14:オーバーライド

 拓矢は信じられない思いで、自分の体が超人的な活躍をする様を見ていた。これがお前の得た力だ、自由に振るってみたくはないかと誰かが耳元でささやく。

 先ほど聞いた、無関係な一般人が存在ごと消される話。家族や友人、大切な人を守る手段。力を振るう解放感が心地よい。なんでもできるという万能感が心をくすぐる。

「拓矢くん!」

 気付けば自分の体に戻っていた。年齢に対して小柄な、力で簡単に押さえつけられてしまう体。しかし、秘術を使いこなせば、怪物ですらこの身に触れることはできない。

「自分の意志を取り戻すっす!」

 ヒーロー気取りの男が何か言っている。彼は自分の力を制御したつもりになってうすっぺらな自我でせっかくの力にかせをつけている。秘術とは、もっと自由に、より強く扱えるものだというのに。

「目を覚ますんだ拓矢くん」

 眼鏡の男は初めての戦闘で何もできなかった。どれだけ強大な力を持っていても、使い方を知らなければ無力。そもそも、彼はどれだけの秘術を扱えるのだろう。先ほどの様子を見る限り、戦いに役立つ秘術をひとつも持たずに戦場に立っていた可能性すらある。だとすると、ずいぶん滑稽こっけいな話だ。思わず笑ってしまう。しかし、自分も、かつてに比べれば扱える秘術の数が心もとない。もっと力を――


 不敵に笑う拓矢にその場の一同が声をかけたが、内なる主導権争いから戻ってくる気配がない。

「彼の記憶は一体、何者なんだ?」

「秘術での戦い方が板についてた。抵抗者か覚知者リベレーターでしょうね。戦力として考えるならうれしい誤算だけど、途中で覚知者リベレーター化でもされたら目も当てられないわ」

「なんか高校生を日常に引き戻せそうな話題とかねっすか」

「すまない、高校生だったのは二十年以上昔のことでね」

 しぶい顔で相談する三人の間に真坂が割り込む。

「よくわかんないけど、まかせてよ!」

 返事も聞かずに拓矢に向かって歩き出した。不用意に間合い内へと入りこんだ一般人に威圧的な視線が向けられる。一瞬、気圧けおされた真坂だが、精一杯の笑顔を浮かべながら、焦らず距離を詰めていった。秘術の守りすら持たない一般人に、今の拓矢を害することなど不可能。警戒など不要とばかりに、体の主導権をめぐる内なる戦いに戻る。だから、それは完全に不意打ちだった。

「えい!」

 真坂は拓矢をぎゅっと抱きしめた。女性に免疫のない少年を、お姉さんが優しく包み込めばどうなるか。

「わ、わ! わ……真坂さん?」

 うれしさと恥ずかしさで顔を赤くし、あわてふためく拓矢。やわらかな人のぬくもり、安心する香り。

「目、覚めました?」

 心臓が早鐘を打つ。それが相手に聞こえているのではないかという焦り。同時に、包みこまれるような幸福感をいつまでも味わっていたいと思ってしまう。思春期以降、こんなダイレクトなスキンシップは初めてだ。

 真坂は、もう大丈夫そうかなと思ってから、ダメ押しで十秒ほど待って少年を解放した。顔を真っ赤にした男の子は自分でも気付かずに名残惜しそうな表情を浮かべる。真坂はその目をのぞき込んで、ニコリと微笑んでからそっと離れた。

「効果バツグンっすね。そりゃズルいっすわ。男子高校生が抗えるわけねっす」

「たしかに……そうだな」

 うんうんと、うなづく男性陣。自分がやっても効果があるのだろうかと不安そうな顔をする蘭。目ざとくその表情を盗み見た太一は、心配不要っすと小声で伝えた。今度は蘭が赤面する。

「迷惑かけて、ごめんなさい」

「謝る必要ねっすよ。幽鬼はサクッと倒せたし、記憶に乗っ取られそうになるのはみんなあることっす。オレがおかしくなったら頼んだっすよ」

「しかし、すごい戦いぶりだったね」

 ほめられても、自分自身の努力による力ではない。拓矢は首を横に振った。

「ところで経堂さん、太一くん。確認したいことがある。拓矢くんの記憶が抵抗者か覚知者リベレーターだろうということはわかった。秘術を使った戦いというのがどういうものかもね」

