13:幽鬼

 重いものが這いずるような音。

「勇気とはどういう意味だ? 何が起こってる?」

「幽霊の鬼と書いて幽鬼よ。覚知者リベレーターが生み出す怪物。幻視ヴィジョンの中でだけ遭遇する化け物」

 這いずる音、磯の生臭い香り、しゅうしゅうという空気の出入りするような音。それらがドーセット・ストリートの一方から近付いてくる。

「現実に幽霊だとか怪物だとかは存在しねっす。そういうのは幻視ヴィジョンに迷い込んだヒトが幽鬼やらなんやらを見た時の記憶っす。ひとつ確実に言えるのは、幽鬼は覚知者リベレーターより弱い、勝てる相手ってことっす。肩慣らしのつもりで戦うっす」

 肩慣らしと言われても、拓矢は恐怖心が限界まで高まった。気付けば、ふっと自分自身の姿を後ろから見ているような、現実感を失った状況になっている。目の前の自分は遺物の武器をくるりと回転させ、慣れた手つきで構えて前に出た。

「拓矢くん、まずは様子見して、徐々に戦いに慣れて」

「必要ない」

 落ち着いた、冷たい声色。

「あっ、タクヤくん、戻ってくるっす! キミは意識を乗っ取られてるっす!」

 そうこうするうちに恐怖の発生源が暗がりから姿を現し、ガス灯の光に照らされた。ぬらぬらと光を反射する濡れた表皮。ウミヘビを思い起こす細長い頭。口にはずらりと尖った歯が並んでいる。そんな頭がざっと九本、同じ胴体に繋がっている。真坂が悲鳴を上げて一番うしろまで後ずさった。

「ハイドラ。サン・ジェルマンが好きそうな幽鬼ね」

 蘭の言葉が終わらないうちに、足に稲妻のような光を閃かせ、拓矢が駆ける。急速に接近しようとする小柄な体に向かって、幽鬼は口から液体を吐き出した。どす黒いそれは、見るからに有害だ。しかし、拓矢には当たらない。残像を残して横に跳び、そのステップのまま跳躍して頭のひとつに斬りつけた。剣の刃渡りを超えて首は切断されボトリと落ちる。

「おお……」

 感嘆の声は鶴田。拓矢の体は止まることなく稲光ように動き、次々と幽鬼の頭を斬り落としていく。九本すべてを落とすのに一分もかからなかっただろう。

「強い……拓矢くんの記憶って一体? って、驚いてる場合じゃないわね。拓矢くん、離れて、そいつ死んでないわ」

 蘭の言葉通り、首をなくしながらも胴体の這いずりは止まらない。頭を失った首が持ち上がり、切断面がボコボコと泡立つ。

「武器じゃ殺せないヤツっすね」

 頭を落とした首からにゅっとふたつずつ、新たな頭が生えて伸びてくる。あわせて十八本だ。それらの頭が一斉に拓矢に向かって毒液を吐き出す。

「面倒な……」

 つぶやきながら拓矢は余裕のある動きで毒液の届かない位置まで退いた。パズルボックスを手にしたまま状況を見守っていた鶴田が緊張した声でたずねる。

「どうすればいい?」

「鶴田さんはよく見ていて、戦い方を学んでちょうだい」

「タクヤくん、そのカンジだとヨユーで頭落とせるっすね? オレが傷口を焼くっす。連携ヨロシクっすよ」

 盾を構えたまま太一が前進。

「その後、私が幽鬼の動きを止める」

 蘭が鶴田のかたわらで言い放つ。

 再び拓矢の体が神速で動き出した。スパン、スパンと小気味よく切断されていく幽鬼の首。どちゃり、どちゃりと落下していく幽鬼の頭。その間に太一の左手が燃え上がる。

「タクヤくん、最後の落としたら離れるっす!」

 十六、十七、十八本目の首が切断され、拓矢が雷光の身のこなしで幽鬼から離れていく。太一は彼が距離を取るのを確認する前に、燃える腕を横に振るった。腕から伸びた炎が横薙ぎに幽鬼をあぶっていく。最初に斬った首は再生しかかっていたが、海産物が焼けるような匂いと共に速やかに黒焦げになっていった。十八本の首の炭化した先端は、もはや再生しようとしない。

「あっという間だったな……」

「まだだってば」

 鶴田のつぶやきに蘭の言葉がかぶせられる。幽鬼は首だった十八本を地面に押し付けると、後方の胴体をぐいと持ち上げた。まるで十八本足の軟体生物。尻尾の先端に口のような器官があり、そこから噴出した毒液が雨のように降り注いだ。

「ランさん、一般人頼むっす!」

 太一が大盾を振り上げ天に向けると、鏡のように磨かれた面からまばゆい光が放たれた。光は傘のように毒液の雨への遮蔽しゃへいとなってその場の者たちを守る。とはいえ、傘は真上にしか張られていない。地面に落ちた毒液の飛沫が横から飛び散ってきた。傘のはしにいた拓矢は琥珀色の壁で自身の体を覆って身を守る。秘術を使った戦いを完全に理解しているようだ。

 傘の中央にいる太一に飛沫は届かない。蘭は後方にいた真坂をかばうように移動し、その正面に氷の盾を展開、自分と真坂を守り抜く。そんな抵抗者たちの中で、鶴田だけがうろたえていた。影を起こして防いでみようと試みるが、影は影でしかないと言わんばかりに飛沫は透過して襲いかかる。

「ううっ!」

 どす黒い毒液の飛沫を正面からまともにかぶってしまう。影を操作しようと手を伸ばしていたため顔をかばうこともできず、思わず目をつむった。しかし、予想された痛みや不快感は無い。自分の体の周囲を透明な膜が覆っている。それが焼かれていく感覚はあるが、貫通する様子はない。

「ツルタさん、落ち着いて対処するっす。基本的な秘術の守りは、この程度の幽鬼には破られねっす」

 毒液の雨が止んだのを確認した太一は、蘭に目くばせをする。

「まかせて」

 指輪をはめた蘭の手が突き出されると、冷たい色の光が広がった。再び毒液を噴出しようと体をちぢめていた幽鬼の体に霜がつき、動きが鈍っていく。盾をおろした太一にかけられる拓矢の冷静な声。

「私が仕留める」

 剣を回して逆手に握ると拳が帯電、それをそのまま虚空に突き出した。一瞬の無音のあとに響き渡る轟音は雷のそれだ。真坂以外の抵抗者の目には見えていた。拳と幽鬼との間に刹那の電流が走ったのが。雷で焼かれた怪物は磯臭い煙を上げてベタリと地面に倒れる。そして、どろりと影となって消えていった。

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