第17話 悪党の美学

 頭に刻んだ地図を頼りに道を進んでいくと、深夜にも関わらず明かりが灯っている建物が一つだけあった。記憶の地図の地下牢とも場所が重なるので、あの建物が目的地で間違いないだろう。

 

 あとは、勇気を出して中に入るだけ。入るだけ。入る、だけ……。

 

 エルシャにとってはその「だけ」がいかに難易度の高い行為かは、もはや言うまでもない。道具屋やレストランならまだしも、これから行こうとしているのは地下牢なのだ。きっと普通の人でも入るのは躊躇われるはず。というか、普通の人は地下牢に行く用事なんてないだろう。

 

 しかし、今回は少しばかり違った。いつもの進んでは戻るというルーティンも行わず、ゆっくりとながらも一歩ずつ前に進んでいく。きっと真実への探求心が背中を押したのだろう。関係者以外立ち入り禁止と注意書きのされた扉をゆっくりと開けると、中にいた一人と即座に目が合った。

 

「……そんなところに突っ立ってないで、用があるなら入ってきなよ」


 気づかれた瞬間に背筋が凍ったが、ここまで来たら引き返すことは出来ない。自分の耳にすら届かないほど小声で「失礼します……」とささやきながら、音をたてないように扉を開けて中に入ってみた。

 

 するとそこにいたのは、二人の男女だった。さっき声をかけてきた男の方は格好から見るに衛兵だろう。頭や胴体には、痛々しいほどに包帯がグルグル巻きにされている。

 もう一人の女は衛兵に比べて怪我は少ないようだが、右目に眼帯をかけている。というか、どこかで見覚えのある顔だった。

 

「あー! あ、あなたは……盗賊の人! なんで普通に外に出てるんですか!?」


 そう、それはクレソンだった。聞いていた話では檻の中に入っているはずだが、どういうわけか檻の外へ出て怪我を負った衛兵の介抱をしていた。

 

「ちっ、よりにもよってあんたかい……」


「おや? 二人は知り合いなのか?」


「知り合いか。言いようによっちゃそうかも知れないねぇ」


「へぇ。どういうきっかけで知り合ったのか教えてくれよ」


「ふん。あんたにだけは教えてやんなーい」


「おいおい、意地悪なのは顔だけにし――あだだだ!」


 クレソンは巻いていた途中の包帯を強く締めて反撃。強烈な圧迫感に衛兵――ヒューゴは顔を歪ませた。

 

「あの、そろそろ教えてもらえませんか? なんで衛兵さんと盗賊の人が一緒にいるのか、いったい何があってそんな怪我をしてしまったのか……」


 エルシャは耐えきれなくなって自ら聞き出した。するとクレソンとヒューゴは茶番のようなやり取りをピタリと止め、視線をエルシャに移した。

 

「……襲撃されたんだよ。キミもその噂を耳にしたんだろう? じゃなきゃこんな夜中に地下牢なんて物騒な場所には来ないはずだ」


「は、はい。実はそうなんです」


 図星を突かれたエルシャはただそう答えるほかなかった。下手にごまかして状況を悪くするよりは断然いい。するとその判断が功を奏したのか、ヒューゴはゆっくりと詳細を語り始めた。

 

「やってきたのは二人組だ。そのうちの一人がとんでもない馬鹿力でな。この女盗賊が外に出てるのも、ソイツに檻をぶっ壊されたせいってわけだ」


「えっ、いいんですか? その……檻から出してしまって」


「それに関しちゃ問題ないと思う。俺ほどじゃないがこいつも怪我してんだ。あまり遠くには行けないし、行っても指名手配中だからどうせ捕まるのがオチだ」


「おっと、アタシを見くびってもらっちゃ困るねぇ」


「おいおい、まさか逃げる目途でもあんのか?」


「逆だよ。こう見えてもアタシは潔く生きてんのさ。だから捕まったならそこで終わり。生き恥晒してまで逃げようなんて思わないってこと。まあ坊やには分からないだろうねぇ、悪党の美学ってやつはさ」


