第12話 記憶の手がかり

「ご迷惑をおかけしました。私はもう大丈夫です」


 屋敷へ帰ってすぐ、マリーベルはエドガーに頭を下げた。

 厳しく叱られる覚悟をしていたが、反応は意外なものだった。

 

「頭を上げなさい。実を言うと私も父上から話を聞いたときはひどく取り乱したものだ。だからお前の気持ちはよく分かるし、責めるつもりもない」


「えっ、ではお父様も広場まで走ったのですか?」


「いや。私は数日間自室に引きこもったな」


「私よりずっと重症ですね」


「ああ。しかも内と外とで真逆だ」


「ふふっ、今のお父様からは想像もできませんね」


 少し前の険悪な雰囲気とは打って変わり、二人は和気あいあいと笑いあう。

 今回の影の功労者たるエルシャもようやく一安心。後方で腕を組んでうなずいていた。自分には家族の記憶はないが、やはり家族同士で雰囲気が悪くなるのは望ましくない。

 

「いやはやあなたには礼を尽くしても尽くしきれません。本当に、本当にありがとうございました」


 エドガーは何度も礼をする。

 慣れないためか、エルシャは少し照れながら答えた。

 

「そ、そんな、大したことはしてませんよ。……あ、そういえば尋ねたいことがあったんです」


「ほうほう。いったい何でしょうか」


「エドガーさんのご先祖様は遺書のほかに何か遺したりしませんでしたか? わたし、記憶を取り戻す手がかりを探してるんです」


「遺書のほかにですか……あっ! そういえば手帳がありましたな。石像の傍にいっしょに落ちていたそうです」


「手帳ですか?! どんなことが書かれてたんですか?!」


「それが……見たこともない言語で書かれていて読めなかったそうです。かろうじて解読できたのが《エルシャ》という文字だけだそうで……」


「わたしの名前が?」


「ええ、先祖はおそらくその文字を見てあなたにエルシャという名を付けたのでしょう」


「そうだったんですか。ちなみにその手帳を見せてもらうことはできますか?」


「えーとまあ、その……」


 エドガーは急に口ごもる。

 突然の歯切れの悪くなりように違和感を覚えたのは言うまでもないだろう。

 嫌な予感がする。

 嫌な予感しか、しない。

 

「ど、どうしたんですか?」


「実を言うと……売ってしまったんです。20年ほど前に」


「「売ってしまった?!」」


 衝撃的な事実に、思わずマリーベルも一緒に驚いてしまう。

 まさか自分が生まれるより前にそんな出来事があったなんて知らなかったし、思いもしていなかった。

 

「なぜ売ってしまったのですか、お父様!」


 娘に問い詰められながら、エドガーはゆっくりとその重い口を開く。

 ガタイのいい父親の姿が、この時ばかりは小さく見えたのはおそらく錯覚などではない。


「……今から20年前、我が領地は記録的な猛暑と水不足による大飢饉に見舞われました。冬を越すどころか明日さえ見えない危機的状況を打破するためには、莫大なお金が必要だったのです……」


「そんなことがあったのですか……。ち、ちなみにどれほどの額だったのでしょう」


 恐る恐るエルシャが尋ねると、返ってきた答えは聞いたこともない、なおかつ途方もない数字だった。

 

「……1億エンです」


「いちおく……?」


 正直に言うとエルシャはどれだけすごい金額か分からなかった。仮に記憶があったとしても反応は同じだっただろう。

 億? なにそれおいしいの?

 ぽかーんと放心状態なエルシャに代わり、マリーベルが問いただす。

 

「そんな額、いったいどこの誰が買ったのですか?」


「ヨミ、という名前の異国の者でした。エルシャ様について調べているようで、手帳を見せてほしいと懇願されたので特別に見せてみたところ、1億出すので譲ってほしいと持ち掛けられたのです。本来ならば断るべきでしたが、なにぶん状況が状況でして……申し訳ございませんでしたエルシャ様ぁぁぁ!」


「あの、そんなに謝らないでください。大変な状況だったのはすごく分かりましたし、わたしの手帳が皆さんの助けになったならとても嬉しいですから」


 エルシャはエドガーに頭を上げるよう説得する。状況が最初と逆のようになっていた。

 

「それはそうと、1億も出したってことはよっぽどの内容が書かれていたのでしょうね。もしかしたらその手帳を読めばエルの記憶が蘇るかもしれないわね」


「その可能性は大いにありますね! あーでも、買い戻すにしても1億エンだなんて……」


 そういえば、とエルシャはポケットの中の物を握った。

 100エン銀貨が三枚。先日のスライムを倒して得た素材を換金したものだ。

 あの時はものすごい大金に思えたけど、もしかして大した額ではない?

 もしかして300エン程度じゃレストランで何も食べられない……?

 時間差で知った衝撃的な事実に、エルシャは身を震わせる。

 

「無理に買い戻す必要はないんじゃない? なんとかお願いすれば少しくらい見せてくれるはずよ。まあ、その前にヨミって人を見つけなきゃいけないんだけどね……」


 手掛かりになるのは異国の人間であることと、相当な金持ちであること、そして20年前の出来事なので結構な高齢だと思われることだ。

 手帳を見つける。字面だけ見るととても簡単そうだが、これ以上に険しい道はない。

 

「でも、進むべき道が見つかったって感じはします。今までは暗闇の中で手探り状態って感じでしたから」


「確かに。あなたに協力するって言ったばかりなのに弱気になってちゃ駄目よね。よーし、気合入れて頑張るわよ!」


「はい、頑張りましょう!」


 記憶を取り戻せば、石化の謎も解けるはず。

 その希望を胸に抱き、エルシャはマリーベルの屋敷にて夜を明かすのだった。

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