遺産のパスワード

ちゃぼぼ

遺産のパスワード

 私は井上百花いのうえももか、十六歳の高校二年生。

 実は私には『瞬間移動の能力』が……! などということはなく、勉強も運動も中の中といったところで、まあ、たまに学校帰りに友達とタピオカをすすっては喜んでいるような、至って普通の女子高生である。

 唐突に『瞬間移動』などと言ってみたのは、まさに今、両親に連れられて車で移動している最中で、その道中の長さに飽きてしまい、そんな妄想をしていたからなのである。


 ちなみに、目的地は父方のおじいちゃんの家だ。

 とは言ったものの、おじいちゃんは昨年の冬に亡くなっているので、今はおばあちゃんが一人でその家に暮らしているのである。

 今回は新盆というもので、色々とやることがあるらしく、二泊三日の滞在予定だ。


 子供の私にはよくわからないけど、遺産の相続だかなにやらの手続きで、少しの間、両親は忙しそうにしていた。

 そして、子供の私でもわかったのは、最近になって高級なお肉やお寿司を何度か食べに行ったのだから、実はおじいちゃんはお金持ちだったのかも知れない、ということだ。

 もしかすると、まだ眠っているお宝があるのかも知れない、なんて淡い期待を抱きながら、着いたら石蔵の中でも探索してみようかと思っている。


 ————いや、本音を言えば、お宝に期待なんてしてはいない。

 ただ、周りに田んぼと森しかないあの家で、三日間も過ごす退屈さを紛らわすために、自分で自分に嘘をついているだけなのだ。

 そうやって、気休めのために自分自身に嘘をつくような癖が私にはあるのだ。



 二時間以上車に揺られ、ようやくおじいちゃんの家に到着した。

 まずはおばあちゃんに挨拶をして、お仏壇にお線香をあげる。それから、お墓参りまではまだ時間があるようなので、早速石蔵を探索することにした。



 ここに入るのは、小学生の頃にかくれんぼで入った時以来だ。その頃は、年に数回はこの家に来ていて、おじいちゃんともよくかくれんぼや探検ごっこ、宝探しごっこをしていたものだ。

 それが、中学に入ってからは、友達と遊んだり、ゲームをしたりすることの方が楽しくなって、すっかりこの家には来なくなってしまったのだった。

 そんな訳で、おじいちゃんとはもう四〜五年間は会っていなかった。それだけ長く会っていなかったせいか、おじいちゃんが亡くなったということにもあまり実感がなくて、それほど悲しさも感じていないのだった。

 ただ、この石蔵の中には、おじいちゃんが愛用していた庭いじりの道具などがそのまま残っていて、まるでおじいちゃんが存在していた証拠を突きつけられているような気分だった。


 ……なんだか、薄情な自分を責められているような気がして、なんとも言えないモヤモヤした気持ちを感じるのだった。



 石蔵の中を探索し始めて、三十分くらいは経っただろうか。

 特にお宝は発見できていないけれど、この嫌気が差すような暑さとホコリっぽさ、そして、どことなく感じる申し訳なさから、どうにもいたたまれなくなって、石蔵を出ることにした。



 この家にいる間、私が主に過ごすのは、お父さんがこの家に住んでいた頃に使っていた元子供部屋だ。

 片付けられてほとんど何もない部屋だけど、お父さんが残していった僅かながらのマンガがあったり、ポスターや絵が飾られていたりして、どことなく子供部屋っぽさが残っているので、居心地がよかったからだ。

 冷たい麦茶を飲みながら、部屋の中をぼんやりと眺めていると、少し気になるものが目に付いた。

 なにやら一枚の布がかけられた、金属製の箱が置かれていたのだ。

 自分が小学生の頃には、こんなものは置いていなかったはずである。

 昨年の冬のお葬式の時は、どうだろう……あまりこの部屋で過ごす時間がなくて、気が付かなかった。

 なんにしても、この謎の箱はなんとなく気になる存在だ。近づいてよく調べてみることにしよう。


 一見すると、小さめの金庫のように見えるけど、鍵穴もダイヤルも見当たらない。

 上にかけられた布を取ってみる。

 すると、箱の上面に商品名や製造番号が書かれていた。そして、『管理アプリはこちら』の文言と一緒にQRコードが載せられていた。

 早速コードを読み取り、アプリをダウンロードしてみる。

 どうやらアプリを使ってパスワードを管理するタイプの金庫のようだ。

 この古めかしい家には全く不似合いな、最新型の金庫の存在にすごくワクワクした。言うなれば、滅亡した超古代文明のロストテクノロジーを発見したような、そんな気分だった。

