22:過去の亡霊たち
月明かりの下で、太一はぶらぶらと散歩していた。夜の住宅街は静かで、時折帰宅中のサラリーマンを見かける以外には人通りもない。夜風が生ぬるいのが不快だ。
――いい子じゃないかい、ヒーローになっておやりよ。
自分のものではない思考が湧き上がる。
――人生は一番勝負の大舞台、派手に歌って踊って自分が主役だって見せつけてやるんだよ。
バーレスクの女王だった記憶が拓矢の気持ちに応えろと
――よく考えるがいい、相手はサン・ジェルマン伯爵だ。少しでも本気を出されれば、三人では勝ち目が薄い。少年の切り裂きジャックの力が勝利には不可欠。
軍師として乱世を生きた記憶が勝利の算段をつけはじめる。
――あの少年は立派な戦士だ。勇気を振りしぼり、敵に立ち向かおうとしている。どのみち彼もいずれ戦いに散る身。堂々とした死に様を
中世の騎士だった記憶がヒロイックな死という彼の願望を刺激する。
――彼にとっては心の傷となるかもしれない。しかし、少年から大人になる過程で、多くの人々は大なり小なりそうした体験を迎えるものだ。
帆船の船医だった記憶がもっともらしいことを言う。
――何をうじうじ悩んでいるのよ情けない。どうせ、いざという時に意志を貫けなかったらどうしようって、格好悪い姿を見せるのが怖いんでしょう?
陥落した城内で自害をした姫だった記憶が責め立てる。
――迷うぐらいなら逃げちまおうぜ、どうせ見ず知らずの連中がちょっとばかし死ぬだけだ。ランは俺を殺す覚悟決めてるはずだが、やりたくてやるわけじゃねえだろ。相棒殺しの罪悪感から解放してやれよ。
名もなき盗賊の言い分はもっともだが、他の記憶から総スカンを受ける。
――守るべき者を見捨てるなど言語道断。
――仲間の信頼を裏切るのはいただけない。
――一度逃げたら一生逃げ続ける負け犬よ。
――舞台を降りてどこに逃げるんだい? 人生って演目は生涯続くんだよ。
――私が逃げてもあの少年は戦いに
うるさいうるさい。人の頭の中で勝手に議論するな。太一は無意味とわかっていても耳をふさぐ仕草をした。いつもこうだ、考え事をすれば自分の思考として他人の人格がしゃしゃり出る。脳内会議という言葉があるが、あれは自分自身の背反する願望を対話形式で比較するものだ、他人同士が自分の意見をぶつけ合うのは頭の外でやってほしい。
――ヒーローになりたかったのだろう?
最初に得た記憶は貴婦人を守って死んだ立派な騎士様だ。ヒーローになりたいという願望は、はたして太一が元々持っていたものだろうか。騎士の影響を受けて生まれた
――仮にそうだとして、今の私に残された私らしくあるための魂の
船医の思考はいちいち
――んなもん放り投げて楽になろうぜ。
今の太一のいい加減さは盗賊の記憶を得てから生じたものかもしれない。もう、本来の自分など残っていないのではないだろうか?
――本当の自分なんてものは、そもそも幻想さね。人は誰でも何かを演じて生きてるもの。求められる役割、こうありたいって自分の理想。そんな仮面を全部はがしていったって、最後に残るのはアレがしたいコレがしたいって思うだけの赤ん坊か、ただのケダモノ。あたしゃそう思うね。
――そうね、何者かになりたいのであれば、まずは与えられた役割をこなすこと。だだをこねたって現実は変わらない。自分のあり様を決めるのはいつだって外的要因。
――うむ、完璧な防衛計画を立てたところで、机上の空論。いつだって作戦は思いもよらないところから
――話題をそらすんじゃないよ。
――
太一自身が何も考えずとも思考は次々に展開されていく。危険なことだ。極端な話、面倒になって思考を放棄しても、太一の頭脳は勝手に最適解を探り、体はそのために行動を起こすだろう。映画でも見ているつもりで自分の行く末を一歩離れて見届けることだってできる。もう、この体は太一の自我など無くとも人間として生きていけるのだ。だから――
「オレのことはオレが決めるっす」
ひとりつぶやき決意する。記憶の言いなりにはならない。サン・ジェルマンは倒す。拓矢の前で死なないという約束も果たす。だが、もう疲れた、戦って死ぬことは既定路線。
そんな作戦認められないと軍師が騒ぐ。冗談じゃないと盗賊が憤慨する。仲間を信頼するのはいいが無責任だと騎士が非難する。非効率的で不合理だと船医が文句を言う。逃げているだけと
おそらく明日が自分の命日。最後の晩餐として宵越しの金は持たないことにしよう。深夜営業しているレストランで暴飲暴食をすることに決めた。特に好きでも嫌いでもない高いステーキを食べられるだけ食べよう。
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