第15話 先輩と後輩と師匠と弟子
一方その頃。
場所は町のはずれにある衛兵が管理している施設の一つ。
外から見れば普通の建物にしか見えないが、地下には罪人を収容しておくための牢屋がいくつも立ち並んでいる。
するとこの建物へ、一人の青年が降りしきる雨の中を駆け抜けながらやってきた。
「いや~参りましたよ、いきなり降ってくるんですもん」
青年は髪に付いた雨粒を払いながらぼやく。視線の先には、彼の先輩にあたるベテランの衛兵の姿があった。
「おう、災難だったな後輩。そろそろ交代の時間か?」
「はい、後は任せてくださいっす先輩。あと前々から思ってたんすけど、先輩って俺の名前覚えてなかったりします?」
「はぁ? どういうこったよ後輩」
「だって先輩、いっつも俺のこと後輩後輩ってしか呼ばないじゃないっすか。一応俺にはヒューゴっていう名前があるんすからね?」
自らをヒューゴと名乗った若い衛兵は、露骨に不満げな表情を浮かべる。それを見たベテランの衛兵は気にも留めず、鼻で笑い返した。
「ふんっ。お前はまだまだ未熟もんだ。名前を覚えてほしかったらもっと剣を磨いて強くなることだ。お前の
そう言ってベテランの衛兵は、満足げに後方で腕を組んだ。
ちなみに先輩である彼の名前はセンパイである。先輩ではなくセンパイである。冗談にしか見えないがれっきとした本名である。
もはや名は体を表すという次元を超えている。
きっと彼は生まれならながらにして人々の上に立つという使命を自覚していたのだろう。
「まあ、冗談はさておいて」
「おい後輩、なんだ冗談っていうのは」
「最近入った新入り二人の様子はどうっすか?」
ヒューゴはセンパイの言うことを無視して尋ねる。こういうやり取りは何度も繰り返されているのか、はたまた無視されたことすら気づいていなのか、センパイはいたって淡々と答えた。
「今のところは大人しくしているぞ。少し不気味に思えるくらいにな」
「そっすか。このままずっとそうしてくれると有難いんすけどねー」
「ははっ、そうだな。じゃあ後は任せたぞ」
「ういっす。お疲れ様でーす」
センパイが去り、ヒューゴはいつものように仕事に取り掛かる。
「んじゃ、さっそく会いに行ってみますかね」
伸びをしながら呟き、近くの階段をおりていく。二人の新入りは階段をおりた先の地下牢で待っている。そう、冷たい黒色をした鉄格子の向こうで。
ヒューゴの言う二人の新入りというのは、衛兵のことではなく、最近収監されたばかりの囚人のことを指していた。
「……なんだい。またアタシ達のこと笑いに来たのかい? こんな、無様なアタシ達をねぇ」
卑屈気味な口調でクレソンは言った。隣の房にはケールもしっかりと収監されている。二人とも、ヒューゴの手によってこの鉄の箱の中へとブチ込まれていたのだ。
「別に笑うつもりなんかないよ。いちいち笑ってたら仕事になんないっしょ」
「ふぅん、真面目なこったねぇ」
「そりゃどーも」
「まあ冗談はさておいて、聞きたいことがあるんだけどさぁ……アンタ、アタシと
「はぁ? 目? 何言ってるか分かんねえな」
「そう言う割には魂の形がブレブレになってるけどねぇ。別に隠す必要はないだろう?」
「だから、何も隠してなんか……」
するとその時だった。
コツ、コツ、コツ……という足音が階段の方から聞こえてきたのだ。
ヒューゴは最初、センパイが戻ってきたのかと思っていた。
「あれ、どうしたんすか先輩。忘れ物でもし……」
しかし、シルエットが明らかにセンパイのそれとは違っていた。
センパイも中々の大男だが、階段を下りてきたのはそれをはるかに上回るほどの大男……というより巨岩とでも言うべきだろうか。
その身に纏っている黒いコートは、中の肉体によってパンパンに膨れ上がっている。