 それにしても、わざわざこんな最新型の金庫に入れるなんて、中身は一体どんなお宝なんだろうか。

 好奇心の赴くまま、アプリに製造番号を入力してみる。

 すると、画面が切り替わり、ユーザー名と最終更新日、パスワード入力欄が表示された。

 ユーザー名は井上元蔵いのうえげんぞう、おじいちゃんの名前だ。

 最終更新日は去年の冬頃、おじいちゃんが亡くなる少し前、たぶん一度入院して退院した頃だ。

 肝心のパスワードは……まるで心当たりがない。

 何か手掛かりはないかと、とりあえず金庫の外観を見回してみる。

 すると、金庫本体に『パスワード:好きな花は?』と印字されたシールが貼ってあるのを発見した。


 そうか、なるほど。


 きっと、おじいちゃんはパスワードを忘れてしまった時の保険として、このヒントを残したのだろう。確かにこれなら第三者にはわからないけど、本人には簡単にわかるはずだ。

 そして、本人ではないにしても、身内である自分になら、なんとかパスワードに辿り着けそうだという希望が見えてきた。

 なんとしてでもパスワードを解除して、中のお宝を確かめたくなった。


 シンプルに考えて、パスワードはおじいちゃんの好きな花の名前ということだろう。

 そういえば、この部屋には昔から一枚のヒマワリの絵が飾ってある。

 これは、たぶんお父さんが子供の頃に描いたものだと思う。今も大切そうに額に入れられて、壁に掛かっている。

 これが答えではあまりにも簡単すぎるとは思うけど、大事に飾られているところをみると、可能性はありそうだ。

 手始めにヒマワリを入力してみることにしよう。


 ——himawari——


『エラー』


 ……よかった。


 パスワードが解除できなくて、むしろ少し安心した。だって、こんな簡単に解けてしまったら、楽しみがなくなってしまうから。

 とは言っても、別に次に入れる花の名前が思いついている訳ではないのだけど……

 まあ、時間はまだまだあるのだ。

 とりあえず庭に植っている花を片っ端から試してみれば、そのうち当たるだろう。わざわざ植えているくらいなのだから、きっと好きなものに違いない。

 庭で咲く花は数種類あるけれど、とりあえず思いついたものから入力してみよう。


 ——sakura——


『エラー』


 ——azisai——


『エラー』


 すると、入力制限がかかって、パスワードを入れられなくなってしまった。


 一体何が起きたのだろう?


 何か嫌な予感がして、一気に汗がにじみ出る。慌ててアプリの使い方を確認すると、どうやら一日に三回までしか入力できないシステムのようだ。

 確かに、よくよく考えてみれば当然の仕組みなのだけど、完全に油断していた。

 ちなみに、この回数は夜中の零時ちょうどにリセットされるようだ。帰るのは明後日の昼過ぎだから、チャンスはあと六回ということになる。

 金庫が二度と開かなくなった訳ではない、ということに安堵しつつ、これからはもっと慎重にいかなくては、と気持ちを引き締めた。



 その後は、おじいちゃんのお墓参りに行ったり、家にお坊さんが来てなにやら儀式的なことをしたりして、最後は少し豪華な晩ご飯を食べた。

 その間、親戚と思われる人が何人か来ていたけど、私には誰が誰なのか全くわからなかった。恐らく、この人達はおじいちゃんからみた兄弟や甥、姪なのだろう。

 お父さんは一人っ子だったので、私自身にはおじさんやおばさん、いとこという存在がいないのである。

 いずれにしても、その場に歳の近い子どもはおらず、なんとなく肩身が狭いような気まずいような思いをしながら大人しく過ごすしかないのだった。

 そんなことで、なんだか気疲れしてしまい、その後はパスワードのことを考える余力もなく眠ってしまうのだった。



* * 二日目 * *



百花ももかー! そろそろ起きなさーい!」


 いつもの朝と同じようにお母さんに起こされる。しかし、目の前に広がる光景はいつもの朝とは違っていた。

 そうか、おじいちゃんの家に泊まりに来ているのだった……と、まだ眠い頭ながらに状況を把握して、身体を起こした。


 テーブルには既に朝ご飯が準備されている。白いご飯に味噌汁、焼き鮭、漬物、のり。まさに定番の和朝食といったところだけれど、普段の朝食はパンやシリアルがほとんどだから、すごく新鮮な気分だった。