 とはいえ、鶴田には自分に真似まねができるとは思えなかった。

「特殊な記憶を持つ拓矢くんの場合、通常と比べて何か意識して注意すべきことはあるだろうか」

 太一が少し考えこむ。蘭も言葉を選んでいるのか、すぐには口を開かない。

「結論から言うと……強い意志を持つしかねっす。抵抗者の記憶は戦い方を知ってる分、有利っすけど、それに頼ってしまって飲まれやすいっす」

 そこから更に慎重に言葉を続ける。

覚知者リベレーターの記憶は危険っす。オレは持ってないから、一緒に戦った仲間から聞いた話っすけど、記憶の方から積極的に体を渡すよう働きかけてくるらしいっす」

 まさに、先ほど拓矢が置かれていた状況だ。

「じゃあ、僕の記憶は覚知者リベレーターのものだと思います。抗い続けられるんでしょうか」

「あきらめたらそこまでよ。帰るべき日常を思い出しなさい。必ず戻るんだって、強く願うの」

「はい……」

 家族と友人、日常のなんでもない小さな幸せ。そういったものを想い、自分は恵まれた境遇で育ったのかもしれない、そう感じた。危機に触れて初めて、いかにそれらが大切なものなのかを知った。


「それにしても妙ね」

 蘭の言葉にその場の全員が注目する。

「ほとんどの覚知者リベレーターは私たち抵抗者のことなんて、ろくに気にかけないのだけど、サン・ジェルマンは実験の片手間に、何かしらしかけてくる奴よ」

「さっきの幽鬼がそうだったのでは?」

「目立ちたがりのキザ野郎なのよ。幽鬼をけしかけるにしても、姿を見せて嫌味を言ってきそうなものだけど」

「ツイてるかもしれねっす」

 どういう意味だろうと、今度は太一に視線が集まる。

「サン・ジェルマンが所属してるのは秘術寺院って組織っす。覚知者リベレーターの組織は互いに争ってるって言ったっすよね、あの目立ちたがりが出てこないってことは、どっかの組織の横槍、イレギュラーがあったってコトっす」

覚知者リベレーター同士が戦ってるってことは、運が良ければサン・ジェルマンが疲弊するか死ぬかして、私たちがどうこうしなくても、この幻視ヴィジョンは無害に終わるかもしれないわね」

「そうなることを願おう。それはそうと、事件現場はどうする?」

 おそらく、刑事の記憶の影響で切り裂きジャックの正体をはやく知りたがっている鶴田の言葉に太一はうーんと小さくうなる。

「この時代の覚知者リベレータージャック・ザ・リッパーと遭遇する可能性が懸念けねんその一っす」

「何かまずいことでも? むしろ、ひと目見たいぐらいだ」

「オオアリっす。幻視ヴィジョンが地球の見る夢だとしても、その夢のナカにいるオレらはココで起こったコトの影響を受けるっす。つまり、登場人物に切りつけられたらフツーに怪我するし死ぬっす」

