第5話 この下民共がァ!恐怖に悶えてひれ伏せろォ!

 魔法使い同士の戦いは、簡略化された術式による物量戦となった。


 逃げ隠れも出来ぬ真正面からの戦いとなるにあたり――防御用の術式の重要性も高まっていった。


 


「ほらほらどうしたんだい?ボクを痛めつけるんじゃあなかったのかいファウム?」


「ぐ....!」


 


 女神教の魔法は因果を操る。


 己に降りかかる原因に対し。悪果を排し、善果を取る。


 アーレンとファウム。女神教の魔法を操る双方は――互いが放つ攻撃は全て、因果操作により防護を行っていた。


 


 ”己に攻撃が当たる”という悪果を排し。”己に攻撃が当たらない”という善果を取る。


 故にお互い攻撃を放とうと当たらない。因果操作により悪果を排してしまうが故に。


 


 しかし――戦いが続くにつれ、少しずつファウムは攻撃を被弾してくるようになった。


 


「――残念ながら。拷問ばかりの日々を送っている君に負ける程甘ったれた旅はしていないんだよこっちは」


 


 アーレンは紫電による攻撃を通すにあたり、一つ作業を行っていた。


 まずは低威力の術式を己が周囲に複数設置し、ファウムの身体全体へ攻撃できる状況を形成する。


 ここからファウムが防護用の因果操作を身体全体に回したら、複数の術式を一本化し高速の紫電を叩き込む。


 


 防護魔法は、その効果範囲を拡げれば拡げる程、効果そのものは薄まっていく。


 低威力・広範囲用に形成させた因果操作は――高威力・小範囲の一点突破の魔法に対抗できない。


 ならばと高威力・小範囲の因果操作を施そうとも。さすればアーレンは術式を一本化せずそのまま低威力・広範囲の魔法を放つ。


 


 複数の術式を展開した後、それを一本化するという技術は。魔王討伐の戦いの最中にアーレンが習得したもの。


 ファウムはその技術の存在を知らず、己が持っている技術にてこれを打破する方法は見つけられはしなかった。


 されど。


 打開策は、ある。


 


「――なら、こういうのはどうだ」


 


 現在、両者が戦っている路地からファウムは抜ける。


 その背後を追った先には――露店街がある。


 


 路地を囲う遮音・認識錯誤の結界を抜けた先にあるは、多くの市民が闊歩し、露天商が列をなす光景であった。


 雑踏の音が響く最中。――ファウムがその場に現れたその一瞬。誰もが足を止め、一瞬の静寂が訪れた。


 そして、静寂は――狂乱の声に掻き消えていく。


 


 


 ――あぁァァァァァァァァァァァ!ファウムだ!ファウムが現れた!


 ――教会の『拷問狂』だ!逃げろ!全員、逃げろ!捕まっちまったらお終いだ!


 ――クソが!アレに目を付けられたら人生終わりだ!


 


 ファウムの姿を一瞥したもの。ファウムの名を聞いた者。その全てが半狂乱になりながら逃走していく。


 


 


「君の所業は随分と恐れられているようだね、ファウム」


「失礼な話だ。――公務のやり方を、出来る限り多くの苦痛が生まれるように仕向けているだけだ。私の権限の範囲内さ」


「うわぁ、最悪じゃあないか」


「最高なんだよ。――だから逃がしはしないのさ」


 


 己の姿に恐れおののき叫びながら一目散に逃げださんとする市民を見渡し。ファウムは――その後ろ姿に、侮蔑を刻み付けた笑みを浮かべる。


 逃げゆく市民の眼前を遮るように――光の壁が生まれ行く。


 


 光は――触れた者に灼熱の温度を叩きつけ、その皮膚を焼き焦がしていく。


 我先にと逃げ出した市民の一部は――その全身を焼き焦がされ、絶叫を上げる。


 


「――この区画に反徒が現れた。逃亡防止の為に結界を張らせてもらう」


 


 逃げ道を塞ぎ、己が張った結界で焼け焦げる市民の声を――まるでそよ風を浴びるかのような風情で、穏やかな表情でファウムは見やっていた。


 逃走していた先頭集団が突如止まった事により。逃げ出していた群衆は行く先を失い倒れ込み、ドミノ倒しとなっていく。


 ファウムの出現と、彼女が仕掛けた結界により――露店街は、一瞬にして絶叫が響き渡る地獄絵図へ変わっていった


 


