31:帰るべき場所

 切り裂きジャックの幻視ヴィジョンから約一ヶ月。拓矢の高校最初の夏休みが終わった。友達と遊び回った楽しい夏休みだったと思う。去年よりも多くの体験をしたし、クラスメートたちとの仲も深まった。しかし、それは客観的に見て思うこと。どこか他人事のように冷めた目で見ている自分がいる。

 教室でカバンの中身を整理していると沢村が登校してきた。

「おっす葉山、今日からまた学校だと思うとタルいなぁ」

「学校で勉強をするのも大切な人生の一ページだよ。いつか振り返って、思い出にできるように毎日を楽しまなきゃ」

 沢村は良い友人だ。拓矢の変化に気付いていないはずがないのに、追求せずこれまで通り接してくれる。

「思い出かぁ、どうせなら青春の一ページに彼女という華をそえたい」

 男子高校生らしい望みに、思わず笑みを浮かべる。

「沢村は気遣いができてノリもいいから、いいなって思う子に積極的にアプローチするようにすれば、彼女作るのも難しくないよ」

「なに恋愛のエキスパートみたいなこと言ってんだよ」

 笑いのツボに入ったらしい、ゲラゲラと笑う沢村見て、拓矢も声を出して笑う。そこまで面白いわけでもないが、一緒になって笑うのは楽しい。高校生の今だからこそできる日常の幸せだ。

「で、エキスパートの葉山はどうなんだよ、ゲーセンでキャーキャー言われてたろ」

「んー、僕はまだ彼女とかいいかな」

「スカしてんなー」

 また笑い合う。ずっとこんな日常を送れるといいなという気持ちと、はやく魂の輝きを見たいという気持ちが半々。

 あれ以来、覚知者リベレーターと関わるような事件はまだ起きていない。先生と話をしたのが数回。あとは一度、蘭が会いに来て太一の存在は無かったことにされたと告げられたぐらいだ。ショックを受けたが悲しみはあまりない。誰が太一のことを忘れたとしても、拓矢は決して忘れないのだから。忘れられやしない。


