20:先生

 ゲームセンターで大盛りあがりした高校生たちは、主にお財布事情により遊びを切り上げた。

「葉山! リベンジマッチ、覚えてろよ!」

「うん、受けて立つよ!」

 ダンスゲームだけではなく、反射神経や動体視力を要するゲームでことごとく良い成績を収めた拓矢はちょっとしたヒーロー扱いだった。

「お前、そんな運動神経良かったっけ? 別にどんくさくはなかったけど」

 なんか雰囲気も変わったしな、と沢村が首をかしげる。笑ってごまかすしかない。今後、身体能力に関しては少し手を抜いた方がいいだろう、拓矢はそう思った。超人的な力を得たはいいが、この力におぼれてはいけないのだと理解している。

 友人たちが三々五々と散っていく。まだ午後四時にもなっていないが、高校生の所持金では夏休み初日からあまり遊び回るわけにはいかない。また今度と別れていき、拓矢は沢村と二人になった。

「しかし暑いな、なんか飲み物買うわ」

 沢村が自動販売機に向き直った時。

「葉山拓矢くんだね? ようやく見つけたよ」

 女性に声をかけられた。くせっ毛が少しだらしない印象を与える大学生ぐらいの人物。

「どなたですか?」

「先生と言ってわかるかな」

 蘭と太一が言っていた抵抗者の組織、人類解放戦線の役職、先生。

「はい、蘭さんと太一さんから聞いてます」

 スポーツドリンクを買った沢村が不思議そうな顔で拓矢の横に歩いてきた。

「誰? 知り合い?」

「うん、知り合いの知り合い。話があるみたいだから、悪いけど先に帰ってもらっていい? ごめん」

「そっか……」

 先生に無遠慮な視線を向ける沢村だが、先生の方は彼にかけらも興味が無いようで見ようともしない。

「んじゃな、次は明後日」

「うん、また明後日」

 お互い軽く手を上げて挨拶を済ませる。去っていく沢村を少しの間、見送ってから拓矢は先生に向き直った。

「どこか座れるとこ行きますか?」

「そうだね、静かな所がいい。ついてきたまえ、少し歩くけれど」

 太一が妙なしゃべりの女と表現していたのを思い出した。確かに独特だ。少なくとも年齢相応ではない。

 歩く間、特に会話は無かった。拓矢の方から、あの、と声はかけたが、先生は指を一本立てて口の前で止めて見せた。静かに、というジェスチャーだ。誰が聞いているかわからない場所で話をする気はないということだろう。