「犯行現場を見られたジャックに襲われる可能性があるってことね」

 拓矢が身震いをした。本物のジャックは先ほどの自分より強い。勝てる相手ではないと直感が告げている。

「じゃ、じゃあ、もう帰りましょう!」

「この幻視ヴィジョンの終わりがどこかはわかんねっすけど、それまで安全な所にいるのもアリっちゃアリっす。ただ、懸念けねんその二があるっす」

「サン・ジェルマンね」

「そっす、サン・ジェルマンが実験をあきらめるのは運が良ければっす。ヤツがピンピンしてたら、オレらがナニもしないことでヤツの思惑通りコトが運ぶっす」

「それを阻止することが第一目標だったな。だが、それだったら事件現場を見るより、そのサン・ジェルマンを探すべきでは?」

 蘭が首を横に振る。

「この広いロンドンから、手がかりなしでそれは難しいわ。現状あるヒントは数ある歴史的事件の中からサン・ジェルマンが切り裂きジャック事件を選んだことよ」

「サン・ジェルマンを探すなら、事件とカンケーのある場所に行くべきっす」

 鶴田さん、と蘭が視線を向ける。

「メアリー・ジェーン・ケリーの殺害現場に行く前に確認したいことがあるの」

「私に?」

「ええ、シャーロック・ホームズの記憶の持ち主として、エドワード・バダム刑事の記憶の持ち主のあなたに質問よ」

 鶴田は緊張した面持ちで、何かなと返した。

「刑事の記憶にある事件現場の様子をあらかじめ詳しく教えてほしいわ。誰かに遭遇した時のために」

「……現場を見た時の記憶は思い出していない、ただ」

「ただ?」

「真坂さんと会った時、現場の幻視ヴィジョンに入りこんだ。ほんの数分間、いや数十秒だったかもしれないが」

「部屋の様子はどうだった?」

「遺体は紛れもなく奴の手口でやられていたが、部屋の様子?」

 蘭の瞳が謎を解く者の光を帯びてきらめく。

「火事が起きてました!」

「ああ、そういえば、衣類に火が着いていた」

 真坂の言葉に鶴田がうなづく。

「妙ね、史実では当時のミラーズコートに火災の記録は無いわ」

「史実とのズレは覚知者リベレーターの介入が疑われるっす」

「ええ、五件目のメアリー・ジェーン・ケリー殺害を最後にジャックの足取りは消えている。それ以上犯行を行わなかった理由について考えていた」

「ジャック・ザ・リッパーが覚知者リベレーターなら……目的を果たしたか、あるいは他の覚知者リベレーターに倒された?」

「三件目は犯行の途中で現場を去り、すぐに四件目に移っている。覚知者リベレーターであるジャックの犯行を邪魔できるのは、同じ覚知者リベレーターか勇気ある抵抗者だけだ」

 微笑みをたたえた蘭は、名探偵としての推理を展開していく。

「つまり、ジャックには敵対者がいたわけだ。五件目の犯行の後、ジャックは倒されたか、ロンドンから追い払われた。ただ、私はこのミラーズコートで倒されたのではないかと考えている」

「火災、史実とのズレはその時に生じたっすか」

「そう考えるのが辻褄つじつまが合うというものだよ、太一くん。メアリー・ジェーン・ケリーの部屋で秘術を用いた戦いが繰り広げられ、ジャックは討たれた。炎はどちらかの秘術が生み出したものだろう」

 シャーロック・ホームズの言葉を受けて、拓矢の中の殺人鬼の記憶がよみがえる。確かにあの部屋で、背後から誰かに襲われた。応戦したが、戦いの結末は思い出せない。

「拓矢くん」

「はい!」

 突然名指しされ、体をびくりと震わせる。

「キミの持つ記憶は、切り裂きジャックのものだね?」

 太一が、鶴田が、なるほどという顔をする。

「……隠してました。自分の中に殺人鬼がいるって言いたくなくて」

「やはりそうか。この推理は外れてくれた方がうれしかったんだがね。だってそうだろう? キミがジャックではなかったなら、ジャックを倒したがわということになる。それなら、正体不明の登場人物が一人減ってくれたのだけど」

「あー、懸念けねんその三、ジャックを倒した覚知者リベレーターに遭遇するを追加っす」

「そう、ジャックを討ったのは勇気ある抵抗者ではなく覚知者リベレーターだ。抵抗者は幻視ヴィジョンを上書きまでして痕跡を消したりしないし、たった一人で覚知者リベレーターは倒せない。数人で踏み込んだのなら目撃者がいてもおかしくない」

「それに、人類解放戦線ができるまでは抵抗者同士で力を合わせるのも難しかったみたいっす」

 現在この幻視ヴィジョン内には過去の切り裂きジャック、それを討った者、現在のサン・ジェルマン、その邪魔をしようとしている者、四人もの覚知者リベレーターがいる可能性があることをホームズは指摘してみせた。

「四人の覚知者リベレーターが鉢合わせて潰し合ってくれるとうれしいんすけど、まぁ、そう都合良くはいかねっすね」

「少なくとも、サン・ジェルマン伯爵には過去の二人の動きはある程度読めているだろう。彼がお膳立てした舞台なのだから」

「わかったっす。ランさん、まだホームズに推理させたいことはあるっすか?」

「おや、私は用済みかね、いいだろう。レディの体をいつまでも借りているのも気が引ける――って、自分から主導権を返してくる記憶なんているのね、驚いたわ」

「そういうヤツを信用しない方がいいっすよ。ここぞという時に裏切られるもんす」

「わかったわ――そう言わずにいつでも頼ってくれたまえ。面白い謎は大歓迎だよ」

「厄介な記憶を引き当てちまったっすね」

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