催眠アプリが効いたのに先輩は堕ちてくれない(下)
「……は?」
佳奈は絶句した。
間違いなく吾郎の催眠状態は継続している。
それなのに拒絶するというのはどういうことだろう。
ひょっとして、完全に脈が無いということだろうか。
先輩は良い人だから親切にしてくれていただけで、私自体にはこれっぽっちも興味が無かったとか、そういう……。
あまりのショックに佳奈は涙目になった。
だが、吾郎はさらに言葉を続けた。
「もウしている事をやれト言われても、不可能ダ……」
「え?」
「俺ハ既に七瀬佳奈を異性として見ていル。そレどころカ、この世で一番可愛らしい女ノ子だと思っていル。アんな素敵な子には俺のこれまでノ人生でついぞ巡り合った事は無かっタのダ」
「はえ……っ!?」
いきなり何を言い出した?
佳奈はみるみる顔を真っ赤にした。
しかし吾郎はそんな佳奈などお構いなしに続ける。
「正直ナところ、ドうして佳奈のような可憐な花ガこんな弱小同好会に入ってくれたのか今でも信じられなイ。俺は佳奈と二人でいられテとても幸せだ。しかシ佳奈は本来ならば俺のようナつまらない男が関わってイいような存在ではなイ。俺はあくまデ良い先輩、良い人であり続けるべきナノだ。もしモ異性として意識していルと悟られて気味悪がられたりしたラ、俺はもう死を選ぶしかナクなる。そしテ――」
「ストップ! 先輩、わかりましたからストップ!」
佳奈は吾郎の言葉を遮った。
心臓が自分でも驚くほどドキドキしていた。
脳がショートしてしまい今の吾郎の言葉は半分以上理解できなかったが、要するに先輩は自分の事をずっと異性として見てくれていた、ということだろう。
その上で佳奈に気を使ってそれを表に出さないようにしていたのだ。
それはつまり、ひょっとして……。
佳奈は気持ちを落ち着かせるために深呼吸した。
唇をきゅっと結び、それから覚悟を決めると吾郎に尋ねる。
「先輩、質問をするので答えて下さい」
「なンだ……」
「あの、その……先輩は私のことを、その……す、好き、なんですか……?」
佳奈にとっては気が遠くなるほど長い沈黙が流れた。
吾郎は答えた。
「俺ハ……」
「俺は?」
佳奈は思わず身を乗り出して続きを促す。
ところが。
「………」
どうしたことか、吾郎はそこで口をつぐみ、黙り込んでしまった。
佳奈は戸惑った。
「せ、先輩……?」
「――あれ? 俺、何してたんだろう……。って、うわっ!? 七瀬君、そんなに近付いてどうかしたのか?」
「………」
催眠の有効期限は三十分。
どうやら時間切れになったらしい。
※ ※ ※
「……うーん、やはり何だかおかしいな。頭がぼんやりしているし、ついさっきまで何をしていたか、どうも記憶が曖昧だ」
「せ、先輩はずっとその本を読んでいましたよ? 随分集中してたみたいでしたからそのせいじゃないでしょうか」
「そうだったのか? そこまで興味深い内容でも無かったはずなんだが……というか七瀬君、なんだか顔が赤いぞ? まさか具合でも悪いのか?」
「へ? いいえ何でも、大丈夫です。こ、これはほら、今日暑かったじゃありませんか。だからですよ、あはは……」
催眠が解けたあと、佳奈と吾郎はいつものように向かい合わせでそれぞれ思い思いの読書をしていた。
読んだ本の書評をしてレポートにまとめたり、小説を書いてコンテストに応募してみたり。
そこれがこの文学同好会の基本的な活動内容なのだ。
しかし佳奈は本を開いてはいたものの内容は全く頭に入っていなかった。
洗脳状態だった吾郎の言葉を何度も脳内で再生し続けていた。
――俺ハ……俺ハ……俺ハ……俺ハ……。
あのあと先輩は何て言うつもりだったのだろう。
気になる。とても気になる。
しかし佳奈には素面の先輩にそれを尋ねる度胸は無かった。
思いを寄せながら一年以上行動しなかったという筋金入りの奥手は伊達ではないのだ。
かくなる上は……。
佳奈はちらりと携帯の画面に映った催眠アプリのアイコンを見た。
もう一度、先輩に洗脳をかけよう。
ただ、今日はちょっと心臓が限界だから、明日から。
明日こそは絶対に先輩を堕として、既成事実を作ってやるのだ!
こうして催眠アプリの佳奈と堅物の吾郎による仁義なき攻防戦(?)が幕を開けたのだった。
だが、その勝敗の結果についてはまたいつか別の機会に。
催眠アプリが効いたのに先輩は堕ちてくれない 鈴木空論 @sample_kaku
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