試論(「つまらない」について)
森下 巻々
「つまらない」は「倫理」となるか?
不図、「つまらない」という言葉について考えることがありました。
海援隊の「母に捧げるバラード」の武田鉄矢さんのセリフの部分には幾つかバージョンがあるようなのですが、僕がテレビで視聴して、はっと思わされたものでは、或る行為を諭したときのものとして「つまらない」というような言葉が使われていました。
「駄目」ではなくて、「つまらない」なんですね。
今回、この文書を書くに当たって、九州の方言として独特の意味がある可能性を考え、Webで検索してみました。すると、「つまらん(福岡の方言)」は「いけない。だめ。 」(* goo辞書)という意味らしいです。
これは、僕にとっては「面白くない」検索結果です。武田鉄矢さんの母親の言葉として出てくる「つまらん」は、僕の使う言葉で変えてみれば「駄目」ということでしかないようなのですね。
武田鉄矢さんの或る行為について母親が「駄目」という言葉で諭しているということになる訳です。
或る行為について「駄目」とは言わずに、「つまらない」と言っていると思ったから、僕は感動したのに。
しかし、少し留まってみました。
そして、僕は「「つまらない」ことだから、そんなことはやめようね」という、当初の「勘違い」で受け取った考え方は、やはり好ましいなあと思いました。
人がそういうことをしては駄目だ、という時には、二つの形があると僕は認識しています。
「道徳」と「倫理」ですね。
「道徳」は、社会(というか、日本ではおそらく「世間」)的な面が強くて、皆の意識でそういうことになっているから駄目だということではないでしょうか。他者の視線が大きく関係しています。
「倫理」は、他者のそれとは異なる正義である場合もあると思います。自分自身の行動の指針としているという点では、「道徳」と同じかとは思います。
或る行為に対して、他者がどう言うかにはかかわらず「駄目だよ」という時、それは「倫理」的な感覚から言っていると思います。
僕が使っている意味で「つまらない」と言った場合は、どうでしょうか? 「倫理」的と言えるでしょうか。
こう、考えてみます。
何故、人は「倫理」に沿って行動するのでしょうか?
それは、おそらく「美しい」ことだからです。
「顔に泥を塗る」という言い方があり、「履歴書を汚す」という言い方があります。逆に言えば、やはり人は「綺麗」「美しい」が好きなのかも知れません。
そして、「「つまらない」の反対」を、仮に(強調しておきますが「仮に」です)「面白い」という言葉で表現してみます。
すると、案外、この「面白い」は「倫理」に接近しているように、僕には思えてくるのでした。
この「面白い」と、「美しい」は同じではないですが、何と言うか「正」「負」で言えば「正」の感じがやはりするのですよね。
「そういう行動は、美しくないよ」と言うように「そういう行動は、面白くない(つまらない)よ」と言う、そういう言い方はあり得ると思えてきます。
「「つまらない」の反対」が「倫理」的である可能性がある、というのが、この文書での結論です。
試論(「つまらない」について) 森下 巻々 @kankan740
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