応援コメント

第18話」への応援コメント

  • 人間という存在そのものが、過去の経験や、所属した組織、集団、学んだことにどうしても縛られてしまうので、「全く差別や偏見のない」人間、というものが「存在不可能なもの」ではないか、と思っています。個人的には、「自分自身がそういうものだ」ということを意識していくことが大切か、と思っています。

    私が医学部4年生の時、大学祭実行委員のNo.2でした。大学祭は2日間でしたが、そこで使うスピーカーシステムが数百万円の代物でした。当然業者さんから借りるのですが、高価なもので盗難のリスクがあるため、機器をセッティングした学祭前日と、学祭1日目の夜(2日目の夕方にお返しすることになっているので)は、実行委員で交代で見張りをすることになっていました。

    実行委員には当然女性もいるので、女性にも夜の見張りを割り振りました。

    反対意見は男性から出ました。「女性にそんな危ないことはさせられない」と。もちろんそういう反論が出るのは予想していました。私はあえて、反論をしました。「男性と女性が平等」ということであれば、できることは男性・女性にかかわらずするべきではないか?」と。

    「公平」という言葉と、「公正」という言葉があります。「公平」は「平等」と置き換えてもよいと思います。私がこの「見張り番」で問いたかったのは「公平」は「公正」なのだろうか?ということでした。逆に「公正」を実現するためには「不平等」が必要な場合もあるのでは、ということでした。

    私は50代ですが、この50年で、男女の関係性は大きく変わってきたと思います。もちろん、現状が「公平」でも「公正」でもないのは事実ですが、改善はされつつあるようには思います。

    平均値で話をすれば、男性と女性、身体的特性が異なるので、完全に「等しく」なることは不可能です。重要なことは、その特性の違いは「実際に存在する」ものとして、その特性の違いに「優劣」をつけない、ということだと思います。

    昭和や平成初期のころのように、女性だけがお茶を入れたり、デスクを吹いたりするのは「ナンセンス」です。男性でも女性でもできることは、性別の差なく行なうべきだと思います。その一方で、例えば、ハイジャックなどで多数の人質が発生した時に、「子ども・女性」を先に解放するよう要求するのは「不平等」だと思いますが、それは「公正」だと思います。ウクライナでも、「徴兵」が行われ、「徴兵」の対象は男性だったと思います。志願兵は女性でも受け入れていたかと思います。

    平等・公平・公正、正しい在り方がどういうものか、私にはわかりませんが、「問題意識」を常に持ち続けることが大切なことだろうと思っています。

    作者からの返信

    コメントをありがとうございました。

    “ハイジャックなどで多数の人質が発生した時に、「子ども・女性」を先に解放するよう要求するのは「不平等」だと思いますが、それは「公正」だと思います” ←確かに、そうですね。

    難しい問題ですが、「問題意識を常に持ち続けることが大切」と言うお言葉、胸に刻ませて頂きます。