第3話 人間生きてりゃ腹も減る
「んん~~~わしはどこも変わっとらんと思うがのぉ」
翌朝、中央広場。
光の魔女ことエルシャの石像の前には、いつも以上に多く人だかりができていた。
ことの発端は早朝の散歩をしていた人だった。
彼がいつも通り石像の前を通った時、どこか違和感を感じて立ち止まったと言う。
表情? 服装? ポーズ? それとも全部?
毎日見ているはずが、いや毎日見ていたせいか、違和感の正体にたどり着けずにいた。
疑問を持ったのは彼のほかにもいて、次第に人が集まって現在へと至る。
が、これだけの人が集まっても見ての通りだ。三人寄れば文殊の知恵というのは間違ったことわざだったらしい。
やがて日が高く昇り、暮れてまた夜が訪れる。
あれだけいた人だかりも、夜になれば皆自宅へ帰りいなくなっていた。
昨日とは打って変わって天気も良く、月の光がエルシャの石像を照らす。
すると、体の中心からだんだんと石化が解けていき、ほどなくしてエルシャは生身の人間へと再び戻った。
「……うぅ、よかったぁ。また元に戻れて……」
朝が近づくと石化が始まったということは、逆に夜になれば石化は解ける。
理論としてはつじつまが合うが、信じるにはあまりにか細い線だった。
結果的にその考えは合っていたものの、石像として眠っている間エルシャは不安で不安で仕方なかった。
「でも、なんかたくさんの人から見られてた気が……」
安堵するのもつかの間、エルシャは胸の奥からこみあげてくる恥ずかしさに身を悶えさせる。
石化してもしばらくの間は感覚が残っているらしく、数多の視線を目にせずとも感じていたのだ。
しかも昨日は慌てて戻ったものだから、ローブは乱れ、帽子も斜めにずれ、表情も十割増しで鬼気迫っていた。
それでも気づかれなかったのは、やはり町の住人にとってごく当たり前のものだったからだろう。
裏を返すとそれは相当な回数見られたことになるが、今はまだエルシャはその事実に気づいていない。でもそれでいい。気づいたら、きっとエルシャは恥ずか死んでしまう。
「ああ、おなかも減ってきた……」
唐突に腹の虫が鳴き、エルシャは腹をさする。
考えてみれば、昨日は夜中の間ずっと動き回っていた。石化している間は腹が減らないようだが、人に戻った瞬間にツケが回ってきたらしい。このままではまたしても行き倒れだ。
でも、食べ物を食べるにしても先立つものが……いや、ひとつだけある。
エルシャはローブの内側にしまっておいた緑色に光る小石を取り出した。昨日倒したスライムが落としたものだ。一応魔物の素材っぽいので、道具屋に持ち込めば買い取ってくれるかもしれない。
幸い、道具屋の建物らしきものは昨日歩き回っていた時に見つけていた。その時は夜遅くだったので閉まっていたが、今ならギリギリ開いているはず。
エルシャは小石をぎゅっと握りしめると、道具屋へ急いで向かった。
「どうしたんだい、お嬢さん。用があるなら入っておいで?」
そう言って扉を開ける店主の表情には、憐れみの中にわずかな呆れが混ざっていた。
もうじき店を閉める時間だと思って窓の外を見ると、魔法使いのようなローブを着た少女が3歩進んでは3歩戻るという意味不明な動作を繰り返していたのだ。
明らかに挙動不審だが店の前をうろつかれては無視するわけにもいかず、仕方なく扉を開けたという経緯がある。
「すす、す、すみません……」
もちろん少女のほうもなんの理由もなしに不可解な行動をとっていたわけではない。
少女にとって見知らぬ土地の見知らぬ建物に入るというのは相当な勇気が要る行動で、「あと3歩進んだら覚悟を決める」「やっぱりまだ無理もう3歩」というのを繰り返していたからああなったのだ。
いずれにせよ意味不明だが、少女にも理由と葛藤があったことは確かである。たとえそれがどんなに小さいことでも。店に入るという第一の目標を達成できた少女の目には、かすかに涙が浮かんでいた。
そんなみじめな少女の名は、エルシャという。
「きみ、ここらじゃ見たことない顔だけどよその町から来た子? もしかして迷子になっちゃったのかな?」
「いえ、断じて迷子ではないです! あ、あの、これを買い取ってほしいんです!」
エルシャは声を裏返させながら光る小石を店主に差し出した。
予想外の返答に店主は面食らいながらも、実物を手に取ると「ほう」と感嘆した。
