つ結界を敷く。
準備が整い。女は――思うがまま、眼前の獲物に向け叫んだ。
「喉が潰れるまで泣き喚けこの罪人がァァァァァァァァァァァ!」
「ギャあァァァァァァァァァァァァ!」
司祭騎士ファウム。
その名を聞けば。その姿を見れば。すべからくジャカルタ市民を恐怖の底に叩き込む拷問狂が、アルスの前に現れていた――。
▼
「――おお。アレはイムリスの光だ。ならあそこにいるのは、ファウムか」
レミディアスの召喚体を破壊した光の矢を一瞥したアーレンは、楽し気にそう呟いた。
「知り会いかしら?」
そうレミディアスが聞くと、「ああ」と返事し――懐かしげに目を細めていた。
「ボクがまだピチピチの女学生だった時の知り合いだ。当時から弓術と因果操作魔法の扱いがずば抜けていた神童だった。――ま、主席卒業したのはボクの方だけどね」
「うっわ。嫌な奴」
「首席で卒業した挙句、今じゃあ女神教最大の反徒か。人生とは数寄なものじゃ」
「当り前さ」
ふふん、と。アーレンはニカリと笑って、空を見る。
「――誰よりも優秀な人間が神を否定するからこそ意味があるのだからね。半端な人間が破戒僧やってもただ粛々と処刑されるだけなのさ」
空には、二射目の光の矢が飛んでいく。
それは――アーレンが仕込んだ守護霊の魔力反応へ向かって飛んでいく。
「では――予定通り、ボクは餌に引っ掛かった哀れな魚を絞めてくるとするよ」
その光の行き先を見届け、アーレンもまた両手を合わせ、術式を構築すると――音も無くその場より消えた。
ここまでは、彼女にとって予定通り。
暗殺の下手人を泳がせ、より上質な強者を釣り出す。その策にて釣れたのが、かつての級友であったというだけの話。
「それじゃあ。わたくし共は――あの老いぼれで我慢するしかなさそうですわね」
そうレミディアスは呟くと、前を向き。
カスティリオは、その場より姿を消し。周囲に雲隠れした。
その視線の先を追うと、地面に術式が展開された。
地面に刻み込まれ、発光するそれは――恐らく主要な地区に予め刻み込まれた転移用の術式であった。
そこから現れるは、一人の老僧侶であった。
「――はじめまして、勇者御一行のご歴歴。私は、司祭騎士のレッグスと申します」
僧服を着込んだ老兵が、大槌を担いでこちらへとやって来る。
「先程我々に仕向けた召喚魔法――アレは不問と致します故、おとなしく女神塔へと付いてきて頂けますかな?」
「連行して、どうするおつもり?」
「どうも致しません。我々は――反徒・アーレンの身柄さえ確保できれば、それでよいのです。我々があの者を捕らえるまでの間、ただ静かにして頂きたく」
「嘘ばっかり。――わたくし共も、貴方方が数えきれないほど送ってきた刺客を屍にしてきたというのに。ただおとなしく逃そうなどと思ってはいないでしょう?」
「.....」
その返事を聞き。レッグスは、ただ「そうか」と呟いた。
「ならば容赦する意味はない。――お相手しよう」
「『しね』」
まずはご挨拶とでも言わんばかりに。レミディアスは、眼前の僧兵に”呪音”を唱えていた――。
▼▼▼
現在、アルスにはアーレンが施した守護霊が付いている。
その守護霊の姿は、魔力探知を施してはじめてその実体が見える。
胎児に羽が生え、その顔面に底意地の悪い笑みを張り付けたような姿の守護霊が、アルスの頭上を舞っている。
――女神教の魔法は、因果を操る。
”神様を信じていれば、必ず善い事が起こる”
この文言を術式化した魔法である。
悪果をもたらす原因を排除し、善果をもたらす。
アルスに取り憑いた守護霊は、魔力が切れるまで彼女にとっての善果をもたらし続ける。
告解魔法により証言を行った者が報復や事故等によって死亡しないよう、幸運の加護を付与した守護霊を付ける。
これにより、アルスは宮廷からここに至るまで、数多くの追手から逃げ回る事が出来ていた。
が。
――頭上の守護霊は、光の矢に撃ち抜かれその姿を消す。
司祭騎士ファウムが持つ矢は、神の神器。
守護霊を破壊された事で、――アルスに施された魔法の効果も事切れた。
「そおら....逃げろこのゴミがあァァァァァァァァァァァァ!」
「追ってこないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
守護霊を殺したならば、次なる的は、無論取りつかれた本人。
「わァ!」
ファウムが第二の矢をつがえ、即座に身体を反転させたせいか足を躓かせすっ転んだアルスへと放たんとした瞬間。
射貫かれ崩壊した守護霊より――雷鳴が轟く。
