第19話 怪物
『うわああああああああーーーーっ!!』
ジェミナの絶叫は上の階で交戦中の三人にも届いていた。明らかに異様な声に、三人の動きはピタリと止まる。
「なんだ今の声は。地下で何かあったのか?」
かすかではあるが、銃声のような破裂音も二発。妙な胸騒ぎがヒューゴを襲ったが、それはリブラスも同じだった。いや、むしろ動揺の度合いはリブラスの方が大きい。その証拠に鉄仮面のようなポーカーフェイスに焦りが見え隠れしている。
「まさか……ジェミナに何かあったのか!?」
「ジェミナ? 確かお前の弟子だとか言ってた奴か」
「お前たちには関係のないことだ。さあ今すぐ道を開けろ。戦闘はいったん保留にしてやる。満身創痍のお前たちにとってもその方が都合がいいだろう」
「ふざけんな! 約束が違うじゃねえか!」
ヒューゴは激昂した。リブラスの目的はあくまで魔眼持ちだけで、逃げ出した相手には手を出さない。そう言ったのは何を隠そうリブラス自身だったはずだ。
「ああ、坊やの言うとおりさ。自分が言った約束くらい覚えてなさいよ。それが悪党の礼儀ってもんだ」
急激な意見の変わりようにはクレソンも黙っていられない。
二人は傷だらけの体に鞭打ち、下り階段の前に立ちふさがった。リブラスを地下へは行かせない。言葉を交わさずとも、二人の考えは一致したのだ。
「あくまで邪魔をするか。いいだろう、私の道は私が切り開くのみだ……フンッ!!」
しかし、そんな二人の行動をあざ笑うかのようにリブラスは床を拳で叩きつけ、大穴を開けてしまった。
「なっ……! ふざけやがって、なんつう馬鹿力だよ!?」
想定外かつ規格外の剛力にヒューゴが驚愕している間に、リブラスは悠々と穴を通って地下に降りてしまう。もちろん二人もすぐさま穴を通って後を追おうとした。だが、穴から湧き出てくる異様な熱気に足取りは阻まれてしまった。
「熱ッ! なんだこの熱気は。地下でいったい、何が起きてるっていうんだ……?」
◇
リブラスが開けた大穴の真下は囚人の居房だったようで、背の低いドングリのような小汚い男が異様な熱気にやられて朦朧としていた。きっと上から降ってきたリブラスのことにも気づいていないだろう。虚ろな目で「姐さん……姐さん……」と繰り返すばかりだ。
「待っていろ、ジェミナ。今私が助けてやるからな」
リブラスは鉄格子をタックルで破壊すると、勢いそのままに居房の外に出た。そしてより熱気の強い方向へと歩みを進める。熱の中心地点にジェミナはいるはずだ。
その予想は当たっていた。視界がゆがむほどの熱気をかき分けて進んだ通路の先で、ジェミナは怪物と対峙していた。
(ん、怪物……?)
リブラスは、ごく当たり前のように怪物という言葉が出てきた自分自身に驚いた。
まさか怯えているのか?
こんな、自分よりも遥かに体格で劣る女の子供に?
認めたくない事実だった。しかし認めざるを得なかった。手や足、心の震えは一歩進むごとに大きくなる。今すぐ引き返せと脳が訴えかけてくる。
ジェミナと対峙している怪物(敢えてそう呼称する)の姿にはもちろん見覚えがある。上の階で逃げた二人の中の一人だ。しかし、これほどまでに強大な魔力を有している雰囲気は微塵たりとも感じなかった。どちらかと言えば、逃げたもう一人の方が圧倒的に脅威に思えた。
(そういえば、もう一人はどこにいる……?)
