第3話 夢を叶えたければ努力しろこのドブカス共がァ~~‼

「何事を成すにしろ。それ相応の才覚と努力を以てしなければ――それは罪となる」


 


 解るか?


 そう尋ねると同時。女は先端が尖った木槌を叩きつけた。


 


 ――がああああああああああああああああァァァァァァァァァァァァァ‼


 


 とある男の指先へ。


 


「貴様等愚か者はそれを解っていない。人に苦痛を与える事も、神の側に付いた者の特権だ」


 


 ――地下室があった。


 外界から遮断された地下深く。蛍光魔法の淡い光と認識遮断の結界によって区切られたそこは、女神教の塔の拷問室であった。


 拷問室故に、行われるのは拷問である。


 薄暗く、また血の匂いと苦悶と怨嗟の声が漏れ出るその空間は、現出した地獄そのもの。女神教における地獄には苦しみを与えられる罪人と与える悪魔がいる。


 全身を縛り付けられ金属製の椅子に座らされ両腕が固定され十指が開かれた男と。その姿を見下ろす、女。


 男は粗末な衣服に身を包み。女は僧侶服を着込んでいる。


 苦痛を与えられる側と。与える側であった。


 


 女の名は、ファウム。


 女神教司祭騎士の一人である。彼女は、実に趣味に熱心な人物であった。


 彼女の趣味は、拷問である。


 現在。趣味に没頭する真っ最中。白色の僧侶服には、乾いた血の上に更に鮮血が上書きされていっている。狐の如く細められた眼の奥には暗くほのかな喜色が浮かび。剥きだした八重歯の根が見える程に口を歪ませ――男の叫びに聞き入っていた。


 


 長い銀の髪は打ち付ける木槌のリズムで揺れ。特徴的な狐目は、与えられる悦により細められ。口元は馳走を前にした獣の笑みを刻み込んでいる。


 尼僧服を纏いし鬼か、悪魔か。


 苦痛を与えられ、苦痛に塗れる。その有り様が。口元から漏れ出す叫びが。その目に宿す絶望が。その全てが、女に生きる活力とも言うべき快楽とパワーを運び込んでくれる。


 これが。これこそが。女にとっての生きる意味であり、己が存在を慰撫する為の儀式であり、快楽であるのだ――。


 


「そうだろう。私は生まれながら――弱者が藻掻き苦しみ痛みに壊れていく様が好きで好きで仕方がなかったが。幼い頃の私はその欲求に従わんとする本能を抑え――必死に努力した」


 ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン


 


「一時の欲求に身を任せ己が身を破滅させてしまえば。その一度きりでもう欲求は満たせなくなってしまう。そんな事は認められない。私は、私の生あるうち全てでその甘味を味わいたい。だから、今この立場を得た。解るか?」


 ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン


 


「ぎゃあ!げあ!ぎえぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァ!あァァァァァァァァァァァァ!」


「神は!救いを与えたもう存在ではない!救いも幸福も理想も夢も己が手に掴むもの!神はそうして、理性でもって己が身も心も制御出来るものにこそ、手を差し伸べてくださる!血が滲むような努力の先にこそ神はギフトを与えたもう!貴様はどうなのだ!ああ!?」


 


 女は、木槌を狂ったように打ち続けていた。


 その指先の肉と骨が磨り潰されれば次は中節部へ。そうして指全体が潰れきった時――あまりの激痛に意識が吹き飛んだ男の姿だけが残されていた。


 


「眠るなこの罪人がァァァァァァァァァァァァ!現実を見ろォォォォォォォォォォォ!」


 


 その姿を一瞥した瞬間より。女は男の胸元へ渾身の前蹴りを見舞う。


「....!アアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ!」


 


 金属製の椅子ごと吹き飛ばされた男は潰れた指先より地面へ叩きつけられ。剥き出しの神経から伝えられる激痛に、嗚咽と共に掠れ切った悲鳴が響き渡る。


 


「ゆる....ゆるひて....神様....おねが...」


「許される訳が無いだろうがこの馬鹿が!神が何故お前に命を与えたのか教えてやるよ!神の為に努力を積み重ねた私の心を慰撫する為だァ愚か者!」


 


 女は、男の潰れた両指を掴むと。己が爪先で抉り込んでいく。


 指先から全身へ。形容しがたい程に鋭い激痛が脳幹へ抜けていった男は、叫びすぎて出血した喉奥から声ならぬ声が吐き出される空気と共に漏れ出ていた――。


 


 この声の変遷すらも、女にとっては愛おしくて仕方がなかった。


 


「お前に痛めつけられた子どもも凌辱された女も、どーだっていいんだよこっちはさァ!そんな事より努力もしねぇで自分の欲求を満たせると思っているその甘ったれた腐れ脳味噌に、解らせてやる事だけが重要なのだよ!」


「神学に身を費やし、教典を頭に叩き込み、女神の魔法を修め、弓術を極め、神弓を受け継ぎしこの時まで、ずっと。ずぅーっと!努力してきたんだ!私は!私はァ‼」


「私はお前みたいな愚か者と違う!何も考えず、市井に生きる罪の無い者へ手をかける愚か者とはな!私は人を痛めつけたくて仕方がなかったが、ずっと我慢し続けてきた!」


「何故か?お前みたいな愚か者がこの世にはごまんといる事が理解できていたからだ!リスクをとって市民へ手をかけずとも!こうして合法的に思い切り痛めつけられる愚かな悪人が、幾らでもいるってなァ!」


