第14話 影の魔女って呼ばれてます

 三人は宿屋に入ると、エントランスにある対面ソファにそれぞれ腰を下ろす。

 にこやかに微笑む旅人の少女に対し、エルシャとマリーベルの二人は極めて渋い表情をしていた。出された飲み物にも手が伸びず、グラスを滴る水滴で水たまりが出来ている。

 原因は間違いなく、目の前に座る旅人の少女が《ヨミ》と名乗ったせいだろう。

 

 二人ともその名前には聞き覚えがあった。

 つい昨日、マリーベルの父親であるエドガーが話していたことだ。

 手帳を誰に売ったのか問い詰められた際、エドガーはこう答えていた。

 

 

『ヨミ、という名前の異国の者でした。エルシャ様について調べているようで、手帳を見せてほしいと懇願されたので特別に見せてみたところ1億出すので譲ってほしいと持ち掛けられたのです』



 しかし、その出来事があったのは20年も前の話だったはずだ。

 いま目の前にいるヨミと名乗った少女の見た目は、明らかにエルシャたちの年齢と変わらない。仮に年上だったとしても一つか二つ程度の差だろう。

 この矛盾の正体は何なのか、二人はヒソヒソ話し合う。

 

(マリーベルさん、こちらの方があのヨミさんという方なのでしょうか)


(いや、どう考えても違うでしょ。きっと同じ名前の別人よ)


「どうかしましたかー? 私にも聞かせてくださいよー」


「……!!」


 二人は揃って背筋を伸ばした。小声で話していたつもりだったが聞かれてしまったのか。あるいはあまりに挙動不審だったか。

 

 どちらにせよ、こうなってしまっては突き進むしかない。虎穴に入らずんば何とやらである。マリーベルはぬるくなったコーヒーを一気飲みし、ヨミの目をまっすぐ見据えた。

 

「一つ聞かせて。あなたは以前、この町に来たことがある?」


「はい、ありますよ。20年ほど昔になりますけどねー」


 20年。

 あまりにタイムリーな数字に、マリーベルは思わず立ち上がった。

 

「はぁ?! 20年って……あなたいったい何歳なの?!」


「おっと、女性にいきなり年齢を聞くのはマナー違反ですよ? あなたのような若い方にはピンと来ないとは思いますけどねー……」


 ヨミは憂いを帯びた目で明後日の方向を見つめた。演技なのか本気なのかよく分からないが、どことなく胡散臭い。

 もしやからかわれているのではないだろうか。20年前と言ったのは、単なる偶然という可能性もある。

 

「というか、あなたが聞きたいことってそんなことなんですか? 遠回しで外堀から埋めていくのも結構ですが、私はいきなりズバーンって来る方が好みですけどねー」


「……分かったわ。お言葉に甘えて単刀直入に聞くけど、その時に手帳のようなものを買わなかった?」


「手帳ですか。ええ、買いましたね。エドガーさんという方から」


「……!」


「しかも驚かないでくださいね? なんとお値段は1億エンでした。本来は売るつもりじゃなかったらしいんですけど、無理言って何とか譲ってもらえました。まあ当時は異常気象でいろいろ大変でしたからねー」


 エルシャとマリーベルは言葉を失ってしまう。

 20年前。1億エン。異常気象。

 単なる偶然と片付けるには、あまりに状況が合致しすぎている。

 だが真相を確かめるためには、さらにもう一歩踏み込む必要がありそうだ。

 

「最後にもう一つだけ聞かせて。その手帳には、何が書かれていたの?」


「残念ながら現在も解読作業中です」


「20年も経ってるのに?」


「ええ。世界中、どこを探しても一致する言語がないんですよ」


「じゃあその手帳、見せてもらうことってできるかしら」


「すみませんが今は手元にないんですよねー。ここからずっと遠く離れた場所に保管されてまして。というか、なぜそこまで熱心に手帳のことを尋ねてくるのですか?」


「うっ、それは……」


 逆に質問を返され、マリーベルは困惑した。

 エルシャの記憶を探るため、とはさすがに言えない。

 けど、自分の素性ならいくらでも明かせる。家柄を利用しているみたいで良い気はしないが、四の五の言ってられない。

 

「……実を言うと私、エドガーの娘なの。仕方なかったとはいえ手帳を手放したと聞いて、どうしても行方が知りたかったの」


「ほう。もしやとは思いましたが、本当にエドガーさんの娘さんだったとは驚きました。言われてみれば確かに雰囲気が似ていますねー」


「これで分かってくれたかしら」


「はい、あなたについては分かりました。お隣のあなたはどういった理由で手帳を探しているのですか?」


 ヨミはエルシャに視線を移した。

 