 朝ご飯を食べた後、少し外を散歩してみることにした。

 もしかしたら、おじいちゃんの好きな花のヒントが見つかるかも知れない、と思ったからだ。

 まずは庭をぐるりと一周してみる。

 改めて見ると、かなり色んな種類の植物が植えられていることに気が付く。

 ただ、おじいちゃんがよく庭の手入れをしていたことは覚えているけど、なにか一つの花を特別大切にしていたような印象はない。


 そのまま庭を出て、近所も一通り歩いてみる。

 いつもとは違う、大自然の中の朝の空気がとても気持ちいい。

 来る前はつまらない場所だと思っていたけれど、たまにはこんな過ごし方も良いかも知れない、なんて思いながら、木立の中を歩いて行く。

 小さい頃に、この辺りでおじいちゃんと一緒にカブトムシやクワガタを捕まえたことを思い出す。


 木立を抜けると、田んぼ道に出る。一歩進む度に、ポチャポチャとカエルが田んぼに飛び込んで行く。

 不意に水路を覗き込んでみると、ザリガニが水底を歩いている。

 そういえば、おじいちゃんとザリガニを捕まえに来た時に、水路に落ちてビショ濡れになって大泣きした事があったな、と苦い記憶が蘇った。


 今ではもうカブトムシもザリガニも触れなくなってしまった。

 なんだか小さい頃の無邪気な自分が輝いていて、今の自分は少し汚れてしまっているような、そんな気がしてくるのだった。



 一時間ほど近所を散歩して、家に戻った。

 おじいちゃんの好きな花についてのヒントは何も見つからなかったけど、おじいちゃんとの思い出が、思っていた以上に沢山あることに気がついた。

 そして、昨日の石蔵の時と同じように、なんとも言えないモヤモヤした気持ちになってくるのだった。


 ————これ以上思い出を呼び起こすのはやめて、おばあちゃんにでも聞いてみよう。



 洗濯物を干しているおばあちゃんの姿を見つけたので、それを手伝いながら、おじいちゃんの好きな花のことを聞いてみた。

 孫からの質問の内容が意外だったのか、おばあちゃんの手が止まる。


「うーん、そうだね〜……」


 おばあちゃんは数秒考えた後、作業を再開するのと同時に答えてくれた。


「おじいちゃんはあんまり花には興味がない人だったからね〜。特に好きな花っていうのは無いんじゃないかしら? まあ、強いて言うなら菜の花のおひたしが好物だったわね〜」


 意外だった。


 おじいちゃんはよく庭の手入れをしていたから、花が好きなものかと思っていた。

 おばあちゃんによると、おじいちゃんは庭をいじること自体は好きだったけど、植える花の種類にはまるでこだわりが無かったそうだ。だから、植えているのはいつも人から貰ったものや、ホームセンターのセール品ばかりだったのだとか。



 おばあちゃんの手伝いを手早く済ませて、そそくさと金庫の部屋に移動した。


 それにしても、菜の花のおひたしとは……


 正直これは違うだろう、と思いながらも、他に思い当たる花も無いので、ダメ元で入力してみることにした。


 ——nanohana——


『エラー』


 やっぱり。


 あまり期待はしていなかったので、別にショックは受けなかった。しかし、問題はおじいちゃんの好きな花の心当たりが他に一切ないということだ。

 どうしたものかと考えながら、金庫に貼ってあるシールをもう一度見てみる。

 改めて読んでみると、この『好きな花は?』という表現にちょっとした違和感を覚えた。

 おじいちゃん自身がパスワードを忘れた時のためのものなら『好きな花』とだけ書けばいいような気がする。


 ……そうか!


