第2話 魔女が目覚める夜
さっきまで石像があった台座の上に石像はなく、代わりに一人の少女がわけも分からない様子で立ち尽くしていた。
顔や格好は石像の造形に酷似している。きっと色を付ければこんな感じになるだろう、とも言うべきシルエットだ。
光の魔女の肖像画なら過去に何枚も描かれてきたが、残念ながら正確に描かれたものは一枚もなかったらしい。
それは色遣いが違っているからという意味ではない。
むしろ色遣いは正確だ。
夜空を思わせる深い紺色のローブと帽子に、薄紫色の髪。
驚くべきことに世に出回っている肖像画と特徴は一致している。
だが、先人の画家たちは一つだけ、しかし極めて致命的な見落としをしていた。
「なんでわたしここにいるの……? 雨降ってるし雷鳴ってるし――」
ゴロロ……ズドーンッ!
「ひぃーーーっ?! もうやだ帰りたいぃぃぃ!!」
先人の画家たちは、エルシャを
本物は雷を必要以上に怖がるし、全身から発せられる覇気もそんなにない。
町の住人が想像している英雄然とした姿からもかけ離れている。
だがしかし、それでも、彼女がれっきとしたエルシャ本人であるのは事実だ。
先ほどの雷の直撃が、エルシャを300年の眠りから目を覚まさせたのだ。
あまりに長く眠っていたせいか、なぜ石像になっていたかは覚えていないが……。
それどころかほぼすべての記憶を失ってしまっている。
自分の名前すらも例外ではなく、エルシャという名前も台座のプレートにそう書かれてあっただけに過ぎない。
もちろん光の魔女なんていう大層な肩書にも心当たりはなかった。
「もうわけがわからないよ……」
とはいえ、このまま立ち尽くしていても仕方ない。
今はとにかく、なんでもいいから情報が欲しいところだ。
たとえば……そう。ここがどういう町なのか、とか。
一番気になるのはなぜ石像になっていたかだが、物事には順番がある。
まずは足元をしっかり固めなければ。
幸い雨のピークは過ぎ、雷雲も遠くへ行ったようなので、エルシャは町の探索へ繰り出すことにした。
◇
石畳の道の隙間には雨水が染み込み、歩を進めるごとにパシャパシャとしぶきが上げる。
草木も眠るほど夜も深まり、気味が悪いほどの静寂が町を支配していたが、なぜだかエルシャにはこの静けさが心地よく感じた。
きっと自分は日なたよりも日陰を選ぶ性分だったんだろう。なんとなく察しはついていたけど。
「はぁ、はぁ……。そろそろ疲れてきたなぁ。靴にも水入ってきちゃうし……」
まだ町の半分も見れていないが、エルシャの足が音を上げ始めた。
さすがにあそこまで寝ていたら足腰も弱くなる。いや、たぶん元からこんな感じだった気がする。思うに、自分は外で活発に遊ぶタイプではなかったんだろう。これもなんとなく察しがついてたけど。
とりあえず今回の探査で分かったのは、靴の中がびちゃびちゃになると最悪だということ。つまり、収穫はないということだ。
「あ、こっちの道はあまり濡れてない」
少し細い道だが、脇にそれた先にある別の道は不自然なほどに乾燥していた。
少なくとも靴底が完全に水に浸かっている今の道よりは歩きやすそうだったので、誘われるようにエルシャは脇道へとそれていく。雨に濡れていないので歩きやすいが、なぜここだけが?
などと疑問に思うような余裕は今のエルシャにはなかった。
ぷにゅっ。
「あ、すみません」
何かにぶつかり、反射的に謝るエルシャ。
こんな深夜に自分以外の人が外を歩いているのか。
人の背中にしてはあまりにも弾力があること。
疲れているせいか、状況のおかしさに気づくことなく数秒が経過。
「……え? ええええ~~~っ!?」
エルシャは悲鳴を上げて思わず後ずさる。
ぶつかった相手は人ではなく、スライムと呼ばれる球体型の魔物だった。
しかも周辺の雨水を吸収したのか、エルシャの背丈を悠々と超えるほどに巨大化している。
記憶はなくとも人間としての生存本能が反応し、逃げ出そうとするが、腰が砕けてしりもちをついてしまう。
その間にスライムは一気に距離を詰めてエルシャに覆いかぶさった。
(あぐっ……い、息が、できない……!)
ゼリー状の体には隙間などなく、さらにスライム自身の重さも加わってエルシャの口は完全にふさがれてしまう。どうやら窒息させてから捕食しようとしているらしい。
意外にもスライムという魔物は肉食なのだ。ちいさなトカゲや虫を食べ飽きるほどに巨大化したスライムの中には、人里へと降りてくる個体もいるという。
というか、目の前にいるソイツがまさにそれだ。
薄れゆく意識。エルシャの脳裏に死がよぎる。
(いやだ、せっかく戻れたのに!)
しかし、望みとは裏腹に意識はさらに薄まる。
頭が回らない。
視界も狭まっていく。
どうせなら、もっと生きてみたかった。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
「まだ、死ぬわけにはいかない……!」
高鳴る鼓動。胸の奥底から込みあがる熱。
閉じかけていた目を見開くと、のしかかっていたスライムが黒い炎に包まれていた。
聞こえてくる不快な音はおそらく断末魔。
下敷き状態から抜け出して体勢を立て直しているうちに、スライムは蒸発して消えた。
「た、助かった? 今の、わたしがやったの……?」
今のは……魔法?
いまだ状況が飲み込めないが、とにかく助かったのは確からしい。
ほっと一息ついて足元を見てみると、光っている何かが落ちていた。
拾ってみるとそれは、きれいな緑色をした小石だった。
「なんだろう。スライムが持ってたのかな」
だが、ゆっくりと観察している時間はなかった。
夜明けが近づくのと同時、小石をつまむ指先が石化してきたのだ。
そして徐々に、石化は進行してきている。
全身が石化するのは時間の問題だ。
「なんで!?」
異変に気づいたエルシャは急いで小石をローブのポケットにしまい込み、駆け足でその場を後にする。
目的地は元居た台座の上だ。
こんな場所で石像に戻ったら、間違いなく騒ぎになってしまう。
パニックになるだけならまだしも、最悪の場合「勝手に動く呪いの石像」などと呼ばれて砕かれてしまう可能性もある。
というか、そもそも再び人間に戻れるのだろうか。
様々な不安、予感、思惑がよぎる。
しかし今のエルシャには、ただ走るしか選択肢はなかった。
「魔物なんていないじゃないっすか~」
「おかしいな。通報があったのはこの場所なんだがな」
エルシャが細い道を飛び出てすぐ、立ち替わるようにして二人組の男が現れた。鉄製の剣や鎧という装備からして町の衛兵だろう。
「ん? 先輩、これなんすかね」
「どうした後輩。むッ、こいつは焼け跡だな。しかも相当強力な炎の形跡だ」
「まさか先に誰かが来て倒してったんすかねー」
「さあな。お前、何か見えなかったか?」
「そーいや、なんか影……みたいなのを見ましたね」
「影? いくら夜明け前とはいえまだ影ができるほど明るくはないぞ。本当に何か見たのか?」
「そう言われると不安になるっすね。けど、あれは確かに影でした。影そのもの、っていうか」
「……なんかふわふわしてんな。まあいい、さっさと調べて上に報告しにいくぞ」
「ういっす」
そうして二人の衛兵は、不可解な焼け跡を調査して引き上げていった。
一方そのころ、エルシャは――。
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