 大きな公園の一角。日陰になったベンチに先生は腰を下ろした。

「マシな場所かな、ここが」

 近くを子どもたちが遊び回っている。繁華街の近いこの辺りでは静かな場所にも限りがある。

「個室の居酒屋に高校生を連れていくわけにもいかないからね」

 拓矢もベンチに座った。ジャックの記憶がざわついている気がする。

「改めて名乗ろう。先生と呼ばれる者だ、私は。人類解放戦線の」

「葉山拓矢です」

覚知者リベレーターの記憶を得てしまったそうだね。それも、なかなか曲者の」

「切り裂きジャックです」

「そっちじゃないんだ、本質は。切り裂きジャックと呼ばれた人物が、誰の記憶を継承して覚知者リベレーターになったかが問題なんだ」

 シャーロック・ホームズも気にしていたことだ。しかし、それは拓矢にもわからない。

「師匠がいたみたいです。人間とは何かを尋ねたら、血と内臓と糞の詰まったずだ袋と答えられて反感を持ったみたいです」

 先生が少し驚いた表情を浮かべる。

「似た話を知っているよ。仏教説話でね、釈迦しゃかが言うんだ。人間の容姿なんて重要じゃないと」

釈迦しゃかって、仏教を創った人ですよね、たしかブッダ。ジャックはその弟子ということですか?」

「しっかり勉強しているね。まあ、有名な話だから、その師匠が釈迦しゃかという可能性は、あくまで可能性だよ。誰かがアレンジしたのかもしれない、釈迦しゃかの言葉を」

 先生は一度言葉を切って拓矢をじろじろと観察するように見回す。

「今の会話でキミの中の記憶に何か変化は?」

 この女の腹の中を見てみたい。そんな衝動だけがわずかにある。

「いえ……その、あなたの、なんていうか」

「腹を裂いて殺したい衝動がある、ということかな?」

 先生は興味深そうに目をきらめかせた。殺人衝動を向けられていると知って喜んでいるように見える。拓矢は閉口した。

「いいね、切り裂きジャックとはそういう人物か。面白い」

 面白いものかと拓矢は反感を覚える。

「経堂くんから連絡があった。今回の大規模幻視ヴィジョンは終わっていないかもしれないと。ミラーズコートでジャックと交戦した記憶はあっても、仕留めた記憶は無いそうだよ。ホームズに殺された記憶は持っているかな? キミは」

 メアリー・ジェーン・ケリーの死体から内臓を引きずり出し、まだ動いている心臓を眺めていた記憶。その後、背後から誰かに襲われた。そうだ、間違いない、あの時ドーセット・ストリートで会ったシャーロック・ホームズだ。ナイフを奪われ、奇妙な武術で機先を制されたから、炎で応戦した。そこまでは今、思い出した。戦いの結末までは思い出せない。

「殺された記憶は無いです」

「ふむ、二人とも思い出せていないか、真相は。となると、その場では逃げおおせたかもしれないね、ジャックは。あるいはホームズが返り討ちにあった可能性も、あるね」

「ホームズはとても強い覚知者リベレーターらしいですが」

「ジャックが返り討ちにした可能性は低そうかい?」

「わかりません。ジャックの強さは知ってますけど、ホームズの強さがわかるほど僕は戦いに慣れてないので」

 先生はひとつうなづいてから、確認するように問う。

幻視ヴィジョンが終わる時、消えていくロンドンに引っ張られるような感覚は無かった、間違いないね?」

「はい、そういうのは感じなかったです」

「ジャックの記憶はかなり励起れいきしていたはずだ、経堂くんの話では。同行者の女性を殺そうとしていたほどだというからね、キミは」

 真坂に剣を振るおうとした自分自身の記憶を思い出して苦い顔をする。

「終わっていないね、ホワイトチャペル殺人事件の幻視ヴィジョンは。また一波乱あるだろう。サン・ジェルマン次第だけれど」

「そのサン・ジェルマンという人、僕は会ってないんですが、太一さんの話だと他の覚知者リベレーターに邪魔をされたんじゃないかって」

 先生がうなづく。

「この東京を本拠地にしている機関という組織があってね。そこの覚知者リベレーターで、私が動きを監視していた一人が消えたんだ、昨日。本拠地を実験場にされて、サン・ジェルマンの邪魔をしに行った可能性は高い。そして返り討ちにあったと予測するよ、私は」

覚知者リベレーター同士の戦いですか」

 ジャックとホームズの戦いを思い出そうとするが、頭が締め付けられるように痛み、詳しくは出てこない。

「サン・ジェルマンは強いよ、抵抗者相手には悪い癖があるだけで。対して機関の覚知者リベレーターは全体的に戦闘力は低い。戦闘力はね。だから、サン・ジェルマンが負けて死んだということはないはずだよ。仕切り直すだろうね実験を、おそらくは」

 終わっていない、という予測を突き付けられ、せっかく日常に戻れたのにという思いが怒りに変わる。先生に対してというわけではないが、睨みつけるような形になってしまった。

