第18話 大いなる油断

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……おかしいな、さっきと比べて二人も増えているではないか」


 リブラスが現れたことにより、弛緩していた空気は一気に張り詰めた。その姿を初めて目の当たりにするエルシャにさえ、いかに危険な人物であるかはひしひしと伝わってきた。圧倒的な威圧感と、鋼の如き強靭な肉体。むしろ危機感を覚えない方がおかしいと言っても過言ではない。

 

「おい、でっかいの。どうせお前の狙いはこの俺だろ。他の奴らには手を出すな」


 ヒューゴは他の三人を庇い立てするように一歩前に出て、リブラスを牽制した。先ほどの口ぶりからして、この町に存在する二人目の魔眼の所持者がようやく分かったのだろう。そう、ヒューゴの存在が。

 

「ふむ、まあいいだろう。10秒だけ時間をやる。命が惜しい者は即刻立ち去るがいい」


「やけに素直なのが却って怪しいが……お前たち、ここは俺に任せて逃げろ!」


 腰に携えた剣を抜き、ヒューゴは叫ぶ。

 その背後では、ヨミが小声でエルシャに問いかけをしていた。


「マリーベルさんのご友人さん。大丈夫ですか? 動けますか?」


「は、はい、なんとか」


「私は抜け穴を通って地下牢に侵入しました。そこを通って脱出しましょう」


「でも、わたしたちだけ逃げ出すなんてそんな……」


「ただ逃げ出すのではありません。この状況を他の衛兵さんに知らせ、応援を頼めるのは今のところ私たちだけです」


「そう、ですね……分かりました」


 ヨミの説得を受けてエルシャは頷いた。ヒューゴの勇気ある選択を無駄にしないためにも、ここはヨミの判断に従うべきだ。


「さて、とうに10秒は過ぎたぞ。そろそろ行かせてもらおうか……」


 リブラスは一歩ずつゆっくりと、ヒューゴたちに近づいていく。その様子はまるで強者が弱者をいたぶるかのようだった。そして、いよいよヒューゴたちの目と鼻の先まで近付いたとき。

 

「はああああーーーっ!!」


 突如、その巨体が大きく後ろに吹き飛んだ。

 

 唐突な出来事に驚いたのはリブラスだけではない。いや、むしろより大きく驚いたのはヒューゴの方だった。

 

「お前……なんで逃げてないんだ!」


 予想だにしていなかったものを目にし、ヒューゴは叫ぶ。視界の先にいたのはクレソンだった。リブラスが吹っ飛んだのは、クレソンが放った体当たりによるものだった。

 

「うっさいわねぇ、アタシの右目の借りはアタシの手で返したいの。というか、アンタこそ逃げなさいよ。あいつが狙ってるのはアンタなんだし、この中で一番手負いなのはアンタでしょ?」


「へっ、見くびるんじゃねえよ。衛兵の俺が我が身可愛さに逃げ出すわけにはいかねーのさ」


「あらあら真面目なこって。でもそういう青いとこ、アタシは嫌いじゃないわ」


「無駄話はよせ。奴が起き上がったぞ」


 山積みになった瓦礫の中からリブラスがゆっくりと姿を現した。見た目通り体は相当頑丈らしく、それほどダメージを負っているようには思えない。

 だが、後ろを見るとエルシャとヨミの姿はなくなっていた。二人を地下へ逃がすための時間稼ぎには成功したようだ。

 

「まったく、強暴な女だ。今の攻撃で私の背中の右側を強く打ち付けてしまったぞ。よくない……非常によくない。右側だけではバランスが悪い。早急に反対側を叩いて釣り合いを取らねば」


 いつものようにリブラスは弟子の姿を探した。しかし今は単独行動中であることを思い出したのは何度か周りを見渡した後でのことだった。

 仕方ない。自分で自分を叩くしかない。

 リブラスはその辺の壁に向かって背中の左側を打ち付けた。

 