 パスワードの最終更新日は、おじいちゃんが病気になって一度入院をした後だ。

 つまり、これは自分が金庫を開けられなくなった時のために、家族の誰かに向けて残したメッセージなのだ。

 だとすると、これはお父さんかおばあちゃんに向けたものなのだろう。

 より身近にいた存在で言えば、おばあちゃんなのだけれど、おばあちゃんはこういうアプリとかには疎いタイプの人だ。

 逆に、お父さんならアプリは使えるだろうけど、少し離れて暮らしている。

 となると、おばあちゃんかお父さんか、確率は半々といったところだろうか?

 とりあえず、二人から一番好きな花を聞いて、それを試してみよう。



 ちょうど隣の部屋で、掃除をしているおばあちゃんの姿を見つけた。

 おばあちゃんを呼び止め、好きな花を聞いてみた。


「好きな花はいっぱいあるから、一番を決めるのは難しいわね〜」


 それでは困る、という私の不安気な表情を察したのだろう。おばあちゃんはこう付け加えた。


「強いて言うならコスモスかしらね〜」



 次はお父さんだ。

 確か、庭の草むしりをしていたはず。

 庭にいるお父さんを見つけ出し、好きな花を聞いてみた。


「好きな花か……踏まれても踏まれても、負けずに野に咲く、名もなき花だな」


 そういうことではない、という私の不満気な表情を察したのだろう。お父さんはこう付け加えた。


「強いて言うならタンポポだ」



 正直、どちらの答えにもあまり手応えは感じられない。しかし、他にアテもないので、微かな希望を胸に入力してみる。


 ——cosmos——


『エラー』


 ——tampopo——


『エラー』


 ……これで今日の分も終了してしまった。


 残されたチャンスは、もう明日の三回だけ。正直かなり焦ってきている。

 いったいパスワードは何なのだろうと、そのことばかりを考えてしまう。

 庭に咲いている花はもちろんのこと、花柄のカーテンや、花の絵描かれた食器など、視界に入るあらゆる花が気になってしまう。


 そんなことを一日中考えていたからだろうか。

 その日の夜、私は見渡す限りに続くお花畑の中を、ひたすら歩き続ける夢をみるのだった。一見すると、すごく幸せな夢にも思えるけど、この時ばかりは悪夢にしか思えなかった。



* * 三日目 * *



百花ももかー! そろそろ起きなさーい!」


 今日もお母さんに起こされて目を覚ます。

 朝ご飯を食べながら、まだ寝起きでぼんやりとした頭でパスワードのことを考え始める。

 チャンスはあと三回。

 今日を逃せば、次はたぶんお正月までお預けになってしまう。そうなれば、これから数ヶ月の間、金庫の中身が気になって悶々とする日々を過ごすことになるだろう。

 なんとしても、今日パスワードを解除して、お宝を確かめなくては。


 実は、パスワードの候補として、ちょっと閃いたことがある。


 ————そう、私の名前は百の花と書いて百花。

 これを花の名前に見立てたのだとしたら、家族以外には絶対わからない、まさに秘密の暗号と言えるのではないだろうか。

 そして、自分で言うのもなんだけど、おじいちゃんやおばあちゃんからしたら、孫という存在はきっと可愛いくて好きに違いないはずである。


 ということで、かなり恥ずかしいが自分の名前を入れてみようではないか!


 ——momoka——


 入力したものの、気恥ずかしくて確定のボタンをなかなか押すことができない。

 大きく息を吸い、覚悟を決める。


えーーーい、いけーーー!


 …………


『エラー』


 …………


 恥ずかしいような悲しいような複雑な気持ちが込み上げてきて、少しの間、顔を伏せたまま身動きが取れなかった。


 それにしても、おじいちゃんはいったいどんなパスワードを設定したというのだろうか。

 完全に手詰まりになって、金庫と睨めっこする。

 金庫に貼られた、ヒントと思わしき文字を何度も読み返す。


『パスワード:好きな花は?』


『パスワード:好きな花は?』


『パスワード:好きな花は?』


 集中しているような、ぼーっとしているような、不思議な感覚になってくる。これがいわゆる『ゾーンに入る』ということなのだろうか。

 不意に、ひとつの考えが頭をよぎる。


 もしかして、パスワードは『好きな花は?』という言葉そのままなのでは?


 …………


 いやいやいや!

 まさか!

 そんな!