「まだ間に合うかもしれないよ?」

「え?」

「急いで東京を離れれば、幻視ヴィジョンに巻き込まれずに済む。経堂くんと九品仏くん、あと鶴田くんに任せて逃げてもいいんだ、キミは。誰も責めたりはしない」

 突然提示された逃げるという選択肢。そういえば、蘭も幻視ヴィジョンの発生予測を聞いて逃げれば長生きできるというようなことを言っていた。

「サン・ジェルマンの実験というものの結果、何がどうなるんですか?」

「わからない。私が前に遭遇した時は、秘術の限界を試すと言って霊力を溜めこみ続けて、どのぐらいの威力の爆発が起こるか試そうとしていたよ。阻止に成功したけれど」

「……失敗していたら、どうなっていたと思いますか?」

「爆発の規模にもよるけれど、焦土だ、あたり一面。もちろん幻視ヴィジョンの中でのことだけれども、現実にも影響を与える。良くて爆心地付近でガス爆発。死者多数。悪ければ地形が変わる。いなかったことになるだろうね、そこに住んでいた人は」

 もし、今回も同じようなことを企てていたとしたら、もし、抵抗者が阻止できなければ、家族や友達が巻き込まれるかもしれない。

「これはキミの責務じゃない。けれど私の頼みを聞くだけ聞いてほしい。頼まれてくれるかはキミの自由だ」

「はい」

「九品仏くんたちを手伝ってほしい。彼ら三人でもサン・ジェルマンに勝つ目はあるけれど、九品仏くんは十中八九死ぬ。いや、キミが協力してくれても彼が生き残る可能性はきわめて低いのだけれどね。それでも、サン・ジェルマンを倒す見込みが、かなり増す」

 太一は自分は長くないと言っていた。

「繰り返しになるけれど、キミは逃げていい。その上でお願いだ。九品仏くんが死ぬところを見るだろうし、キミ自身多くを失うだろう。それでも、戦ってくれないだろうか」

「ずるいですよ、これで逃げたら、僕はずっと自分を許せない」

「卑怯なことを言っている自覚はあるよ。キミの良心に訴えかけているからね。それだけ必死というわけだ、我々も」

 何を考えているのかわからない先生の瞳が拓矢の目を覗きこむ。

「なら、お願いだなんて言わずに、はじめから強制してくださいよ。どうして逃げてもいいなんて言うんですか」

「意志の問題だよ、キミ自身の。キミが自分で決めたのでなければ、いざという時にキミは踏み止まれない。覚知者リベレーターになって新たな脅威と化す。罪悪感を恐れて仕方なくというのであれば、逃げてほしい」

 戦えと言ったり逃げろと言ったり、注文がめちゃくちゃだ。今、無性むしょうにこの女を殺して腹の中を見てやりたい。魂をじかに見てやれば、本当は何を考えているかもハッキリする。

 拓矢は頭を強く振った。ジャックの記憶と同調しそうになっている。

「次の幻視ヴィジョンは早くとも明日だ。優秀な予報士の観測では今日中に起こることはない。今晩、ゆっくり考えてみるといい」

 言いたいことだけ言って先生は立ち上がる。拓矢にちらりと視線を向けると、それ以上の言葉も残さず去っていった。

「僕の意志……」

 しばらくベンチにたたずんでいた拓矢の頭に何かが飛び込んできた。記憶ではない。それほど強くはない霊力の波動。その波形になんとなく、太一の雰囲気を見つけた。もしかしたら、念話というやつかもしれない。

 大地から体を登る霊力をその波形に繋げることをイメージしてみると、予感通り太一の声が頭の中に届けられる。

「ちっす、タクヤくん、今時間あるっすか?」

 まるで電話みたいだなと思いながら、返事を念じてみる。

「これ、届いてますか? 夕方までなら、まだ時間あります」

「できてるっすよ。今、新宿にいるんすけど、遠くないトコにいたら、ちょっと会えねっすか? ムリなら、このまま念話でもいっす」

「中央公園でさっきまで先生と話してました」

「やっぱそっすか」

「場所は――」

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