「相変わらず意味わかんねえなお前」


 ヒューゴたちが例の意味不明な儀式を目撃するのは二度目だ。それでもなお理解はできない。するつもりもない。


「要するにこの世界は絶妙なバランスを保つことで成り立っているということなのだよ。とまあ、講義はこれくらいにして……私が受けた二発分の攻撃を釣り合わせるためにも、君たちには二発ずつ私の攻撃を受けてもらう必要がある。分かるね?」


「「分かるか!!」」


 ヒューゴとクレソンは同時に叫んだ。唯一分かることは、目の前の敵を倒さねばならないことだけだ。三人は一斉に戦いの構えを取った。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 エルシャとヨミは階段を駆け抜け、地下牢へと降り立った。嫌になるほどじめっとした静寂が続く通路とは裏腹に、頭上では何かと何かが激しくぶつかり合う音が鳴り響く。きっと戦いの火ぶたが切られたに違いない。上に残った二人の努力を無駄にさせないためにも、エルシャたちは一目散に抜け穴を目指した。

 

 ヨミは言うには抜け穴は、今は使われていない古びた牢屋の中にあるのだという。話を聞いただけだと過去に囚人が脱獄するために掘った穴にしか思えないが、何はともあれ脱出できるに越したことはない。

 

 エルシャたちは薄暗い通路の中を早足で駆け抜け、やがて目的の牢屋へと辿り着いた。そこは本当に使っていないようで、物凄く埃っぽいうえに蜘蛛の巣やカビで汚れており、ちょっと動くだけで埃が舞う。

 

 ただ、幸いにも抜け穴は塞がれていなかった。恐らく地下牢の劣化した壁と一体化しているらしく、鉄格子の向こうにある小さな穴は傍目にはわからないようにできていた。

 

 見てみると確かに、壁にぽっかりと人が一人分入れそうな穴がぽっかりと空いている。まさか過去に囚人が脱獄するために掘った跡なのだろうか。嫌な想像がどうしても働くが、何はともあれ脱出するに越したことはない。狭い通路を縫うように走り抜けると、あるところでヨミは立ち止まった。

 

 目的の牢屋に着いたから……だったらどれほどよかったことだろうか。残念ながら目指すべき場所はもう少し先にある。目の前に立ちふさがる影が、二人の足を止めたのだ。

 

「おや、あなたは……」


「お初にお目にかかります。わたくしの名はジェミナ。リブラス師匠のもとで弟子をしております」


 そこにいたのは、エルシャとさほど背丈も年も変わらなさそうな小さな少女だった。ヒューゴは二人組に襲われたと言っていたが、まさか彼女が二人組のもう一人だとでも言うのだろうか。いや、状況を考えれば彼女があの大男の仲間であることは間違いない。

 

「どうやらあなたも抜け穴を通ってここにたどり着いたようですね。さしづめ私たちは袋のネズミといったところでしょうか」


 ヨミは冷静に言い放ったが、言葉通りピンチであることには変わらない。前にはジェミナ。後ろにはリブラス。やけに簡単に逃がしてくれたのは、最初から挟み撃ちになることが分かっていたからなのだろう。

 

「そんな、あと少しのところで……」


「何か勘違いをされているようですが、わたくしは別にあなた方をどうこうするつもりはありませんよ」


「ほう。狙いは端から上にいる衛兵さんというわけですか」


「その通りです。逃げたいのであればお好きにどうぞ」


「でも、わたし達が逃げれば上にいる二人がさらにピンチになってしまいます。あなたはここで、わたし達が食い止めます! ……いいですよね、ヨミさん」


「ええ、もちろんです。精一杯お相手しましょう」


 そう言ってヨミは腰の刀に手をかける。

 

「さあ、わたし達が相手です!」


 このときのエルシャはいつになく強気だった。理由はやはり、ヨミが隣に立っているからだろう。彼女の頼もしさは半端ではない。現に剣の腕前も実際に目の当たりにしているので、安心しきっていた。