そのことに気づいて周囲に意識を巡らすと、そのもう一人が怪物の足元で横たわっているのを見つけた。格好からして間違いない。この灼熱地獄の中でなぜかキレイに形を留めているが、胸から流れ出る血の量からして死んでいるのも間違いないだろう。
加えて、かすかに聞こえた二発の銃声。それらの情報を組み合わせれば、どうしてこのような地獄絵図が生まれたかについても見当がついた。もはや多くを語る必要もない。だが、決して歩みは止めない。
あの
「うわあああああーーっ!!」
ジェミナはリブラスの存在には気づいていないようで、絶叫しながら何発か銃弾を撃ち込む。しかし、すべての銃弾はエルシャに届く前に消えた。エルシャが纏う黒炎が銃弾を灰にしてしまっているのだ。
やはり銃弾は効かないということか。ならば――。
「うおおおおおおッ!!」
肉弾戦に持ち込むしかない。
リブラスは雄たけびを上げてエルシャの方へ突っ込む。
「師匠!?」
ジェミナがようやく気付いた時には、すでにリブラスはエルシャの背後に組み付いていた。周囲を取り囲む黒炎がリブラスの体を容赦なく燃やす。しかし、炎を振り払うだけの時間はもはやない。たとえ黒炎が全身を燃やし焦がそうとも、エルシャを止めるにはこれしかなかった。
「ううっ、かはっ……!」
暴走状態のエルシャでさえも、首元を締め上げられては苦しさに声を漏らす。か弱い少女相手に使う技ではない、などと手心を加えている余裕はなかった。このくらい強引な手段を取らなければエルシャを止めることなどできない。
「はい。そこまでですよー」
地獄絵図にも劣らぬ絶望的な光景の中、妙に間の抜けた声が耳を通り抜けた。声の主は前方に視点を移すと見つかった。それは、エルシャの足元で横たわっていたはずの少女だった。深々と被ったフードの奥では、赤い縁の眼鏡が光を反射して不気味にきらめいている。
さらにリブラスと同じように、ジェミナの背後から組み付いて首元に刃を向けていた。
「貴様、死んでいなかったのか」
「どうやらそうみたいですね~」
まるで他人事のように飄々と答える少女の名を、エルシャは知っていた。
「ヨミさん?! なぜ生きてるんですか?!」
「それは私も気になるところだが、今はそれどころではないな。まったく、人質を取るとは卑怯もいいところだ」
「あはは~。それはお互い様でしょう。私だって出来るならこんな手は使いたくありませんでしたよ」
「……要求は何だ」
「当然、人質の解放です」
「ふむ。私もまったく同じ要求だ」
「では三つ数えたら同時に人質を交換しましょう」
「いいだろう。だが貴様が裏切ったら人質もろとも貴様を殺す」
「おお怖い。でもあなたも約束を破ったなら腕の一本や二本は覚悟してくださいね?」
「無論、それが代償の釣り合いというものだ。怖気づいたならこの交渉は白紙にしてもよいのだぞ?」
「はは、まさか」
先ほどまでの言葉の応酬がまるで嘘だったかのように、二人は静かに呼吸をそろえてカウントを刻む。「1、2―――」
リブラスは首を絞める力を、ヨミは刃をより強く突き立てる。
3を数えたところで、二人は同時に人質の体を前に押し出した。
「はい。確かに受け取りましたよっと」
「……交渉成立だな」
人質の交換が完了した直後、リブラスはジェミナを脇腹に抱えて逃走を図った。経路はリブラスが拳で開けた大穴だった。岩山のような図体からは想像できないほど軽い身のこなしで飛び上がり、正面口から堂々と出て行った。あまりに唐突かつ堂々としていたものだから、待機していたヒューゴたちも反応が間に合わなかった。そもそも追いかけられるだけの体力も気力も残されてはいなかったが。
一方でエルシャは力を使い果たしたせいか、もはや立つのもやっとな程に疲弊していた。
「ヨミさん……迷惑をかけて、本当にごめんなさい」
「お気になさらず。それより私はあなたが無事帰ってきてくれたことの方が嬉しいです。さあ、今はゆっくりと休んでくださいね」
緊張の糸が途切れたからか、エルシャは前のめりに倒れそうになる。それをヨミが優しく受け止め、耳元でそっと囁いた。
「お休みなさい。そしておかえりなさい――エルシャさん」
やがて、夜が明けた。
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