音の後。眩い光と共に紫の雷撃が、崩壊した守護霊からファウムへ向け放たれた――。
「....チっ!」
舌打ちと共にファウムは構えを解き、矢を持った右手を雷撃へと向ける。
それだけで雷撃はファウムの横手を抜け、路地を形成する建造物に叩きつけられる。
「やあやあファウム。久方ぶりじゃあないか」
雷光より現れしは――男装した女であった。
パンツルックに改造した僧服に身を包み、魔女の術式を刻んだ神器を右手に持った女。
「君も、いつの間にか立派な神の僕となったんだね。君の夢は叶えられたかな?」
あらゆる戒律を破っては捨て。その果てに、女神教最大の反徒となった女。
その女が――さも旧友と再会したかの如き朗らかさで、ファウムへ笑いかけると――何の迷いも無く、神槍をその首へ向かい突き込んだ。
「ああ。久しいなアーレン。――心配せずとも、夢は叶えたさ!そしてこれから、また叶えるのだよ!」
金属音と、それに覆いかぶさるような雷鳴の音が響き渡る。
神槍と、神弓。突き込んだ穂先に放たれた矢がぶつかり、雷鳴が響き渡る。
「ひええええええ!」
魔力同士がぶつかり合う余波で吹き飛ばされたアルスは、路地から吹き飛ばされる。
アーレンもファウムも、双方とも――最早アルスの事など気にかけてもいなかった。
互いが互いへの敵意に意識を満たし。獣の笑みを浮かべ、得物をぶつけ合う。
「今度は――貴様を痛めつけその喉が潰れるまで絶叫を絞り出してやらんとなァ!」
神なる光と、異形の雷光が路地を照らしていく。
司祭騎士と破戒僧の、神器同士の戦いが――雷鳴と共に始まった――。
▼
魔法使い同士の戦いは、真正面からの戦いになる。
大昔の魔法使いは、前衛職から警護を受けながら、その背後にて詠唱を唱え、範囲・威力に優れた魔法を敵に叩きつける――といった存在であった。
だが。その戦いが次第に通用しなくなっていたのは、ひとえに魔法の進化によってのもの。
次々と簡略化されていく術式に、精密になっていった魔力探知。長い詠唱を必要とする魔法は次第に淘汰されていき、隠れても魔法使いに内在する魔力を探知されてしまう。
長時間の詠唱は排され、隠遁も無意味。故に、魔法使い同士の戦いは、必然的に――簡略化し汎用性の優れた魔法による真正面からの物量戦となっていった。
「――見え見えの餌に釣られてくれて大助かりだよ。安餌で最高の魚が釣れた」
「馬鹿が。――釣られたのは貴様の方だアーレン」
破戒僧アーレンと司祭騎士ファウムもその例に漏れず――真正面から、互いの得物を打ち合いながらの物量戦の様相を見せていた。
魔女の術式を組み込んだ神槍より放たれる紫電と、聖なる光を宿した神弓から放たれる矢が互いの肉体を交差し。眩い光と共に、辺りに衝撃と爆雷の余波を届けていた。
夥しい程の魔法の術式から、夥しい程の魔法が飛び交う。されど――間違いなく互いの身体に目掛けて向かうそれらが、嘘のように互いの周囲で軌道を変え、逸れていく。
「たとえ魔王を滅ぼした勇者であろうが――暗殺者の拿捕という正当な業務を邪魔した貴様はただの罪人だ。大義はこちらにあり、罪人は貴様だ」
「.....」
「貴様に褒章をくれてやらねば、女神教としては勝利だ。ここで私が敗れようが、貴様は牢獄に入り式典には出られない」
女神教の大目的は、”反徒アーレンに褒章を与えない事”。
女神教最大の反逆者の罪を公然と清算される事を防ぐ。
この目的はもう果たせている。
公務執行中の司祭騎士を、邪魔したのだから。後はこの女をとっ捕まえ牢屋に入れるか。ここで倒しきれずとも市街での公務執行妨害の罪に問い式典から締め出せばいい。
この理屈であれば、褒章を渡さぬ十二分な理由になるであろう。
魔王討伐以前の罪ではなく。魔王討伐後に新たに重ねた罪だ。どうであろうと、式典には出させない。
「後は――罪人のお前を十二分に痛めつければ、完璧だ」
「そうだね完璧だね。――出来るものなら、だけど」
ファウムからは、間違いなく詰みの状況に見える。
アーレンも、身に纏う余裕に多少の翳りが見えているようにも見える。
――ああ、楽しみだ。
神を侮蔑し、戒律を破り、神を捨てた女が眼前にいる。
恐ろしく頑強な意思だ。神すらも背くほどの。
壊したい。
苦しめて。血反吐を吐いて骨すら粉微塵にするほどに痛めつけて。その声すらも潰す程の絶叫を以て。
己が内側にあるどうしようもない欲求を隠す事もせず。獣の笑みでファウムはアーレンを見ていた――。
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