「さあアーレン。お前は、この市民たちを目の前にしても――広範囲魔法を放つ事が出来るかな?」


 


 狂乱の絶叫が響き渡るこの空間。


 ファウムにとっては、子守歌のように心地よい居場所であった。


 


 これもまた、合法的に作り出せる己が楽園だ。


 しかも――こうして群衆を留まらせる事により、アーレンが広範囲魔法を使う事を封じる事も出来る。


 


 自身が市民を傷つける事はただ”公務の範囲”である。反徒の確保の為、”仕方なく”行使した実力に”運が悪く”市民が巻き込まれた。ただそれだけである。


 それが例え、他者の苦痛の声を聞かんとする己が欲求を満たす為の行為であったとしても。


 対してアーレンは、この場で市民を傷つける行為をするわけにはいかない。


 この女は十日後に褒章を受け取らねばならない。それまでに罪を重ねるわけにはいかない。


 


 市民を傷つける恐れのある広範囲の魔法を扱う訳にはいかない。


 アーレンに旅の中で見出した戦闘技術があるのならば。ファウムには司祭騎士としての立場と権限がある。


 


 


 その地獄のような光景を見て。


 アーレンは――よりその笑みの色を深めていた。


 


「――狙い通りだよ。ありがとう、ファウム」


「あ?」


「君に教えてあげよう。女神教の魔法と、魔女の魔法の双方を極めたボクの魔法の本懐をね」


 


 


▼▼▼


 


 


 アーレンとファウムが別区画で対峙している、その最中。


 ――残る勇者一行もまた、眼前に現れた大柄な老僧侶・司祭騎士レッグスとの戦いの火蓋が切られていた。


 司祭騎士が得物を抜いた瞬間には、市民は即座に退避を始めていた。レッグスはファウムのようにその退避を塞ぐようなことはせず、ただ真っすぐに獲物を見つめていた。


 


 


「む....」


 


 司祭騎士レッグスは、今まで味わったことのない感覚が全身に走っていた。


 全身が粟立つように、死への誘惑が沸き上がる。今まで味わってきた憎悪が、恥が、罪悪感が、記憶と共に立ち上がっては己が肉体に命じてくる。”死ね”と。


 かつての仇敵を己が手で殺せなかった憎悪が。それを恥と思う心が。今まで殺してきた者の怨嗟の声が。


 記憶の底から溢れ出すように己が脳裏から全身にかけて流れゆき。魂から脳味噌から優しく語り掛けてくる。


 


 ――死ねば忘れられるよ。


 ――死ねば逃げられるよ。


 ――死ねば会えるよ。


 ――死ねば、


 


 


「――女狐め。この私を誑かせると思うたか.....!」


 


 脳裏に焼き付く声を振り払い、レッグスは叫ぶ。


 ――レミディアス・アルデバランによる”呪音”の魔法である。


 対象の魂へ干渉できる魔力の籠った声。恐らく、声の内容は”死ね”であろうか。


 もし気を抜いていたら。もしくは魔法に対する抵抗力がなければ。己は即座に自殺していたであろう。その実感がある。


 


 ――この女を前に精神的に揺さぶられたら、即ち死ぬ事になるか。


 


 


「流石に呪音だけで死んでくれるほど甘い相手じゃありませんわね。とはいえ――これで術式の準備が整いましたわ」


 


 呪音によりレッグスが身体を硬直させた、その一瞬の隙。


 レミディアスは、召喚魔法用の術式を完成させていた。


 


「『バルデッタ・スレイブウォール』


 


 変色しきったどす黒い血が地面から栓を抜いたボトルの如く飛び出し。その血色より、召喚が執り行われる。


 


 それは――亡者の軍勢であった。


 耳鼻を削ぎ落し、皮膚と癒着した鎧に充血した目を爛々と輝かせた歩兵部隊。


 肉厚の鉄盾を構えた重装兵が槍斧を掲げ。千切れた声帯から笑い声を絞り出す。


 狂気の重装歩兵の傍ら。血に濡れ、鈍く、錆び付いた、槍衾がある。


 


 重装兵と槍衾がレミディアスの周囲を囲い、防護を固める。


 


「――レロ」


「あいよ」


 


 ここまでほぼほぼ空気であったレロロもまた、レミディアスの防護が固まったと同時に動き出す。


 術式を構築しながら、レッグスの死角へと通り過ぎるように駆け抜ける。


 


「逃がすか....!」


「うおぉぉぉ!」


 


 風切るような剛腕の一撃がレロの眼前へ迫りくる。


 巨大な鉄塊が枝葉の如き軽々さで振るわれ、暴風を纏って大槌が振り下ろされる。


 


 予備動作の段階でバックステップし、十分に余裕をもって避けたはずだが。振り下ろされた風圧でステップ中の肉体がすっ飛ばされ、打ち砕かれた石畳が欠片となってレロに叩きつけられる。


 


 ――ヤベ。なんだあの怪力。


 大槌を振る際、レロは最後までその姿を見ていた。


 ――攻撃の際に、術式も魔力反応も無かった。ならあの怪力は、魔法を一切介在させていないただの怪力か....!