しかも男の背後にはもう一人、右目に眼帯をかけた小さな少女が後を付いてきていた。
「だ、誰だアンタら?!」
「だ、誰だアンタら?! と聞かれたからには答えねばなるまい。私の名はリブラス。そしてこちらが――」
「弟子のジェミナです。以後、お見知りおきを」
「そ、そりゃどーもご丁寧に……」
「これでいいかね、若者よ」
「いやよくねーよ! 入口んとこに関係者以外立ち入り禁止って書いてたろーが!」
もちろんヒューゴは迷い込んできた怪しい二人組を追い返そうとしたが、相手は聞く耳を持とうとしなかった。制止を振り切って二人組はズンズンと前に進んでいき、やがてクレソンが収監されている牢屋の前で立ち止まった。
「な、なんだいアンタら……」
クレソンの方も二人の顔に見覚えはないらしい。
不意に警戒を強めるが、鉄格子の中に逃げ場はない。
「な、なんだいアンタら……と聞かれたからには答えねばな――」
「師匠。そのくだりはすでにやりました。巻きでいきましょう、巻きで」
「うむ、仕方ない。なので率直に言わせてもらうが、我々の目的はお前の右目に宿る魔眼を回収することだ。ちょっと待っていなさい、今この鉄格子を破壊するのでな」
そう言ってリブラスは鉄格子を掴み、すさまじい力を込めて引っ張り始めた。
いやいや腕力だけで鉄格子を破壊するとか冗談だろ――そう思いたいのも山々だが、現在進行形でガキンゴキンと嫌な音を立てているのを見過ごすわけにもいかない。
というか、間違いなくあと数秒で破壊される。
冗談じゃない。
「おい、やめろ! そっから離れろ!」
叫んで訴えるが、当然のごとく聞く耳は持たれなかった。
ならば残された手段は実力行使しかない。ヒューゴは助走をつけ、リブラスに渾身のタックルをかます。
「オラァ!」「ぬおっ!?」
どうやら突進してきていることにも気づいていなかったらしく、タックルが当たった瞬間に巨岩のような体は後方へ吹き飛んだ。
人ならざる腕力に晒され続けた鉄格子は、なぜかあらぬ方向に曲がり歪んでいる。
あぶないところだった。だがこの鉄格子はもう、鉄格子としての役目を果たすことはできないだろう。
「師匠。無事ですか?」
「いや、無事ではないな。今の衝撃で背中の左側を強く打ち付けてしまった。よくない……非常によくない。左側だけではバランスが悪い」
「では、わたくしめが右側を殴打させていただきます」
「うむ、よろしく頼む」
ジェミナは近くに落ちていた鉄の棒を手に取り、リブラスの背中の右側を狙ってフルスイング。
ズバーン!と鈍くも心地のいい快音が鳴り響くと、リブラスは笑みと苦痛の入り混じった恍惚の表情を浮かべた。
「よーしよしよしよし、さすがは我が弟子だ。力、角度、方向、すべてが噛み合ったバランスのいいスイングだったぞ」
「お褒めにいただき、光栄に思います」
「なんなんだよアンタら……」
傍らで一部始終を見届けたヒューゴでも、二人が何をやっているのか理解できなかった。というより、脳が理解を拒んだ。唯一理解できたのは、意味を理解した瞬間に発狂してしまうだろうということだけだった。
理解不能。
理解拒否。
体の温度が急激に下がっていく感触。
「さて、若者よ。この一瞬の間に私は二発も攻撃を受けてしまった。しかし君は一発も攻撃を受けていない。これでは釣り合わないのだよ。釣り合わせるためには君も二発、攻撃を受けてもらう必要がある。分かるね?」
「わけ分かんねえよーーーっ!?」
もはや理解することなどどうでもよかった。二発のうち一発は自分でやらせたことだろ、という普通の指摘が通るなら最初からこんな状況にはなっていない。
ふと気づけばヒューゴは自然と剣を抜き、応戦の構えを取っていた。
(なっ、速ェ!)
