6:覚知者(リベレーター)

 仇敵との遭遇は有益な情報をもたらした。秘術寺院、そう呼ばれている現行人類最古の組織がある。龍脈から地球の記憶の力を汲み上げ、超常的な力を行使する技法、秘術。その研究と発展をかかげて活動する覚知者リベレーターの組織だ。覚知者リベレーターとは過去の記憶を受け継ぎ、自らのものとして受け入れた者たち。記憶を継承し続けることで、事実上の不死を実現している者の総称だ。対する蘭や太一は過去の誰かの記憶を継承しながらも、自分が自分であることをあきらめず、記憶に抗い、覚知者リベレーターたちの引き起こす悲劇を防ごうとする者たち、抵抗者である。

「先生に念話で状況を伝えておいたわ」

「サン・ジェルマンが姿を見せたってことは、準備はあらかた済んでると思った方がいいっすね」

「そうね、あいつは私たち抵抗者が実験を阻止しようとするのをねじふせて楽しむクズだもの。わざと私たちに見つかったのかもしれない」

 眉間にシワを寄せ、仇敵への憎悪を燃やす。

「準備が整ってるならいつ大規模幻視ヴィジョンを発生させられてもおかしくねっす。サン・ジェルマン相手にふたりは無理筋っすよ」

「先生が有望な新人を見つけたそうよ。タイミングから考えて切り裂きジャックに縁がある記憶を持ってるだろうって。あとは何人、抵抗者が幻視ヴィジョンに巻き込まれるか、それ次第ね」

「新人っすか。時代に縁がある記憶が無いと、なかなか幻視ヴィジョンに入れないっすからね」

「一般人が巻き込まれるよりマシよ」

 太一が両手を軽くあげてお手上げのポーズをとる。

「サン・ジェルマンの実験なら、幻視ヴィジョンに巻き込まれなくても、どのみち災害級の被害が出るっす」

「ええ、実験阻止を第一に動くわよ。サン・ジェルマンの撃破は可能なら、で」

「さっきみたいな暴走はカンベンっすよ――」

 その時、ふたりの頭の中に念話の繋がりの予感が走った。ラジオの周波数を合わせるように、霊力の波長を調整すると、男性の声が頭の中に聞こえてくる。

「大規模幻視ヴィジョン発生の予兆を感知しました。戦える抵抗者は、ただちに備えてください。そうでない方は急いで家族を連れて東京都心から離れてください。繰り返します、大規模幻視ヴィジョン発生の予兆を感知しました――」

 抵抗者たちの頼みの綱、広範囲探知に長けた予報士による緊急広域念話だ。

「早かったっすね」

「やっぱり、さっきのは宣戦布告だったようね、自己顕示欲の強いサン・ジェルマンらしいわ」

 そんな短い会話の後、しばらく待っていると、周囲の風景が溶けて地球の記憶が地上に現出していく。

「警報から八分ってとこっすか、逃げろって言われて逃げられる時間じゃねっす。後手後手っすね」

 東京の街並みは、およそ百年前のロンドンへと上書きされた。


 産業革命以来、大気汚染の続くロンドンでは街中に煤煙が立ち込めている。霧のロンドンと言えば風情があるが、実態は空気の悪い公害都市だ。

「うへぇ、前回も思ったっすけど、鼻が慣れるまで大変っすね」

 寒さを感じてジャージの上着に袖を通しながら、太一は顔をしかめた。

「ここは……イーストエンドね。ホワイトチャペルは向こうだったかしら」

 同じくジャケットを羽織りながら、蘭はシャーロック・ホームズの記憶を頼りにロンドンの地図を思い描く。

「まずは今が何年何月か……新聞買ってくるっす」

 道行く新聞売りの少年に声をかけ、太一は小銭入れから出した十円玉を渡す。幻視ヴィジョン内は地球が見ている夢のようなもの。多少の齟齬そごは無視される。それが貨幣であるという認識さえあれば、夢の中の住人との取引も問題なく行える。太一は購入した新聞を広げることもなく日付欄だけを見た。

「九月二十九日、土曜日っすね」

「カノニカル・ファイブの三件目と四件目、エリザベス・ストライドとキャサリン・エドウッズが殺される日ね」

「よく覚えられたっすね。と、そんなことより、事件が起こる現場に行けば何かありそうっすかね」

「三件目のエリザベス・ストライドの遺体はあまり不必要に切り裂かれていなかったそうよ。そして同じ夜のうちに、もうひとりキャサリン・エドウッズが殺された。そちらは前の二件と同様の手口」

「誰かに邪魔されたってことっすね。覚知者リベレーターの邪魔をできるのは、同じ覚知者リベレーターか抵抗者だけっす」

「それにしても、切り裂きジャックの正体がわかるなんて、ちょっとわくわくしない?」

 にこっと笑みを浮かべる蘭に、太一が釘を刺す。

「ランさん、意識がホームズに引っ張られてるっすよ、切り裂きジャックの正体は知る必要の無いコトっす」

「そうね、どうにも好奇心が強くなってる、気を引きしめるわ。で、夜までまだ時間があるけど、被害者を確保できるかもしれないからバーナー・ストリートに行きましょう」

「役者のオバちゃんはイーストエンドに詳しくなかったみたいっす。こっちの地理はよくわかんねっすから、道案内よろしくっす」

 ふたりは殺人が起きる予定の現場へと歩き出した。地味な女性ものスーツと鮮やかな緑のジャージ。蘭の格好は色合いで言えば溶けこむが、太一は目立ってしょうがない。もっとも、幻視ヴィジョンは地球の見る夢。無数のロンドン市民、夢の中の住人たちは迷いこんだ者の服装や顔立ちなど気にしないのだが。

「それにしても、よくこんな空気の悪いトコに住んでられるっすね」

「住めば都と言うでしょう。公害対策がされるようになるまで、色んな大都市が大気汚染に悩まされてたのよ」

 無駄話をしながら、慣れた様子で幻視ヴィジョンの中の雑踏を進む。ロンドンに住んでいた記憶があるため、周囲の光景自体はめずらしくもなんともないのだ。そもそも緊急事態である。観光気分になどなれるはずもない。二人は元々の住人のようにホワイトチャペルへと向かった。

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