 自分で自分の閃きを信じられなかった。

 だって、普通に考えれば、金庫本体にパスワードが書いてあるなんてことはあり得ないのだから。


 しかし、何故だろう? 不思議とこれが正解なのだ、という気持ちがだんだん強くなってくる。

 どうせお手上げ状態だったのだし、自分の閃きを大事にしてみよう、という気がしてきた。

 意を決して、パスワードを入力してみることにした。


 ——sukinahanaha?——


 なんだか今まで以上に緊張している。

 震える指先で、入力確定のボタンをそっと押す。


 …………


『ロック解除』


 その文字が画面に表示された。

 この状態で携帯を金庫にかざすと、扉が開くようになるようだ。


 まさか、本当にこれがパスワードだったとは。完全に盲点だった。


『パスワードがそのまま書いてあるはずは無いのだから、これは自分や家族に向けたメッセージだ』


 そう考える人間の心理の裏をかいた、見事なミスリードだ。

 私はまんまとおじいちゃんの思惑にハマり、必死に花の名前を考えていた。

 おじいちゃんの設定したパスワードに関心しつつも、金庫の中を早く見たいという気持ちを抑え切れず、興奮気味に金庫の扉に手をかけた。


 さてさて、中にはいったいどんなお宝が入っているのかな?


 金庫に入っていたのは一通の封筒、それも私に宛てたものだった。

 意外すぎる金庫の中身に驚きながらも、封筒から手紙を取り出し、読んでみる。


————


 百花ちゃんへ


 好奇心旺盛でがんばり屋な百花ちゃんなら、きっと金庫の謎を解いてこの手紙を読んでいることでしょう。


 おじいちゃんがいなくなった後、きっと百花ちゃんはお父さんお母さんに連れられて、何日間かこの家で過ごすことになると思います。

 その時に百花ちゃんが退屈してしまうと思ったので、二人でよく宝探しごっこをしたことを思い出しながら、この金庫を用意しておきました。


 少しは楽しめたかな?


 おじいちゃんから百花ちゃんに何かしてあげられるのは、たぶんこれが最後になってしまうけど、これからも百花ちゃんが沢山の楽しい出来事に出会えるように祈っています。


 それから、おばあちゃんが一人でさびしがると思うので、たまには会いに来てあげてくださいね。


 おじいちゃんより


————


 手紙を読み終えた時、封筒にまだ何か入っていることに気がつく。

 取り出してみると、白い花の飾りが付いたヘアピンだった。何の花かはわからないけど、私好みの可愛いデザインだ。

 そういえば、最後におじいちゃんと遊んだ日は、お気に入りのヘアピンを失くして大騒ぎしたんだっけ————


 すっかり遊びにも来なくなった私なんかのために、こんな謎解きとプレゼントを用意してくれていたなんて……そう思った瞬間、自分の中に何か大きな感情が込み上げてくるのを感じた。