 

 

 

 それが、大いなる油断を生んだ。

 

 

 

「はぁ……弾数たまかずは節約しておきたいのですがね」


 ジェミナは懐から鉄製の小さな筒のようなものを取り出した。それはエルシャが石化していた300年の間に新しく開発された武器。名を南部式小型魔動拳銃――広くはピストルと呼ばれている代物であったが、当然エルシャがそれを知るはずがない。


 たとえ目の前に突き出されたそれが如何に危険なものだとしても、未知なる存在であるなら単なる鉄の筒でしかないのだ。


 未知は時に勇気を生み出す。しかし、勇気と無謀は表裏一体だ。今の状況は完全に後者と言える。その証にエルシャはなんの疑問も抱かず、じっとジェミナの手元を見つめていた。

 

 乾いた破裂音が耳をつんざいたのはその直後だった。

 

 

 

 

 

「――危ない!」


 ヨミの声がした。

 

 それと同時にエルシャは後ろへ突き飛ばされた。あまりに唐突な出来事に混乱したが、できるだけ早く理解できるようエルシャは努める。

 

 破裂音の正体はジェミナが持っている武器。そこから発射された何かが、エルシャの胸部めがけて一直線に向かう。直撃すれば絶命は免れないだろう。

 

 しかし、なぜ生きている?

 

 その答えは、ヨミが自分を突き飛ばして庇ってくれたおかげだった。

 

 エルシャを庇ったヨミは、傍で血を流して倒れている。

 

「ヨミ……さん?」


 きっと何かの冗談だ。なにせヨミはそういう冗談が好きそうな人だ。まだ会って一日も経っていないけど、なんとなく分かる。いや、絶対にそう。そうに決まっている。

 

「嘘……ですよね……?」


 だが、ヨミは起き上がらなかった。

 

「はぁ。あなたを狙って撃ったはずじゃないんですけどね。まあいいでしょう、順番が前後しただけのことです」


 この光景を作り出した張本人は、いたって冷静に言ってのけた。ピストルの銃口は早くもエルシャの胸元に狙いを研ぎ澄ませている。きっと腹が減れば食事をするかのごとく、日常的に作業的に、何度も何度も繰り返してきた光景なのだろう。

 

 ゆえに怒りは湧かなかった。もし湧いたのだとしたら、きっとそれは自分自身に対してだ。

 

 大いなる油断の代償が、この光景だ。


「安心してください、すぐにこの方と同じところへ向かわせてあげますから」


 ジェミナは引き金に指を添える。

 

「早くやってください。わたしに生きてる価値なんて……ありませんから」


「……えっ?」


 だが、予想外の言葉にジェミナは思わず引き金から指を離した。

 

「なにが『えっ?』ですか! 撃つってさっき言ったでしょう! さあ、早く……早くわたしに撃ってください!」


「そんな……撃つだなんて、言って、言ってな……」


「言ったでしょう! さあ早く! どうして撃たないんですか!?」


「ああ……ああああああっ!」


 実を言うとジェミナの右目に無理やり埋め込んだ魔眼は完全には馴染んでおらず、視界は決して良いものではなかった。しかし、たった今この瞬間に完全に馴染んだのだろう。生まれながらに不自由な目と共に歩んできた人生の中で、初めてくっきりと鮮明に見えた光景。

 

 それは、目の前に立つ怪物の姿だった。

 

 決して見間違いなどではない。

 

 魔眼は人の魂の色や形をも見通す。普通の人間が、血に塗れた復讐心を丸めて固めたような赤黒い魂をしているはずがないのだ。ましてや、自分と年の変わらない一人の少女ならば。

 

「どうして撃たないんですか? それとも……撃てない・・・・んですか?」

 

「うわああああああああーーーーっ!!」


 無意識のうちにジェミナは絶叫していた。指は引き金を引いていた。

 

 一発の銃弾が、エルシャに向かう。

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