「わ、わたしは、その……」


「彼女は関係ないわ。ただ私と一緒に盗賊に捕まってたってだけで」


「おや。衛兵さんから聞いていた話と違いますね。私が聞いた限りだと盗賊に捕まっていたのは、マリーベルさん……あなた一人だけだったはずでは?」


「……っ!」


 やらかした。

 墓穴を掘った。

 エルシャの存在がバレたら間違いなく面倒ごとになるので隠していたのに、最後の最後で油断してしまった。

 動揺と焦りでうまく返答ができず、マリーベルはたじろぐ。

 

「それは、その……」


「ふふっ、少しからかいすぎてしまいましたかね?」


「えっ?」


「本当は分かってますよ。あなたはマリーベルさんのご友人なのでしょう? その格好から察するに、あなたはエルシャさんに強い憧れを抱いている。私から話を聞きたくて、マリーベルさんに同行してここまで来た。そういうことですよね?」


「え、ええ……そういうことよ! この子ったら衣装を自作しちゃうくらいにはエルの……エルシャ様のファンなの!」


 マリーベルはホッとしていた。

 ヨミという旅人が放つミステリアスなオーラと奇想天外な発言にはずっと驚かされっぱなしだったが、さすがにエルシャの正体にはたどり着いていないらしい。

 いや、本当にたどり着いていないと言えるのだろうか……?

 本当は分かっていて、自分たちをからかっている可能性もある。

 

 ホッとした矢先に立ち込める暗雲。思考の堂々巡り。これが、沼に嵌まるという感覚なのだろうか。

 

「おや、どうかされましたか?」


「いえ、少し考え事をしていただけよ。気にしないで」


「そうですか……おっと、もうこんな時間ですね。そろそろお開きにしましょうか」


 傍にある柱時計に目をやると、確かにいい具合の時間になっていた。

 窓から見える外の景色も一層暗くなっており、いつの間にか雨まで降りだしている。

 

「待って、聞きたいことはまだあるんだけど!」


「大丈夫です、時間はたっぷりとありますから。近々エドガーさんのお屋敷に伺う予定ですので、続きはその時にでもしましょう」


「え、うちに来るの? ああ見えてお父様、結構忙しいんだけど大丈夫かしら」


「大丈夫ですよ。だって20年前にもう約束はしてますから。20年後の同じ日に会いに行きます、と。もちろん明日がその約束日です」


「…………」


 そこは笑うところなのか、マリーベルは判断に迷う。

 とはいえ実際に会ってみれば、ヨミの正体が分かるはずだ。

 正直に言って半信半疑どころか9割疑っているが、断る理由もなかった。

 ただの頭のおかしい旅人なら、セバスあたりが突き返してくれるはずだし。


「分かったわ。一応お父様には伝えておくわね」


「ありがたい限りです。ではよろしくお願いいたしますね」


 ヨミがそう言った瞬間、外で降る雨がさらに強まった。

 なんというか、不吉な予感のする雨だ。


「そういえば、あの噂・・・が出たのもこういう雨が降る日の夜でしたね」


「あの噂?」


「人づてに聞いた話なんですけどね。今日みたいな雨の降る日の夜に魔物が町に侵入したそうで、衛兵さんが駆けつけたんですけど、不思議なことに到着した頃にはもう倒されていたんです」


「へぇー。そんなことがあったんだ」


「……」


 素直に感心しているマリーベルの横で、エルシャは妙な引っかかりを感じていた。

 もしかしたらその話は、自分のことを言っているのではないか、と。

 

 確かに自分は、雨が強く降った日の夜に巨大なスライムに遭遇し、なんとか撃破した。石化から目覚めた当日中の出来事なのでよく覚えている。

 というか忘れたくても忘れることは出来ないだろう。

 あの、死という概念が顔の傍を掠めていく感覚は。

 

「そして現場に残されていたのは強力な炎の魔法を使用したと思われる痕跡のみ。駆けつけた衛兵さんの中には特別に目がいい方がいたそうなんですが、影しか捉えられなかったらしいんです」


「ふぅーん、影ね……」


「巷じゃ結構話題になってるんですよ? 人知れず現れ、人知れず去っていく謎のヒーローっていう感じで。なんだかさっそく呼び名みたいなものも出来てましたからね」


「呼び名?」


 エルシャとマリーベルの反応が重なった。

 少しばかりの間を置き、ヨミは答える。

 

「はい。この町に伝わる光の魔女の伝説にちなんで……影の魔女って呼ばれてます」


「影の、魔女……」


 エルシャはオウム返しの如くその言葉をつぶやいた。ほとんど無意識的な行動だった。なぜか、どういうわけか、心のざわめきが止まらなかったのだ。

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