 これから、すぐにでも自分は大泣きするんだ、ということを確信した。

 しかし、そんな姿を家族に見られたら、きっとすごく心配をかけてしまうだろう。


 私は急いで家を飛び出した。


 とにかく人目に付かない場所に行きたくて、近くの小高い山の上にある無人の小さな神社を目指して走った。


 神社への階段を一気に駆け上る。だんだん足は重くなり、息も切れてくる。


 神社に辿り着く頃にはもうフラフラだった。近くの木に手をついて、倒れそうな身体をなんとか支える。

 すると、これまでなんとか堪えてきた涙が、一気にあふれ出してしまうのだった。大粒の涙が、次から次へとこぼれ落ちていく。

 でも、激しく息切れしているせいか、不思議と泣き声は出なかった。

 ただひたすら、顔から滴り落ちる涙と汗が、渇いた地面を濡らしていくのだった。


 なぜこんなに涙が出るのか、自分でもよくわからなかった。

 でも、泣きながらに段々と自分の気持ちが整理されてきて、徐々にこの感情の正体が判明していくのだった。


 私は今の今まで、おじいちゃんが亡くなったことに実感がないから悲しくないのだと、そう思っていた。


 でも、それは嘘だ。


 本当はおじいちゃんとの思い出は沢山覚えているし、おじいちゃんのことが大好きだった。

 だから、おじいちゃんが亡くなって、本当はすごく悲しいし、目先の遊びを優先して、全然会いに来ていなかったことへの後悔もある。

 ただ、そんな悲しみや後悔を正面から受け止めるのが怖くて、『実感がない』などという嘘をついて、自分の気持ちを誤魔化していたのだ。

 そうやって、まんまと自分を騙すことに成功していたはずだった。

 なのに、あの手紙とプレゼントによって、そんな嘘をつき通せなくなるほど、強烈に真実を叩きつけられてしまったのだ。

 それで、今まで隠してきた悲しみと後悔が一気にあふれ出してしまった、という訳だ。


 ————いや、今となっては、むしろ、そんな嘘のためにおじいちゃんの存在をないがしろにしてしまった、ということへの罪悪感の方が大きいのかも知れない。


 ともかく、そんな悲しみと後悔と罪悪感が入り交じって、こんなにも感情が爆発してしまったのだと思う。

 ただ、涙の理由がわかったからと言って、それで涙が止まるというものでもなく、むしろ、余計に後悔と罪悪感が強まっていくばかりなのだった。


 こうなってしまっては、もう、この感情を正面から受け止めるしかないのだと悟った。今更、また自分に嘘をついて逃げることなんて出来ないのだ。

 だったら、いっそ、徹底的にこの感情と向き合って、今は思いっきり泣いてしまおうと決意した。

 そして、その後は何事もなかったように、ケロッと笑顔で過ごすのだ。

 なんとなくだけど、それがおじいちゃんへの一番の恩返しになるような気がするから————


 そう思う頃には、呼吸はすっかり整っていて、泣き声が漏れ始めていた。

 でも、大丈夫。どんなに大声で泣いても、このうるさいくらいのセミの声がきっと掻き消してくれるはずだから……



 どのくらいの時間が経っただろうか。

 泣き止む頃には、涙と汗と鼻水で顔がグシャグシャになっていた。

 ポケットに入っていたハンカチで念入りに顔を拭いてから、大きく一回、深呼吸をした。


 なんだか、すごくスッキリしたような、晴れやかな気分だった。

 ずっと握りしめていたヘアピンを髪に着けて、空を見上げる。

 夏の空が放つ濃い青色が、泣き腫らした目に少しだけ沁みた。


 ありがとう、おじいちゃん。

 最高のお宝だったよ。


 心の中でそう呟き、神社を後にした。



 ただの散歩から帰ってきただけ、と言わんばかりに、何食わぬ顔をして家に戻る。

 とは言え、散々泣いてきたので、目は赤く腫れているはずである。ただ、何かを察したかのように、家族の誰もそのことには触れてこなかった。

 そのまま、ビックリするくらい何事もなく、普通にお昼ご飯を食べて、普通に帰る時間になった。

 また遊びに来るねと、おばあちゃんに約束して、車に乗り込んだ。

 車が庭を出る辺りで後ろを振り返ってみると、おばあちゃんが少し泣いているように見えた。

 でも、私はそれに気づかなかったことにした。ついさっき、自分がそうしてもらったように。


 ————こうして、私の三日間の田舎暮らしは終了した。


 行く前は、ただ退屈そうで憂鬱ゆううつでしかなかったけど、今は素直に行って良かったと思っている。

 上手くは言えないけど、すごく大切な時間を過ごしたというか、少しだけ大人になったというか……なんとなくそんな気がするのだ。

 そんなことを思いながら、窓の外の流れ行く景色を見送るのだった。



 帰りがけに寄った道の駅。

 お父さんもお母さんも、なにやらお土産を選ぶのに忙しそうだ。

 私は一人、プラプラと道の駅を見て回る。

 すると、植物を販売しているコーナーを見つけたので、少し覗いてみることにした。

 色々な花や野菜の苗が並ぶ中に、このヘアピンの飾りとそっくりな花があるのを発見した。

 少しドキドキしながら名前を確認してみる。


日々草にちにちそう


 それがこの花の名前のようだ。

 更に、こんな説明書きが添えられていた。


『五月から十月にかけて沢山の花を咲かせます! 丈夫で育てやすいので、初心者にオススメです!』


 私は強い衝動に駆られて、白い花のついた鉢を一つ手に取って、すぐにレジに持っていった。

 この夏の思い出を象徴するかのようなこの花を、秋になって枯れてしまうその時まで、大切に育てていこうと密かに決意した。


 この日から、私の好きな花は日々草になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遺産のパスワード ちゃぼぼ @chabo_2645

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