「これ、スライムコアだね。どこかで拾ってきたのかい?」
スライムコアは魔石の一種で、上位種のスライムを倒したときに得られることもあるというそこそこの貴重さを持った代物だ。店主もまさか目の前にいるかよわい少女が倒したとは思えず、拾ってきたのかと尋ねたのだった。
「は、はい、そんなところです……」
エルシャは遠慮がちに答えた。本当のことはさすがに言えない。というより、本当のところはエルシャにも分からないからだ。あのときは意識が朦朧としていたし、仮に意識を保っていたとしても自分があんなすごい魔法を使えたとは到底思えない。
まあでも、店主の質問を否定したところで面倒なことにしかならないだろうからこれでいいのだろう。
「へぇ、ラッキーだったね。質もいいし300エンで買い取らせてもらうよ」
「あ、ありがとうございます!」
エルシャは三枚の銀貨を受け取る。見た目のわりに重厚感があり、片方の面には美しい花の模様、もう片方の面にはわかりやすく「100」という数字が刻まれていた。
記憶がないエルシャにはこの三枚の銀貨にどれだけの価値があるのか分からなかったが、造りの精巧さを見るにものすごい価値があるに違いないと感じた。
自然と「へへへ~」と笑みもこぼれる。
落とさないように懐にしまい込むと、エルシャはさらにもう一度礼をして道具屋を後にするのだった。
少し経ち、店主は店じまいをしながら考えこむ。
「……さっきの子、どこかで見かけた気がするんだけどなぁ。はて、どこで見たんだっけか」
◇
またしてもエルシャの前に困難が立ちはだかる。
道具屋の次はレストランだった。見知らぬ土地の見知らぬ(以下略)。
とはいえ一度はくぐり抜けた門。エルシャは覚悟を決め3歩進み……いっぺん立ち止まりはしたものの勢いそのままに店の扉を開けた。ものすごい成長スピードである。
店内に入るとすでにたくさんの客が食事を楽しんでおり、実に刺激的かつ甘美な香りが鼻孔をくすぐった。なんの料理だろう。すごく美味しそうだということしか分らない。
「いらっしゃい、空いてる席へどうぞー。と言っても一つしか残ってないですけどね」
どうやらエルシャが来たことで満席となるほどには人気がある店らしい。客層は老若男女様々だ。奥にあるテーブル席に着いたエルシャは、さっそく近くにあったメニュー表を手に取る。
「ねえ、あなた」
「……」
「ねえってば」
「…………」
「ねえ!」
「ふぁいっ?!」
唐突に肩をたたかれたエルシャは背筋に電撃が走ったかのごとく驚いた。
決して無視したわけではない。ましてや自分とは違う光のオーラを放つ赤い髪の少女が、自分に興味を持って話しかけてくるはずなどないと、マイナス思考全開の決めつけを行ったからでもない。ただ単に何を食べようか迷っていただけなのだ。
「な、なんですか……?」
「あなた、もしかしてエルシャ様のファン?」
「えっ? どういうことですか?!」
急に名前を呼ばれ、エルシャは大粒の冷や汗を流す。
「どういうことって、あなたの格好はどう見てもエルシャ様のそれじゃないの」
「あ、あの、えーと、その……」
どう答えればいいか分からず、エルシャは言葉を詰まらせる。
まさか「はい、そうですが何か」と言うわけにもいかない。
だが赤髪の少女は、こちらの事情などつゆ知らずさらに言葉を続ける。
「衣装の完成度はなかなか高いわ。けどね、あなたは一つだけ重大なミスを犯しているの」
「はぁ、なんですか?」
「本当のエルシャ様はもっと凛々しくて堂々としているわ! エルシャ様に近づけたいならガワだけじゃなくて、もっと鍛錬を積んで自信をつけることね!」
「…………」
一応、目の前に本人いるのに。
複雑な心境。思わず「わたしがエルシャですが何か」と口に出してしまいそうになるが、よくよく考えてみれば本当に自分がエルシャなのか分からないのでぐっとこらえた。
「さ、参考にさせてもらいます。ちなみになんですけど……あなたは誰なのですか?」
「はぁ?! その格好しといて私のこと知らないの?!」
「すみません不勉強で……」
消え入りそうになる声で謝るエルシャ。
赤髪の少女はため息をつきながらも、胸を張ってこう答えた。
「私はマリーベル。かの邪竜を打ち倒した英雄、光の魔女エルシャの子孫よ」
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