 


「ぐがが...!」


 


 石礫が己が腹を打つと共に、レロはもんどりうって地面へ倒れ込む。


 怪力の司祭騎士が一人。あからさまに弱そうで体勢を崩している魔法使いが一人。


 


 追撃しない理由がない。


 レッグスは猛然と倒れ込んだレロへ迫ると、その鉄槌を脳天に打ち下ろさんと腕を上げる。


 その動作に合わせ――レロはその足元へ構築した術式から魔法を放つ。


 


「ほう」


 


 それは水系統の魔法術式を加工して作り出す”霧”の魔法であった。


 攻撃性など一切持たないただ水を噴射する魔法を、霧に変える魔法に加工した代物。


 霧は無害であるが広範囲に広がり、発生源であるレッグスの周辺は視界が塞がれるほどの濃度に達していた。


 


 振り降ろされた大槌は頭蓋を砕く感触はなく、先程と同じく石畳を砕く音だけが響き渡った。


 


 ――術式の加工とは。中々珍しい技術を扱うじゃないか。


 


 そう僅かながらの感心の念を抱きながら。冷静にレッグスは状況の分析を始めていた。


 


 ――視界を塞ぐ魔法をこの場にて使う理由。ありすぎるほどにある。故に、判断に迷う。


 


 精神的な動揺と共に、声で自害を強要できるレミディアスの呪音。そして、まだ姿を見せていない剣士・カスティリオ。不意を打ってこちらを仕留めようとする意図が見え透いている。


 


 


 ――不意打ちは効かぬ。


 


 


 司祭騎士レッグスが扱っている魔法はただ一つ。


 身に纏っている因果操作魔法のみ。


 己が魔力は悪果を排し善果を運び込む因果操作魔法一点集中で、その防護能力を盾に怪力による近接戦で圧殺する。それがレッグスの戦闘時のスタイルである。


 


 故に、視界が塞がれている状況においても。心は揺れない。


 彼は――この魔法は神からの加護であると心より信じている。


 信じているが故に、揺れはしない。


 どのような策を講じようとも。神の加護が負ける事など、あり得はしない。


 


 重い足音が間断なく響く。


 視界が塞がれた重装歩兵が、その見目に似つかわしくない程の速度を以てレッグスへ突貫していく。


 レミディアスが召喚した重装歩兵。己が周囲に展開していた彼等を、勝機を見出し突貫させたのだろう。


 


 猿叫じみた声と共に、歩兵の手に握られた血濡れの槍が突き出されるよりも前に。音の方向へ横薙ぎの鉄槌を叩き込む。


 ぐしゃり。


 呪いを纏った鉄槍も。鉄塊の盾も。全てを破砕し圧壊させる。


 レッグスの大槌は鎧を破壊するだけでなく。その内側の亡者の肉体までも、砕いていく。


 


「――この程度では、私に刃は届かぬぞ」


 


 レッグスの攻撃そのものにも、因果操作の影響が現れる。


 大槌の攻撃は、当たればその衝撃は一番効果的に対象へ届く。たとえ鉄の塊であろうと――攻撃が届きさえすれば、一撃にて対象を破壊する。


 強大な怪力に、神の加護による因果操作により――彼の大槌には破壊神が宿る。


 


 重く激しい足音。そして重装兵を圧壊した際の戦闘音。


 この瞬間――レッグスは、霧によって視界が塞がれている中。聴覚もまたこの瞬間、制限される事となる。


 


 故に。


 死角から放たれる無音の攻撃に、反応が遅れる。


 


「....!」


 


 己が後方から放たれた銀輪の刃が、首元へ走っていく。


 銀輪はレッグスの首元を斬り裂くよりも前にその軌道を変え、レッグスの足下へと落ちていく。レッグスの”因果操作魔法”による悪果排除作用が働いたのだろう。


 その瞬間――レミディアスとレロ以外の魔力反応が、一瞬だけ己が後方から発されたのを感じた。


 


