37:ようこそ解放戦線へ

先生いわ


 我々が思い出してしまう誰かの記憶も、実のところ幻視ヴィジョンの一種だ。アカシックレコード内の人の記憶が魂に引き寄せられて出てきたものと言える。さまよい出た記憶は化学反応を起こしたように魂に結合してしまう。これが自分ではない誰かの記憶を得るという現象のシンプルな解説になる。


 キミの中には今後様々な人物の記憶が蓄積されることになるだろう。もしかしたら同じ人物のまったく違う矛盾した記憶を得ることもあるかもしれない。自分の中に見知らぬ記憶があるだけでもつらいが、そこに齟齬そごがある違和感は大きなストレスになるだろう。だが受け止めてほしい。記憶を分けて考えるようにしておかなければ、どれかひとつに飲み込まれて覚知者リベレーターになってしまう。


 覚知者リベレーターは肉体を記憶の乗り物のように扱う。故障すれば取り替えるし、壊れて動けなくなることを恐れない。死をいとわないがゆえに我々の常識を超えた行動をとるだろう。だが、それは奴らの弱点でもある。基本的に覚知者リベレーターどもは異常にあきらめがいい。今この時に必ず成し遂げなければならないという必死さが無い。何度死のうと、いくらでも再試行できるからだ。我々はそこを突いて本気ではない奴らを撃退しなければならない。


 初めて覚知者リベレーターと対峙した時、こいつらは不死身なのではないかと不安になると思う。秘術の守りによって肉体にダメージを与えることがほぼ不可能だからだ。だが、それは我々も同じこと。意志の続く限り立っていられる。問題なのは覚知者リベレーターが意志力を消耗することなく秘術を行使できる点だ。しかし、悲観的になる必要はない。奴らの霊感とて無限ではない。一度にレイラインから汲み上げられる力の量には限りがある。その分の霊力を仲間と共に削りきれば、秘術の守りを突破できるだろう。ひとりではない、力を合わせるというのが重要なんだ。


 さて、アカシックレコードが矛盾だらけの歪んだ代物しろものだという話をしたが、蓄積された人の記憶は歴史の記憶よりもひどい有様だ。たとえば織田信長という人物のことは知っているね? キミはこの歴史上の偉人をどういった人物像で認識しているだろうか。先見の明のある天才武将。非情で冷酷な専制君主。最近は創作の上で女性化されたイメージも出回っているね。これらすべて正解だ。織田信長のような有名な人物の記憶は千差万別、無数に存在していると言っていいだろう。


 どれが正しいかは問題じゃない。とんでもない記憶がキミに舞いこむかもしれない。明らかに架空の人物の記憶を得てしまうこともある。覚知者リベレーターの中には人外の存在を名乗る者もいる。まあ、その真偽はともかくとして、常識では計れないことが次々とキミを襲うことになるだろう。覚悟はしておいてくれ。


 ところで、キミにとって大切なものはなんだ? 大層なことじゃなくていい。たとえば、毎朝飲むコーヒーが欠かせないとか、通勤途中に小学生が元気よく挨拶してくれるのが嬉しいとか、あるいは子供のころに旅行に行った思い出のキーホルダーだとか、渡せずに机にしまったままの手紙だとか。もちろん多くの人にとって家族や恋人も大切だろう。毎週楽しみにしている深夜アニメや、顔も知らない友達がいるネットゲームでもいいだろう。


 覚知者リベレーターはこうしたものを煩悩ぼんのうと呼んで鼻で笑う。奴らはこういった日常を持ち合わせていない。過去の何かに強い執着しゅうちゃくいだいているくせに、我々の愛着は下等なものと嘲笑う。だったら見せてやろうじゃないか、守るべきものを持つ抵抗者の底力を。


 我々はいくつかの魂のくさびを持っている。もちろん大切なものを数え上げればきりはないが、今の自分の自我を形成する上で最も重要ないくつかが該当する。大切なものに順位付けなどしたくないが、実際のところ自分が自分であるために必要なものという観点で見れば意外と少ないものだ。


 秘術を行使すれば、キミは力を振るう快感を覚えるだろう。秘術は記憶を通じて手に入れた力だ。過去の記憶に身を委ねれば、もっと力を得ることができる。そんな誘惑に駆られるだろう。これを押さえつけるのは意志の力だ。必然的に、秘術を行使すれば意志力が消耗するだろう。


 覚知者リベレーターは恐ろしい破壊力を持つ秘術でキミを攻撃してくる。そんな時に肉体をダメージから守ってくれるのも秘術だ。だが、どれだけ強がっても意志の力は有限だ。秘術を行使し続ければどこかで折れてしまう。守りの秘術が行使できない状態で肉体ダメージを受けたらどうなるか。人間の体はもろい。簡単に殺されてしまうだろう。


 端的に言おう。この意志を維持するのに必要なのが魂のくさびだ。自我を形成するくさびのうち、重要度の低いものへの愛着や記憶を失う。それはもう綺麗サッパリだ。それがずっと片想いしていた異性へのあこがれなら、恋慕の感情は消えてなくなる。もうその異性を見てもときめいたりはしないだろう。


 考えてもみてほしい。大切なものを守りたい一心で秘術を行使した結果、その大切にしていたものに対する感情を失うんだ。これを悲劇と言わずして何と言う?


 意志を削り、大切なものへの想いを犠牲にしなければ覚知者リベレーターとは戦えない。言っただろう? ヴィジョンに怯えながら暮らすより、覚知者リベレーターと戦う道を選ぶ方が過酷だと。


 魂のくさびを失っていけば、キミは自分が自分である必要性を感じなくなっていくだろう。くさびをすべて失えば記憶に乗っ取られ、覚知者リベレーターになってしまう。だからね、最後のひとつ、キミをキミたらしめている最も重要なくさび。これだけは失ってはいけない。


 最後のくさびを手放さないのなら、キミは覚知者リベレーターの秘術を受けて死ぬだろう。キミのまま、尊厳を持って死ぬんだ。記憶の奴隷になるよりずっといい。いや、比べ物にならない。


 大切なものへの想いを抱いたまま死ぬ。実際、悲劇でしかないよ。そうやって死んでいく抵抗者を見てきた。そして、力に魅了されそれを手放してしまった者もね。どのみち自分という存在は死んだも同然になるというのに。


 これは同胞としてのお願いだ。最後の心のり所だけは手放さないでくれ。想いを抱いて……死んでくれ。とんでもないことを言っていると思うだろう? だが、戦いは命がけだ。自分が死ぬ可能性があることは忘れないでほしい。それが嫌なら、解放戦線には加わらず、慎重に残りの人生を送ってほしい。ここでさよならだ。


 ……帰らない、ということは覚悟を決めてくれるということでいいかな? もちろん、今すぐにでなくていいんだ。でも、戦おうという意志があるのなら、我々はキミを歓迎しよう。


――ようこそ、人類解放戦線へ。

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月虹イングレイヴ 泉井夏風 @izuikafu

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