「何が悪党の美学だ、ただのコソ泥のくせに。だがまあ……今はその言葉を信じるしかないか」


 今のヒューゴには剣を碌に振る力すら残されていない。どういう形であれクレソンが逃げずに留まると言うなら、それに越したことはないのだ。

 

「さて、俺たちのことはあらかた話したな。次はキミのことでも教えてもらおうか」


「えっ、わ、わたしですか……?」


 ヒューゴの視線がまっすぐエルシャに突き刺さる。やはり他人の興味の視線というのは、いつまで経っても慣れる気はしない。ここでうまく返答しなければ、興味の視線は懐疑の視線に早変わりするだろう。だがうまく返答しようと意識すればするほど、思考は堂々巡りに陥る。

 

 自分がエルシャのそっくりさんでも何でもない、正真正銘の本物だと正直に言っても信じないだろうし、信じたら信じたで新たな問題が発生する。かといってうまい嘘をつけるほどの余裕も器用さも今のエルシャにはあるわけがない。

 

 駄目だ。

 頭が真っ白だ。

 言葉が紡げそうになっては泡となって消えていく。濁った水の中で溺れるような、あの感覚だ。

 

「おいあんた、なに虐めてやってんのさ。本当は分かってんだろう、この子の正体が」


 動揺が表に出ているエルシャを見かねたのか、クレソンはヒューゴを諫めた。だが同時に気になることも言っていた。

 正体が、分かっている……?

 不意の発言に、エルシャの心がまたも揺らめく。

 

「ああ悪い、別に虐めるつもりじゃなかったんだ。けど俺にはキミの正体がなんとなく察しがついている。キミはもしかして、あのエ」


「皆さん、何の話をされてるんですかー? 私にも聞かせてくださいよぉー」


「――!?」


 エルシャたちは声がした方に一斉に振り向いた。黒い髪を三つ編みに束ね、赤い縁の眼鏡をかけたその少女の姿に、エルシャは見覚えがあった。しかし、どういうわけか地下牢へ続く階段から出てきたせいで思い出すのに時間がかかってしまう。

 

「だ、誰だアンタ!? なんで地下牢の方から出てきたんだよ!?」


 ヒューゴは話を中断し、唐突に現れた不審者を問い詰める。当然ながら地下牢は袋小路なので、侵入するためには傍の階段を通る必要がある。まさか秘密の抜け穴でもあるというのだろうか。

 

「すみません、道に迷ってたらここに出たんです」


「道に迷ってたらって、物理的にあり得ないから! なんか怪しいぞお前!」


 ヒューゴは問答無用で腰に下げた剣の柄に触れた。そこでようやく、エルシャは思い出した。

 

「待ってください衛兵さん! この人、わたしの知り合いです……たぶん」


「おおっ、あなたはマリーベルさんのご友人の方ではないですか! お願いします、この衛兵さんの誤解を解いてはもらえませんか?」


「え? まさか本当に知り合いなのか?」


「はい、一応……今日会ったばかりなんですけどね。ヨミさんは悪い人ではないはずです」


 そう、それは宿屋で会ったばかりのヨミだった。彼女のような特徴的な見た目の人物は、おそらくこの町には他にいないだろう。エルシャがそう弁明すると、ヨミは安心したようにニコリと微笑んだ。


「そうか、疑ってすまなかった」


「あら。アタシと比べてずいぶんあっさり信用するじゃない」


「コソ泥のお前と一緒にすんな」


「あらあら手厳し~」


「お前は黙っとけ」


 ヒューゴはうざ絡みしてくるクレソンを適当にあしらうと、先ほど遮られた話の続きをしようとした。

 だがその試みは、またしても部外者の出現により遮られることとなった。

 

「……まさかお前が二人目の魔眼所持者だったとはな。灯台下暗しとはまさにこのことだ」


 それは巨大な山と見紛うほどに筋骨隆々な男だった。

 正面扉から堂々と現れたその男の姿に、ヒューゴとクレソンは戦慄を覚える。呼び覚まされる恐怖心。頬を伝う冷たい汗。忘れられるはずがない。

 

「おいおい、『まさか』って言いたいのはこっちの方だよ……」


 恐ろしく早い再会だった。

 だが、出来れば二度と会いたくはなかった。

 

 ――リブラスとは、特に。

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