18:戦いを終えて

 帰り道、夕暮れの中、拓矢は鶴田に送られていた。

「鶴田さん、僕、高校生男子なんで送ってくれなくても大丈夫ですよ?」

「大人として放っておけないんだ。結婚していればキミぐらいの歳の子供がいてもおかしくないからね」

「鶴田さん、いくつなんですか?」

「今年で三十九になる」

「ということは……二十四歳で子供が生まれてたら僕と同い年ですね。最近だとそれってだいぶ早いんじゃないですか? うちのお父さんもう五十になりますよ」

「ははは、そもそも三十九歳で独身だ。もしもの話だよ」

 あまり触れてはいけない話な気がして拓矢が黙る。鶴田も十代の若者と話す機会が無いため、距離感がつかめず黙ってしまった。しばし気まずい雰囲気のまま歩く。

 鶴田としては、今日あった出来事について少年の心のケアをしたいと思って家まで送ることを申し出た。しかし、いざ話そうと思うと自分より過酷な状況に置かれた拓矢になんと声をかけたものか、考えがまとまらない。

「鶴田さんの記憶は」

 拓矢の方から口を開いた。

「刑事さんは、人を殺したことがありますか?」

「犯人を射殺したことがあるようだ。拓矢くんは、ジャックの犯行を具体的に思い出してしまったのかい?」

「はい、首を切り裂くところから、消えていく命が美しいと思うまで、全部です」

 鶴田は内心うなる。記憶の持ち主の感情まで思い出すということは、意識が同調してしまえば真坂を狙ったように新たな犯行に至るおそれもあるということ。自分の中のバダム刑事が警告を発する。切り裂きジャックを放置してはいけないと。

「それはつらいだろう」

「でも、大丈夫です。さっき幻視ヴィジョンを出てからは腹を裂けってジャックも騒がなくなったんで」

 気丈な笑顔に鶴田は自分の認識が甘かったことを知った。

「ずっと……かい? ジャックの影響を受けていたのは」

「はい、全員に対してじゃないんですが、殺したい衝動が湧くんです。基準がよくわからなくて、女の人が多い気はしますが年齢も性別も関係なく、死ぬ瞬間の魂の輝きを見たいと思ってしまうんです」

「すまない、そこまで深刻な状況だとは知らなかった」

 口では謝りながらも、バダム刑事の記憶も相まって疑問に思ってしまう。老若男女の別が無いのであれば、どうしてジャックは娼婦だけを狙ったのだろうか。

「鶴田さんの記憶は切り裂きジャックを追った刑事さんなんですよね」

「ああ」

「ジャック、というよりその記憶を持ってる僕に対して、記憶の人が何かを思ったりしないんですか?」

「拓矢くんに対してというのはない。バダム刑事は犯罪に対して怒りを覚えているようだが、拓矢くんとジャックをイコールだとは思わないようだ」

 実際に鶴田の気の毒だという感情に刑事も同調している。真坂を襲おうとしているのを止めた時も、二人を、両方を救うために動いた。

「私も刑事も、拓矢くんを救いたいと思っている。可能かどうかは別として、ね」

 ちょうど会話の切れ目で駅に着いた。

「ありがとうございます。鶴田さんが気にしてくれてるだけでも少し心の支えになる気がします」

「何か私にできることがあったら言ってほしい。太一くんや経堂さんの方が頼りになるのは間違いないが」

「鶴田さんが止めてくれたじゃないですか、取り返しのつかないことをしそうになった僕を」

 あの時、腕を掴むのが遅れていたら、それを考えると自分を褒めてもいいかなと鶴田には思えた。

「間に合って本当に良かったよ」

「はい、ありがとうございました」

 拓矢が頭を下げる。

「いいんだ、私自身も救われている」

「そういえば、最初に蘭さんに戦えって言われた時に怒ってくれましたよね」

「ん? ああ、私自身に戦う力が無いのが悲しいところだったけどね」

「それなのにジャックに乗っ取られてた僕を止めてくれたんですよね、自分が切りつけられるかもしれなかったのに」

 言われてみればと気付く。あの時は嫌な予感と止めなければという気持ちでいっぱいだった。

「後先考えていなかっただけさ」

「僕なんかより勇気があると思います」

 面映おもはゆい気持ちに鶴田は口ごもる。

「あ、結構時間経っちゃいましたね。送ってくれるのはここまでで大丈夫ですよ、ありがとうございました!」

 時刻を気にして歩き出す拓矢を鶴田は呼び止めようとしたが、男子高校生に対して過保護かと思い直し、軽く手をあげて見送った。


 翌日のこと。真坂は宣言通り鶴田と出会った駅付近の弁護士事務所を訪ねていた。思っていたよりも数が多く、迷った結果一番大きなオフィスを選んだ。ここが違っても弁護士同士は知り合いだろうと踏んでのこと。誰かが鶴田を知っていれば教えてもらえる算段。

 オフィスの呼び鈴を鳴らすと、インターホンから女性の声が応答する。

「はい、ご予約の方ですか?」

「いえ、鶴田数利さんという弁護士の方に助けていただいて、お礼が言いたいのですが、どちらにお勤めかわからなかったものですから」

「申し訳ありません。個人の情報についてお教えすることはできかねます」

「せめてこちらに在籍しているのか、いないのかだけでも教えてください」

「申し訳ありません。事務所がどこかもご存じないということは、弁護士の名前だけを頼りに探されているとお見受けします。あなたが本当にお礼を目的に探しているという保証が無い以上、逆恨みでの行動という可能性があることに留意しなければなりません」

 つまりストーカーかもしれない相手に第三者の個人情報を教えられるわけがないだろうという至極真っ当な言い分である。さすが弁護士事務所、リテラシーが高く取り付く島もない。

 そもそも真坂がストーカーかストーカーではないかで言えば、明確に関わるなと言われている相手を探し回っている時点で限りなくストーカーに近い。お礼が言いたいというのも口実であり、つきまとう気満々である。つまり事実上ストーカーそのものであると言わざるを得ない。その真実にたどり着いてしまった真坂は正論の前に屈した。

「そうですか、お手数をおかけしました」

 おとなしく引き下がることしかできなかった。

 ビルを出て暑い中で思案する。予定通り近辺の事務所をすべて回れば、個人情報におおらかな場所もあるかもしれない。が、本当にそうだろうか。

「ムリかも」

 ぽつりとつぶやき歩き出す。しばらく進むと、鶴田と出会った裏路地に繋がる通りに出た。鶴田が使っている道である可能性は高いが、人通りも多く偶然行き合うにはかなりの幸運が必要だろう。

「これじゃあ、本当にストーカーだ」

 道行く人々を目で追い、鶴田の姿を探しながらの独り言。しかし、つかんだ手がかりをみすみす逃すつもりはない。姉の真実を知るために譲れないものがある。オカルトな噂のある場所を巡っていれば、またいつか抵抗者に出会えるだろう。そう信じて立ち去っていった。

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