 ――あの幼子の剣士が、何かしらの魔法を行使したか。


 


 一瞬だけ反応が現れ、そして即座に消えた。魔力の残留も感じられない為、攻撃魔法の類でもないだろう。あの女、何をした――。


 


 その瞬間。


 地面にガラス瓶が割れる音が響くと共に――レッグスの鼻腔に凄まじいまでの刺激臭が突き刺さり――。


 


「ぐぉ....!」


 


 毒物を撒かれた、と。そう判断した瞬間から、即座に背後へと移動する。


 


 毒は、周囲の霧に吞まれて視認は出来ない。何処まで毒の効果があるのか解らない故に、レッグスは己の周囲に纏わせた因果操作魔法の範囲を拡げていく。これにて、毒を"吸わない"という善果を己に運び込む。


 


 


「...た、たすけて.....」


 


 レッグスの耳朶に響く、くぐもった幼子の声。


 恐らく、親とはぐれてしまった子だろうか。少女は喉奥から血を吐き、目から大粒の涙を流しながら倒れ込んでいた。


 


 ――毒を吸ったか。


 


 戦闘が始まり避難をした市民。その人波についていけず、更に霧が生まれ道も解らず。その果てに毒を吸ってしまったのだろう。


 


 ――何という卑劣。


 


 レッグスは、己が心内にて――確かな義憤を覚えた。


 それは――神の僕としての正義感であった。


 


 女神教の下にて暮らす市民。彼等を傷つけても良いのは、神と、その僕たる


 


 神の下、懸命にその責務を果たす者――例えばファウムなどが傷つけるのはいい。


 市民は、神と我々の所有物であるのだから。


 


 このような――下らない異教の者共に傷つけられることなどあってはならない。


 


「――すまぬが、今は神から与えられたもう任務の途中だ。貴公を助ける余裕はない」


 


 だから、と。レッグスは続ける。


 


「せめて――痛みも無く、神の御許に送ってやろう。それが私の最後の慈悲だ」


 


 異教徒共の卑劣な毒でその命が終わる前に。神の僕たる己が慈悲の一撃にて終わらせる。


 そう心に決め――大槌を振り上げた瞬間。


 


 


「――こぉの、馬ぁ鹿めェェェェェェェェェェェェ!」


 


 


 倒れ込んだ少女は、実に自然な振る舞いで立ち上がると共に。風が吹くような早さで――短刀をレッグスに突き刺した。


 鎧の隙間より腹部へ刃を差し込み――深く、深く差し込む。


 


「が....はァ....!」


「いっひっひひひひひ!まんまと術中に嵌りおって!そんな爺の年まで生きて学んだことがデカブツがデカブツを振り回すだけの戦法かァ?哀れじゃあのォ!」


 


 ”変化”の魔法を解き。――ここまで潜伏していたカスティリオ・アンクズオールが短剣を手放し、全力の嘲笑をレッグスに叩き込む。


 突き刺した短剣にも、毒が付着していたのだろう。腹を刺されたレッグスの身体に、凄まじい激痛と倦怠感を運び込んでいた。


 擬態を解いた後も、カスティリオはその喉奥から血を吐き続けていた。


 血を吐きながらも――己が”勝利”を心底から実感すべく、嘲りの言葉を投げかける。


 


「貴様....自ら、毒を飲んだのか....!」


「当然じゃ。――心配せずとも、わらわが扱う毒じゃ。致死までの分量は解っておる」


 


 ヒヒ、とまだ笑みを浮かべながら――カスティリオは言葉を続ける。


 お前は何故負けたのか。何処に油断があったのか。その全てを知らせた上で、相手の敗北感を最大まで味わわせるために。


 


「女神教の因果操作魔法の攻略法は、効果範囲を広げたのちの一点攻撃じゃ。毒を撒き範囲を広げさせれば――こうして騙し討ちも成立する」


「こ……の、卑怯者め……。ここで私を仕留めようとも……必ず、神罰が下される……」


 


 そう。


 たとえここでレッグスを仕留めようとも。公務中の司祭騎士を殺害せんとした事実が消えるわけではない。


 この罪をもって、褒章の授与は取り消されるであろう。


 


「それはどうじゃろうな。――案外、罰を受けるのは貴様等の方かも知れぬぞ?」


 


 変わらぬ嘲りの笑みを浮かべながら、そうカスティリオは呟いた。


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