21:ヒーロー
相変わらず緑色のジャージに白いティーシャツを着た太一が小走りに駆けてくる。
「や、悪いっすね、せっかくの夏休み中に」
「大丈夫です。むしろ、僕も太一さんには聞いてみたいことがありますから」
太一はベンチに座ると少し迷った様子を見せてから口を開いた。
「先生はどうだったっすか、あのヒトは反感買いがちっすから、ちょっと心配で」
「他の先生は違うんですか?」
「そっすね、みんな親身になってオレらのコト考えてくれる感じっす。んで、さっきタクヤくんが会ったあのヒトは人類解放戦線の設立初期からのメンバーっす」
「若く見えましたけど」
「十歳から抵抗者やってるっすからね」
十歳という言葉に耳を疑う。小学生が幽鬼や
「解放戦線ってまだ若い組織なんすよ。匿名のインターネットが無ければ、世界を支配してる
十歳から自分を削りながら生きてきたというのが事実なら、数も多いであろう他人の記憶の総量の方が自分自身の記憶より大きいのではないだろうか。拓矢は身震いする。
「あのヒト、先生としての才能は微妙っす。信用できそうな点、全然ないっすからね。でも、戦歴はピカイチっす。日本でイチバン強い抵抗者じゃねっすかね。もう
監視、きな臭い単語だ。そんな拓矢の感想を知ってか知らずか、太一は苦笑いを浮かべている。
「んで、あれやこれやで拓矢くん、ショック受けてないか心配になって来たっすよ。先生と話してて新宿にいるってことはわかってたっす」
「自分が自分であるための日常に繋ぎ止める鎖、それを失くすとどうなるか、わかりました。自分を完全に失いそうになったら、どうするのがいいんですか?」
「フツーは引退っすね。とにかく
太一がおそらく死ぬという話について、尋ねてもよいものかと拓矢は迷う。その様子を見て太一はにっと笑った。
「遠慮はいらねっす。オレが死ぬだろうってハナシが気になってるっすよね。先生ならオブラートに包まなかっただろうすから」
「はい、十中八九、死ぬと」
「死なない方法もあるっす」
「逃げる選択肢ですか?」
「サン・ジェルマンを倒してオレも死なない方法っす」
拓矢は驚いた。話が違う。
「厳密に言うと、九品仏太一は死んだも同然っす。つまり
すべての日常との繋がりを失えば
「
「んー、オレにそんな勇気があるかわかんねっす。だから、最後の魂の
「僕はジャックと戦った時、必死に秘術の守りを重ねました。他のこと考える余裕なんて、無かったです」
「そっすね、気付いたら最後の
拓矢にはうなづくことしかできない。
「オレも何人か介錯したコトあるっす。そんでっすね、タクヤくんに会いに来た理由のひとつなんすけど」
ああ、嫌だなと思った。
「もし、戦いに参加してくれるなら、ランさんができなかったらタクヤくんにお願いしたいっす」
無邪気な笑顔で
「嫌ですよ! そんなの!」
その答えを聞くと、太一は急に真剣な表情を浮かべる。
「じゃあ、タクヤくんは逃げるっす。二日もあれば今回の大規模
おそらく、会いに来た本題はこれだ。太一はポケットから折り目のついた一万円札を二枚出して、笑顔で拓矢の手に握らせてきた。
「プチ家出だと思って青春一人旅してくるといいっす。あ、二万で足りるモンすかね、もう少し渡しとくっす」
ごそごそと、抱えていた上着のポケットを探り始める。
「いりません」
「あ、二万で足りそうっすか? 相場わかんねっすから」
拓矢は握らされたお金をぐいっと突き返す。
「僕は逃げませんから」
「感情に流されるのはダメっすよ。ジャックはそういうのとは無縁そうっすけど、今後アツい性格の記憶引いたら、同調しまくりっす」
「太一さんはヒーローになりたかったって言ってましたよね」
急になんだと、とまどった様子。
「言ったっすね。なんなら、まだ思ってるっす。残り少ないオレの
拓矢は深呼吸をした。そして大きな声を出す。
「ヒーローなら! 敵を倒して、僕らを守って自分も生きて、ハッピーエンドにしてください!」
「無茶言うっすね。ヒーローになりたいだけで、ホンモノじゃねっす」
「なるんですよ! 本物のヒーローに! 僕の前で死なないって約束してください」
大声を出したせいで、公園内の通りすがりたちが何事かと視線を向けてくる。
「拓矢くんが逃げてくれれば、目の前で死ぬようなコトにはなんねっすよ」
拓矢は不敵に笑う。
「僕もヒーローになります。家族も友達も知らない人たちも助けるし、蘭さんも鶴田さんも守ります。当然、太一さんも死なせません」
ポカンとする太一の表情が、同じく不敵な笑顔に変わる。
「良く言ったね坊や! 一度口にしたんだ、やりとげる覚悟はあるんだろうね!」
太一の口調が違う。記憶に乗っ取られているのだ。蘭と鶴田の変化は何度も見たが、太一が記憶に飲まれるのを拓矢は初めて見た。
「あります!」
「あっはっは!
突然、太一が両手で自分自身の頰を挟みこむように叩く。そうして、いつもの風采のあがらない顔に戻った。
「ビックリしてオバちゃん出てきちゃったじゃないっすか」
「それだけ感動したってことですよね?」
太一は口をへの字に曲げて目をそらした。
「二人でヒーローになりましょうよ。蘭さんが言ってたじゃないですか、あきらめたらそこまでって」
「……わかったっす」
再び真剣な眼差しを拓矢に向ける。
「でも現実は非情っす。こんなはずじゃなかったと思っても、貫くっすよ、自分の意志を」
太一は拓矢の胸に優しく拳を突き出した。魂をノックされた気分だ。
「はい!」
「その決意を先生に伝える必要はねっす。あとで冷静になって気持ちが変わってもオレはキミを責めたりしねっす」
太一は紙幣を持ったままの拓矢の手を握らせ、押しやる。
「選択肢はあった方がいいっすから、持っておくっす。もし生き残れたらそのカネで焼き肉でも食いに行くといいっす」
「はい、太一さんと行きます」
今度は、突き返さずにポケットに入れた。太一はうれしそうな、さみしそうな、複雑な笑みを浮かべる。
「ランさんとツルタさんも誘って、戦勝会っすね」
拓矢はこくこくとうなづいた。太一が立ち上がる。
「んじゃ、
返事も聞こうとせずにすたすたと歩き出す背中に、拓矢は大きな声で言葉を投げる。
「次の
振り返らずに片手を上げただけの後ろ姿を見送った。
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