だがリブラスはその巨体に反し、恐ろしいほど身のこなしが軽やかだった。一瞬のうちに間を詰められ、勢いそのままに拳が腹を抉る。鈍い、重い一撃。痛みで意識が飛びかける。
「おっと、まだ落ちてくれるなよ。まだ一発残っているのだからな」
(クッソ、ふざけやがって!)
薄れゆく意識、霞みがかる視界。だがそのおかげか却って神経が研ぎ澄まされ、二発目の拳は目で追えるほどにはゆっくりと見えた。見えただけだった。ヒューゴの身体にはもう、回避するだけの体力は残っていない。無慈悲に飛んでくる重い拳が直撃し、ヒューゴは遥か後方の壁まで吹き飛ばされた。
「がはっ……!」
瓦礫とともにヒューゴは前のめりに倒れる。かろうじて意識は保ったが、立ち上がるための気力はなくなってしまった。
「さて、これで邪魔者は排除できたな。あとは……フンッ!」
リブラスは腕力で鉄格子を引きちぎり、ジェミナとともにクレソンのいる房の中へ踏み込んだ。
「何をする気だ。まさかアタシを逃がしてくれる……ってわけでもなさそうだね」
「最初からお前の魔眼が目的だと言っているだろう。回収が済んだら逃げるなり残るなり好きにすればいい」
「回収って、まさか……おいやめろ!」
「申し訳ない。本当に、本当に申し訳ない。だがジェミナの目のためには仕方ないことなのだ。……分かるね?」
「分かるわけないだろ! え、まさか本気で……やめ、やめろォーーーがっ!」
「ほう。これが魔眼か。ジェミナよ、お前の右目に入れてみなさい」
リブラスは「丸い何か」を差し出した。それをジェミナが受け取ると、眼帯を取って瞼の裏にはめ込んだ。
「どうかね。私が指を何本立てているか見えるか?」
「すみません、まだモヤがかかっている感じです」
「そうか。まあじきに馴染むだろう」
どうやらすぐに良くはならないらしく、少し残念そうにリブラスはピースサインを取り下げる。一方でクレソンは右目を抑えながら痛みに悶えていた。
「うぅ、があっ……!」
「苦しかろう。辛かろう。左目だけが残るのはバランスが悪くて気持ちも悪かろう。だが今楽にしてやるぞ。もう片方の目も潰してしまえば、左右の釣り合いが取れて楽になるはずだ」
リブラスはクレソンの左目にも手を伸ばす。こちらの目は魔眼なるものでも何でもない普通の目だが、両方とも潰されてしまうのは堪ったものではない。
純粋なる嗜虐心。いや、「バランス」「釣り合い」への異常な執着心とも言うべきか。初めて体感するタイプの恐怖と、右目の痛みのせいでクレソンは声すら上げられない。
「それで楽になるのは師匠だけです。時間も押してますし、そろそろ引き上げることを進言します」
「むっ、そうか。心残りはあるが主目的は果たせたので良しとしよう。それにしても、この町にもう一人の魔眼使いがいるのは本当なのだろうな?」
「掴んだ情報が正しければ、おそらく」
「まあ今はあるかないかの議論をしても無駄か。魔眼が馴染むころには二人目の居場所も分かるだろう」
そうして二人は地上へ続く階段を上って去っていった。辺りに散らばる瓦礫に、二人の重傷者。まさしく嵐が過ぎ去った後のようだ。第三者がこの惨状を見ても、よもやたった一人の男によって引き起こされたとが微塵も思わないだろう。
「くくく……かはは……」
クレソンの乾いた笑いが地下牢に虚しく響く。彼女の座右の銘である「この世は強くなければ生き残れない」というのは決して間違いではない。
ただ、自分は強者の気まぐれで生かされただけなのだ。
虚ろなる右目からあふれ出てくるのは、血なのか。それとも涙なのか。クレソンにはもうどうでもいいことだった。
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