just not died yet.

義為

本編

 夜が長くなっていく。

 季節が冬に向かっている……わけではない。冬の終わりの代わりに告げられたのは、世界の終わりだった。

 地軸が傾く。人類が理解できたのはそこまでだった。

 幻想にしか存在し得ない生物が発見される。人間でない人型が群れをなす。文字通り、星が降る。


 

 赤子は生まれることを選ばず、老いすら命を見放した。

 人類の生存圏……いや、死を待つのみの存在が生きていると言えるだろうか。数を減らすのみの群れは、赤道直下の島に集まって、早100年が経った。



 私は加藤たける。しがない学生だったのは150年以上前だ。肉体の全盛で老いが止まったのは幸いだった。福音とさえ感じた。人類が衰退していき、生まれ故郷の日本を去るまでは。

 年の離れた妹が病死した。幼い肉体で生き続けた20年、丁寧に見送れたのは、今にして思えば幸いだろう。

 両親が心中を図った。旧時代の薬品が最後に使われた結果は速やかな死ではなかったが、避けられない死への時間は、人類が失ったものであった。

 ゼミの同期が死んだ。先輩が死んだ。後輩が死んだ。



 生き残りは、孤独な群れだった。


 

 寿命を失くした人々は、死を恐れた。

 喪失を恐れた。

 


 絆を失うことがないように、いつしか数少ない死に損ない達は名前を呼び合うことを止めていた。

 なのだが……。



「やっとヒトに会えた!僕はジョミィ!お兄さんは!?」



 恐ろしいまでの碧い海とコントラストに日差しを照り返す白い砂浜。流れ着いた粗末な筏の上で、仰向けに横たわったまま、色白の金髪の少年は日本語を発した。



「どうでも、いい」

 私は舌足らずに返す。最後に言葉を発したのは、そう……いや、季節もないこの島では、日にちを数える意味などない。

「どうでもいいってことは、名前、あるんでしょ?」

「……タケル。加藤健だ」

「タケル!いい名前じゃない!」

「かもな」

「ところで、しょっぱくない水が欲しいなぁ……」

「待ってろ」

 ありがとー、という声を背に、漁のためのシェルターを目指す。地震も津波も何度も経験した。水辺は生活に便利だが、居住空間は頑丈な高台にある。最初の50年で学んだことだ。

 女とすれ違う。お互いに目もくれない。世界が壊れる前は関心もあっただろう。人間としても、男としても。私は魚の干物を、女は服を相手に渡す。それだけだ。

 魚の浮袋を使った水筒を手に取り砂浜に戻ると、ジョミィは胡座をかいていた。

「ちょうだい!」

「脱水には、見えない。女に、会ったな?」

「観察眼はあるんだ……。ごめん、さっきミコトから果物をもらったんだ」

「無事なら、いい」

 私は踵を返す。

「ちょ、待ってよ!」

「なんだ?」

「お腹が減ったなぁー」

「……着いてこい」



 老いから開放されたこの身では、粗末な食事でも臓器が処理してくれる。雑味の混ざった海塩で水分を搾り取った干し魚、自生する……あるいは、かつて栽培されていた芋を蒸してすりつぶしたペースト。おそらくかつての人類の寿命よりは長い間、これしか咀嚼していない。

「質素倹約、僕も好きだなぁ!僕にとっては旅情、君にとっては日常というわけだ!」

「そうか」

「ヒトに遭うのはここ数十年で初めてなんだけど、前に遭ったヒトよりしっかりしてるよ、君」

「そうだな」

「ミコトとはつがいなんでしょ?ヒトって本当に殖えないんだね」

「そうだな」

 女……いや、美琴は、世界が壊れる前に、友人であった時期もあった。恋人であった過去はないが、否定することすらくだらない。

 エピローグが200ページ続いて終わる気配もないくだらない本では、プロローグの価値などいくらあるだろうか。読み返すこともない本で。

「ねえ、この島から出たくない?」

「別に」

「ミコトは出たいってさ」

「そうか」

 独り、1人。人間は弱い。美琴がジョミィと共に去るのなら、私の終わりもようやく訪れるのだろう。

「えー!1人になったら死んじゃうよ!せっかく生きてるのに!もったいない!」

「別に」

「じゃあせめて、互いを見送ろう!

 新たな世界に飛び込む、旅立ちの日なんだから!」

「……構わない」



 それから何日か、ジョミィは私と美琴の間を忙しなく行き来しているようだった。言われるままに、蜂の巣を切り取って蜜を集めた。ウサギを捕らえた。数十年前に四苦八苦した記憶を掘り起こし、体を躍動させる。

 そして、ジョミィはある夜、言った。

「今夜はお祭りだよ!準備を手伝ってくれてありがとね!」

「構わない。楽しかった」

「楽しいのはここからだよー?変なの!」

 ミコトも呼んでくるから!と言ってジョミィは駆けていく。私は独りごつ。

「ああ、生きていたんだな。あんな人間」



 ふと、沖に眼を遣る。

 ジョミィと美琴が乗る、丸太を両脇に備えた小舟ではなく、その先。

 笹舟のような、優雅な小型帆船。そこからボートが吊り下げられて、海面を滑り出す。

 一糸乱れぬオール捌き。それは、生きた文明の証だ。

 思わず駆け出し、星空と闇との境目に叫ぶ。

「おい。こっちだ……」

 喉は一音で枯れ果てた。焚き火から薪を一本手に取り、振り回す。



 瞬間、耳を掠める黒い物体。尻もちをついた左手の指先には、黒黒とした一本の矢。



 死ぬ。狩られて、死ぬ。



 気付けば、高台の小屋で息を切らしていた。

 ジョミィと美琴が駆け寄る。

「どうしたの!?」

「……矢で、射られた。相手は、集団だ。ここも、危ない」

「……そっか。僕がなんとかしてくる。ここで待ってて」

 ジョミィは足早に崖を下っていく。

 私は、目で追うのを諦め、いつしか美琴の顔を見つめていた。

「怪我は?」

 久々に聞いた声。掠れて、弱々しく、通らない声。

 それでも、私の……俺の耳朶に、確かに届く。

「無事だ」

「良かった」

 沈黙。気まずいことなどない。100年はこうしてきたのだ。

 そのはずだが、俺の喉から音が漏れる。

「出て、行くのか?」

「うん」

「何故?」

「運命だと思ったから」

「そうか。それじゃあしょうがないな」

「しょうがない?」

「ああ。しょうがない。どうしようもない」

「そうだね。これまでと同じ」

「同じじゃないさ」

「え?」

「俺は行かない」

「ううん、行くの。私たち」

 主張ある、意志のある言葉。俺は面食らう。

「ジョミィは言ってた。外の世界にはね、」



 えぅ、という文字で表すのが精一杯だろう。美琴の背中から胸まで、黒い矢が貫いていた。



「ちがうったら!オスとメスの区別もつかないの!?」



 ジョミィの声。振り返ると、腰までの外套を纏った集団がそこに居た。

 長い金髪、尖った耳、夜闇に淡く浮かぶ蒼い目。

 そう、それは、ジョミィと同じ。

 幻想の住民。



「どう、して」



「ごめんね、実は僕、人間サルじゃないんだ」

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