「悔しいか?悔しいだろう?こっちはお前みたいに、欲求に応えるのに周囲に怯えてビクビクする必要もない。物影から人が来ることを恐れずとも、外界から遮断された地下に十全に結界まで張って、ただ思うが儘お前を痛めつける事が出来る!この立場を得るための忍耐を。努力を。お前は知る訳もあるまいィ!」


「お前のような身の程を弁えないクズを見ると虫唾が走る!だがこの虫唾すらも、最高のスパイスという訳だ!嫌いな奴を痛めつける楽しさというのは万国共通だからな!あっははっははははあァ!ぎゃっははははははははははははははははは!」


 最早、その後に何をしていたのか。どんな言葉を吐いたのか。女の記憶には残っていなかった。


 己が欲求を満たす為に行われるこの行為は。絶頂へと向かう高まりの最中記憶を削ぎ落し。ただ己が全身に走る快感の渦の最中から解放された瞬間には、強烈な余韻の中で無意識に落とされゆく。


 激痛に悶え苦しむ声に満ちた己が脳内にオーガズムが訪れた瞬間。女はスゥー....っと思考が整理されていくのを感じた。


 


「....ああ。落ち着いてきた。ふう、ふう....。さて、片付けねばな。後始末までが、拷問だからな....」


 


 荒ぶる激痛の果て。肉体から強制的に意識をシャットダウンされた男が、ぶらん、と糸の切れた人形の如くただ倒れ伏していた。


 先程まで狂ったように木槌を打ち続けていた様はどこへやら。気絶した男を丁寧に背負い、拷問室の端に設置された寝床まで持っていくと。そっと降ろす。


 そうして既に原型を留めなくなっていた男の指に術式を組んで女神の魔法を掛ける。術式から溢れだす光が男を包むと――潰れた指が蠢くように再生していく。


 


 血肉で汚れた木槌を洗い消毒し、飛び散った血やら体液やらを淡々と片付けている最中――結界を抜け、拷問室の扉を開ける男の姿がある。


 


「ファウム。趣味の時間は終わったか」


「.....レッグス殿。どうした?」


 


 レッグス、と呼ばれた巨躯の老人は――先程行われていた凶行を知ってか知らずか。ただ淡々と言葉を紡いでいく。


 


「魔王討伐を果たした勇者一行がジャカルタに入国したとの報は聞いたか?」


「ああ。それがどうした?」


 


 


 


「――先程王宮に務める執事より報告があっての。魔王討伐を果たしたメンバーの中に、アーレン・ローレンがいたという。お前の同輩にして女神教最大の反徒だ」


「....本当か?あのクソ馬鹿がか?」


「ああ、間違いない。男装用に改造した尼僧服を着込む死罪相当の罰当たり馬鹿は他にはいまい。魔王討伐の褒章を受け取りに来たという。それで、だ」


「うむ」


「褒章を受け取りに王宮に来たものの。褒章の授与をしたくない王宮側が暗殺を仕掛けたが、失敗。下手人は既に王宮より逃亡したとの事だ」


「.....」


「.....」


 


 沈黙。


 


 ――アーレン・ローレン。女神教の歴史において最大の反徒の名である。


 女神の魔法の秘奥まで手にした上で、彼女は教徒として。また僧としてあらゆる戒律を破り、遂には時の枢機卿を殺害し神槍アーケールを簒奪せし破戒僧である。


 女神への信仰によって成立する、という前提の下に女神の魔法はある。されど――アーレンは、神への信仰心が無くとも女神の魔法が扱える事を、その身によって証明したのだ。


 当然教会としては許されざる者である、が。


 ――魔王を滅ぼしたとなれば。その罪は抹消される。それはジャカルタだけではなく。ジャカルタも含めた多くの大国や組織も含めた連盟の合意によって定められている。


 ――その合意の中には、女神教の教皇の名もある。


 


「....で、我々はどうするのだ?」


「褒章は十日後の式典にて受け渡される。――その十日後までに、最低でもアーレンを始末できれば女神教としての面目は保てる」


 


 女神教としては、他の三者が褒章を受け取ろうが受け取るまいがどうでもいい。だが許されざるは、――女神教の反徒であるアーレンが褒章を受け取り、その罪を清算する事。


 あの者が勇者としての名誉を得る事は、まさしく女神教における敗北である。まさしくアレは、文字通りの存在そのものが教徒にとっての恥であり侮蔑なのだ。


 


「王宮の連中は連中で動くであろうが。こちらもただ指をくわえて見ている訳にはいかぬ。反徒アーレン・ローレンはこちらの手で始末する」


「....何か策はあるのか、レッグス?」


「ある。先程話に出てきた、暗殺を仕掛けた下手人についてだが」


「どうした?」


「告解魔法を付与した際に、その証人を保護すべく生まれる守護霊が付与されている事が魔力探知により判明した。――アーレンは告解魔法で、下手人から告解の書を刻んでいるのだろう」


「.....」


「恐らく下手人を泳がせて、より強力な証拠を揃えようとしているのだろう。より――王宮の連中を追い詰められる証拠を揃える為にな」


 


 恐らく。王宮内で仕掛けられた暗殺未遂の証言だけでは大した効果が得られないと考えたのだろう。


 ならば、暗殺の下手人に加護を付け。より大物を釣り上げる。そういう方法を取ったのだろう。


 アーレンの告解の書そのものには証拠能力はないが。同じく告解魔法を扱える協力者を見繕えば、互換性のある文言を交換する事くらいは出来るだろう。


 


「逆に言えば、連中は今の所決定的な証拠を押さえてはおらん。――釣りでどうこうしようとしているのならば。釣り竿ごとまずは叩き壊す」


 


 故に、と。レッグスは続ける。


 


「――まずは暗殺の下手人を捕らえ、こちらがアーレンを釣り出す。では、行くぞ」

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