 始業式と課題の提出だけで学校は終わった。沢村と二人、校舎を出て校門へ。

「わー、良かった会えたー!」

 聞き覚えのある声の方を見れば真坂が笑顔で手を振っている。

「真坂さん……?」

 拓矢の困惑を気にする様子もなく、親しい友人のように駆け寄って手を取る。

「拓矢くん捕まえた!」

 拓矢よりも沢村がうろたえる。

「お前! 葉山この野郎! よゆーこいてたのはそういうことか!」

「え、違うよ誤解だよ」

「私、真坂美季! よろしくね!」

 左手で拓矢の手をつかんだまま、沢村に握手を求める。

「あ、その、葉山の友達の沢村です、美季さん、よろしくです」

 しどろもどろになりながらも年上のお姉さんと握手できてうれしそうな沢村。

「真坂さん、どうしてここに?」

「鶴田さんの事務所、わかんなかったの。いくつもあって絞りきれなくて、弁護士事務所にとつるとかいう勇気は出したんだけどさ、ひとつめで心折れちゃってぇ」

 話す間も拓矢の手は離さない。

「で、思い出したの、拓矢くんの制服、そういえばこの高校だったって」

「え、ここでずっと待ってたんですか? 僕が出てくるまで」

 うんうんとうなづかれた。

「新学期始まるまで待つの長かったよーってのは半分冗談として、鶴田さんの連絡先教えてー」

 待ち伏せされていた事実に拓矢はおよび腰になる。たしか真坂は存在を消されてしまった姉の手がかりを求めて鶴田につきまとおうとしていたはずだ。

「断られそうなので鶴田さんに教えていいか連絡して聞いてみますね」

 念話が使えるので鶴田の携帯電話番号や職場の連絡先は知らない。

「ついでに拓矢くんの連絡先も教えてよ」

 携帯電話をバッグから取り出すために、ようやく手を離した。沢村が申し訳なさそうに口をはさむ。

「もしかして、俺、邪魔かな?」

「いや――」

「ごめんねー気を使わせちゃって、拓矢くん借りてっていい?」

「あ、どうぞどうぞ。葉山、あとで詳しく!」

 そそくさと去っていく沢村の表情は、どこかくやしそうだった。


 結局、流されるままに連絡先を交換し、近くの喫茶店に誘われついてきてしまった。下心が無いと言えば嘘になるが、それは男女としてどうこうではなく、腹を裂いてみたいという欲望なのが問題だ。もっとも、事件後はジャックの記憶はおとなしく、殺人衝動に駆られることもない。

「目つき鋭いお姉さんは蘭さんだっけ、名前しかわかんないし、緑のジャージの人は記憶がうっすいし――」

「太一さんのこと覚えてるんですか?」

 思わず身を乗り出す。

「そんな名前だったっけ、なーんかうまく思い出せないんだよね……あ」

 真坂は拓矢に顔を寄せ、小声でささやく。

「もしかして、お姉ちゃんと同じで、いなかったことになってる?」

「はい。消えてしまいました」

 椅子に深く座り直し、拓矢は真坂を改めてよく見る。

「どうして? あのロンドンのヴィジョン? あれで終わりだったんでしょ?」

「いいえ、あのあともう一度。その時の戦いで、太一さんは命を落としました」

「そう、だったんだ。つらいこと思い出させてごめん」

 綺麗でしたよと応えそうになり、大丈夫ですとだけ言った。

「蘭さんが言ってました。一般人は幻視ヴィジョンの中でのこと、ほとんど忘れるって。だから真坂さんのことは気にしなくていいって言ってたんですが、太一さんのことまで覚えてるんですか」

「うん、でも、お姉ちゃんの記憶もうすれてるし、その太一さんのことも、そのうち忘れちゃいそう」

「忘れた方がしあわせなことって、世の中にたくさんあると思うんです」

「大人みたいなこと言うじゃん。なんか雰囲気変わったね、拓矢くん」

 拓矢は曖昧な笑顔を浮かべた。

「色々ありましたからね……僕たちの話、どのぐらい理解してました?」

「なんか自分じゃない誰かの記憶があって、それに乗っ取られそうで、超能力が使えるんでしょ?」

「まあ、そんなところです。けっこう覚えてますね。そういう人、めずらしくないのか、今度聞いてみます」

 真坂は少し考え込むようなそぶりを見せてから、もしかしたらなんだけど、と前置きをしてから話しはじめた。

「私のお姉ちゃん、あのころは拓矢くんより少し年下だったんだけど、時々別人みたいに話してた気がするんだよね」

 抵抗者だったということだろうか。

「まぁ、拓矢くんたちに会った後、あやふやな記憶を頑張って思い出して、もしかしてって感じだから、そんな気がしただけかもだけどね」

「真坂さんのお姉さんなんですよね、近所のとかじゃなく、家族の」

「そうだよ」

「何年ぐらい前ですか?」

「八年、私が小六の時」

 抵抗者にとって八年は長い。少なくとも拓矢の見聞きした限りでは。戦いに参加していればそうそう長生きできる者はいないだろう。ただ、先生なら知っているかもしれない。先生が何年前に引退したのか知らないが、抵抗者になって十年と聞いた。八年前に死んだ真坂という抵抗者のことを知らないか聞いてみてもいいだろう。

「一応、知っている人がいないか確認してみますね」

 パッと表情を明るくする真坂。

「いいの?」

「僕らと関わって何かあっても自業自得だってことは忘れないでくださいね」

「やーん、拓矢くん話がわかるぅ。ありがとう!」

 本当に危険性を理解しているのだろうかと心配しながらも、この女性が死の間際に見せる輝きはどんなものかと期待してしまう。

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